026 96.05.27 「あるサッカー観戦記」

 ユーゴスラビアから研修に来ているサヘケビッチさんが、昨日の昼過ぎに一升瓶を抱えて我が家にやってきた。サヘケビッチさんではないのかも知れないが、彼の発音は私の耳にはそのように聞こえてしまうので、彼は私にとってはサヘケビッチさんなのだ。ちなみに、他の同僚達はそれぞれ、サスレビッチ、ハノベビッチ、サノメビッチなどと好き勝手に呼んでいて、サヘケビッチさんはカタカナ流浪人となっている。本人が、なんとでも好きなように呼んでくれぃ、と豪快に笑い飛ばすだけなので、なかなか統一されないのだ。
 サヘケビッチさん来訪の意図はサッカーだ。キリンカップ・サッカーを一緒にテレビ観戦しようという趣向なのだ。先般、サヘケビッチさんお気に入りのイザカヤというところで、これもサヘケビッチさんお気に入りのニホンシュというものを飲みながら語り合っていたところ、お互いにサッカーファンであることが発覚した。折り良く両国代表が激突するというので、酒でもくらいながらアイコクシン剥き出しで応援しようではないか、と衆議一決して、日曜の午後を迎えたのだ。
 問題はある。我々は意思の疎通をするのに、たいへんな苦労をしなければならないのだ。サヘケビッチさんは日本語を話せない。私は自慢じゃないが、日本語の会話には不自由しない。ま、ちょべりば、などと口走る方々と話すときには不自由するが。ちょべりば、の意味およびその解説を初めて聞いたときは、私、頭を抱えましたよ。サヘケビッチさんと話してたほうが楽だ。この場合、英語が使われる。サヘケビッチさんの英語は海外研修をするだけあって、まったく問題がない。私の英語は大問題だ。ただひたすら単語を並び立てる。ヒアリングは壊滅状態。ジャルパック英語なのだ。かといって、お互いの母国語を理解できないのだから、英語に頼るしかない。結果的に、何度も訊き返す、ゆっくり喋る、身振りをまじえる、目を見る、心理を読む、といった先人が残した様々な手法を総動員して、相互理解を深めていかねばならない。大騒ぎなのだ。
 もっとも、双方ともに酩酊した場合は話が違う。ツーカー、ってやつですか。お互いに何を言ってるのかすぐわかっちゃう。まったくもって、酔っぱらいってやつは、なあ。とはいっても、この手法は翌日になるとなにひとつ憶えていないという副作用を伴うので、実際にはなんの役にも立たないのだが。
 我々はキックオフとともに、がんがん呑み始めた。迅速な相互理解のために。
 サヘケビッチさんがいきなり、オカノは出ていないのか、と、つぶやいた。彼は漢字を読めるわけではないので、フィールドの映像だけでそのような疑問を抱いたもののようだ。ニッポンサッカー事情に詳しいらしい。侮れない。私は緊張した。
 彼は、今日は我々の負けだね、とも言う。なぜか、と訊き返すと、賭けているものが違う、とのお答えだ。君達にはワールドカップの開催がかかっているじゃないか、とサヘケビッチさんは断言するのだ。どんなことがあっても負けるわけにはいかないだろう、と。ワールドカップというものの意味や価値が、DNAレベルで刷り込まれているとしか思えない。
 この短い会話をしただけで、キックオフから10分ほど経っている。問い返すことに多くの時間が費やされてしまうのだ。生産性の低い会話なのだ。その間、呑む手も休まない。
 どんどん呑んだ。
 どうして、なんたらッチってひとばっかりなの。私は、なんの気なしに訊いてみた。ストイコビッチはもちろん知っている。サビチェビッチも、知っている。他は知らなかった。しかしまさか、ほとんど全員がなんたらッチだとは思わなかった。
 FWは佐藤と江藤、MFは斉藤と工藤と後藤と伊藤、DFは加藤と武藤と安藤と須藤、GKは内藤。翻訳すると、こんな感じかな。そういうチームだったのだ、ユーゴスラビア代表は。藤原一族の陰謀チーム。
 サヘケビッチさんの回答は謎めいていた。カタコトの日本語だ。「こんなもんだっち」
 冗談なのであろうか。深すぎて、わからない。サヘケビッチさんは、けたけた笑っている。
 そうか。ならば、こちらも冗談で対抗するしかあるまい。
 このくににも、同じような苗字はあるのだぞ。モンチッチ。この家系は先祖が猿なのだ。なに。人類はみなそうだって。うそつけ。おれは違うぞ。
 ミナシゴハッチはどうだ。この家系は不遇で有名だ。マッチというのもいる。歌って踊れるレーサーだ。チッチってのも凄いぞ。恋人のサリーが魔法使いなのだ。デッチも味わい深い。代々、奉公に出る家系だ。
 というようなくだらないことを口走っていたら、前半が終わってしまった。横目でテレビの画面を見やりつつ、サヘケビッチさんに渾身の冗談を理解して頂くべく、狂乱の身振り手振りと初歩的な英単語の乱れ打ち。疲れ果て、酔っぱらった。特に、奉公という概念の説明に20分ほどが費やされたのが痛い。
 なにをやっているのだろう。
 ハーフタイムにすこし冷静になり、反省という崇高な精神活動が導入され、正しい応援をしようということになった。
 後半は、サヘケビッチさんと私の間に言語的交流はほとんど生じなかった。そもそもどちらも、ほとんどまともな言葉を口にしなかった。双方の口から発生したのは、歓声、絶叫、嘆息、哄笑、罵声などであり、双方の喜怒哀楽を足すと常にプラスマイナス0となった。一方が悲嘆に暮れると、もう一方は快哉を叫ぶ。
 そして、日本代表は勝った。
「サノバビッチ!」とサヘケビッチさんは吐き捨てた。ひょっとして、それが本名ではないのだろうか。拳を突き上げながら、私の脳裏にそんな思いが掠めた。
「モリシマとナナミにやられた」というのが、サヘケビッチさんの見解である。
 その後、したたかに呑み、深夜になってサヘケビッチさんは帰宅していった。彼の研修期間は近々終わり、帰国の時が近づいている。そうそう一緒に呑む機会もない。いろんなことを喋ったのだが、例によって記憶がない。帰りがけの言葉しか憶えていない。
「また、来るよ。代表と一緒にね。今度はスタジアムで同じことをしよう」
 2002年に、ってことらしい。6月1日が過ぎたら、英会話を習いに行かなければならないかもしれない。
 あと5日。

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