111 97.06.18 「洗濯機の藻屑」

 全自動とは名ばかりなのであった。はばかりながら、名ばかりだ。世間をたばかりまくっておるのであった。
 許せぬ。
 全自動洗濯機と名乗って、恥じない。鉄面皮とはあやつのことだ。たしかに洗濯機ではあろう。この点は、私も同感である。私はあやつを使って洗濯を励行している。それは否定しえない事実である。
 いま私達が深く沈思せねばならないのは、全自動の部分である。
 洗濯機における全自動とはなにを意味するのか。家電メーカーと使用者との断絶は、特に言語表現において顕著であり、この溝はけして埋められるものではない。それはわかっている。両者に共通した認識で使用される言葉が、ほとんどない。それはわかっておるのだ。
 わかっているのだが、全自動である。なぜ全自動と名乗るか。おこがましいと思わないのか。全て自動なのか。全て自ずから動かすのか。全く自ら動くのか。どうなっておるのだ。
 なにも、洗濯物をほおりこんだり取り出したりする手間までを委ねたい、と申し述べておるのではない。あまつさえ、干してくれとまで理不尽な要求をしているわけではない。私もそこまで狭量ではない。
 だが、使用者が洗剤の投入を忘れたら、こっそり入れてくれてもよいではないか。せめて、優しくお知らせしてくれてもよいではないか。その程度のことを全自動に期待するのは無茶であろうか。
 私憤ではない。これは、義憤である。私は、庶民を代表して、あえて苦言を呈しているのである。
 全自動洗濯機よ、おまえはなにも考えていないのではないか。ボタンを押されたら、予め決められた通りにぐるぐる回る。おまえはそれで幸せか。疑問はないか。自我はないか。おまえの人生はそれでいいのか。いつもと違う事態が槽内に勃発したら、独断で止まるくらいの気概は持てないか。NOと言える勇気はないのか。
 洗濯物のポケットに十円玉が入っていたとしよう。槽内に転げ落ちてガラガラと鳴る。それでも、おまえは止まらない。けして止まらない。なあ、衷心から聞きたいが、おかしいとは思わないのか。変だ、いつもと違うぞ、とは考えないか。
 考えないのだ。十円玉の重みを顧みない輩に、五千円札の軽さを感知せよと要請しても、無駄なのだ。あやつは、貨幣の価値を理解できない。
 もはや「燃えるゴミ」と化したこのぼろぼろの五千円札を前に、私はかくも憤っている。わかっておる。私が悪い。悪いのは私だ。諸悪の根源は私にある。ワイシャツの胸ポケットに無造作に五千円札を入れていた私が悪い。
 とはいえ、これは私憤ではないのである。義憤である。私は、庶民を代表して、あえて苦言を呈しているのである。
 のである。
 である。
 ある。
 もうっ、オレのばかばかっ。
 それにしても、全自動って、労働団体の略称みたいだな。

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