120 97.07.23 「黒猫が目の前を」
「黒猫が目の前を横切ると」、え~と、なんだっけ。え~とえ~と、思い出せないっ。あああっ。どうしても思い出せないっ。なんだったっけかなあ。
「親の死に目に会えない」ってのは、「夜爪を切ると」だったよな。爪といえば、「親指を隠せ」ってのは、「霊柩車を見たら」か。違うよなあ。離れていくなあ。
いや、さっきとつぜん黒猫が目の前を横切ってね、急ブレーキを踏んだんですわ。いやはや驚いたのなんのって、まだ心臓がどきどきしてる。ほら。
ほら、って呼びかけられても困るだろうけども。
黒猫も黒猫だよなあ。あんたは闇に紛れやすいんだから、反射テープの鉢巻きをするなどの対応策をこうじて、少しは人類との共栄共存の途を目指してもらいたい。そんなことだからいつまでたっても黒猫なんだ。あんたには九つの命があるかもしれないが、私はひとつしか持ってはおらんのだ。猛省を促したい。
結局、私は路面に黒い軌跡を残し、黒猫は私の心臓に激しい動悸を残して、その場は収拾されたのだが、私の胸に疑問が芽生えた。「黒猫が目の前を横切ると」、そのあとはなんだっけ。不幸の予兆を示す西洋のことわざだったような気がするのだが、どうしても思い出せない。それにしても西洋って妙な言葉だな。未だに現役なんだけど、内容が死語って気がする。はっ。死、などと。やはり暗転の前触れなのか。
私はいったいどうなるのだ。心配だ。死ぬのか。死ぬのは構わないが、痛いのは嫌だぞ。黒猫が目の前を横切ったら、いったいどうなるのか。横切られた私の運命やいかに。ドアに指を挟まれる程度だったら、まだ許そう。風邪をひくくらいまでは、なんとか耐えようと思う。
なんとしても、続きのフレーズが思い出せない。どうにも落ち着かない。たとえば「黒猫が目の前を横切ると、三日後に死ぬ」というのであれば、いっそすっきりする。遺書を書き、公証人役場で遺言を残し、親類縁者友人知人に別れを告げ、あそこに隠してあるああいう本やビデオを始末し、静かに死を待てばよい。
どうなるのかわからないのでは対処のしようがない。
黒猫の異名を持つ友人に電話をかけて取材したところ、「良くないことが起こる」のではないか、とのお答えだ。更に検索エンジンを駆使して調査にあたったが、やはり「黒猫が目の前を横切るのは不吉のしるし」以上の回答は得られなかった。
そんな漠然としたことでいいのか。「黒猫が目の前を横切ると桶屋が儲かる」くらいのことをなぜ言えないか、西洋のひとよ。「黒猫が目の前を横切ると鬼が笑う」でもかまわない。もっと具体的に語れないものか。
そのへん、どうなっておるのだ。はっきりしてもらいたい。って、なぜエラそうになるのか自分でもよくわからないが。
どなたか御教示願いたく候。黒猫に目の前を横切られた私の今後は、どのように不幸へ転落していくのか。具体的な指針を示されたく候。
黒猫が通ろうが通るまいが、不幸は既定路線なんだからさ。
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