180 98.05.12 「幸せはきっとまた」

 遥かな記憶を遡れば、物質の三態とは、気体、液体、固体、の三つであった事実に巡り会うことができる。たしか、教科書、理科の教師、五年二組の学級委員であった河田さんなどが、そう語っていたはずだ。
 身近な記憶を遡れば、人間の三態とは、幸せ、幸せでも不幸せでもない、不幸せ、の三つであった真実に思い当たる。パチンコ屋における悲喜劇、雑誌の星座占い、保険勧誘員の中村さんなどが、そう語っていたように思う。私の思い違いかもしれない。
 多くの人々の常態は幸せでも不幸せでもないらしい。私の常態は、たいがい幸せである。能天気なこれまでの人生を思い返せば、幸せになるのは意外に簡単であることを、私は知っている。どうしたものか、世間の人々はすぐそこに転がっている幸せに気づかない。誰も拾わないのなら、私が頂くしかない。
 今回の幸せは、「バヤリース さらさら野菜〈スープ仕立て〉」である。
 いま私の中では、さらさら野菜の話題でもちきりなのであった。私の裡に潜むあまたの人格すべてが、さらさら野菜を賞賛してやまないのであった。こぞって、さらさら野菜に歓迎の意を表しているのであった。
 缶入りで、いかにも清涼飲料水の風を装っているが、野菜スープである。コンソメ風味のコールドスープとも言える。野菜ジュースとコンスメスープがブレンドされたもの、といったところか。
 アサヒ飲料株式会社が販売している。私はテレビコマーシャルでその存在を知り、スーパーなどを訪れた際に探索の手を広げていたのだが、さらさら野菜の幻影は逃げ水のように私をせせら笑うばかりで、いっこうにその姿を現さないのであった。うまいに違いないのである。憧憬ばかりが徒に増幅していく日々が続いた。私が気に入ったのだから、ほどなくして市場から消え去るのは明らかだ。早く見つけなければ、一生巡り逢うことなく終わってしまう。私は、焦燥に追われていた。
 そうして、ついに私の儚い思いが天に届く日が来た。駅前にあるアサヒの自動販売機が、さらさら野菜を商っていたのだ。かねてチェック済みの販売機であるから、最近取り扱うようになったのであろう。ずるいではないか。導入したのなら、なぜ真っ先に私に電話を寄越さないか。いったい私をなんだと思っているのか。
 なんとも思っていないわけで、ぽんと投げ出すように「買えるもんなら買えばよいであろう」とでも言いたげにサンプルの缶が提示されているのであった。
 いそいそと買いましたよ、私は。
 これが実にどうもうまい。
 いやはや、うまかった。あっという間に飲み干して、空き缶を携えながら帰途に就いたのであった。
 その後も、感動が去っていかない。頭の片隅から離れない。そうしてついに、湯船につかりながら、私は或る着想を得るに至った。
「エウレカ!」
 古式に則って、私はそうつぶやいた。伝統は大切にしなければならない。
 風呂を出て、着替え、私はまた駅前に赴いた。今にして思えば、これが原因で風邪をひいたのだと思われる。が、そのときはなにも気にならない。自らの卓越した着想に心を奪われ、ただただ新たなさらさら野菜を求めることに専心するのみであった。
 なにも十本も買うことはないのだが、買った。私はこういうときに歯止めが効かない。ひとり殺してしまったのなら、あとは何人殺そうが同じだ、といった危険な領域に足を踏み入れている。
 ポリ袋に黙々と缶を詰め込む男の後ろ姿に鬼気迫るものを感じ、オー・プラスを買うことができなかった。思い出すのもおぞましい、といった口調でそう語る主婦田中道子さんなのであった。
 誰だよそれは。
 部屋に戻った私はさっそくカクテルをつくった。このとき使用したウォッカはだいぶ前に開封したもので、今にして思えばいささか変質していたように思われるのだが、このときはわからない。浮き浮きした気分で、にわかバーテンダーと化した。
 ブラディメアリはトマトジュースを使う。派生して野菜ジュースで代用したことはある。しつこいが、意外にいける。一方で、ブルショットというカクテルが存在する。ビーフブイヨンとウォッカが巡り逢うと、ブルショットは誕生する。
 そういった歴史を背景に、ウォッカとさらさら野菜が電撃的な邂逅を遂げたのである。命名しなければならない。にわかバーテンダー冥利に尽きる一瞬である。エウレカしかないだろう、と決めつけた。
 私は、幸せとエウレカを享受した。予想にたがわぬ味であり、無上の時間が私を柔らかく包み込んだ。幸せになるのは簡単だ。私はエウレカを堪能しながら、エウレカの更なる向上について思いを巡らせた。今回は準備不足でブラックペッパーしか用意できなかったが、次回はレモンなどを絞り込んでみよう、リー&ペリン・ソースも欠かせまい、スノースタイルはぜひ盛り込むべきだし、セロリスティックをマドラーに起用しなければならないだろう。この胸のときめきを、いったいどう表現すればよいだろう。こうして幸せに浸りながら、私は眠りに落ちた。
 朝と共に、不幸せが訪れた。中間がなかった。幸せは、一気に不幸せに昇華していた。
 宿酔いなのだろうか。この胸のむかつきを、いったいどう表現すればよいだろう。宿酔いの経験は少なからずあるが、これほど消化器官がむかつくのは初めてだ。
 やはり無理な出逢いだったのか。失敗だったのか、エウレカは。
 いやいや、そんなことはない。私は、他の可能性を考えた。まずウォッカが怪しい。新品を買ってきてもう一度試すべきではないか。風邪の気配もある。体調が万全になったら、あらめて挑戦してみる価値はあるはずだ。
 そんなわけで、さして重くはない風邪だが、私は快癒のときをじっと待っている。ウォッカも購入済みだ。さらさら野菜はまだ六本も冷蔵庫で眠っている。
 今はまだ不幸せだが、幸せはきっとまた訪れるはずだ。私は待っている。幸せを見つける私の目が節穴ではなかったことを証明してやるのだ。
 とかなんとかいいながら、能天気にビールを呑んでいては風邪はなおらないだろうか、やはり。

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