106 97.05.27 「1500円也」

 私はその瞬間、我が耳を疑った。
 ゑ? ゑ? それって、間違いじゃないの? ねえねえ、レジのおねえさん。オレ、そんなにたくさん買物してないよ。
 自分が予想していたより千円くらい違う。二千円程度というのが私の心積もりであった。しかしおねえさんは、三千なにがしの金銭を私に要求するのであった。私の呆け顔を目にして不安になったのか、おねえさんはもう一度物品を確認し、今度は自信をもって三千なにがしと告げるのであった。POSシステムなのだ、バーコードなのだ、私は間違ってなんかいないのだ、とでも言いたげな表情だ。
 私は呆然としたまま、金銭を支払った。私は呆然としたまま、買い物かごを台の上に置いた。私は呆然としたまま、レシートを見つめた。私は呆然としたまま、数字を目で追った。
 枝豆なのであった。原因は、枝豆にあった。なんと、1500円の枝豆なのであった。一束が1500円もするのであった。
 たしかに野菜売り場において、私は値段など確認せずに枝豆の束をかごにほおりこんだ。私が悪い。しかし1500円はないだろう。それはちょっとアコギすぎやしまいか。そりゃ、ハシリの枝豆だから高価だろう。私は今年はじめて目にしましたよ、枝付の枝豆は。うわ~~いっ、と内心で快哉を叫んで、いそいそ購入の儀に及びましたよ。もう一束買っちゃおうかなっ、なんて悩んだりもしましたよ。値段も確認しないで。ああ、そうです、私が馬鹿でした。しかしだね、東急ストアよ、1500円はないんじゃないか。君の良心は、いささかも疼かないか。故郷の両親が今の君を見たら、どう思うだろう。どうだろう、君はまだ若いんだ、もう一度やりなおしてみないか。
 枝豆ったらあなた、一束380円である。盛夏には露地物が280円である。そんなもんである。枝からちぎりとられて一袋単位で売っているのもあるが、私にもわずかばかりの矜持はあるので、そんなものの値段は知らない。流通過程ではまた別の単位も使われようが、流通の末端における枝豆は束という単位に基づいて売買されなければならない。したがって、枝豆は一束380円で売られるべきなのだ。1500円で売ると、あんた言うけど、そんなことさえ、わからんようになったんか。
 とはいっても、買ってしまったものは仕方がないのである。悔しいので、枝からちぎりながら房の数を数えましたよ私は。147房、あった。一房、10円だ。私はひっくりかえった。ハシリのせいか、房の充実度は不足しており、一房に内抱された豆は平均すると2粒程度。一粒、5円だ。私はでんぐりかえった。いやはや、とんでもない枝豆だな。
 そのようなわけで、茹で上がった枝豆と、よく冷えたビールが私の目の前にある。古来、画家は数多く輩出したが、なぜこの素晴らしい光景を誰も描かないのか。不思議である。これほど心を奪われる光景が、いったいこの世に存在するだろうか。おそらく、すべての画家は己の才能では活写できないことを痛感し、この題材を避けてきたのであろう。などと、わけのわからないことをつぶやきながら、ぐびぐびする私なのであった。
 それにつけても東急ストアよ、やられたよ君には。
 1500円だとわかっていてもきっと買ったからな、私というものは。

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