155 98.01.26 「風に吹かれて」
台所で、私は思わず笑っちゃったのである。
いまどき、こんな姑息な手口に引っかかっちゃうとはなあ。迂濶であった。
引っかけた方も、こんな安直な手法に騙される奴はまさかいないだろう、と思ってやってるんだろうなあ。しかしながら、私は騙されちゃったのである。粗忽であった。
飲酒の支度をしていた私は、とあるパックを手にして驚き、その後すかさず笑っちゃったのであった。先ほどスーパーで、「お、安いじゃん」などと、振り返ればきわめて間の抜けた独り言をぬかしながら買い求めたパックである。中身はマグロの中落ちである。と、いうのが、私の認識であった。
しかし、誤った認識はその誤謬を指摘される時がいつかは訪れるものである。パックには「中落ち」とのシールが貼られていた、はずだった。そうではなかった。「中落ち」のあとに、たいへん小さく「風」という文字付け加えられていたのである。
「うひゃひゃひゃ」
なんでこんなのに引っかかっちゃうかなあ。まだまだ私も捨てたものではないようである。こんなに晴れ晴れとした気分で笑ったのは久し振りだ。いやはや、これはまったくもって間の抜けた所業である。やればできるじゃないか、私よ。やはり、時にはこういう些細な失敗を招いて、退屈な人生を実り多いものに変えていきたいものではないか諸君。って、誰も聞いてないか。
「風」である。「中落ち風」である。中落ちではないと、宣言しているのである。手打ち風そばが手打ちではないように、けして中落ちではないのである。あくまで、中落ち風のマグロに他ならない。中落ちの風上にもおけない輩なのであった。
見方によっては、風流ではあるかもしれない。すくなくとも、中落ち虱よりは救われる。私はいそいそと支度を完了し、追い風を受けたこの風変わりな代物を食した。
ぜんぜん、うまくない。脂の乗っていない赤身を単にスライスしたに過ぎない。刺身としては売り物になりそうもないとの風評を受けた部分なのであろう。廃棄寸前だったのかもしれない。しかし風前の灯火だったこのマグロの命脈は、捨てるのもアレだな、といったコスト意識が露骨に反映された戦略のもとに再生されたに違いない。流通業界はどこにでも風穴を開けるものである。それを風采のあがらないこの粗忽者が購入に及んだ。そういう風な筋書きのようであった。
「いやあ、まいったまいった」
などと独白しつつ、ついつい顔がほころんでしまう私なのではあった。そろそろ、あぶないかもしれない。
私達は常に風の有無を確かめながら、生きていかねばならない。この教訓を風化させてはならない。逆風に負けず、臆病風にも吹かれることなく、後世に伝えていこうと思う。いつか、風の便りにこの風説を耳にしたら、諸国を行脚する私のことをすこし思い出してほしい。って、そんな疲れそうなことはやらないが。
それにつけても、なにゆえにマグロの中落ちはうまいのか。
もちろんお約束通りに、答は風の中にあるのである。
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