200 98.09.02 「Midnight Bourbon」

「いやあ、やっぱりバーボンには、せめて市販のロックアイスじゃないとね」
 そんなふうにうそぶいたところ、鼻で笑われた。からからと、手にしたオールドファッションドグラスに音をたてさせながら、呆れた口調ですかさず切り返された。
「なに言ってんのよ。ホワイトに冷蔵庫でつくった氷を入れて、おいしそうに呑んでたくせに」
 こちらの過去を知っている人間にはかなわない。二十年も昔の話を持ち出されても困るのである。
 若気の至りは誰にでもあるだろう。その頃、バーボンは小説に出てくる架空の酒でしかなかった。ホワイトあたりの街角で、満足以上の悦楽を得ていた。
「恥ずかしい過去に触れてはいかん」
 こちらもグラスをくるくる回し、からから返し。しかし、難問がある。貯えておいたロックアイスがそろそろ尽きるのである。
「音がいいのは認めるわよ。いいよね、この音」
 からんからん。
「そうだよなあ。冷蔵庫の氷じゃ、こんな音は鳴らないもんなあ」
 からんからん。
 しかるに、この音がそろそろ尽きる。冷蔵庫の冷凍室には、水道水を固体化せしめた物体はあるが、これはあまりいい声で鳴いてくれない。
 すぐ近くにコンビニエンスストアはある。数分で新たなロックアイスを入手できる。が、せっかくの夜を中断するのも味気ない。世間一般の常識からすれば、お互いにタイトロープの上にいるのである。
「家庭用冷蔵庫の冷凍室でつくった氷は、ちゃらちゃらって鳴るからなあ。しゃらしゃらって聞こえることもある。バーボン呑んでるんだからさ、それはないだろう」
「精密に表現するわね」
「癖だから」
「それが敗因だったみたいね。私にしてみれば」
「余計なことを考えてたからもんだからさ」
「癖で?」
「性分だから」
「言い換えれば済むと思ってるでしょ」
「思ってる」
「敗因だらけね」
 くすくす笑っている。ま、歴史上の出来事である。
 歴史だから、覆らない。
「あの頃は、二人でバーボンなんて呑んだことなかったもんね」
「なんたって、ホワイトだから」
「ホワイトだったもんね」
「ビンボ~だったなあ」
「今は?」
「ピンポ~くらいになったかな」
「おいおい。って、可哀想だからツッコミ入れておくわ」
 おいおい。
「なくなっちゃったわよ、ロックアイス」
 空のグラスを掲げやがった。ついに出番か、水道水の氷。こちらのグラスにも補填せねばならない。
「乾杯」
 水道水のアイスキューブでいっぱいの、ふたつのオールドファッションドグラス。中身はバーボンと氷。氷の氏素性は水道水。
「氷は氷だから。お望みのロックアイスにはなれなかったしな」
 いや、望んじゃいなかった。よくわからなかっただけだ。
 つまるところは、双方ともに酔っ払った。
「なんで、こんなとこにいるのかなあ」
「こんな、とはなんだ」
「だって汚いわよ、この部屋。ちゃんと掃除してないでしょ」
「いやあ。わはははは」
「してないでしょ」
「いやあ。わはははは」
「どうでもいいけど、日付が変わりそうよ。どうするつもりなの、このあと」
 それは難問である。私が決めろ、と、その眼が語っている。
 さあて、どうしようかな。中学生の子供がいるくせに、なに言ってんだろ。

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