『雑文館』:97.07.29から97.10.01までの20本




121 97.07.29 「花火果てた後」

 国道6号線が利根川を横断すると、そこは大利根橋である。
 まだ流行歌に唄われたことがないせいか、どうしても無名の感は否めない。無名とはいっても、大利根橋である。名前はあるのだが、無名である。路傍の名もない草花にオオイヌノフグリという意表をつく命名がなされているのと同じ理屈だ。名前はあるが、建設省関東地方建設局の方々くらいしかその名は知らない。毎日通勤に利用している私も、今日の今日まで知らなかった。思えば、私も罪作りだ。大利根橋にはたいへんな不義理を重ねてきたものだ。十数年も利用していたくせに、その名を覚えることはなかった。反省している。大利根橋よ、許してくれ。しかし君にも反省すべき点は多々あるように思う。もっとその名を主張してみてはどうか。秋元康に依頼して流行歌のタイトルと化す、という手法を私としては提案しておきたい。
 大利根橋は本日のラジオの交通情報において、その名を私に知らしめた。なんでも、橋の上で炎上している車両があって、渋滞を惹起しているというのだ。炎上とは、こりゃまた思い切った方法論に訴えたものだ。豪勢、この上ない。ミドルネイムが野次馬である私としては観にいかざるをえない。退社時間となるや、そそくさと帰宅の儀に及んだ。
 正確には、トレーラーが積載しているパワーショベルが炎上していた。私が目撃したのは、単なるスクラップと化した元パワーショベルを載せたまま停車しているトレーラーである。警察並びに消防関係者がその周囲で現場検証を行っており、一車線が完全に塞がれていた。反対車線における事件なのでこちらはさほどではないが、あちらの渋滞はかなり長く続いている模様であった。
 昨日だったら、もっと酷い渋滞を呈したに違いない。私はほっと胸を撫で下ろした。いや、べつになにも私の知ったことではなかったか。私は慌てて胸を撫で上げた。
 なにも、上げることはないが。
 昨夜は、渋滞を発生させてしかるべきイベントがあったのだ。
 花火大会である。ただの花火大会ではない。「第44回とりで利根川大花火」である。大利根橋のすぐ下流の河原で行われる。取手市における夏の一大イベントである。取手市には春の一大イベントも秋の一大イベントも、ましてや冬の一大イベントもないので、つまりは一年に一度の大騒ぎなのであった。今年はその前々日の土曜日に催されるはずだったが、荒天により昨日の月曜日に順延された。踏んだり蹴ったりというか目も当てられないというか、取手市の今後を暗示する痛恨事ではあった。
 それでも、私が取手市にわらじを脱いでいるのは事実である。一宿一飯の恩義がある。取手市の壊滅的な観光行政にいささかの寄与をなすべき用意がなくはないような気もする。このへん歯切れが悪いが、つまるところ花火を肴にビールを呑みに行っただけのことなので、少しばかり良心が咎めないではないのだ。理由はいつでも後からなすりつけるものである。
 帰宅したとたんに、どおおおん、という音を耳にして、うわあ花火だ花火だってんでふらふらと河原に誘われたのが、真相だ。花火の下でビール呑んだらさぞかしうまいだろうなあ、といったような短絡的反応の帰結に過ぎない。
 おめえは、ビールを呑めれば理由はなんでもいいのか。そういう声もあるだろう。
 いかにもそのとおりである。
 そのとおりではあるが、私の心は、傷つきやすい。糾弾などは、願わくばしないでいただければ幸いだ。馬鹿は馬鹿として、そっとしておいてほしい。
 実際には、それなりに花火を堪能した。
 昨今の花火は、球体からの脱却に活路を見出そうとしていることがわかった。ハート型や星型への挑戦が垣間見られた。一定の方向から眺めなければその真価を理解できない謎の光芒である。見る方向によってはただの直線に過ぎない野心作である。私の見る限り、星型というよりは、干上がった海岸で死にかけているヒトデのようであったが。
 試行錯誤はまだ続くのであろう。オフシーズンの花火師の皆様方の研鑽に期待したい。
 とはいっても、実際のところはどうなのだろう。花火師のオフシーズンは、日夜の研究開発に明け暮れる地道な日々なのか。私が個人的に知っている唯一の花火師は、花火を打ち上げていないときは神主をやっていたりするのだが。このひとは「え~、毎度馬鹿馬鹿しいお祓いを一席」と言っては、各所の地鎮祭で荒稼ぎしているのだ。実は本職が神主なので当然の行動なのだが。花火師が副業なのであった。
 なんにしろ、昨日の夜空には絢爛たる光芒絵巻が繰り広げられ、私は冷えたビールとともに満喫した。同じ空を背景に、大利根橋の欄干に寄り掛かりながら初めてのキスを交わした中学生がいたかもしれない。
 本日、そこでは警察関係者が現場検証を行っている。
 流行歌への道はまだまだ遠い。

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122 97.07.30 「蚊はどこへ行った」

 池田模範堂とは、こりゃまたつけもつけたりという天晴れな社名で、私はたいへん気に入っている。池田も反動、などといきなり誤変換されるところがなんとも愛くるしいではないか。
 この越中富山の薬売りが販売しているところのムヒSという名の痒み止めもまた、私はこよなく愛しているのであった。ムヒである。無比、と言いたいのであろうが、やはり世間のお約束として、むひひひと笑ってしまうのはやむをえない。かなりの脱力を誘う語感といえる。
 この膏薬と私の付き合いは長い。もはや抜き差しならない関係だ。幼少の頃から、蚊に刺されたらムヒSを塗布するのが習慣となっていた。夏休みにおける子供というものは、野外で蚊に刺されまくって帰宅に及ぶ。人様はどうか知らないが、私はそうだった。薮に分け入り、木に登り、暗くならないと帰らない。打ち身、痣、擦り傷、切り傷などと共に、見ず知らずの薮蚊による吸血活動の痕跡を肌に刻みつけて家に帰りつく。同時にその頃になると、ようやく痒みを覚え始める。遊んでいる間は、痒みなどは感じない。
 ムヒSの出番だ。大量に塗りたくる。塗るべき部分があまりに多いので、一仕事となる。もしもムヒSではない他の膏薬が常備されていたら、今ごろ自分はどこで何をしていただろうか。時折、ふとそんなことを考える。
 ムヒSの時間はまだ終わらない。夕食を食べ終えてナイター中継にうつつを抜かしている間にも、蚊は忍び寄ってくるのだ。隙間だらけのあばら家に住んでいたのが敗因か。金鳥の蚊取線香による煙幕の効果はあったものと思われるが、それでもしぶとい生命力を保持する蚊は少なからず存在した。ムヒSのお世話にならざるをえない。もしムヒSがなかったら、私の人生もだいぶ違ったものになったのではないか。
 ムヒSの活躍は深夜に至っても続く。あの耳許に響く羽音だ。敵蚊襲来。こちらは全くの無防備だ。いいようにやられる。そのうちにあまりの痒さに耐えかねてもそもそと起きだし、寝惚け眼でムヒSを塗布するはめになる。しかるのちにようやく安眠が訪れるのだ。あのときムヒSがなかったら、今の自分はなかったのではないか。
 確かに、ウナコーワなどに寄り道をした思春期などもあった。目先に捕らわれて、自分に必要なものが何かを見失った時期があった。迷走は熱病の代償だ。若さゆえの過ちは誰にでもある。つまるところ、誰だっていつかは己の過ちに気づくものだ。ウナコーワに帰っていく人もあろう。私は、私は、ムヒSに帰ったのだ。
 やっとわかったよムヒS、この世に幾多のサルチル酸メチルが溢れていようとも、オレはおまえのサルチル酸メチルじゃなきゃだめなんだ。
 紆余曲折があって、私がいる。蚊に刺された私の皮膚を沈静化させるのは、このおまぬけネイミング王ムヒSを措いて他にはない。ムヒSなしでは夏を過ごせない私だ。ムヒS中毒者という存在が許されるのならば、私を真っ先に許してほしい。
 それにつけても、現在使用中のムヒSは二年前の夏に買い求めたものなのだが、ちっとも減らない。いったい、蚊はどこへ行ったのだ。だいたい、効くのかこれ。気が抜けちゃっているのではないか。精神的に霊験あらたかであることはわかっているが、肉体に及ぼす効能はまだあるのか。
 なくてもいいけど。
 今はただ、共に歩いてきたムヒSに感謝を捧げながら、いつか訪れるはずの気まぐれな蚊を気長に待っていようと思う。

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123 97.08.04 「センチメンタル・ジャーニー」

 あの三和農林株式会社が新作を出したらしい。
 新たなカイワレ大根を求めて、私は旅に出た。
 三和農林株式会社といえば、カイワレ大根史上に燦然と聳え立つ金字塔「かいわれちゃん」を世に問うた進取の気性に溢れるベンチャー企業として、その筋ではたいへん高い評価を受けている。もっとも、その筋の線上に人影は私しか見当たらないが。私もG線上のアラヤと呼ばれた男だ。こうなったらもう、正面からとことん三和農林と対峙してみたい。なにがこうなったらなのか、ぜんぜんわかってないけど。
 この旅が私になにをもたらすかはわからない。なにひとつ収穫のない旅になるかもしれない。それならそれで構わない。旅人は、いつだって孤独だ。失望は、どんなときでもすぐ傍にいて、登場の機会を狙っている。
 最初の訪問地はKストアである。この界隈では揺るぎない地位を築いているチェーン店だが、商品の鮮度という点で致命的な欠陥を抱えている。鮮度なんて気にせんど、といった低能ダジャレに見られる魯鈍な態度が私の足を遠ざけさせてきたが、って、オレかこんなしょうもないダジャレ言ったのは。アタマ悪いんじゃないか。とりあえず、ここには問題の品はなかった。カイワレ大根は置いていたが、目的の三和農林産ではなかった。
 私はスーパーM屋に向かった。品揃えがきわめて薄いものの品物の鮮度を前面に押し出して、通を唸らせてきた店である。玄人好みと近所では物議を醸している。あ、通とか玄人とかってオレねオレのことね。しかしながら、最近がらりと路線を変え、一気に雑貨コーナーを充実させるなどの愚策を弄して、識者の眉をひそめさせているのであった。あ、識者ってもちろんオレのことね。現在、M屋はホームセンターと見紛うばかりの商品展開を見せている。M屋をM屋たらしめてきた鮮魚並びに精肉コーナーは、半分の面積になってしまった。庶民の悲嘆の声を耳にするにつけ、私は小さな胸を痛めている。私が自分で嘆いて、自分で傷ついているだけだが。井野団地という大票田を背景につい二年ほど前に誕生したばかりのM屋だが、その経営戦略にきわめて杜撰な見通しかないように思われる。だいたい、この店はそもそもカイワレ大根を置いていない。
 次に私が訪れたのはスーパーM田である。ここはしばらく前に大改築を行い、見事な再生を見せつけてくれた。それまでは、二階に衣料品、一階に食品という時代錯誤的な姑息な手法を採用していたのだが、一念発起してワンフロアで食品だけを贖なうという今日の姿に生まれ変わったのだ。過ちは誰にでもある。大切なのは、過ちを認めることだ。広大な床面積を品揃えに振り向けた姿勢は、良識ある人々の間で好感を呼んでいるという。あ、しつこいようだけど、それ、オレのことね。オレオレ。間で、などといいつつ、相変わらず私が私の好感を勝手に呼んでるだけなんだけど。で、まあ、ここにも問題のブツはなかった。
 どこにあるのか。三和農林株式会社の新作よ。
 私は疲労を覚えながら、まだ見ぬカイワレ大根に思いを馳せた。さぞかし可憐な双葉であろう。緑と白のコントラストが鮮やかに映えているに違いない。私は脳髄に響く食感の歯切れよさを想像しながら、徒労となりはてそうな旅を続けた。
 私はTストアに望みを託した。少なからずスノビズムが横溢した品揃えを特徴としており、普段はあまり訪うことはない。いささか高価でもある。だが、ここもやっぱり土砂降りだった。
 IY堂にも足を向けた。って、そのまんまだが。Yマート、Mエツ、I屋、Jコ。私のスーパー遍歴は積み重なっていった。版図は次第に広がり、七市町村を股に掛ける大航海時代が訪れるに至った。
 どこにもなかった。
 D屋でやっと発見した。ここは近所にあるのだが、過去に私はここで不祥事を起こしており、D屋だけは避けていたのだ。だが背にカイワレ大根は代えられぬ。仕方なく、意を決して足を踏み入れた。
 ま、こういうところにあるものである。「新衛生基準をクリアした乳酸菌応用の健康水耕野菜」と謳われた三和農林株式会社の新作「乳酸菌 かいわれ」は、ようやく私の目の前に姿を現した。
 いやあ、普通のカイワレ大根だったけどね。ふつうふつう。なんちゃない。
 なにが新衛生基準だか。48円だって。舐めているのか。オレがいったいいくらガソリン代を使ったと思ってるんだ。
 旅とはそういうものではあるけれど。

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124 97.08.07 「レッドシグナル・カモン」

 FM放送が懐かしい曲を流し始めた。
 お。このイントロはっ。私は狂喜した。いやあ、最近妙に聞きたかったんだよなあ、この曲。私の無意識の祈りが天国に通じたのだろうか。まさかFMでかかるとはなあ。生きているといいことがあるもんだ。しあわせ。
 ステアリングを握りながら、私は唱和した。
 だが、しあわせは赤信号とともに終わってしまった。しょぼん。黄信号だったから突破できないことはなかったのだが、対面の角にお巡りさんが立っていたのだ。お巡りさんといえば、いろいろと理不尽なチカラを駆使することで知られている。ここはひとつ、大人しくしておいたほうがいいだろう。私も叩けば埃の出る体だ。私はブレーキを踏み、停止線の前に車を停めた。
 その瞬間、困ったことが勃発した。ラジオの感度が低下したのだ。いきなり聞こえなくなった。いや、感度が低下したわけじゃない。この地点における電界強度が局所的に低くなっているのだ。直進性の強い電波は周囲のビル等の加減でうまく受信できないことがある。
 対処法はわかっている。ほんの一メートルも動けばいい。すこし移動しただけで劇的に回復するものだ。この現象は渋滞中によく体験する。
 動けばいい。動けばいいのだ。
 お巡りさんがいなければ即座に実行するところだ。が、お巡りさんは、いる。今そこにいるお巡りさん。問題は彼だ。
 信号待ちで停車している車が不意に動いたら、彼の職業意識はいかなる反応を示すだろうか。危険な冒険だ。私はためらった。名曲はノイズに埋もれたままだ。早くしなければ終わってしまう。
 私は苛立ちを覚えながら、お巡りさんの挙動に目を凝らした。彼の視線が逸れた隙を突こうという姑息な作戦だ。小心者の私としては、精一杯の積極策だ。
 さあ、あっちを向け。向くのだ。向いてよダーリン。こっちの方にはたいして面白いことないからさ。ほらほら、あっちの方からきれいなおねえさんが歩いてくるよ。
 あっ、あっち向いたっ。
 だ・る・ま・さ・ん・が・こ・ろ・ん・だ。
 ささささっ。私はゴキブリの如く素早く車を前進させた。
 あっ、こっち向いたっ。
 私は慌ててブレーキを踏み締めた。数十センチほど動いただろうか。だが、ラジオが復活することはなかった。しかも悪いことに、お巡りさんの注目を浴びてしまったようだ。不信感を招いてしまったか。これまでと態度が違う。もはやよそ見はしてくれない。
 こうなったら、もう駄目だ。再度の挑戦は閉ざされ、私は全てを諦めた。
 赤信号で停車する。この社会を生きる一員として当然のことだ。赤信号が遮断する。私に許されたしあわせはその程度のものだ。赤信号を突破する。そんなことができるなら今ここにはいない。
 私は天国を夢見た。酒は旨いし、ねえちゃんは綺麗だという。
 悠久の時が流れ、信号が変わった。私は急発進した。ラジオはすぐに甦った。
 「帰って来たヨッパライ」は、もう生き返ったあとだった。

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125 97.08.10 「白タクで梅ガムを」

 白タクの運転手の労働時間は深夜のほんの数時間なのではないかと思うけど、あれ、やっぱり副業なのかなあ。白タク本業じゃ食っていけそうもないもんなあ。
 キムタクの出現以来すっかり御無沙汰していた白タクだが、久し振りに利用する機会が訪れた。それにつけても、あの梅ガムはなんだろう。
「取手、柏。いないかい? 取手、柏」
 命からがら辿り着いたは松戸駅。金曜深夜の最終電車なんだから、タクシー乗り場に並んだって捕まえられるのはいつになるかわからない。
 もう、ハナっから白タク。あなたも私も非合法。
「取手、柏。いないかい? 取手、柏」
 いるってばさ、乗るよオレ。
 私が四人目。定員だ。しかし、なかなか出発しないのであった。乗客たるひとりの青年が、運転手にしつこく料金を確認するのだ。大学出たばかりですっ、みたいな初々しさを漂わせたその青年にとっては初の白タク体験らしい。心配を全身に滲ませて料金の確認を執拗に求めるのであった。
 わかるよその気持。わかるんだけどね、テキも過当競争なんだからそんな無茶な料金は請求しないってば。ひとりでタクシーに乗るよりは安いんだからさ、さっさと乗り込もうぜ、この白ナンバーのレガシーに。私を含めた残り三名の乗客は、いささか冷ややかな視線を青年に放射するのであった。
 ようやく青年は納得し、全員が乗車した。とたんに、運転手より乗客全員にガムが配られた。一枚ではない。ロッテの梅ガム九枚入り、丸ごと一個だ。しかも封が切られている。
「こんなもん、いらないよ」
 そう言ったら、ただちに叩き出されるのだろうか。きっとそうだろう。我々乗客は三千五百円也のガムを運転手より購入したのだ。彼が我々を所望の地点まで送り届けてくれるのは、単に彼の好意にすぎない。
 様々な艱難辛苦を経て、このガム配布という手法が確立されたのだろう。乗客はたいがい飲酒後だ。封を切られたガムをもらえば、ついつい一枚を口に運んでしまう。料金を踏み倒そうとする客が現れたら、運転手はガムの代金を要求する手筈になっているのだろう。実際、料金を踏み倒すのはさして難しくないように思える。なんてったって、テキは非合法だ。
 ま、法は法で、ほっとけばいい。この世は持ちつ持たれつだ。私はガムの代金じゃなくて、運行料金を払いますよ。
 私の隣に座った件の青年は熟睡している。案外、大物なのか。どのような人物であろうと私の知ったことではないが、私にもたれかかるのは遠慮してくれないだろうか。よだれとともに噛みかけのガムを口外へ排出するのもいかがなものかと思う。
 それにつけても、なぜ梅ガムか。私としては、クールミント・ガムが望ましいのだが。
 バッタ屋あたりで大量購入に及ぶと、梅ガムになるのだろうか。人気なさそうだもんなあ梅ガム。さぞかし安いんだろうなあ。
 梅ガムで充分、と決めつけられてしまった我々を乗せて、白ナンバーのレガシーは深夜の国道六号線を疾走していくのであった。

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126 97.08.11 「最下段のかくし芸」

 新聞の第一面の最下段に居並ぶ広告群の怪しさは、私にヨロコビをもたらしてやみませんが、昨日またまた傑作が現れました。嬉し涙が止まりません。ボウダの涙です。なまくら包丁で玉葱のみじん切りするときのアレです。ん、ちょっと違うかも。
 「鈴木博美が金」とか「空飛ぶ“東京タワー”」などの見出しが燦然と輝く第一面を下に辿っていったところ、件の広告が出現しました。何日か経ってから読む場合のために解説を加えておきますが、第6回世界陸上大会のマラソンで鈴木選手が金メダルを獲得し、郵政省が放送電波の中継所として飛行船を飛ばす計画を明らかにした、ということのようです。鈴木さんがカネを要求したわけではありませんし、立ち疲れた東京タワーがどこかへ飛んでいってしまったわけでもありません。世の中、そんなに面白いことばかりじゃないのです。鈴木選手も郵政省も御苦労様です。
 とはいっても目下の話題は、日本カルチャーセンターによる「かくし芸名人講座」です。かくし芸名人、です。かくし芸。かくし芸、に他なりません。頭がくらくらしてきますが、この恐るべき現実を冷静に見つめましょう。
 かくし芸です。隠れてます。正月にフジテレビ系列で散見される以外、注目されることはなかったかくし芸が、いま真夏日と熱帯夜が続くこの時期に唐突にその存在を主張し始めたのです。
 どっと脱力しますが、うががっと気合を入れ直して「かくし芸名人講座」を凝視してみましょう。
 とにもかくにも船長、その講座は、突飛すぎやしないでしょうか。あまりに飛躍が過ぎやしませんでしょうか。しかし需要あるところに、日本カルチャーセンターあり。どんなに少ない需要であろうとも、日本カルチャーセンターは供給を欠かさないのでした。
 メインコピーはふたつ。「もてる人はひと味ちがう!」「あなたもスグ、宴会のスターに」。なにかこの、いま見たことは早々に忘れて、すぐにでも山あいの鄙びた温泉宿に逃避したくなる衝動を抑えきれません。いいからもう、もてなくていいから、ひと味違わなくていいから、宴会のスターなんかになりたくないから、などと書き置きを残して、傷心を癒しに湯治に赴きたい自分を否定できません。心ゆくまで湯につかって、忘れたいことがあったことすら忘れたいと願ってやまない私です。
 「もてる」というのは未だに肯定的な価値観だったのでしょうか。「宴会のスター」って、それはかなりいたたまれない存在に思えますが。いや、まいったなあ。いや、ほんと、まいったですよ。あ、私、うひょうひょとヨロコんでますが。
 どのような立場のひとがどのような人生を通り過ぎてどのような動機を抱えて受講のやむなきに至ったのか、容易に想像できてしまうところがたまりません。さぞかし長い間、宴席で屈辱を味わってきたおとうさんなのでしょう。それは辛い日々だったことでしょう。しかしおとうさん、己の無芸を欠点と思い込んでしまう感性には、そんな講座を受けても何も身につかないと思いますが。そうですそうです、そのようなコピーにココロを動かされる感性です。
 お願いですから、酒席ではで~んと構えて黙々と呑んでてくださいよ。
 ボディコピーも私を喜ばせてやみません。まず、効果を謳いあげております。「男、女、芸下手の人まで、たちまちモテモテになる「かくし芸名人講座」誕生」なんだそうです。男、女に次ぐ第三の性、芸下手の登場です。無芸がそれほど重要な問題であったとは知りませんでした。その三つの性のすべてがモテモテになってしまうほどの講座だと言ってます。モテモテ。いったいどこの言葉でしょうか。モテモテ。いつ墓場から甦ったのでしょう。いいなあ、モテモテ。時空間が歪んでいる模様です。
 「急な指名にも、宴席のモノを使い、大ウケの宴会芸がスグできる」とも語っております。実践的であるとの主張が垣間見られるところです。具体的な方法論を伝授せしめん、といった気概が窺えます。「急な指名にも」が切実です。急な指名に泣かされてきたおとうさんたちを、ぐっと引きつけてます。急な指名には備えておかなければと考えるおとうさんたちは、ぐっと引きつけられてしまうのです。
 しかしおとうさん、宴会芸ができないひとは死ぬまでできないのです。付け焼き刃の芸はけしてウケません。私もなにひとつできないので安心してください。ええ、私は芸などなにもできませんとも。できませんったら、できません。急な指名どころか、一年前からわかっていたって、できないひとにはできません。
 こいつに宴会芸をやらせたって座が白けるだけだ、といった認識を周囲に植えつけたほうが手っ取り早いと思うんだけどなあ。私はそうしましたが、ま、普通の社会で生きていこうとすると、なかなかそうもいかないんでしょうね。
 って、私が暮らしている社会も普通ですよ普通。ほんとほんと。
 こういう広告が出現する、ごく普通の社会ですってば。

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127 97.08.16 「真夜中の攻防」

 常温のバーボンを生のままで飲って喉で味わえるほど、悲しいかな、まだそこまでは成長しきれない。コドモなので、ロックがせいぜいだ。いくらなんでもバーボンを水で割るような暴挙は犯さないが、せめて氷は必要だ。
 この場合、水道水を温度調節によって固体化せしめたものは断じて氷とは呼べないので、貯えがなくなったら買いに行くしかない。
 私は、ロックアイスを求めて近所のコンビニエンスストアに足を向けた。
 午後十時だ。
 なにゆえに、ここにいるのか勘太郎。
 勘太郎という人物は、私の甥として一部には知られているが、実際のところは一介の小学六年生に過ぎず、しかも泣き虫である。世間一般の小学六年生に比して、その成長度はたいへん遅い。ウチの家系は大器晩成型なのであろう。ゑゑと、だからさ、その型なんだってば。
 勘太郎は、マガジンラックの前で仲間の何人かと共に車座になって、ある種の雑誌を観ていた。ある種とは、あの類の書物に他ならない。ピンとこない女性諸氏は手近な男性に問い合わせられたい。手近な男性がいない場合は、私が個別にお答えもしよう。
 私は、上から彼等を覗き込んだ。みんな熱心に、グラビアの女性の脚部の分岐点における黒色部分を凝視している。
 もうちょっと薄い方が好みだなと考えながら、私は教育的指導を施した。
「君達は、通路というものの効用について、いかに認識しておるのか」
 みんな、ぎょっとして私を振り仰いだ。全員、顔馴染みだ。
「立って読まなきゃだめだよ。そうやってみんなで座り込んでたら他のお客さんが通れないだろ」
 みんな、凍りついた。うわ、やばいところを見つかっちゃったっ、といった雰囲気が彼等の間に漂った。
 そうではない。その雑誌のことはどうでもいい。君達が他のお客さんの歩行を妨げている事実を、私は咎めておるのだ。と、説明し、私は彼等の起立を促した。
「はい、立って立って」
 すぐには立てない事情もあろうかとも思うが、それは個人的事情であって、公衆道徳の方が重要だ。
 彼等は不承不承立ち上がった。みんな腰が引けている。申し訳ないが、仕方がない。私に発見されたのが運の尽きだ。
 理不尽な権力を行使したお詫びに、全員にアイスを奢った。近頃は変なアイスがいっぱいあるものだ。
 みんなが帰ったので初期の目的であった買物をするべく店内に舞い戻ると、勘太郎がまとわりついてくる。
「なんだよ、帰らないのか」
「きょう、泊めてよ」
「ゲイム、やりたいのか」
「うんっ」
 雑誌のことはすっかり忘れて、プレイステーションを興じる期待に瞳を輝かせている。やれやれ。ゲイムのほうが面白いのか。情けないなあ。
 私の返事も聞かずに、勘太郎はぴゅうっと公衆電話に走り、保護者より外泊の許可をとりつけてきた。素早すぎる。勘太郎の保護者は、私が了解していないものをいかなる権限によって許可するのか。私の人権は蔑ろにされた。許せぬ。許せぬぞ。わなわな。と、握り締めた拳を震わせていると、勘太郎にその手を引っ張られた。
「コーラ買ってよ、コーラ」
「はいはい、コーラね」
「ほたてっぷりも」
「ほたてっぷり?」
「知らないの?」
「知ってるけどさあ」
 参ったなあ。
 部屋に舞い戻ると、勘太郎は早速プレイステーションを設置し始めた。
「待て待て、ゲイムの前に着替えろ。おまえ、コントローラー持ったまま寝るからな」
 勘太郎にパジャマを放り投げた。子供用のパジャマを常備してある独身家庭はいかがなものかと思うが、実際にあるのだから仕方がない。先日、勘太郎の保護者が無理やり押しつけていったものだ。あまりに頻繁に勘太郎がウチに泊まるものだから、彼女としても我が子の健康についてなにかしらの対応を迫られたらしい。しかし、外泊を控えるように指導すべきではないか。なぜ、パジャマか。洗濯物を干すときに私の胸を横切るえもいわれぬ非現実感がわかるか、その親子よ。
 そのうちに私は、勘太郎のパンツも干すことになるのであろう。
 パジャマに着替えた勘太郎は、なにやら謎めいたRPGを始めた。
 私は、池波正太郎を片手にフォアローゼス。
 しばらくして、私はテレビ受像機を使用したい事情を思い起こした。ただいま勘太郎が使用しているものだが、その所有権は私に帰属している。優先的使用権もまた、私のものであろう。私は自分の考え方に落ち度はないか何度も胸の内で確認し、胸を張って申し述べた。
「あのさあ、勘太郎」
「なあに」
 勘太郎は振り返りもしない。
「オレ、テレビ観たいんだけど」
「だめ」
 一刀両断だ。
 なぜ、だめなのであろうか。オレのテレビだよな。
 いかにも、私の所有物である。私が購入したテレビに他ならない。ある夏のボーナス支給日にコジマ電機のレジで財布を広げたことが、昨日のことのように思い出される。誰がなんと言おうと、私のテレビである。
「オレ、サッカーの結果、見たいんだけど」
「明日の新聞で見れば」
 勘太郎は、冷たい。
 ひょっとして私のテレビではないのかもしれない。勘太郎のものなのかもしれない。私はかつて泥酔した折に勘太郎との間で無償譲渡契約を締結したのではないか。私が忘れているだけで、これは勘太郎のテレビなのではないか。そうでなければ、勘太郎の威丈高な態度が説明できない。
 私は打ちひしがれ、バーボンを煽った。自棄酒だ。
 グラスを重ねているうちに、釈然としない思いが胸の内にふつふつとこみあげてきた。やはりおかしいのではないか。世の中まちがっとる。私としても一矢報いてしかるべきではないか。復讐だ復讐だ。
 私は、勘太郎の背中に声をかけた。
「あのさ、勘太郎」
 勘太郎は身体を揺らしながら、モンスターと格闘している。当然、返事はない。
「勘太郎さあ」
「ちょっと黙っててよ、こいつ倒せばこのダンジョン、クリアできるんだから」
 苛立ちを色濃く滲ませたお返事だ。
 ほほう、山場か。山場なのか。しめしめ。
「さっきの本だけどさ」
 勘太郎の背中が、一瞬凍りついた。うひゃうひゃ。
「きれいだったな、あの女のひと」
 激しい動揺が勘太郎を襲った。めろめろになった。
 勘太郎は、たちまちモンスターに敗北した。

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128 97.08.17 「昆布を仰山」

 こぶへい、ときたか。そりゃあ、わかりやすいなあ。
 なお、って、いきなり「なお」もなかろうかと思うが、なお、この稿において「こぶへい」とは、合同酒精株式会社から発売されている昆布焼酎「こぶへい」を指す。三平の長男ではない。
 そりゃ、林家こぶ平だって。
 誰もツッコんでくれそうにないので自主的にツッコんでみました。なにか、自慰もここに極まれりといった挫折感が漂い、私は泣いています。ま、気にするな。俺も気にしてないから。って、それじゃ私と俺は違う人間みたいですがな。
 ま、ひとは誰でも多重人格。
 昆布からも焼酎ができるのか。そりゃまあ、できるだろうなあ。できるだろうけど、意表をつかれた。しかも、合同みたいな大手が。日高町漁業協同組合が全額出資した例えば株式会社ヒダカが製造販売しているというならわかる。そんな会社があるかどうかは知らんけども、地焼酎というスタンスならわかる。物産品なら、わかる。いきなり、なにゆえに合同か。勝算ありと見たか合同。この機を待っていたのかゴードー。
 とはいっても、昆布焼酎なら呑むね私は。焼酎の場合、蕎麦や胡麻を愛好しておる私だが、昆布には琴線をくすぐられましたよ。ましたとも。
 私が毎朝、根昆布水を愛飲しているのはあまり知られていないが、事実である。べつに身体のためを思っているわけではなく、単にうまいので習慣化しているにすぎない。深酒の翌朝などは特に美味に感じる。五臓六腑ばかりか爪の先まで昆布が染み渡る心地がえも言われぬ快感を私にもたらす。
 味噌汁のだしも昆布が基本だ。煮干し派とはしばしば軋轢を起こす。自分は昆布から産まれたのではないか、といった疑念を時折抱くくらい、あまりに多量の昆布を摂取している。昨今では、成年男子が一日に必要とする摂取量の実に7.83倍の昆布を摂取しているとも言われる私だ。そのうちに腋の下あたりから昆布が生えてくるのではないかと期待しているが、昆布にも昆布の事情があるらしく、なかなか実現には至らないようだ。
 そんなささやかな幸せにふかふかとくるまってうとうとと惰眠を貪る毎日に、突然、昆布焼酎の御乱入だ。こぶへいが一席伺いに来たのである。ここはひとつ、受けて立たねばなるまい。
 呑まざるをえない。
 天が私を試しているのだ。雄々しく立ち向かいたい。
 酒を呑むのにそんなにも理由が必要なのか、といったヒハンもあろうが、そういうことではないのである。これは未知なるものへの挑戦に他ならない。私の裡に勃然と湧き起こったフロンティアスピリットが、眼前に立ちはだかる新たな壁を乗り越えるべく蠢動しているのだ。ただ単に酒を飲みてえだけじゃねえか、といった下世話なヒハンは厳に控えていただきたい。
 つまるところは、微かな昆布香がするものの、ありきたりの焼酎ではあった。甲類は特にその傾向が強い。こぶへいの場合は「甲類乙類混和」といった氏素性を自ら明らかにはしているのだが、やはり特に癖のない焼酎ではあった。
 しかしながら、仄かな昆布の香りには高い評価を与えたいと思う。これはよかった。たいへんよかった。いやまあ、もう酔っぱらっちゃってるから、なんでも誉めちゃうんだけどさ。
 これこれ、そこで、ほらほらやっぱり酒ならなんでもいいだろおめえは、などと言っている君、そういうことではない。なんだかわからないが、そういうことではないのである。
 私がなぜかくも深酒をなすかというと、明朝の根昆布水が愉しみであるに他ならないのである。
 のである。

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129 97.08.21 「流行歌の分水嶺」

「マイクを離さないんじゃない。マイクが手にくっついて離れないんだ」
 どこにでもこの手合いはいるもので、三次会あたりの街角で強引に周囲をカラオケボックスに引きずり込んだはいいが、歌い始めたら他人にマイクを渡さない。聴衆が欲しいだけだったのかとも思えるが、「いいや、こいつはひとりだけでもここに来て歌ってたね」といった意見があり、大勢は「もっともである」と深くうなずくのであった。
 熱唱男は、初っぱなから「天城越え」に魂を授けるという暴挙に出たのだが、しかし、この夜の熱唱男の末路は哀れなものであった。
 聴衆は、熱唱男が天城峠を越えようが越えまいが知ったこっちゃなく、てんでんばらばらに雑談をしていたのだが、次第にそのテーマが統一され白熱した論議に発展していったのだ。
 論議が盛り上がれば、当然のごとく熱唱男は邪魔者と化す。
「おい。ちょっとこいつ、うるせえな」
「ボリュームしぼろうぜ」
「マイクのプラグ、引き抜いちゃえよ」
「だいたい、カラオケボックスまで来て歌うんじゃないっ」
 あわれな熱唱男は部屋の片隅で肉声の絶唱を強いられることとなり、かくして論議はその白熱度を高めていくのであった。
 発端は歌本であった。最初はそれぞれ歌本を広げて思い思いに選曲をしていたのだが、ひとりが何気なく洩らした発言からカンカンでガクガクのケンケンでゴウゴウになってしまったのだ。
「昔の唄でも歌うか。んと、オレ、仮面舞踏会」
「ちょっと待て。少年隊のいったいどこが昔なのだ」
「昔だろうが。今はキンキ・キッズの時代よ」
「そうじゃないだろう、昔とはシブがき隊以前のことではないか」
 唐突に湧き起こった論議の内容に、私は慌てふためいた。ううむ、世間はそのようになっていたのか。私は開きかけた口を閉じた。
 更に論議を混乱させる発言も割り込んできた。
「そうかなあ。オレにとっての昔はたのきんトリオだなあ」
 みんな同世代である。それなのに、それぞれ「昔」が違うのだ。
「馬鹿者。たのきんは大昔だろうが」
「それはナツメロだ」
 ゑ。そ、そうだったのか。私は黙り込んだ。
 しかし、この状況における寡黙は目立つらしく、すかさず見解を求められてしまうのであった。
「おまえはどう思う?」
「ゑ、オレ? いや~」
「どのへんから向こうが昔だと思う?」
 私は小声でつぶやいた。「ん~、フォーリーブスかなあ」
 とたんに集中砲火だ。
「馬鹿か、こいつ」
「なに、ネゴトをほざいてやがるんだ」
「言うに事欠いて、フォーリーブスなどと」
 一方その頃、熱唱男は「みちのく一人旅」「越冬つばめ」といった孤独な曠野を彷徨していた。まるっきり無視されていたが。
 「昔」の定義が違いすぎる。定義したことはなかろうが、しようとしたらあまりに違いすぎてた。
 じゃあ、女性アイドルではどうか、という嫌な展開となった。私にそれを言わせるのか。
「中森明菜かな」
「俺は松田聖子だな」
「ピンクレディーだなあ」
 私も発言せねばならないのだろうか。私は、彼等の表情を窺った。ねばならないらしい。
「アグネス・チャン、かな」
 ああ、どうして私は小声になるのだろう。
 たちまち馬鹿にされたのはいうまでもないが、実際のところ、ピンクレディーもたのきんも私にとってはこっち側のひとである。昔のひとではない。つい最近の人々である。
 他方、熱唱男は「時の流れに身をまかせ」「酒よ」と、孤独な世界を追及しているのであった。誰も聞いてはいなかったが。
 論議の焦点は次第に「個人的な昔」を生じせしめる瞬間は何か、といった方面へ推移していった。その分水嶺は何か。それは、転回点であるかもしれないし、分岐点だったり屈曲点だったりするかもしれない。その瞬間はなんであったか。どこか印象的な時点から向こう側が「昔」なのではないか。どういうものか、論議はそういった方向へ流れていった。謎の展開だ。
 彼等は、就職、結婚、失恋といった、まあそんなものかな的な回答を述べた。私はといえば、特にそんな瞬間はないので返答に窮する。そんなの、ないよ。時代的には中学生から向こうがあっちで高校生以降がこっちということになるが、べつにそんな記念碑的なもんはないなあ。
「するってえとなにか、おまえは高校生の頃から成長してないのか?」
 そうなんだろうなあ。中学生の頃はコドモだったなあと思うけど、それ以降はそんなことないもんなあ。意識はほとんど同じままだなあ。連綿と続いてる。間断がない。転回も分岐も屈曲もない。ずっとそのまま。
「おまえは、馬鹿か」
 そうみたい。
 事態がここまでねじくれても、熱唱男はひたすら自己の世界に陶酔し、「奥飛騨慕情」を切々と謳い上げるのであった。
 こやつがいちばん幸せなのかも。

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130 97.08.24 「手持ち無沙汰の構図」

 てもちぶさた、を、てもちぶたさ、と、ついつい言い間違ってしまうひとは多いはず。はずです。はず、なのです。
 ま、オレひとりだけだっていいけどさ、そんな間抜けな奴はさ。いいよ、オレは。ぜんぜん気にしてないよ。気にして、ないから。さめざめ。はいはい、私はよく言い間違っちゃいますですよ。てもちぶたさ、と。
 ごぶさた、ちゃんと言えます。地獄のさた、これも言えます。だのに~な~ぜ~(な~ぜ~)、てもちぶさたと言えないのでしょう。私の言語中枢はどういうカラクリになっているのか、ぶたさになっちゃう。漢字だったら書けるんだけどなあ、手持ち無沙汰。
 口を開けば、ぶたさ。豚なのさ。
 ま、私の口癖はどうでもいいんですけどね。唐突ですが、手持ち無沙汰になったときに、大のオトコはなにゆえに、架空のグリーンめがけて架空のクラブを振ったり、架空のスタンドめがけて架空のホームランを打ったりするんでしょうか。架空のキャッチャーに向かって架空のボールを投げたりもしますね。いきなり振りかぶっちゃう。
 他人と雑談しながら、無意識にやってる。特に他愛ない立ち話のときに。
 自然に身体が動き出して、いつのまにかワインドアップモーション。フォークの握りなんかしちゃったりして。その間も世間話にはしっかり参加していて、「総務課のミキちゃん、結婚するんだってね」なんて言ってる。言いながら、片足を振り上げてフォークボール。
 畳んだ傘なんか持たせたら、とにかくスイングしますね、たいていのオトコは。ゴルフだったり野球だったり、はたまたポロだったりするんでしょうが、オトコのオトコノコの部分は、ただもうタマを打ちたいんですね、なんだかもう無性に。
 いろいろな精神状態がその根底に潜んでいるんでしょうが、ただ単にじっとしていることができないだけなんではないかという気はします。
 私が時々無意識にやっちゃうのはボウリングですね。右手の親指と中指と薬指を、こう立ててですね、架空の13ポンドのボールを抱えて直立してしまったりします。そろそろと左足から踏み出したりなんかしちゃう。右腕をうしろに振り上げながら「そりゃ笑っちゃうよな」なんて相槌打ったりして。雑談の相手も私の動きを意に介したりはせず、平然と「そうだろ」なんて言う。
 とにかくスポーツ。手持ち無沙汰だからといって、いきなりバタフライを始めたりともえ投げをしたりするひとはまだ目撃したことはありませんが、きっとそういうひともいるでしょう。しなった架空の釣竿を腰溜めに抱えて架空のリールを巻き上げるひとだっているはずです。雑談をこなしながら、無意識に。
 雑談の参加者がすべてそれを許容するというのがポイントです。誰かが何気なく目に見えないバットを振っていても気にもとめません。なんとも思わない。
 なぜだかスポーツ。架空のディスプレイに向かってマウスをぐりぐりするひとはいません。
 と、思っていました。ところが、そうではなかったのです。マウス男というものが出現したのです。訳すとネズミ男で、なんだか別のものになっちゃうので、翻訳してはいけません。マウス男はデザイナーで、聞けば、フォトショップを濫用する歳月を重ねた結果、職業病的に架空のマウスを操作するようになってしまったのでした。
 マウス男と話していると、どうも彼の右手の動きが気になってしかたがありません。手は常に架空のマウスを持ってます。架空のマウスパッドの上でぐりぐりと動きます。あまつさえ、時にはダブルクリックが入ります。
 ついつい、マウス男の右手ばかりに注目しちゃう。なにも雑談に集中してるわけじゃないんだけど、気が散ってしょうがない。
「ちょっと、それ、なんとかなんない?」
 無礼を承知であえて申し述べると、マウス男は困ってしまいました。
「あ。やっぱり気になる? ごめん。ついやっちゃうんだよ。治んないんだよ。悪かったよ。これからは気をつけるから、許してくれよ」
 そ、そうか。しかしそんなに謝られると、かえってこちらが恐縮しちゃう。
「ひとを不快にするのはわかってるんだよ。いやいや、そんな気休めはやめてくれ。この癖のお蔭で、おれは二回も結婚を逃したんだ。婚約破棄よ。どうしてもその癖が我慢できない、なんて言われて」
 マウス男は次第に悲観の度を高めていくのでした。私としては、慰めざるをえません。
「そういうときは、素振りだよ。こう、バット構えてさ」
「野球は嫌いだ」
「じゃあ、ゴルフでもいいや。こう、三番アイアンをさ」
「スポーツは嫌いだ」
 どうすりゃいいのよ、オレ。
 スポーツ嫌いなオトコっているんだよなあ、わりと。そういうひとにとって、あの無意識スイングはどのように映ってるんだろう。
 マウス男の見解は単純明解でした。
「愚鈍だ」
 私はどうやら愚鈍だった模様です。

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131 97.09.01 「晩夏のセミナー」

 部屋に迷い込んできた蝉を追い出すのに思い悩んだ経験はありませんか? 本日はそんなときの対処法を御伝授申し上げましょう。そんなことはありえないとうそぶくあなた、明日あなたの部屋に蝉が迷い込んでこないとどうして断言できるのですか。人生、一寸先は蝉です。転ばぬ先のゼミなどとも申します。明日あなたの部屋に蝉が迷い込んできたときに、ああ、為になる講義を受けておいて本当に良かった! と、私に感謝すること請け合いです。
 ここではアブラゼミを想定しましょう。しかも、オスです。あまつさえ、羽化したばかりです。人生においては何事も最悪の場面を想定しておくのが肝心だと、鑑真も語っていました。ガンジーだったかもしれませんが、そんな駄洒落をもてあそんでいる場合ではありませんでした。あなたの人生が危機に直面しているのです。およそ、部屋に蝉が迷い込んでくるほどの災難は想像できるものではありません。筆舌に尽くし難いとはまさにこのことです。
 蝉はまずあなたの部屋の壁にへばりつきます。蝉は、なにかというとへばりつくものなのです。しかもオスなので鳴きわめきます。オスの蝉は、なにかというと鳴きわめくものなのです。アブラゼミなのでジージーと鳴きわめきます。我々人間社会においてはナンパと称される行為です。許せるでしょうか。人の家に勝手に入ってきてナンパです。自然界では当然の行為ですが、この歪んだ人間社会では許されるはずもありません。この狼藉を看過してよいものでしょうか。軒先を貸して母屋を取られてはなりません。排除です。強制排除しかありません。
 さあ、立ち上がりましょう。アブラゼミをいかにして追い出すか。あなたの真価が問われています。人には誰でも、いつかアブラゼミを追い出さなければならない日が訪れるものです。現実に目を背けてはなりません。いくつもの苦難を乗り越えてきたあなたに、できないことはありません。さあ、勇気を出して、追い出すのです。
 一般的な家庭ではこういうときのために捕虫網が用意してあるはずですから、すかさず手にしましょう。殊に夏場ですから、すぐに手に取れる場所に常備してあることと思います。そっと近づいて素早く捕獲しましょう。くれぐれも捕虫網を振り降ろす角度を間違えないようにしてください。蝉の飛び立ちそうな方向を瞬時に予見して、その方向から一気に捕獲するのです。自信のない方は今からでも遅くはありませんから、毎日三十分は野外で蝉取りに励んでください。場数を踏むことが大切です。たとえ忙しくても室内での素振りだけは欠かさないでください。不断の努力が、ここぞという瞬間に実を結ぶのです。
 万が一、最初の捕獲に失敗した場合は、長期戦を覚悟してください。敵は、ここかと思えばまたまたアブラと部屋のあちこちを移動するものです。開け放った窓から出て行ってくれればよさそうなものですが、しょせんは蝉にすぎません。蝉といえば、あまり頭が良くないことで知られています。そのくせ生命の危険を鋭く察知して、過敏になっています。部屋の内部の微かな空気の動きを感知して絶え間なく移動を繰り返します。こうなると根比べです。気配を絶ちましょう。この日に備えて整息術を学んでおくのもひとつの方法でしょう。まずは、心を無にします。すべての邪念を放擲し、空気と一体化するのです。初めのうちはうまくいかないかもしれませんが、慣れればさほど苦労せずにできるようになります。何事も慣れるものです。気配を絶ちさえすれば、捕獲はたやすいことです。
 不幸にもたまたま捕虫網を切らしていたり、信じられないことですが普段から捕虫網を常備していない場合は、いささか困ったことになります。手で捕獲できるものではありません。できる人もいますが、ここではそうした特殊技能のことは考えません。人にはできることとできないことがあります。
 捕獲以外の方法論を採択することになります。安易な手法としてはまず、殺虫剤が挙げられるでしょう。しかし強力なものは条約で禁止されています。特にスプレイタイプのものは即死の可能性もあり、その使用は厳に慎むべきでしょう。同様の理由でハエタタキの使用も控えるべきです。
 蚊取線香が存外に効果的との報告が多数寄せられています。適切に運用すればかなりの成果があげられる模様です。ただし窓を全開にしておくことだけは忘れないでください。殺してしまってはなにもなりません。目的は追い出すことです。時折、手段に捕らわれて本来の目的を見失ってしまい、誤って蝉を死に至らしめる事例が見受けられるようです。くれぐれも注意してください。他にも、たばこの煙に同様の効能が認められるとする傾聴に値する説もありますが、理論の域を出ていないようです。
 音には音で制するという手法にも注目する必要があるでしょう。ロック、特にヘビメタが大変効果的とされています。たちまち逃げ出したとの成功例がいくつか報告されています。この方法の難点は大音量を要することで、御近所付き合いがうまくいっていない場合、蝉より怖い隣人が怒鳴り込んでくるため、なかなか普及には至らないようです。
 常に一匹の蝉を飼っておき窓の外に置いておびき出す、という友釣り型の作戦も試してみる価値はあるでしょう。
 以上、それぞれの状況に配慮しながら臨機応変に試してみてください。
 万策尽き果てたときには、すべてを諦めましょう。長い人生です。時には、明るく諦めることも必要でしょう。人事を尽くしたあなたを、いったい誰が責められるでしょう。
 長くても一週間我慢すれば、蝉は死にます。うまくタイミングが会えば、明日にも死ぬかも知れません。殺してはなりませんが、死んでいくものは仕方がありません。蝉と同じ部屋に住む体験も、得難いものだと思います。いつか訪れる死について思索を深めるよい機会かもしれません。
 それでは皆さん、御健闘ください。
 これで講義を終わります。

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132 97.09.09 「残酷な天丼のテーゼ」

 どん、という響きには、すべてを委ねてしかるべき安寧がある。羊水の安らぎがある。母なる大地に抱かれた安息がある。
 カツ丼、天丼、親子丼、牛丼、中華丼といったどんぶり兄弟もその恩恵を享受して今日の地位を築いてきた。それは、誰もが否定し得ない厳然とした歴史だ。
 この中で唯一、力強さを誇らずに繊細な味わいを前面に押し出して成功を収めてきたのが天丼だ。これから残業だっ、というときに天丼は食わない。そういうときにはカツ丼だ。自白を促すときにもよいとされる。心を満腹にしたいときには親子丼で、時間がないときには牛丼だ。ラーメンじゃこの空腹は満たされないと思えば、有無を言わさず中華丼だ。わしわしわしとかき込めば、とりあえず幸せになれる。束の間の錯覚であってもかまわない。幸せはたいてい、錯覚の果実だ。勘違いの一形態に過ぎない。だが、丼をがっしと握ってわっせわっせとかき込むだけで幸せになれるのならそれでよいではないか。それがどんぶり伝説だ。
 天丼だけは、かき込まない。しょせんは丼のくせにお高くとまっているといった批判も耳にするが、天丼とはそういうものである。天丼が天丼であり続けようとするとき、天丼としての生涯をまっとうしようとするとき、天丼はその細やかな味わいをひたすら究めていく。孤高の丼といえよう。
 私にはどうも馴染めない。うまいとは思うが、好感を抱くことはできない。
 その原因は即ち天麩羅の具が海老だからだ。どういうつもりなのか、天丼の天麩羅は海老天ということになっている。例外も知ってはいるが、まずは海老天だ。しつこいようだが、海老は私になんの感興も呼び起こさない。出されれば食べるが、できれば避けていきたい食物だ。どこがうまいのかわからない。
 なぜ茄子の天麩羅を載せないんだろう。茄子の方がずっとうまいのになあ。
 とはいっても、天麩羅ではかき揚げがいちばん好きだったりするのだ。なにか、これだけは告白してはならなかったという気もしないではないが、実際のところは天麩羅の真価はかき揚げにこそ凝縮しているのだっ、と叫びながらそのへんを駆けずり回りたい気分だ。
 かき揚げの天丼は存在するが、どういうものなのか名前が変わってしまう。かき揚げ丼という寂しげな一ジャンルを確立しているのだ。
 どうなっているのだろう。天丼というディレクトリに、海老天丼や茄子天丼やかき揚げ丼というファイルがあるというのでもないらしい。そのへんの階層関係がよくわからない。天丼には海老天が、かき揚げ丼にはかき揚げが載っていて、それはそれで理解できるが、しかし総称して天丼というのでもない。かき揚げ丼はあくまでかき揚げ丼であって天丼ではなく、かき揚げが載っている。天丼に載るべきはあくまで海老天であり、天麩羅ならばなんでもよいというわけではけしてない。
 私は途方に暮れるばかりだ。
 一方、蕎麦業界ではまた異なる概念が普及していて、私の困惑は更に深まるのだ。座って食べる天麩羅蕎麦には海老天が載っていて、立って食べる天麩羅蕎麦にはかき揚げが載っている。たいへんわかりやすいが、どちらも天麩羅蕎麦と名乗っているのは事実で、やっぱりややこしい。
 そういうことを考えながら、私は黙然と天丼を食べていた。
「うまいだろ。ここの天丼。この天丼食ったら、もう他の天丼は食えないよ」
 奢ってくれているひとが、同意を求める。
「はい。おいしいです」
 奢られる立場としては同意するしかない。
 私は海老天を嚥下しながら、ところで中華丼の丼をがっしと握るのは難しいかもなあ、などと考えていた。

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133 97.09.12 「飛ぶのが下手で」

 本稿は、図らずも人間の生活空間に闖入した一匹のカブトムシが自らが属するべき世界へ帰還するまでの約三十分間における彼の行動の記録である。
 久し振りに耳にする懐かしい翅音を伴いながら、カブトムシが私の部屋に飛来した。開け放った窓から、あの例の無様な飛行フォームで侵入してきたのである。涙滴型に垂れ下がった下半身を強引に引っ張り上げながらも、そのモーメントに振り回されて最短距離を飛行できない。その軌跡は常に半径の大きなカーブを描く。機敏な軌道修正などは望むべくもない。
 今回の場合は直進してきた。過ちには気づいたが、もはや方向を転回するには遅すぎたのであろう。すべてを諦めきった風情が感じられ、停止の瞬間をただ待ち受けるだけのたいへん受動的な飛行であった。
 居間を横切り、台所に着地した。おっとっととたたらを踏み、あまつさえ、いささか床の上をずるずると滑った。相も変わらず不器用で、哀れを誘う。自らの体重をもてあましているようだ。やはり進化の袋小路を着実に歩んでいるのか。自らの肉体の巨大化が原因で絶滅していく種があるが、カブトムシの未来にはそうした暗い予感が横たわっているように思える。
 やにわに場違いな闖入者と化した自らの立場については、さすがにすぐさま己の迂濶さを悟ったらしい。
 彼はしばらく沈思黙考していたが、やがて次なる行動指針について考えがまとまったのか、おもむろに動きだした。窓の方向を目指して匍匐前進の開始だ。飛んで来たのだから飛んで帰ればいいのに、と考えるのは素人だ。なにしろカブトムシである。なまなかの常識が通用する手合いではない。
 彼の前に最初に立ちはだかったハードルは台所と居間を仕切る敷居であった。私の見解ではわずかな段差だが、彼にとっては大いなる壁なのかもしれない。彼はまず、自らの角を下から振り上げて敷居を引っ繰り返そうと試みた。このカブトムシは何を考えているのかわからない。自分の能力を過信しているのではないか。
 そのうちに自らの膂力をもってしても覆せない物が存在することを学んだらしく、彼は地道に敷居を登攀することに今後の自分を賭けた。その意気込みは天晴れだが、その姿はどうにも不格好だ。彼が世間体を気にする性格なら、今の自分を誰にも見せてはならないだろう。悪いことに、敷居を越え切った下りの段差で彼は転倒した。見事に裏返った。腹を天に向け、じたばたと六肢をうごめかせる。なんともはや、情けない。当面の目的であった居間への移動は完了したが、代償が大きすぎた。
 カブトムシの角は主に、不慮の災害で仰向けになった自分を正常な姿勢に戻すために存在する。角を突っ張らかせてようやくうつ伏せに直った彼は、そのままじっとその場にうずくまった。胸を切り裂くような恥辱に耐えているかのように見える。己の醜態を、凝固することで忘れようとしているのか。
 やがて自らの心の弱さを克服したのか、彼はまた外界を目指して歩み始めた。克己した彼は、さっきまでの彼ではない。一皮剥けた、とでもいうのだろうか、その歩みっぷりにも心なしか堂々とした風情が窺える。外翅の艶を一段と輝かせ、彼は自由への前進を再開した。
 この居間を横断すれば、外界がある。窓のサッシは開け放たれている。床まで達している窓であり、彼の前途にさしたる障碍はない。最短距離にして二間を歩めば、彼は自由を得る。
 しかし、好事魔多しの例えのとおり、すかさず第二の難関が彼の前に出現した。
 彼の食欲が彼の足を止めた。いきなり立ち止まって、床を舐め始めた。先ほどそのあたりで私は葡萄を食したが、その果汁が飛び散っていたものと思われる。そんなことをしている場合ではないと思うのだが、彼は彼なりに空腹に耐えかねていたのかもしれない。このささやかな旅の前途を悲観せざるをえないほど、疲れ切っていたのかもしれない。彼はしばしのあいだ疲労を癒していたが、やがてまた歩み始めた。
 彼が次に立ち止まったのは、床に投げ出してあった新聞の上であった。読めるのだろうか。第二次橋本政権の組閣に興味を覚えた模様である。環境庁長官の人事が気になるのかもしれない。
 ほどなくして永田町の論理の前に自らの無力を悟ったのか、彼はまた歩み始めた。道程の半ばは過ぎた。外気の気配に勇躍したのか、若干スピードが増した。この期に及んでもまだ飛行の敢行を思いつかないらしい。あるいは、自分の飛行能力によほど自信を失っているのか。
 それにつけても、しょせんはカブトムシである。いきなり進行方向を転じた。寄り道をしている場合ではないと思うのだが、唐突に彼の興味を喚起した物体が窓際に置かれていたのである。
 ドラセナ・マッサンゲアナが、彼を招き寄せた。観葉植物である。幸福の木というなんとも傍迷惑な名称で販売されることが多い。彼も幸せになりたいのであろうか。植木鉢をよじ登り、たちまち幹に達した。樹液を求めたのであろうが、彼の嗜好には合わないようであった。そこに彼の幸福はなかった。すぐに興味を失い、同じルートを引き返して床に戻った。幹からそのまま外界へ飛び立てばよさそうなものだが、そこはやはりカブトムシである。カブトムシたるゆえんである。カブトムシをカブトムシたらしめている律儀な生き方である。
 彼は床をまたしても這い、そしてついに外界へのとば口に到達した。
 自由を追求した彼の旅は終わった。
 私は、彼の新たなる旅立ちを見送ろうと窓際に寄った。さあ、飛び立て。飛翔の時だ。
 しかし彼はどこまでいってもカブトムシなのであった。根っからのカブトムシだ。
 彼はそのまま歩み続け、約三十センチメートル下方のベランダに転落した。
 したたかにコンクリートに全身を打ちつけ、もがいている。またもや裏返ってしまった。まったくもって粗忽である。
 慣例に従って、彼は角を振り回して常態にでんぐりがえった。
 そして、いきなり飛んだ。
 意表をつく奴だ。これまでの飛び立つべき瞬間をことごとくやり過ごして、この瞬間に飛び立った。解せない展開である。
 彼は、ぶゎたぶゎたと翅をはためかせ、不器用に飛び立った。カブトムシはいつまでたっても飛ぶのが下手だ。私が幼い頃から下手だった。卑弥呼が幼い頃からも、ずっと下手だったのだろう。進歩がない。
 まもなく彼は樹々の中に消えた。
 まぁ、がんばれや。おれも進歩してないよ。三十分間も延々と見続けちゃったよ。

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134 97.09.14 「凝っているのか」

 EW433である。
 得体が知れない。こんなものに己の大切な肩を託していいのか、といった疑問は私の胸にも去来した。反射的に私の心を横切った。しかしオートパルスという商品名を聞けば、いささか心も和むことであろう。ささくれだった心も沈静化することであろう。低周波治療器という素性が明らかとなれば、安堵の溜息も洩れるのではないか。己の不安が杞憂だったと得心するのではないか。
 いかにもこれは、松下電工株式会社が製造したところの低周波治療器オートパルスEW433である。他の何物でもない。
 肩凝りの治療に用いられる。(7B輸)第33号という医療用具承認番号を得たと、取扱説明書が誇っているので間違いはないだろう。微弱な電気を人体に通して凝った筋肉をときほぐす。効くと思い込んだ人には効くし、効かないと見なした人には効かない。使ったという事実が精神に好影響をもたらすのだ。従って、私には効く。よく効く。
 なにしろ、そもそも私には肩凝りの自覚症状がない。肩揉み好きに言わせるとこんなに凝った肩はないというのだが、私はぜんぜん辛くない。肩凝りしていない状態を知らないのだから、辛いもなにもあったものではない。こういうものだと思っている。いや、こういうものといった自覚すらない。
 あんたの肩は凝っていると誰かが言うので、鵜呑みにしているにすぎない。
 肩揉み好きは、どこにでもいる。思わぬところから出現する。必ず、親しい人々の中から出現する。永年つきあっていたが、おまえが肩揉み好きだったとは知らなかったよっ、と私は驚く。
 こいつ会ったときからオレの肩を狙っていたのかな、などと考えながら、ついうっかり揉まれてしまう。侮れない。彼等は他人の肩を眺めながら暮らしているに違いない。隙あらば揉んでやろうと虎視眈眈の日々なのではないか。この肩は揉み甲斐がありそうだな、などと思いつつ名刺交換をしているのではないか。初対面の人のどこを見るかというありがちな質問があるが、連中は肩を観察しているのだ。そうに違いない。いつかあの肩を揉んでやるという悲願を胸に、うずく腕をひた隠しにしているのだ。あの肩を揉むまでは死ねないと、固い決意を秘めた日々を送っているのだ。そうに決まっている。
 でなければ、あんなに喜々として他人の肩を揉めるものではない。満面の笑みをたたえてその肩について論評を加えるものではない。控え目な表現ながらもきわめて誇らしげに自らの肩揉みの技量に言及するものではない。
 彼等はなにゆえに、他人の肩の凝り具合について詳細な論評をなすのか。あの肩は凝っていると目を付けた己の慧眼の確認作業なのではないか。それは自己満足ではないか。彼等はなにゆえに、揉まれる者に対して気持ちが良いかと問うのか。気持ちが良いだろう、という反語をなぜ呑み込むのか。そんなに自信があるのか。肩揉み好きはすべからく己の技術に自信を持っているが、あれはいったいなんだ。
 いやまあ、肩を揉まれりゃ気持ちがいいからいいんだけどさ。
 実際、揉まれている間はたいへん心地よい。
 揉み終われば、また元に戻る。肩揉み後に、すっかり肩が軽くなりましたお蔭で助かりましたあなたは命の恩人ですと言って泣くといった展開にはならない。前後に、なんの変化もない。
 はたして我が肩は真に凝りしか、と疑問が浮かぶ瞬間である。
 だが人を疑ってはいけない。親切に肩を揉んでくれた人を疑ってはならない。幾多の肩を揉んできた歴戦の強者が、おしなべて私の肩は著しく凝っていると指摘しているのだ。
 私の肩は凝っているのだ。自分に強くそう言い聞かせるより他に、いったい私になにができるだろう。
 私にできることはただひとつ、EW433を使用することだ。いきなりの飛躍だが、肩が凝っていようといまいと、肩を揉まれている間は気持ちがいいのである。他にも揉まれると気持ちがいい部位は存在するが、ここでは考えない。
 気持ちがいいことは率先して享受したい。私は肩を揉まれたい。とはいえ、何人もの肩揉み好きを知ってはいるものの、いちいち呼び出すわけにもいかない。それに、彼等はひとのために揉んでいるのではない。自分の快楽のためにたまたま他人の肩を揉んでいるにすぎない。
 EW433の登場だ。さあ、働け、EW433よ。揉め、私の肩を揉みほぐすのだ。私の肩凝りが解消するかどうかは気にするな。オレも気にしてないから。その間だけ、気持がよければそれでいいぞ。どのみち、使用の前後に変化はないんだ。効くか効かないかはどうでもいい。使用後に、効いたと思ったオレが存在すればいいんだろ。任せとけって。
「あう」
 スイッチを入れた瞬間の私の第一声は、常に情けない。しかも目盛りは最弱だ。
 EW433の最強に耐えられる人は果たしてこの世に存在するのであろうか。
「あぅ」第二声も、「ぁぅ」第三声も、情けない。
 気持ちがよければそれでいい。
「ぁぅぁぅ」

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135 97.09.15 「記憶の中へ駈け込めるのなら」

 その曖昧な記憶にまつわる事柄の中でただひとつ確かなのは、年齢だ。
 私は八歳だった。
 夏だった。逆算すると、それは、1969年の夏だった。
 思い出すことができる遠い昔の記憶の大半は、夏の中にある。どういうわけか、背景には常に夏がある。ずっと夏だったのだろう。子供の私は、夏しか過ごしていなかったのかもしれない。
 私は、縁日の人混みの中にいた。金魚すくいへの挑戦という身の程をわきまえない暴挙を試みようとしていた。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、そっと肩を叩いて「悪いことは言わないから、やめたほうがいいよ」と、諭してあげたいものである。
 実際には、誰も諭してはくれず、八歳の私は金魚屋さんのおじさんの術中にはまっていくのであった。
「トシの数だけ掬ったら、タダにしてやるよ」おじさんはそう言って、ほくそ笑んだ。「ぼうやは何歳だい?」
「8才だよ」
 私は意気込んで答えた。和紙が張られた針金を手にして、金魚達をじっと見据えた。
 手先が不器用な私に、金魚すくいは無謀であった。私は、運を天に任せて輪投げでもしていればよかったのだ。私の運はたいがい悪いが、運にはまだ望みがある。私の金魚すくいの技量は、これはもう救いようがない。い、いや、これは駄洒落ではない。たまたま韻を踏んだだけです。だけなんですっ。ま、信じてくれなくてもかまわないが。
 八歳の私は、まだ自らの不器用さ加減を悟っていない。いやまあ、実にどうも、ごく最近まで悟っていなかったのだが。
 たちまち五枚の網が破れた。一匹の金魚も獲得していない。私は意地になって、更なる網を買い求めた。
 ここに至っておじさんは、自分がこの稼業に携わって以来もっとも稚拙な客を相手にしているのではないかとの疑惑を抱いたと、のちにしみじみと述懐している、かもしれない。金魚すくいだけはやってはならない運命を背負ってこの世に生を享けた少年が、こともあろうに金魚すくいに手を染めている。その手付きは米を研いでいるとしか思えない。
「なあ、もうやめた方がいいよ」おじさんは職業意識を忘れ、ひとりの人間として発言した。「ぼうやは、金魚すくいに向いてないよ。他にもっと愉しい遊びがあるだろ。型抜きとか射的とか」
 おじさんは一瞬、沈黙した。「い、いや、綿アメ食うとか、くじを引くとか」
「網、ちょうだい」
 私はきっぱりと申し述べて、代金を差し出した。頭に血が昇っている。8ぴきの金魚をすくうんだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、絶壁頭をナデナデしながら「まぁまぁ、おじさんも親切にああ言ってくれてることだしさ」と、諭してあげたい気持でいっぱいである。
 おじさんは仕方なさそうに網を取り出した。かと思うと、自ら模範演技を見せ始めた。ちょうど客足が途切れて、私しかいなかったせいもあるのだろう。商売を度外視した態度となった。
「こうして、水面の近くにいるのを、うしろから、こう、さっと。な、わかるか。すくいあげるんじゃないんだ。お椀の中に押し流すように、こう、さっと、な。ほら、やってみろ」
「うんっ」
 私は、おじさんのやった通りにやった。はずだったが、瞬く間に和紙は破け、出目金が輪になった針金をくぐり抜けていった。
「いや、だから、そうじゃなくてさ。網は水平に動かさなきゃだめだよ。こうだよ、こう」
「うん、わかった」
 しかし下手な奴はいつまでたっても下手なのである。人には向き不向きがある。八歳の私は、今よりずっと諦めが悪かった。こういう体験が積み重なって、なんでもすぐに諦めちゃう今日の私が存在するのだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、小さな身体を抱き締めて「いいよ。もう、いいんだ。おまえはよく頑張ったよ」と、ねぎらってあげたい心境である。
 おじさんもとうとう匙を投げた。あそこまで金魚すくいに向かない人間がいるとは思わなかった、と、懐かしげに当時を振り返るおじさんがこの空の下にいる、かもしれない。
「なあ、ぼうや。もう、やめなよ。悪いが、他にお客さんも来たし。おかねはいらないよ。金魚もあげるよ。8匹だったな」
 自分の足許に破れた網が散乱しているのだから、私もさすがに自分に懐疑を覚え始めている。そこへいきなりの8匹金魚のボーナスだ。
「ほんと?」
「ほんとだよ」
「わあいっ」
 このころから、金品には弱かった。
 ビニール袋をぶら下げて帰宅した私は、顛末を親に報告した。とたんにこっぴどく叱られた。タダで愉しんだ上に金魚までもらったのがいかん、とのお言葉であった。私の背後に、「しょぼん」という文字が浮かんだ。
 記憶の中へ駈け込めるのなら、「まぁまぁ、おとうさんおかあさん、彼も悪気があったわけじゃないですから」と、かばってあげたい気分である。
 私は、縁日に連行された。親が代金を支払うというのだ。なかなか立派な親御さんである。
 縁日は既に終わり、金魚屋さんの姿はどこにもなかった。
 親は「ま、しょうがないか」と、すぐに諦めた。いまひとつ立派にはなりきれない親御さんのようであった。
 結局、あの日の金魚すくいの代金を、未だに支払っていない。もらった金魚は冬を越せなかった。あのおじさんに借りがある。
 今年の夏が、いつのまにか終わった。
 1969年の夏だけが、まだ終わらない。

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136 97.09.16 「うじゃ~」

 敬老の日であった。あまたの経験や知恵やその他様々を有する先達に感謝せねばならない。
 しかるになぜ、私は幼稚園児のお守りをせねばならんのか。
 お守りが必要なコドモは私に他ならないのだが、コドモに子供のお守りをせいというのであろうか。
 これまでずっとそうであったように、災厄は足音もたてずに私の背後に忍び寄っていたというわけである。これまでずっとそうであったように、私はその気配に気づかなかった。我が身を正に襲わんとしている災厄の気配に、きわめて鈍感だ。気づいたときには落とし穴にすっぽりはまって、じたばたともがいている。そんなことでいいのかっ、と叱咤激励されても、私はそんなやつなのだ。しょうがない。
「たまには遊びに来いよ」
 と、誘われたので、私は出掛けて行った。それだけだ。私にはなんの落ち度もない。その友人が急な仕事で突然の出勤を余儀なくされ、その妻が遠縁の不幸によっていきなり実家に帰還せねばならなくなるとは、思いもしなかった。
「悪いけど、頼むよ。夕方には帰るから」
「ごめんなさいね。夕方には戻りますから」
 不意にいなくなってしまったこの夫婦がなした一粒種とともに、私は半日を過ごさねばならなくなった。意表をつく展開である。私は混乱した。こんなときのための取扱説明書の用意はないのか。ないのだ。私はなんの事前情報もなく、初対面の幼稚園児と時を過ごさねばならなくなったのだ。
 仮にこやつをヒデユキとしておくが、いや本当にヒデユキなのだが、これがまたとんでもない輩であった。幼児の多くはとんでもないが。
「うじゃ~」
 それが口癖のようであった。なにを意味する言葉なのかは不明である。
「ヒデユキよ、うじゃ~ってなんだ?」
「それはね~、うじゃ~、だよぉ」
 さっぱり要領を得ない。
 ま、よろしい。私にまとわりついてこなければ、なおよろしい。しかし現実にはヒデユキという人物は、過剰なスキンシップを求めてくるのである。両親に十分な情愛を与えられていないのかもしれぬ。が、それにしては異様に人なつこい。
 ととととと、と突っ走ってきてはやたらとしがみつく。仕方がないので相手になった。抱えあげて振り回すなどといったありがちな対応をしてみると、「うじゃ~うじゃ~」と予想通り大喜びしたので、適当にあしらいつつ彼の肉体を弄んだ。
 狙いはただひとつ。疲れさせて眠らせるというセンである。こちらはあまり身体を動かしてはならない。約一時間が世間の相場だと聞く。一時間あればテキは眠ってしまうからそれまでの辛抱だ、という。
 とんでもなかった。たっぷり二時間だ。私はもうくたくたである。なんだなんだ、話が違うじゃねえか、私に吹き込んだ既婚者諸君よ。
 しかも、眠らないのである。運動のあとには、二時間にわたる「なぜどうして」攻撃というものが待っていたのだ。絵本の類を持ち出され、質問責めにあうこととなった。
「どうして、いぬは6ぽんあしじゃないの?」
 知らんがな。しかし、懇切丁寧に説明してしまう私なのであった。例によって、口から出任せのでたらめだ。
「そこのテーブルだって4本足だろう。それに、あとの2本は俺が食べちゃったんだ」
「うじゃ~」
 ウケたので、嬉しい。って、情けないなオレ。
 ふと気づくと私が一方的に喋っている。乗せられたのか。ヒデユキは「うじゃ~」とはしゃぐだけなのである。いかんのではないか。
「ヒデユキよ。君も何か面白いことを言ってみたまえ」
「え? わかんない」
「クレヨンしんちゃんは面白いことを言うではないか。君も幼稚園児としての生をまっとうするつもりならば、気のきいたセリフのひとつも弄してみたまえ」
「うじゃ~」
 私にしがみついてきた。すべてをうやむやにしようという姑息な手段と言えよう。で、また運動会だ。今度は一時間。なぜ一時間で済んだかといえば、私が気を失うように眠ってしまったからだ。運動会の後半には私はほとんど殺意を覚えていたのだから、危ないところだった。
 眠ったのは束の間らしい。目覚めると、ヒデユキは隣で眠っている。
 あ、なんだこのやろ、無邪気な寝顔でオレに対抗するつもりか。まいったな。この世のすべてのことに身構える必要をこれっぽっちも感じていない無邪気な寝顔だ。く、くそう。それはずるいのではないか。ずるいと思う。私もコドモだが、それだけは真似できない。私は悪夢に苦悶する寝顔しか、世間様にお見せできない。
 私はすべてを諦め、ヒデユキを抱えて運び、居間のソファに寝かせた。家捜ししてタオルケットを見つけ出し、彼に掛けた。
 それにつけても、相手が眠れば自分も眠る奴だったのであろうか。そうだとすれば徒労に他ならぬ。
 疲れ果てた私は、冷蔵庫から勝手にビールを持ち出して呑み始めた。
 ヒデユキの両親が帰還した頃には酔っ払っていた。ヒデユキは既に夢から覚めている。
「あ~。びーるのんだ~。よっぱらってるぅ」
 無邪気に叫ぶんじゃないっての。おめえのせいなんだよ、ヒデユキ。
「あらあら。こんなに飲んじゃったんですか」
 そんなにとげとげしい口調にならなくたっていいだろう、その母よ。
「おまえ、人のうちに来てなにやってんだよ」
 なにっておまえさあ、事情も聞かずにそれはないだろう、その父よ。
 こうして私は、またしても評判を下げていくのであった。
 で、「うじゃ~」って、なに?

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137 97.09.17 「私の巷」

 いま、チマタでは斎藤良太さんの話題でもちきりです。
 斉藤良太さんではありません。斎藤良太さんです。多くの斎藤さんは斉藤と表記されるのを嫌いますから、発言の際には注意しなければなりません。斎の文字を脳裏に思い浮かべながら「斎藤さん、そこの消ゴムとって」と呼びかける細やかな配慮が肝要です。なにしろ斎藤さんは敏感なので、うっかり「斉藤さん」と呼びかけようものなら、「違う。俺は斎藤だっ」と、たちまち機嫌を損ねてしまいます。機嫌を損ねた斎藤さんは、消ゴムなんかとってくれません。ほとんどの斎藤さんは、繊細です。「斉藤がとってやればいいだろ、その消ゴムは。俺は斎藤だから知らないよ」と言って、自分の殻に閉じこもってしまいかねません。そうです、多くの斎藤さんは狷介なのです。
 チマタといっても、私のチマタです。私の巷間です。私のチマタにおいて、斎藤良太さんの話題がもちきりなのでした。話題沸騰です。ダイアナとか佐藤孝行といった名前が登場しない私のチマタでは、斎藤良太さんこそが今いちばんのニンキモノです。
 斎藤良太さんは、毎日新聞社に勤務していると思わます。9月15日付けの社会面における雑記帳というコラムにその署名記事が掲載されているので、たぶん間違いはないでしょう。
 「斎藤良太さんがさあ」ひそひそ「ゑ。あの斎藤良太さんがっ」ひそひそ「そうなんだよ、あの斎藤良太さんなんだよ」ひそひそ。それが私の不毛なチマタです。
 斎藤良太さんが注目したのは、山形県東根市で14日に開催された「第9回おばけかぼちゃコンテスト山形大会」に他なりません。「市内の農業、奥山栄七さん(68)」が栽培したカボチャが優勝したと、斎藤良太さんは喜々として伝えるのでした。喜々としているかどうかは不明ですが、斎藤良太さんのことだから喜々としているに違いありません。「断トツで優勝した」との、およそ新聞記者とは思えない無造作な記述からも、斎藤良太さんの興奮ぶりが窺えます。狷介な斎藤良太さんの思わぬ一面が垣間見えた一瞬と言えましょうか。って、むちゃくちゃなこと書いてますが私。
 斎藤良太さんは、そのカボチャの「種類」にも言及します。「アトランティック・ジャイアント」って、それは品種名とは違うのでしょうか。どういった分類方法に準拠しているのかいまひとつピンとこないところです。あくまで「種類」だと、斎藤良太さんは主張してやみません。斎藤良太さんがひとたび依怙地になったら、頑として自らの主張を曲げません。それが斎藤良太流というものです。なにしろ、あの斎藤一族の末裔です。って、どんどんむちゃくちゃになっていきますが私。
 桜島大根とか深谷葱とか米茄子といったレベルの分類なのでしょうか。まさか学名ではないのでしょうが、気になるところです。それにつけても、アトランティック・ジャイアント。壮大です。「重さ280キロ、周囲2.5メートル」と、一見素気ない筆致に、斎藤良太さんの内心に乱舞する並外れた興奮が潜んでいます。図らずも行間に滲む斎藤良太さんの人生観は、私のチマタを疑惑の渦に叩き込むのでした。
 「斎藤良太さんは小柄なのではないか」ひそひそ「いや、それはあまりに表面的な解釈ではないか」ひそひそ「なんだと、もう一度言ってみろっ」ふつふつ「だから、あんたの解釈は通俗的なんだよ」むかむか「いい度胸じゃねえか、俺のどこが通俗的なんだっ」ぼこぼこ。私のチマタは賑やかです。
 とにもかくにも、アトランティック・ジャイアント。このネイミングには参りました。なにかこう、「負けたよおばけかぼちゃ、あんたはあんたの好きなように生きてくれ」とつぶやいて、夕暮れ迫る街並みを小石を蹴りながらどこまでも歩いていきたい心境に陥るというものです。
 斎藤良太さんは、カボチャにひとかたならぬ思い入れがあるのかもしれません。この点、私とは相容れないところですが、私はあえてそうした私怨に目をつぶって冷静な視点でこのコラムの筆者の執筆姿勢を問うています。あ、今ちょっと嘘が混じりましたが、見逃してください。って、嘘ばかりですが私。
 斎藤良太さんの筆勢は、「力自慢の若者8人が、担ぎ棒を使ってようやくはかり台まで運んだ」に至って、いよいよ佳境に入ります。抑えに抑えてきた屈折が、アトランティック・ジャイアントという恰好の題材を得て一気に放出した感があります。いったいどこから湧いて出たのでしょうか、「力自慢の若者」の方々は。まだ細々と棲息していたのでしょうか、「力自慢」の皆様は。斎藤良太さんの語彙は破天荒で、眩暈がします。「担ぎ棒」や「はかり台」も侮れない語感で読む者に迫っています。隠れた名脇役といった趣でしょうか。
 奥山さんも奥山さんです。ほんとは違うんでしょう。「4年連続7回目の優勝で、巨大カボチャ栽培の名人」の奥山さん、「肥料や日当りに気を付け、夢中になって育てた」なんてそんな言い方はしてないですよね。頼みますよ、「おら、なこと言ってね」って証言してくださいよ。いい気になってる斎藤良太さんの鼻っ柱を折ってやりましょうよ。報道のいったいなんたるかをこき知らしめてやりましょうよ。がつんと。意を伝えようなんて、斎藤良太さんは思い上がってますよね、奥山さん。ねえ、なにか言ってよ奥山栄七さんってば。
 ことほどさように、私のチマタでは斎藤良太さんのジャーナリストとしての姿勢が鋭く問われているのでした。
 妙ですけどね、私のチマタ。
 そうそう、言い忘れてました。齋藤さんや齊藤さんにも、注意しましょうね。

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138 97.09.21 「B定食哀歌」

 余談ですが、おかずとごはんの摂取をいかにしてほぼ同時に完了するかという問題については、北条氏康以来、様々な研究や考察が重ねられてきました。先人の偉大なる業績に対しいささかも異議を唱えるものではありませんが、このたびあえてこの主題に対峙するに至った背景には、ある定食との邂逅があったのです。
 吉野家の納豆定食が私に問題を投げかけています。私も昔日には「吉野家と寝た男」と後ろ指をさされた過去を有する破廉恥漢です。納豆定食のひとつやふたつ、なにほどのことがありましょうか。みっつは食えませんが、ここはひとつ、挑戦を受けて立とうじゃありませんか。
 納豆定食は吉野家のメニュー戦線においてはモーニングとして位置付けられています。モーニング・サービスだろ、略さないでちゃんと言えよ、などと、いつまでも融通のきかない頭を振りかざしてもしょうがないでしょ坂本くん。定食の話をしているときにモーニングという単語が出てくれば、朝食時の時限サービスに決まっています。ちなみに、私の友人であるところの坂本くんは性格わるいです。
 吉野家の場合、納豆定食の他には焼魚定食があります。ここでまず納豆定食を選択するところから私達の苦難は既に始まっているのです。
 吉野家では注文する品について思い悩んではいけません。普通は席につく前に注文します。いくら遅くてもお茶が出る前に注文するのが流儀です。さあ、注文してみましょう。
「納豆定食」
 すると、思いもしなかった展開が待ち受けています。
「B定、一丁っ」
 店員は厨房に向かってそう叫ぶのです。
 厨房の奥から谺が帰ってきます。「へい、B定、一丁~っ」
 最初に耳にしたときには驚きました。どれくらい驚いたかというと、思わず即死してしまったくらいです。あわてて生き返ってメニューを振り仰いでも、「A定食」「B定食」といった区別はありません。あくまで、「焼魚定食」と「納豆定食」です。
 納豆定食を注文しただけで、いきなりBとランク付けされてしまうのです。これまでのささやかな人生の全てを賭けて注文した納豆定食は、実はB定食だったというのです。信じられるでしょうか。たしかに納豆定食のほうが30円安いのですが、とうてい納得できるものではありません。Bです。Bになってしまったのです。上にAがあるんです。私の誇りは、ずたずたです。ま、オレはマイペース型だからBでいいや、生真面目なAなんか御免だぜ、などと変なアナロジーで無理矢理に自分を慰めようとしている場合ではないのです。
 しかしそこは吉野家で、客が納得しようがしまいが瞬く間に目の前に注文の品が並んでしまいます。お茶を飲む暇すら与えてはくれません。吉野家に入ったということはつまり時間的な余裕があまりないということですから、それはそれで結構なことで、B定食が心に与えた傷を忘れてとにもかくにも食べなければなりません。
 納豆、生卵、味付け海苔、おしんこがおかずの黄金カルテットです。ここに味噌汁とごはんが加わって、めでたく納豆定食370円の誕生です。断じて、B定食ではないのです。いいですか。ないのです。
 食べる前に若干の作業が生じます。辛子の封を切る、味付け海苔の封を切る、納豆及び生卵に醤油をかける。こうした一連の儀式の間に、素早く戦略を立てることが肝要です。漠然と納豆を掻き回している場合ではありません。目の前のおかずとごはんの量を適確に見極め、ペース配分を組み立てる貴重な時間です。これから始まる朝食物語に臨んで、綿密な工程表を脳裏に作成しなければなりません。
 この段階における段取りを誤ると、取り返しのつかない事態が待ち受けています。
 ごはんがまだ残っているのにおかずをすべて消費してしまえば、味噌汁を投入して猫と化す屈辱に身を焦がさねばなりません。それだけならまだしも、粗忽を極めて味噌汁も既になくなっているとこれは大変です。本来は牛丼のために用意されている無料の紅生姜に手をつけるしかありません。定食を注文したのに紅生姜。五七五。定食を、注文したのに、紅生姜。人として越えてはならない一線です。他の牛丼愛好客の無言の非難があなたを苛むのです。これはもう、いたたまれません。
 はたまた、ごはんを食べ尽くしたのにいくばくかのおかずが残っているという不祥事も、けして招いてはなりません。おかずはごはんが存在してこそ、まばゆい光彩を放つのです。「おかずは月、ごはんは太陽」という格言もあります。ごはんなくしておかずは存在し得ないのです。ごはんを失った納豆はおかずではありません。納豆です。実にどうも、納豆なのです。納豆だけを啜り込む愚を犯す勇気が、いったいあなたにあるのでしょうか。それは恥しいことです。他の牛丼愛好客の冷ややかな視線があなたを貫くのです。これはもう、身の置き所がありません。
 こうした敗北を喫しているようでは、あなたの将来は知れたものです。人生の敗残者とならないためにも、事前の緻密な戦略立案だけは、ゆめ怠ってはなりません。
 吉野家の納豆定食は、総体的におかずの比重が過剰です。この点を心にしっかりと刻みつけて箸をとりましょう。ごはんのおかわりは可能ですが、やむにやまれぬ事情がない限り外界からの関与は排除したいものです。定食のお盆は、一個の小宇宙です。ただそれだけで完結する定食を尊ぶのが、定食時代を生きる者として必須の心得といえましょう。
 ようやく食べ始めるわけですが、御存じの通り世の中は思い通りにはいかないものです。束の間の朝食でも、それは例外ではありません。不慮の事態が勃発し、あなたの工程表が根底から覆ることもあながちありえないことではありません。そんなときにいかに冷静に状況を把握しいかに素早く戦略を立て直し得るかで、あなたの評価が定まります。世間は見るべきところは見ているものです。あなたの器量が問われています。厨房でガス爆発が起こる、店内に暴走したトラックが突っ込んでくる、といったやむを得ない事態を除いては、自らの裁量で困難な局面を打開しなければなりません。
 たとえば、納豆によるごはんの過剰な消費が最も犯してしまいがちな過失です。これは納豆定食という大舞台を経験した者なら誰しも一度は体験する陥穽で、古来より数多くの犠牲者を出してきました。納豆に心を奪われて、ついつい多くのごはんを食べてしまうのです。納豆定食の名に幻惑されるのではないか、といった学説もあるようです。酷い場合には、すっかり自分を見失って納豆以外のおかずには手をつけなかったという事例も見受けられるようです。同情の余地があるとはいえ、たいへん醜い仕儀といえましょう。
 常にお盆の全体を視野に入れて食事を推進することの重要性を物語る挿話です。
 他にも、おしんこの消費状況、生卵投入の時機、味付け海苔の適確な導入、味噌汁の温度把握など、絶えず目を光らせていなければならない事柄は多く、気の休まる暇はありません。
 こうした一連の作業を終えたときには、あなたは一回り大きくなっているはずです。そっと箸を置く仕草にも、あなたの成長ぶりが窺えるというものです。
 すべては終わりました。
 静かに席を立ちましょう。
「B定食ですね。370円です」
 店員の心ないそんな言葉にも、もはやあなたの心が揺らぐことはないでしょう。今のあなたならば、穏やかな気持で代金を支払うことができるはずです。あなたは納豆定食を制覇したのです。この先どんな辛いことがあっても、この体験を思い起こせば何事も乗り切れることでしょう。
 さあ、今日も一日、元気で働きましょう学びましょう遊びましょう。
 余談ですが、私が食べるはずだったのにいつのまにかあなたが食べていたこの話の展開については、私には何も訊かないでください。特に坂本くん。

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139 97.09.30 「親交の深かった」

 今、「親交の深かった」と、確かに言ったよな、このNHKのアナウンサー。
 びっくりぎょうてん。
 それは、9月30日19時29分の出来事であった。
 私の部屋において外界との窓口としてその存在を誇示するテレビ受像機が、池田満寿夫さんと佐藤陽子さんの関係をそのように告げたのであった。実際に告げたのは、「ニュース7」という報道番組でスポーツを担当するアナウンサーである。池田さんがデザインした長野オリンピックのTシャツがうんぬんかんぬんといった埋め草的なニュースにおいて佐藤さんを紹介するに際し、「池田さんと親交の深かった」などという意表をつく表現が用いられたのであった。
 一瞬、私の脳裏は真っ白になった。
 ゑ?
 はにゃ?
 違うんでないのそれは? 私はとりあえず、甲を画面に向けた右手をひらひらさせながら「おいおい」とツッコんでみた。
 そりゃまあNHK的な見地からすれば、「内縁の妻」と表するには佐藤さんはジリツしすぎておるんだろうけども、だからって言うに事欠いて「親交の深かった」はないんじゃないの、いくらなんでも。
 いつまで籍にこだわるのかなあ。そんなもん、便宜上のことなのになあ。なにかと不便が多いから戸籍を同じくするだけなんじゃないの、ふつう。なにかと便利だから同じ戸籍に登録するのであって、それはひとつがいの男女が夫婦であるかどうかとは別の話ではないの、ふつう。夫婦となることに、まあ婦夫でもかまわんけど、オカミが乱入する必然性はどこにもないもんなあ、ふつう。
 ま、私のふつうは、世間とは違うみたいなんだけど。でへへ。
 池田満寿夫さんと佐藤陽子さんは夫婦だと思うけどなあオレ。籍なんて些末的なことはともかくとして。
 まあ、御二方は、夫婦なんてそんな平べったい関係ではない、とか言うのかもしれないけど。部分的な感性が極端に発達した方々は何を考えてるのかわからんからなあ。
 NHKはこういうとこは無意味に考えすぎてて、やたらとおかしい。一緒にいたいから一緒にいただけの男女の関係を表す言葉を探しあぐねて、思いもよらぬ岸辺に漂着してる。「親交の深かった」かあ。何度も会議を重ねて、こういうケースはこうだ、みたいなマニュアルを作ってあるんだろうなあ。籍を入れていない女性が著名人だった場合の表記法。親交の深かったケースの池田さんと佐藤さん。って、お手打ちの政権交代劇みたいだけど。
 ま、NHKだけじゃないのかもしれないけどね。民放のニュースを観てないので、まだわからんけど。只今、20時31分。
 確かに、御二方の親交は深かっただろうなあ。ニュース原稿を書くひとの想像力を遥かに越えて。
 なんにも、間違ってない。

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140 97.10.01 「仏の顔も」

 無限と思える石段が目の前にあった。
 登らなければならない。
 とりあえず「ひえ~」と悲鳴をあげてみたが、事態はなにも変わらない。諦めて登るしかなかった。
 大分県豊後高田市に対し、私はなにひとつ含むところがない。訪れる仕儀に相成ったのは私の運命であろう。かの地の山奥にひっそりと眠る熊野磨崖仏を見物せねばならなくなったのは、私の宿命に他ならない。
 くまの、まがいぶつ、と読むらしい。岸壁に彫り込まれた石仏である。美術に対する鑑賞眼を欠き信仰心を持ち合わせず歴史への造詣に乏しい私とは無縁の代物であったはずである。けっきょく縁がなかったことは後でわかるのだが、そのときの私はよんどころのない事情で熊野磨崖仏へ向かわなければならなかった。
 果てしない急な石段を登攀せねばならないのが、熊野磨崖仏の地理上の弱点である。観光地としての失点である。史跡としての汚点である。熊野磨崖仏自身にはまた異なる見解もあろうが、登りたくもない石段を登っていかなければならない観光客の私としては、否定的な感想しか申し述べることができない。
 同行者はすべて遥かな年長者である。付き添い的な立場で、私は一行に参加していた。シゴトなので仕方がない。年長者の皆様方は意気軒高である。競うように登っていく。
 一行の長老は「去年、登ったことがあるから」と言って、すいすい登っていく。「俺について来い」と言って、率先して登っていく。
 私としては辛い展開となった。運動不足は近年の親友である。この悪友は私から基礎体力を惜しみなく奪い、その結果、私は石段を見上げて途方に暮れるはめに陥った。乱積みされた石段の彼方は、生い茂る樹々に埋もれている。その先が見えない。私の理性は、引き返すべきだとの見解を既に導き出している。が、理性だけではひとは行動しない。後悔することがわかっていながら、意地というたいへん下らないものに突き動かされてしまうのも、ひとの属性であるかもしれないが、ないかもしれない。
 つまるところ、私は登った。
 すごすごと引き返したりしようものなら、その夜の宴席で恰好の標的になってしまうではないか。
 気が遠くなり、もはや自分は死んでしまったのであろう、と達観した己を発見したとき、私は石段を登り終えていた。へたりこんだ私はずぶ濡れになっていた。どうやら途中から意識を失っていたらしい。時ならぬスコールが降り注いだことに気づかなかったくらいである。
「いい若いもんがそんなに汗かいてどうする」
 長老のおことばである。私は赤面した。
 とはいえ、一行の面々は私と似たような状況に苛まれていた。誰もが、疲労困憊のあまり正常な判断力を欠いていたのであった。
 登り切った場所には小さな社があった。社しかなかった。他には何もなかった。
 他には何もなかった。
 なかったのである。
 観光バスに戻った一行は、疲れ切った我が身を座席に投げ出した。長老に至っては、後部座席に横たわってすかさず高いびきをたてている。
 バスガイドの声が響き渡った。「みなさん、熊野磨崖仏はいかがでしたか?」
 一瞬の沈黙があった。次の瞬間、バスの中はざわめきに満ちた。
「見たか、おまえ」
「見てねえな、そういえば」
「どこにあったんだ」
「誰か見た奴はいるのか?」
「長老はどうした?」
「そうだ、長老は去年ここに来て見ているはずだ」
 長老「ZZZZZZZ」
「だめだ、熟睡してるぞ」
 誰も、熊野磨崖仏を見てはいないのであった。いったいなんのためにあの急な石段を登ったのであろうか。
 いささかの議論が勃発した。その結果、石段を登り切るすこし手前に左手へ分岐があり、そのすぐ先に熊野磨崖仏が存在していたことがわかった。
 みんな、長老のあとをついていっただけである。疑惑の視線が後部座席の長老に注がれた。
 議論を夢うつつに耳にしていたのか、そのうちに長老が起き出してきた。「そうそう。そこにあるんだよ。忘れてたよ俺」
 一行は、コケた。いったい、忘れるものなのであろうか。
 バスガイドが嘆息するのであった。「私も長い間この仕事をしていますが、こんな人達は初めてですねえ」
 ふむ。初めてならば、来た甲斐があったというものではないか。
 ……ないな。ないったら、ないっ。
 翌日、脚を引きずりながら私は長老に呪いの視線を放射してみたが、長老は全くこちらの意を汲み取ってはくれないのであった。
「いい若いもんがあれしきのことでへこたれてどうする」
 どうするったってさ。

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