122 97.07.30 「蚊はどこへ行った」
池田模範堂とは、こりゃまたつけもつけたりという天晴れな社名で、私はたいへん気に入っている。池田も反動、などといきなり誤変換されるところがなんとも愛くるしいではないか。
この越中富山の薬売りが販売しているところのムヒSという名の痒み止めもまた、私はこよなく愛しているのであった。ムヒである。無比、と言いたいのであろうが、やはり世間のお約束として、むひひひと笑ってしまうのはやむをえない。かなりの脱力を誘う語感といえる。
この膏薬と私の付き合いは長い。もはや抜き差しならない関係だ。幼少の頃から、蚊に刺されたらムヒSを塗布するのが習慣となっていた。夏休みにおける子供というものは、野外で蚊に刺されまくって帰宅に及ぶ。人様はどうか知らないが、私はそうだった。薮に分け入り、木に登り、暗くならないと帰らない。打ち身、痣、擦り傷、切り傷などと共に、見ず知らずの薮蚊による吸血活動の痕跡を肌に刻みつけて家に帰りつく。同時にその頃になると、ようやく痒みを覚え始める。遊んでいる間は、痒みなどは感じない。
ムヒSの出番だ。大量に塗りたくる。塗るべき部分があまりに多いので、一仕事となる。もしもムヒSではない他の膏薬が常備されていたら、今ごろ自分はどこで何をしていただろうか。時折、ふとそんなことを考える。
ムヒSの時間はまだ終わらない。夕食を食べ終えてナイター中継にうつつを抜かしている間にも、蚊は忍び寄ってくるのだ。隙間だらけのあばら家に住んでいたのが敗因か。金鳥の蚊取線香による煙幕の効果はあったものと思われるが、それでもしぶとい生命力を保持する蚊は少なからず存在した。ムヒSのお世話にならざるをえない。もしムヒSがなかったら、私の人生もだいぶ違ったものになったのではないか。
ムヒSの活躍は深夜に至っても続く。あの耳許に響く羽音だ。敵蚊襲来。こちらは全くの無防備だ。いいようにやられる。そのうちにあまりの痒さに耐えかねてもそもそと起きだし、寝惚け眼でムヒSを塗布するはめになる。しかるのちにようやく安眠が訪れるのだ。あのときムヒSがなかったら、今の自分はなかったのではないか。
確かに、ウナコーワなどに寄り道をした思春期などもあった。目先に捕らわれて、自分に必要なものが何かを見失った時期があった。迷走は熱病の代償だ。若さゆえの過ちは誰にでもある。つまるところ、誰だっていつかは己の過ちに気づくものだ。ウナコーワに帰っていく人もあろう。私は、私は、ムヒSに帰ったのだ。
やっとわかったよムヒS、この世に幾多のサルチル酸メチルが溢れていようとも、オレはおまえのサルチル酸メチルじゃなきゃだめなんだ。
紆余曲折があって、私がいる。蚊に刺された私の皮膚を沈静化させるのは、このおまぬけネイミング王ムヒSを措いて他にはない。ムヒSなしでは夏を過ごせない私だ。ムヒS中毒者という存在が許されるのならば、私を真っ先に許してほしい。
それにつけても、現在使用中のムヒSは二年前の夏に買い求めたものなのだが、ちっとも減らない。いったい、蚊はどこへ行ったのだ。だいたい、効くのかこれ。気が抜けちゃっているのではないか。精神的に霊験あらたかであることはわかっているが、肉体に及ぼす効能はまだあるのか。
なくてもいいけど。
今はただ、共に歩いてきたムヒSに感謝を捧げながら、いつか訪れるはずの気まぐれな蚊を気長に待っていようと思う。
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