212 98.12.16 「ちゅうちゅうたこかいな」
「ちゅうちゅうたこかいな」
口走りながら、既に内心ではしまったと臍を噛んでいたのである。そのようなセリフを口にしてはいかん、いかんのだ、いかんったらいかんのだ。でも、言っちゃったんだもんね。しょうがないんだもんね。どうせオレなんか、オレなんか、ぐすん。と、いった風な上目使いで、私はおそるおそる周囲を見やった。
私の発言がもたらした微妙な沈黙が、一同を凍らせている。
「あのさ」やがて、ひとりがおずおずと切り出した。「今どき、それは言わないんじゃないか」
どうしたものか、みんなお互いの様子を窺っている気配がある。
「そうだよな」もうひとりが自信なさそうに同意を表明した。「言わないよな。言わないと思う」
どうやら、誰もが自分の見解に自信を持てないでいるようであった。
「あ。やっぱり、そうか」更にひとりが、安心したように内心を吐露した。「俺も、今どきそれはないだろう、と思ったんだ」
そこから先は、一気呵成であった。彼等は、多数派となったのだ。
「ちゅうちゅうたこかいな、ときたか」
「情けない」
「この期に及んで、ちゅうちゅうたこかいな、はなかろう」
「見苦しい」
「だいたい、言うに事欠いて、ちゅうちゅうたこかいな、とは何様のつもりか」
「恥知らずが」
「たかだかタコ焼きの数を数えるのに、こともあろうに、ちゅうちゅうたこかいな、とは、いよいよヤキが回ったか」
もはや、みんな自信たっぷりである。多数派どころではない。全員一致である。「ちゅうちゅうたこかいな、などという言葉は死語である」という統一見解なのであった。私も同感である。同感だからこそ、臍を噛んだのである。この際だからオレにも言っとくけど、今どき、ちゅうちゅうたこかいな、なんて言わねえぞ。
言ったが。オレは言ったが。言ってしまったが。口走ってしまったが。ぐすん。
が、そこまで糾弾されねばならぬ問題か。
「待て待て待て」
私としては、私の名誉を守らなければならない。そんなものはないが。
私がいったい何をしたというのだ。誰かがタコ焼きを買ってきた。その場に居合わせた面々にどう配分するかといった話になり、ならばまず何個のタコ焼きがあるのかを把握せねばならぬといった展開を見た。それだけではないか。自ら進んでタコ焼きの数を数えようとした私の功績を、ほんのひとひらの失言をなしたばかりに無にしてしまうとは何事か。オレの青春を返せ。
タコ焼きである。タコの連想から、ちゅうちゅう云々といったフレーズが出現しただけである。ついつい、口をついて飛び出ただけである。聞かなかったふり、といったオトナの態度を、なぜとれないか。
だいたい、なんだというのだ。みんな最初は疑心暗鬼だったくせに。己の言語感覚に自信がなかったくせに。自らの時代感覚に確信がなかったくせに。
「え。どうなんだ、そこんとこ」
開き直ってみたところ、一同の興味は早くも次に移っているのであった。おいおい。この哀れな人物に投げかける憐愍はないのか。
ないのであった。
「で、ちゅうちゅうたこかいな、というフレーズはどこから出てきたのか」
「うむ。いかにも妙なフレーズである」
時ならぬ疑惑が渦巻いていると、ひとりが「語源辞典」といった類の書物を探し出してきた。
「んと、この本によるとだな、“子供がおはじきなどを二つずつ数えるときに、二、四、六、八、十の代わりに唱えることば”ということになっておるようだ」
「子供が、か」
「おはじきなど、か」
一同の視線が私に集中した。
「こらこら」私はたじろいだ。「そのような目でひとを見るな」
「ま、子供だからな」
ひとりが言い、みんながうなずいた。こらこら。
「こやつはこやつとして、ちゅうちゅうだが、こういうことだそうだ」
一方で、俄解説者は書物を読み上げるのであった。なんでも、「ちゅうちゅう」は、すごろく用語の重二(じゅうに)が変化したものだそうである。「ちゅうじ」「ちゅうに」を重ねたものなのだそうである。重二は、四のことであり、これを二つ合わせると八になり、タコの足八本を連想してタコといい、二つ加えて十になるのだそうである。
わけがわからない解説である。みんな何度か聞き返し、ついには書物が回覧されたが、いくら読んでも意味が把握できない。
「よくわからないが、大変なことになっていることはよくわかるな」
うなずく一同であった。
「しかし、すごろく用語というものがあったか」
「どんな業界にも、独自の用語はあるものだ」
「おそるべし、すごろく業界」
唸る一同であった。
「ところで、京都や大阪では、ほんとにこう言ってたのかな」
書物には、他地域の例も載っていたのである。
言っていたのか京都のひとよ。「ちゅうちゅうたあかいのとお」などと。
言っていたのか大阪のひとよ。「ちゅうちゅうたまかいのじゅう」などと。
言っていたのであろう。では、他はどうか。どうなのか。
「なんと言っていたのか青森のひとよ」
「そちらはどうだったか熊本のひとよ」
「意見を聞かせてくれまいかマレーシアのひとよ」
「なにか助言はないだろうかパラグアイのひとよ」
「この際だから貴重な御意見を賜りたいが火星のひとよ」
「言いたいことがあったら言ってみたまえ明石のタコよ」
「タコが言うのよ~、ってやつだな」
ついうっかり、そうした失言をなして、私はまたまた非難の集中砲火を浴びるのであった。
「その感覚が古い」
「古すぎる」
「どうにもならんな、このタコ」
などと。
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