153 97.12.03 「長大息」

 しょせんは長のつく肩書きが似合わない凡人の悲哀とでもいうのだろうか、「長」という字がうまく書けない。下手である。バランスが悪い。悪筆は悪筆なのだが、私が書くあらゆる文字の中で抜きん出て下手な字が「長」なのである。どういうものか、教科書で初めて出くわした時から今の今まで下手くそなのであった。明日になれば突然うまくなっている、といった類のものではないので、「長」という字が下手なままで死んでいくに違いない。戒名などというものは願わくばつけられたくはないが、関係者にはセケンテイもあるからいくばくかの金銭を支払って戒名を買うだろう。死んでしまったのだから実はどうでもよいが、「長」という字を使うのだけはやめてほしいと切実に思う。ついでながら、「長」という字が下手だった男ここに眠る、などといった墓碑銘を刻むのもやめてもらいたい。その屈辱が私を生き返らせてしまうかもしれない。そういう厄介な事態は、お互い本意ではなかろう。
 もし長井さんの家に生まれていたとしたら、大変なことになっていた。苗字を書くたびに劣等感に苛まれたに違いない。長介と名付けられなくて本当に良かった。いかりやというあだ名には耐えられるかもしれないが、名前を書くたびに己の不器用さ加減に唇を噛みしたあげくに腫れ上がってしまい、あだ名があだ名でなくなってしまうところであった。
 まず上半分を書いたところで事態収拾の目処はいっさい失われている。紙上の四本の横線は平行という概念を粉々に打ち砕き、思い思いの方向を目指している。そのそれぞれの間隔は、等分などといった理想は実のところ幻に過ぎなかったことを痛烈に主張している。もはやこの時点でこの先を書き続ける気力は消え果てているが、一方で嫌なことはさっさと片付けてしまおう、といった少しだけ前向きな人格が出現し、更に投げやりな態度で下半分を書き足すことになる。いきおい、筆跡は粗暴をきわめ、文字と呼ぶにはちょっとアレだなと思わざるを得ない謎の線の集合体が残されるのである。
 そういった永年の辛苦に耐えかね、今後の浮世を「長」の字といかにつきあっていくべきかを御教示願うべく、私は森崎某に相談を持ちかけた。このような人生の根幹にけして関わらない、枝葉の先っぽというか末節の端っこというか、言ってみればどうでもいい問題は、どうでもいい人物が意外な解決策を提示してくれるものである。森崎某は私の友人だが、取るに足らないという点では人後に落ちることはない。うってつけというかきわめつけというかおみおつけというか、この手の相談相手としてしか存在価値のない人材である。
「心配に及ばず」
 との、御神託であった。
「書かねばよい」
 断言するのであった。
「好きな文字だけを書いていればよいではないか」
 べつに他に好きな文字があるわけではない。愛だけを書いていたい詩人がいたとしても、愛という字が好きなわけではなかろう。
「俺は自分の氏名に使われた文字だけが好きだ。それだけしか書かない。おまえのような凡人には信じられないだろうが、それだけが書ければこの世の中なんとかなるものだ。頑として書かなければ、呆れた誰かが代わりに書いてくれるものだ。俺は署名をするだけだ」
 そういうものかもしれぬ。
「おまえも、そうすればよいのだ」
 よいのであろう。
 私は長く大きな溜息をついて、森崎某に背を向けた。眼前には慣れ親しんだ凡人の世界がある。私は明日からも「長」という字を書き続けるだろう。

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