140 97.10.01 「仏の顔も」
無限と思える石段が目の前にあった。
登らなければならない。
とりあえず「ひえ~」と悲鳴をあげてみたが、事態はなにも変わらない。諦めて登るしかなかった。
大分県豊後高田市に対し、私はなにひとつ含むところがない。訪れる仕儀に相成ったのは私の運命であろう。かの地の山奥にひっそりと眠る熊野磨崖仏を見物せねばならなくなったのは、私の宿命に他ならない。
くまの、まがいぶつ、と読むらしい。岸壁に彫り込まれた石仏である。美術に対する鑑賞眼を欠き信仰心を持ち合わせず歴史への造詣に乏しい私とは無縁の代物であったはずである。けっきょく縁がなかったことは後でわかるのだが、そのときの私はよんどころのない事情で熊野磨崖仏へ向かわなければならなかった。
果てしない急な石段を登攀せねばならないのが、熊野磨崖仏の地理上の弱点である。観光地としての失点である。史跡としての汚点である。熊野磨崖仏自身にはまた異なる見解もあろうが、登りたくもない石段を登っていかなければならない観光客の私としては、否定的な感想しか申し述べることができない。
同行者はすべて遥かな年長者である。付き添い的な立場で、私は一行に参加していた。シゴトなので仕方がない。年長者の皆様方は意気軒高である。競うように登っていく。
一行の長老は「去年、登ったことがあるから」と言って、すいすい登っていく。「俺について来い」と言って、率先して登っていく。
私としては辛い展開となった。運動不足は近年の親友である。この悪友は私から基礎体力を惜しみなく奪い、その結果、私は石段を見上げて途方に暮れるはめに陥った。乱積みされた石段の彼方は、生い茂る樹々に埋もれている。その先が見えない。私の理性は、引き返すべきだとの見解を既に導き出している。が、理性だけではひとは行動しない。後悔することがわかっていながら、意地というたいへん下らないものに突き動かされてしまうのも、ひとの属性であるかもしれないが、ないかもしれない。
つまるところ、私は登った。
すごすごと引き返したりしようものなら、その夜の宴席で恰好の標的になってしまうではないか。
気が遠くなり、もはや自分は死んでしまったのであろう、と達観した己を発見したとき、私は石段を登り終えていた。へたりこんだ私はずぶ濡れになっていた。どうやら途中から意識を失っていたらしい。時ならぬスコールが降り注いだことに気づかなかったくらいである。
「いい若いもんがそんなに汗かいてどうする」
長老のおことばである。私は赤面した。
とはいえ、一行の面々は私と似たような状況に苛まれていた。誰もが、疲労困憊のあまり正常な判断力を欠いていたのであった。
登り切った場所には小さな社があった。社しかなかった。他には何もなかった。
他には何もなかった。
なかったのである。
観光バスに戻った一行は、疲れ切った我が身を座席に投げ出した。長老に至っては、後部座席に横たわってすかさず高いびきをたてている。
バスガイドの声が響き渡った。「みなさん、熊野磨崖仏はいかがでしたか?」
一瞬の沈黙があった。次の瞬間、バスの中はざわめきに満ちた。
「見たか、おまえ」
「見てねえな、そういえば」
「どこにあったんだ」
「誰か見た奴はいるのか?」
「長老はどうした?」
「そうだ、長老は去年ここに来て見ているはずだ」
長老「ZZZZZZZ」
「だめだ、熟睡してるぞ」
誰も、熊野磨崖仏を見てはいないのであった。いったいなんのためにあの急な石段を登ったのであろうか。
いささかの議論が勃発した。その結果、石段を登り切るすこし手前に左手へ分岐があり、そのすぐ先に熊野磨崖仏が存在していたことがわかった。
みんな、長老のあとをついていっただけである。疑惑の視線が後部座席の長老に注がれた。
議論を夢うつつに耳にしていたのか、そのうちに長老が起き出してきた。「そうそう。そこにあるんだよ。忘れてたよ俺」
一行は、コケた。いったい、忘れるものなのであろうか。
バスガイドが嘆息するのであった。「私も長い間この仕事をしていますが、こんな人達は初めてですねえ」
ふむ。初めてならば、来た甲斐があったというものではないか。
……ないな。ないったら、ないっ。
翌日、脚を引きずりながら私は長老に呪いの視線を放射してみたが、長老は全くこちらの意を汲み取ってはくれないのであった。
「いい若いもんがあれしきのことでへこたれてどうする」
どうするったってさ。
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