『雑文館』:96.11.25から97.05.11までの20本
081 96.11.25 「ガラパンの怪人」
バルゴンとは、怪獣である。ガメラと戦い、昭和怪獣列伝にその勇壮な名をとどめた。傑物といえよう。私はたいへん好きだった。その証拠にプラモデルを買った。小学校のバス旅行で大洗海岸に赴いた折の不可思議な行動である。
なんのつもりであったのだろう、小学生の私よ。近所のおもちゃ屋でも買えるではないか。母親はバルゴンのプラモデルの箱を眺め、呆れ、嘆き、やがて馬鹿息子を諭した。旅行に出かけたときは、その土地でなければ手に入らないものを買うものだ、と。彼女は自らの教育方針に懐疑を抱いたようであった。
だが、彼女の教育方針にさしたる問題はなかった。ただ単に、馬鹿息子は本当に馬鹿だったに過ぎなかったのである。家族で箱根に出かけた折に、彼女はそれを悟った。馬鹿息子は土産物屋に置かれた品々にはなんの興味も示さず、隣のスポーツ用品店のショウウィンドウに飾られた高田繁のサインボールを食い入るように見つめるのであった。彼女は、馬鹿息子をその場から引き剥がすために、店主に無理を言い、売り物ではなかったそのサインボールを買い与えることを余儀なくされた。
馬鹿息子が中学校の修学旅行の際に京都で6石トランジスタラジオのキットを購入してきた時点で、母親はようやく諦念を抱いたようであった。高校の修学旅行から帰ってくるなり長崎で購入したボストンのLPに陶然として針を落とす息子を眺めるに至り、彼女はついに認めたくはない現実を受け容れた。
彼女の息子は、旅行に出かけると逆上して、どこでも入手できるものを購入する性癖があるのであった。
どうして、そのような展開になるのであろう。私には、わからない。
いま振り向けば、壁にぶらさがったハンガーにACミランのユニフォームがかかっているのが見える。もちろんレプリカである。高価であった。背番号9、リベリアの怪人ジョージ・ウェアのモデルである。
時ならぬスコールに見舞われて雨宿りをした店先のショウウィンドウに、その赤と黒の太い縦縞のユニフォームは掲げられていた。
スコールがやんだときには、私はその店の紙袋を手にして、サイパンはガラパンの街の目抜き通りを歩いていた。
その間の記憶がない。
いったい、私の身になにが起こったのであろう。
サイパンである。マリアナ諸島にあるサイパンである。アメリカ合衆国に信託統治されている、あのサイパンである。
同行した連中にさんざん笑われた。なにもサイパンくんだりに来てまで買うものではなかろう。日本でも買えるではないか。どうかしているのではないか。何を考えているのか、と。
笑われても返す言葉がない。何を考えて購入したのか、私にもさっぱりわからないのだから。
その翌日、ガラパンの街に、ACミランのユニフォームを着た怪人が出現したという。海辺のリゾートに降り注ぐ眩しい陽射しの下で、異様な違和感を放っていたと伝えられる。
彼は依然として、過去の体験から何も学んでいないようであった。
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082 96.12.08 「ニッポンの素敵なおばちゃん」
サイパンはガラパンの街にあるホテルの12階のバーに、私はいた。
窓際の席で真っ逆さまに水没していく夕陽を眺めがなら、来し方行く末に思いを馳せていたところ、やはりどう考えてみても私の人生は薄っぺらいをことを再確認するに至った。だはははは、と笑ってみたが、虚しい。こんなテイタラクではいかんのではないかと考え、もっと飲めばよい思案も浮かぶだろうと決めつけた。
三杯目のブラディメアリを頼むために、私は片手を挙げた。
ところが、やって来たのは、例の異様に若い新婚カップルであった。二人とも、まだハタチ前に見える。
「あ、こんちは、どーもどーも」
「さっきはありがとーございましたー」
軽佻浮薄な口調なのであった。
「ここ、お邪魔していいっすかー」
二人は馴れ馴れしい態度で、私の席に腰を落ち着けた。友達のような振る舞いだ。そうなのかもしれない。きっと、二人と私は友達なのだ。そうでなければ、そのやけに打ち解けた態度の説明がつかない。
しかしよく考えてみると、つい先ほどビーチで初めて会って、二こと三こと言葉を交わしたに過ぎない。してみると、この二人は、ちと失礼なのではないか。
唐突に生じた事態の急変に私の思考がこんがらがっていると、二人は申し出た。
「さっきのお礼に、ここはオレ達が奢りますからー」
奢ってくださるのかっ。
私の態度は豹変した。
「いや~、悪いね~。いいの? いや~、ありがとありがと」
軽佻浮薄部門においては、私にもいささかの自負がある。
「で、さっきの一件はいったいなんだったの?」
私は訊いた。ビーチにおける彼等との邂逅の実情が未だに呑み込めない。
「まーまー、その前に、なにか頼みましょーよー」
二人は店のひとを呼び寄せ、意外に流暢な英語でオーダーした。むむむ。大和民族の人相風体のくせに、なかなかどうして侮れぬ若者達だ。私はといえば、自信をもって口にできる英語はひとつしか知らない。
店のひとは「で、あんたは?」という表情で私を見た。私は胸を張って「ブラディメアリ」と英語で答えた。これだけは特訓の結果、ちゃんと発音できるのだ。しかし、なにもこれしきのことで胸を張るこたねえな。
運ばれてきたカクテルを飲みながら、二人の話を聞いた。
それは若さゆえの過ち、といえなくはない顛末であった。浮かれ気分で海外に踊り出たニッポンのおばちゃんの怖さを、二人は知らなかったのだ。
「そりゃ、君達の失敗だね~」
私としては、そう慨嘆せざるをえない。
サイパンに向かう日航機の機内で、そもそもそのおばちゃんグループと交流してしまったのが彼等の過ちであった。
「新婚旅行かってきかれて、そーです、って答えただけなんっすよー」
「ねー」
二人は口を尖らせるのであった。甘い。甘すぎる。返答しちゃいかんのだ。
サイパンのような観光地に物見遊山で海外旅行に出かけたときに気をつければいけないのは、パスポートでもビザでもない。その土地の言語を話せるかどうかなど、どうでもいい。旅慣れていようがいまいが、かまわない。唯一重要なことは、ニッポンのおばちゃんの団体を徹底的に避けることなのだ。それさえできれば、快適な旅を満喫することができる。彼女達は、ひとが自然に有している美徳を放棄しなければ飛行機に搭乗できなかった方々なのだ。
二人が語るところによると、まず到着した日の晩餐の席において、おばちゃん達はコンタクトしてきた模様だ。同じ便に乗り、同じホテルに宿泊する。ありがちな話だ。その晩の同時刻に隣のテーブルで巡り会ったとしても、さして驚くにはあたらない。
おばちゃん達はまず、初夜という言葉を持ち出して二人をからかうという古典的手法を採用した。げらげらと馬鹿笑いするオマケ付きだ。二人は鼻白んだらしい。
「ショヤなんて死語っすよねー」
「何回やってもお互いに飽きないのがわかったから結婚したのにねー」
二人は言い募るのであった。
「まあまあ。おばちゃん達はまだ初夜が特別なもんだと思い込んでるんだからさ」
私は二人をなだめた。
次のおばちゃん達の手口は、自分達が手をつけなかった料理を二人にふるまうというものであった。彼女達は海外にいるという非日常によって浮かれ果てた結果、もはや親切とおせっかいを区別する能力を喪失している。
「若い人が遠慮しちゃダメよ、って、言うんっすよー」
「自分達が遠慮しないもんだからって。ねー」
二人の物言いに、私は爆笑した。
自分達が料理以外のものを押しつけているなどとは、おばちゃん達には思いも寄らないのであろう。
「で、その料理、もらったの?」
私は訊いた。
「だって、しょうがないじゃないっすかー」
あららら。もらっちゃったのか。
「そりゃ~、まずかったね」
私は嘆息した。
「そうなんすよ。まずかったっす」
おばちゃん達は、二人に親近感を抱いたもののようであった。これは始末におえない。私の想像力が及ぶ限り、およそこの世にこれほどの迷惑はない。
その翌日、オプショナルツアーの島内観光で、またまた二人はおばちゃん達に遭遇した。そんなものだ。
二人は、夕べはどうだったかと囃したてるおばちゃん達に辟易して、具合が悪くなったといって島内観光を中座し、タクシーでホテルに帰ってきたという。
「もー、まいっちゃったっすよー」
同情を禁じ得ない。私はもらい泣きし、ついでにブラディメアリのおかわりを頼んだ。なあに、オレの財布が痛むわけじゃない。
ホテルに戻った二人はビーチで存分に戯れた。サイパンに訪れて初めて二人だけの時を過ごしたのだ。とても楽しかった、と二人は述懐するのであった。うんうん、よかったよかった。よかったね。
しかし、楽しい時間はやがて必ず終わるというのがこの世のコトワリだ。ホテルのプライベートビーチを選んだ二人もよくない。島内観光から帰ってきたおばちゃん達はビーチを散策するという挙に打って出たのであった。二人の方が、先におばちゃん達を発見した。二人は慌てふためいて遮蔽物を探した。
たまたまそこにいたのは自堕落を精密に絵に描いたような男であった。私だ。
私は、ビーチベッドをリクライニングさせて、のんべんだらりんとサイパンの午後の潮風と陽光を満喫していたのであった。
「すいません、かくまってくださいっ」
とつぜん出現したカップルに、私は狼狽した。ビーチベッドの陰に隠れるような態勢で、二人は囁くのであった。
私は混乱し、なにがなんだかわからず、日光浴の態勢を崩さなかった。実際のところ、どうしていいかわからなかったのだが。
私の目の前を、ニッポンの素敵なおばちゃん達が、わいわいがやがやぺちゃくちゃしながら通り過ぎていった。やれやれ、変なものを目にしてしまった。
「行ったみたい」
「もう大丈夫かな」
カップルは、もぞもぞと立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。
「ありがとーございましたっ」
「あ。あ~、どうも」
なんとも間の抜けた返答をする私なのであった。
「なるほどね~。そういうわけだったのか」
二人が語る経緯を訊いて、ようやくビーチでの一件が理解できた。ふむふむ。これは当然、奢られてしかるべきだ。私は、胸を張ってブラディメアリを追加した。張るなっていうのにっ。
突然、二人の目が点になった。
「あ。また出たっ」
二人の視線は私の頭上を通過している。二人は凝固した。
私は背後を振り返った。私の目も点になった。あのおばちゃん達がバーに入ってきたのであった。バーまで来るか、バーまで。ここは、良識をわきまえた人間しか入ってきちゃいけないんだぞ。
おばちゃん達は、目敏く二人を発見した。
「あぁら、また会ったわねぇ」
「どうしたのよ、もう具合はよくなったのぉ」
「心配したわよぅ」
「こちらは、どなた」
その後、いろいろなことがあった。私も巻き込まれた。
それはもう、タイヘンだった。
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083 96.12.09 「クリスマスといえば」
日曜日に勘太郎が遊びに来た。私の甥で小学5年生だ。
時々、さしたる用もなくやって来る。ゲイムをしたり漫画をみたりして、好き勝手に過ごして帰っていく。腹が減ったからなにか食わせてくれと所望することもある。
最初は大人しく漫画をめくっていた。だが、どうも妙だ。いつもと違う。ペイジをめくるのを忘れて、ちらちらと私の様子をうかがう。なにか言いたいことがあるらしい。
面白いのでほおっておくことにした。私は読みかけの池波正太郎を手にした。
勘太郎は、時折、顔をあげて口を開こうとするが、そのまま押し黙ってしまう。私は文庫本から目を離さないのだが、勘太郎は正直な奴なので、気配ですべてばれてしまうのだ。正直な上に、気が小さい。
何度も言いあぐねては、決心が鈍ってそのまま黙り込んでしまう。うひひひ、小心者め。
やがて、ついに意を決したらしく、うわずった口調で申し述べた。
「ねえ。12月25日って、なんの日だか知ってる?」
見ると、上気している。息が荒い。
私は心中で爆笑した。なるほど。クリスマスプレゼントの無心か。
「25日? さあ? 誰かの誕生日か」
私は、素気なく言い捨てた。
「え~~~~っ。知らないの~~~~っ」
勘太郎は鬼の首を取ったようなはしゃぎようだ。もっとも、私はまだ鬼の首を取った人物を目撃したことはないが。
「クリスマスだよう。クリスマスっ」
ようやく思惑の話題に到達して安心したのか、勘太郎は無邪気に喜んでいる。底が浅い奴だな。
「そうか、クリスマスか。そういえばそうだな」
「ね。そうでしょそうでしょ」
「それが、どうかしたか」
私がにべもなく言うと、勘太郎はとたんに言葉を失った。
考え込んでしまった。こやつはまだ私の性格を把握していないのか。
しばし思い悩んでいた勘太郎の顔が、やがてぱっと輝いた。やれやれ。またどうしようもないことを言いだすらしい。私は待ち受けた。
「クリスマスといえば~」
勘太郎は甲高い声を放った。
「うんうん。クリスマスといえば」
円楽師匠になって、先を促す私。
勘太郎は、大きく息を吸って、一気に言った。
「クリスマスプレゼントだよねっ」
どてっ。私は、コケた。
まいった。いや、それは予想もしない展開であった。その手口は読めなかった。いやはや、まいった。正攻法とでもいうのだろうか。その手法は新鮮であった。私は、降参した。
「わかったわかった。わかったよ、もう。で、勘太郎は何が欲しいんだ?」
「プレステっ」
勘太郎は、満面に笑みをたたえて宣言するのであった。もはや買ってもらえる気分になっているらしい。
甘いな。甘いな、勘太郎よ。世の中はキビシイのだ。
私は瞬時に戦略を組み立てた。プレイステーションということであれば、私もいささかの考えがなくはない。
「お母ちゃんはなんと言ってるんだ。俺にせがむ前に、お母ちゃんに頼んだんだろ」
「う。う~ん」
勘太郎は言い淀んだ。予想通りだ。
「だめだって、言うんだ。ゲームはだめなんだって」
ほんとに正直な奴だ。すこしくらい嘘をつけばいいのに。
「ふむ。じゃあ、俺も買ってやるわけにはいかんなあ。おまえのお母ちゃんに怒られちゃうからな」
「そうかあ」
落胆が、勘太郎を押しつぶした。
「しかし、こういう手もある」
私は、間をおいて、おごそかに述べた。
「え。どういう手?」
歓喜が、勘太郎を貫いた。落胆したり歓喜したり、どうも忙しい奴だ。
「俺がプレイステーションを買おう。俺のものだ。この部屋に置く。勘太郎は、好きなときにやりにくればいい」
「え。え。それじゃ、ええと、ええと」
勘太郎は混乱した。
「ソフトは勘太郎が買えばいい。お年玉で買うといいだろうな。とはいっても、ソフトだけを持っていてもしょうがないので、ここに置いておくといい。どうせここでしか使わないんだからな」
「ず、ずるいようっ」
やっとカラクリがわかったらしい。勘太郎は口を尖らせた。
「ふむ。ずるいか。じゃあ、仕方がない。買うのはやめよう」
「え。え。え。だめだよう。買わなきゃだめだよう」
「なんだよ、俺はどうすりゃいいんだ」
勘太郎は考え込んみ、やがてふてくされたように言った。
「買うと、いいと思う」
うひひひひ。また騙しちゃった。オレって、ひどい。
しかし、敵もさるものであった。
「でも、飽きたら、僕にちょうだいね。いらなくなったものを貰うんだったら、お母ちゃんも怒らないと思うから」
どきっ。
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084 96.12.17 「すばらしいっ、ISDN。」
田口っ。「いすどん」じゃないんだっ。「あいえすでぃえぬ」だと言うておろうがっ。現代用語の基礎知識とかイミダスとか買って、少しは勉強したまえよ、もう。
あ、失礼しました。つい興奮して、読者でもない友人に呼びかけてしまいました。
世間では、けっこう知られていないみたいだぞ、ISDNさんよ。やっぱり、西城秀樹に歌ってもらわなきゃいかんのではないですか。Iはいいとして、S以降は蛸踊りになりそうだけど。でも、西友という壁を乗り越えたヒデキなら、きっとやってくれるはずですっ。任せましたっ。
私はといえばヒデキのように開き直ることができず、思考と行動のギャップに思い悩んでおる次第です。もんもん。
たとえば、すき焼きの食材を買いに行ったはずなのに、大根が安かったので予定が変更されておでんの食材を買い込んでくるとか。でんでん。たとえば、靴下を買いに行ったはずなのに、5枚1組1000円につられてパンツを買って帰ってくるとか。ぱんぱん。たとえば、別れた妻と縒りを戻そうと話し合いに出かけたところ、口論になり刺し殺しちゃうとか。ぐさぐさ。
勢い込んで出立したときの思惑が、意表をつく事態の急変に遭遇してどこかへ吹っ飛んでしまい、思いも寄らなかった結末を迎えちゃう。皆さんは、そういうこと、ないですか。私はあります。よくあります。ええ。ありますとも。
昨日もありました。
NTTという巨大企業にはいささか不信感はありますが、まあそれはそれとして、テレホーダイの番号を変更してもらいに出かけたわけです。隣接区域の電話番号をふたつ登録してるんですが、このたび私が加入しているプロバイダがようやく市内にアクセスポイントを設置してくれたもんですから、ふたつのうちのひとつをその市内の電話番号に変更してもらおうと思いまして。隣接用の3600円コースでかまわんから、ひとつだけでも市内の電話番号にしておこうかなっ、てのが私の思惑でした。
自慢するわけではありませんが、私は浅墓です。浅墓なんだってばっ。
あ~、そういうのダメなんだってね。ぜんぶ市内の番号で1800円コースにするか、ぜんぶ市外の番号で3600円コースにするか、どっちかしかできないんだって。
し、知らなかった。よよよ。
NTTの窓口で泣き崩れていてもしょうがないので、私は決断をしようと瞑目しました。今まで通り市外の電話番号ふたつで3600円コースにするか、市内の1800円コースにしてひとつだけの電話番号を登録するか。他にもうひとつ登録したい電話番号があれば後者にするんだけど、午後11時以降にかけるとこなんて思いつかない。ここは市内にニフティのアクセスポイントがないというネットワーク後進地域なのですね。市内にアクセスポイントがあるプロバイダも、3つしかなかったりします。首都圏なんだけどな、一応。
やがて、私は決断し、NTTをあとにしました。
なぜ、そういう展開になってしまうのでしょう。私にはさっぱりわかりません。
ぜんぜん、論理的必然性のない結末です。まったくもってスジが通らない結論です。自分でも、説明できません。
私はまた、買物という精神的疲労を蓄積させる行為においてまたしても逆上し、とんでもない事態を招いてしまいました。
私は、ISDNの申し込みをしてしまいました。
どうしてそうなるか、私よ。
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085 96.12.29 「流行っているのかな」
私というものは、そんなに疲れていたのでしょうか。9連休初日の昨日は一日中眠ってました。20時間くらい眠ったのかなあ。起きていた時間は布団から出ないで柴田錬三郎を読んでいたりして、まったくもって病人です。
もっとも実際に風邪をひきかけたような気がしたので、そうした怠惰な所業に及んだわけではありますが。喉が痛くてたまらなかったのよ、もう。
たとえばこの時期、「風邪ひいちゃって」などと苦しそうに申し述べますと、「流行ってますからねえ」などと表面的な同情をされちゃう。ありゃ、なんでしょうか。
去年も聞かなかったでしょうか、そのセリフ。
おととしも、その前の年も。冬ならば、必ず。
流行ってる、の根拠はなんでしょう。
周囲の人々が何人か鼻をぐずつかせていたり咳込んでいたりしているだけで、流行っていると発言してはいないでしょうか。ひどいときには、誰かが流行っていると言っていたのを聞いただけで、自分もそう思い込んでしまう。本当に流行っているのかデータを蒐集し分析し判断したりはしません。無批判に、流行っているよと人にも言っちゃう。もう、無責任。私は、そうしてます。なんつうかこの、便利なのよね、「流行ってますからねえ」は。
「寒いですね」とほとんど同義。ただの挨拶。
やっぱり具体的な拠り所がないと、みだりに言っちゃあいかんのではないでしょうか。流行っているなどとは。
なんの気なしに話しかけたところ、それが妙にひねこびた人だったりすると困っちゃう。「流行っているとはどういうことか。あなたはなにを論拠にしてそのような不正確なことをいうのか。何パーセントの人が罹患しているのか、ただちにそのデータを示して頂きたい」
そんなこと言われたって、示すことができるわけもなく、困惑した間抜け面であはははと虚しく笑うしかありません。なにもそんなに攻撃的にならなくても、ねえ。
小学校の学級閉鎖百万校に達したとかワクチンの生産が追いつかず担当者が飛び降り自殺したとかのニュースを耳にしていれば別ですが、ニュースキャスターは番組の最後で「風邪が流行っています、気をつけてください」って言うだけだし。あれ、なにか根拠があって言ってるのかな。あれもただ便利だから言ってるだけなんだろうな。冬来りなば風邪が流行ってると言っておけばいいってことで。
確かに、秋と比べたら流行っているには違いないわけだし。
今年の場合は、実際のところどうなんだろう。例年と比べて流行ってるのかな。厚生省も風邪の集計どころじゃないんだろうし、よくわかりません。
で、私の風邪はというと、どうも喉の痛みは、その前夜のカラオケのせいという気もしてきました。「大迷惑」をがなちゃったからなあ。きっとそうだ。カラオケのしすぎです。
ふうむ。カラオケのしすぎで寝込んじゃったのか、私は。
こうして今年も勘違いしたまま終わっていくのか。やだなあ。
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086 96.12.30 「竹田さんの秘密」
忘年会の三次会あたりで「これが私の生きる道」を熱唱したところ、すかさず竹田弘子さんの御指導があった。
「もっと投げやりに歌わなきゃだめよ。振りはもっとぐにゃぐにゃにね」
「こ、こうかな。ち~か~ごろ、わ」
「だめだめ。あんたはそのへんのセンスがないのよ」
「ぐすん」
「いい? こうやるのよ」
竹田さんは、すくっと立ち上がった。模範演技を見せてくれるらしい。そろそろ四十というのにこの元気の良さはなんだろう。
竹田さんは歌いだした。私は愕然とした。あのう、それは歌を歌っているのでしょうか。ただ酔っぱらいがくだを巻いているだけでは。子供がこの乱れた母の姿を見たらなんと思うでしょう。
正直に感想を申し述べると、ひっぱたかれた。
「いててて」
竹田さんは、がはははと笑う。「ま、世の中、こんなもんよ」
どんなもんなのであろう。
「仏の顔も三度笠」竹田さんはきっぱりと言った。
なんだろう。なんだかよくわからないが、まともに取り合っていると馬鹿を見るので、追及しない。私にも教訓を学ぶ能力はある。
そのとき、私は床に落ちていたパスケースを発見した。拾い上げて開くと、運転免許証だった。竹田さんが妙に澄ました顔で写っている。
先ほどの模範演技の際に落下したものだろう。
「竹田さん、これ落としたよ」
返そうとした私は、凝固した。あれ。あれれれ。
「安宅弘子、って、誰?」
免許証の氏名欄にはそう記されていた。どうなってるの?
「あら。バレちゃった?」竹田さんは小声で言う。「本名よ、本名。これが私の戸籍上の本名なのよ」
私はまだ事態が呑み込めない。
「竹田弘子っていうのは、私の本当の名前なのよ」
私の疑問は更に深まった。本名と本当の名前が違うというのはどういうことなのだろう。
「ちょっと、出るわよ、ここ」
私は連れ出された。
こぢんまりとした静かなバーに連れ込まれた。
「誰にも言わないでよ」
竹田さんは、私が初めて目にするはにかんだ微笑を見せた。
すべてを聴き、私は感動して困ってしまった。
竹田弘子は、独身時には飯富弘子といった。安宅義幸と結婚し、戸籍上は安宅弘子となった。二人とも「おぶ」「あたか」という読みにくい苗字に飽き飽きしていた。そこで、戸籍や住民票は別として両者共に竹田を名乗ることにした。夫婦新姓というようなものであろうか。読みやすい名前ならばなんでもよかったので、仲人の姓をもらったという。
安宅義幸の戸籍上の本名にはなにも変化はなかったが、婿に入ったと偽り、戸籍は戸籍として、今後は妻の実家の姓である竹田と呼ばれたいと周囲に申し渡した。
飯富弘子は婚姻を機に転職し、戸籍上の本名安宅弘子にて就職したが、その際、自分は夫婦別姓の信奉者であると世間をたばかり、婚姻前の姓である竹田と呼ばれたいと周囲に申し渡した。
実にどうも、夫婦揃って世間を欺いたという、あっぱれというしかない壮挙だ。
竹田夫妻の夫婦別姓論に対する見解は、実に冷淡だ。記号として役割を果たしてはいないではないか、という。氏名の第一義は記号だ、分類区別のために存在するのだ、というのが、氏名に対する竹田夫妻の認識だ。夫婦の姓は同一であらねばならい、という。親子の姓が同一である必要はまったくない、という。子供たちは親の庇護を離れた瞬間に新たな姓を名乗ればよい、という。タテを断ち切りヨコを重視するのが竹田夫妻の姓史観だ。
婚姻をなしたならば、新たな姓が誕生しなければならない。片方だけが変わるのは納得できない。姓が変わる痛みは双方が享受しなければならない。それが、竹田夫妻の婚姻観なのであった。
私は呆然として、竹田さんの話を聴いていた。そんなことは考えたことがなかった。保守的な倫理に捕らわれた質問をしたほうがいいのかな、と思って、二、三、尋ねてみた。
戸籍上の名前はどうなるのだろうか。なぜ安宅で統一しているのか。
「あのね、戸籍とか住民票なんてのはね、オカミが管理するためにつくってるだけなのよ。あっちの利便のためにあるの。でも、こっちにも利便はあるから、利用できるとこは利用しなくちゃ。税金とか、ぜんぜん違うんだから」
墓はどうなるのだろう。夫婦別姓論者が持ち出す金科玉条だが。
「墓なんて残さないわよお。ばかばかしい。死んだら、なにもなくなるのよ。私のことを好きだったひとの記憶にちょっと残るだろうけど、それだけよ」
織田信長であろうか。とにかく、私は竹田さんが死んでその墓がなかったとしても、頻繁に懐かしく思いだすだろう。それは間違いない。
で、どこまでその主張にこだわるのだろう。
「こだわるわけ、ないじゃない。たかが記号のことで」
はあ。
「私の名前が、安宅弘子だったら、あんた対応が変わるの?」
ふうむ。変わらんな。
「でしょう?」
なるほど。
「どうでもいいのよ、名前なんて。記号なんだから」
竹田弘子は断言した。
私達は乾杯した。
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087 96.12.31 「たき火だたき火だ」
道路工事で掘削された穴を覗きこんじゃうひとっているでしょう。わざわざ立ち止まって、身を乗り出して地層の断面なんかをしげしげと眺めちゃう。こんなふうになってるんだあ、なんて感心しちゃったりして。
自分の生活にはほとんど関わりのないどうでもいいことに、妙に惹かれちゃうタイプね。本筋には影響のない些末事になぜか興味が向いちゃって、かけなければならない電話とか待ち合わせの時間とかこなさなければならない用事とかがどうでもよくなっちゃう。
私、どうもそういう性癖があるんですね。
そういうやくたいのない人物なもんで、通りすがりの庭先のたき火を垣根越しに眺めている自分をふと発見したところで、自分の行動にはなんの疑問も抱きません。あ~、たき火だたき火だ、いいな~、たき火。なんて思いながら、半ば放心してぼーっと見てる。
「入ってこーよ。んなとこ突っ立ってねーで」
たき火をしていたおじさんが何か言ってますが、自分にかけられた言葉だとは思いもよらず、ただ立ち昇る煙を眺めてる。
「いーがら。入ってこーよ」
ようやく自分が招かれていることがわかり、私はきょとんとしたですよ。
べつにそのたき火にあたりたいとか焼き芋を食いたいとか、そんな要望を抱いておったわけではないんです。たき火を見かけたので、ただ眺めてただけ。
でもまあ、せっかくの御招待なので、垣根を回り込んで庭の中に入っていきましたよ。外から見るよりも意外に奥行きのある広い庭で、農家ですねこの構えは。おじさんは、落ち葉だけでたき火をやってました。
「正統派ですねえ」
私は、思わず言ってました。
「なんでよ?」
「いやあ、落ち葉だけでやってるから。贅沢ですよねえ」
おじさんは、不得要領な顔。ううむ。単なる庭の掃除の総仕上げなのかな。どうも、好きでやってるんじゃないみたい。
「たき火、好ぎか?」
おじさんは、いきなり訊いた。変なことを訊くおじさんだなあ。
「好きです好きです」
好きに決まってるじゃないですかあ。嫌いなひと、いるのかな。
「好ぎか。こんなもんが」
おじさん、驚いてる。思いもしなかった意見みたい。
「そーか。好ぎか。そーか。たき火がね。好ぎか。」
考え込んじゃった。好き嫌いという観点でたき火を考えたことがなかったようです、どうも。
「だって、たき火っていいじゃないですか。なんかこう、ほのぼのして」
私というものは、もっと説得力のあることを言えないもんでしょうか。
「わがった。これがらは好ぎになるように努力してみっぺ」
ん。おじさん、なんだかそれって、飛躍しすぎてはいませんか。ま、いいんだけど。
それからしばらく、私とおじさんはどうでもいいような話をぽつりぽつりとしながら、たき火を堪能しました。
そういうわけで、約束をひとつすっぽかしちゃったんだけど、まあ、しょうがないよね。
「よぐわがんねーが、たき火も悪ぐはねーな」
おじさんも、そう言ってくれたことだし。
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088 97.01.04 「勘太郎の正月」
新年早々、勘太郎が遊びに来た。私の甥で小学5年生だ。
目的は、問題のブツの存在確認と思われる。お年玉といったものも所望するところであろう。
「おせち料理は飽きただろう」
私は、スナック菓子で歓待した。安く済ませようという魂胆だ。
「いくらでも食っていいぞ。正月だからな」
「うん」
勘太郎は、とんがりコーンを頬張りながら、挙動不審な態度を見せた。ちらちらと、整理整頓が行き届かない私の部屋の中を見回している。私は素知らぬ振りで、コーラなどを勧めた。
「ほら。これも飲めよ」
「うん」
勘太郎は生返事。さりげない風を装ったつもりらしい視線が部屋中を這い回る。うひひひ、探してる探してる。
教えてあげないんだよ~ん。
「どうだ、二学期の成績はよかったか?」
「うん」きょろきょろ。
「国語の成績は上がったか?」
「うん」きょろきょろ。
見当違いの私の問いかけがうざったいらしく、なにも考えずに返事をする。面白い。
そのうちに苛立ってきたようで、とうとう私に問いかけをなした。
「ねえ。プレステは?」
ほう。ついに言葉にしたか。最初からそう訊けばいいのに。新しい年を迎えたというのに、相も変わらず気が小さい奴だな。
「いい天気だな」
私は、窓の外に視線を投げ、降り注ぐ冬の陽射しを愛でた。穏やかな正月だ。のそのそと歩いていた猫が立ち止まって大欠伸をした。なべて世は事もなし。
「プレステだよお」
勘太郎は言い募る。だだをこねるな、だだを。
「買ってないの? 買うってゆったじゃないかあ」
勘太郎はふくれるのであった。よしよし。そろそろ披露してあげよう。
「おお。プレステな、プレステ。しばし待て」
私は立ち上がり、隣室からプレスの入った箱を持ってきた。プレイステーション、ソニーがその社運を賭けたゲイム機である。その賭けには勝ったらしい。
クリスマスプレゼントである。私が私のために買ったものだが、勘太郎はその優先的使用権を獲得している。私はすぐに飽きるであろうことが既に暴露されており、その場合は勘太郎に譲渡されることになっている。
私は、勘太郎の前に箱を置いた。
「わあいっ」
とたんに、勘太郎は有頂天となった。
「プレステだあっ」
あははは。他愛ない奴。
「開けていい?」
勘太郎は、わくわくを全身から放射しつつ包装紙を破り始めた。
ふと、その手が止まった。
「どうして開けてなかったの? 買ったんならやればいいのに」
勘太郎は、思案顔を私に向けた。
「いやあ、いちばん最初に勘太郎にやってもらいたいと思って、我慢してたんだよ」
私はぬけぬけと申し述べた。すかさず勘太郎の目に猜疑が満ちた。
「うそっ」
お。見破ったな。えらいぞ勘太郎。
「あ。わかったぞ。ソフト買ってないんだ。そうでしょそうでしょ」
「わはははは」
「あ~っ。やっぱりソフトをひとつも買ってないんだっ」
「わはははは」
「ぜんぶ、ぼくに買わせるつもりなんだっ。ぼくに買わせたソフトをここに置かせて、こっそりひとりで楽しむつもりなんだっ」
「わはははは」
「ずるいじゃないかっ」
勘太郎は憤っている。無理もないが、しかし勘太郎、ジンセイはそういうものだよ。スジの通らぬことばかり。
「まままま、勘太郎。ここに、こういうものがある」
私は、かねて用意のポチ袋を、さっと掲げた。
しかし、私は事態をあまりに楽観していたのであった。私の金銭による懐柔策は完全に裏目に出た。勘太郎は逆上した。
「お年玉なんて、いらないんだいっ」
叫ぶなり、勘太郎は頭から私の腹部に突っ込んできた。全体重を預けた頭突きだった。
「うげげっ」
虚を突かれた。私は、苦痛にのたうちまわった。いて~よ~。
まずい。本当に怒らせちゃった。
「ごめん。俺が、悪かった。げほほっ」
激痛を放つ内臓を抱えながら、私は率直に謝罪した。
勘太郎は、自らがなした所業の過激さに途方に暮れて、放心している。
そうなると、こちらがますます言葉を積み重ねればならぬ。でも、俺は喋るのは辛いんだよ、勘太郎よ。肺が振動するたびに鋭い痛みが走る。とはいえ、私に非があるのは明らかなので、仕方がない。
「俺があまりに失礼だったよ、勘太郎。済まん。げほげほっ」
その後、勘太郎と私は和解し、ふたりでプレステのソフトを買いに出かけた。
私は、勘太郎が選んだ3本のソフトを買わされるハメになった。そこまで譲歩しないと勘太郎の機嫌がなおらなかったのだ。えらい出費だ。しかも、お年玉は別立てときている。
完全な敗北であった。
私の思惑はまったく外れた。私が用意していたお年玉は、私が欲しかった「童夢の野望」というソフトを勘太郎に購入せしめるものであった。どうせあげなければならないお年玉を私の嗜好のために使わせようという作戦なのであった。言を弄して勘太郎をたぶらかし、資金を還流させるつもりであったのだ。だが、その魂胆は水泡に帰した。
まいったなあ。みぞおちのあたりに痣ができてるし。勘太郎の人格をないがしろにしすぎちゃったよなあ。深く反省。
勘太郎が選んだ3本のソフトは私の食指を少しも動かすことはなく、私は更に自腹を切って「童夢の野望」を買わなければならなかった。はぁ。いやはや。
そうして、勘太郎はゲイムに耽溺するのであった。私にはなんだかよくわからないロールプレイングゲイムだ。昨夜はとうとう家に帰らなかった。今朝も早朝から起き出して、魂をモンスターとの戦いに捧げている。
風呂に入らせたりメシを食わせたりするのに一苦労する。ブラウン管の前からこやつをひっぺがすのは、大変な難事であることを痛感した。コントローラーを手にしたまま眠ってしまうのを待つしかないという気もする。現に、ゆうべはそうやって終焉した。データをセーブする方法が私にはよくわからないので、プレステはつけっぱなしだ。
先ほど、勘太郎の母親が来て勘太郎の着替えを置いていった。うるさいのがいなくて清々しているらしい。夫婦水入らずの正月がこんなにいいものだとは思わなかった、などと言う。来年もお願いね、などと図に乗る。
俺の身にもなってよ、もう。あんたらがつくったんだろ。
勘太郎は、もはやプレステのトリコだ。
「なあ、勘太郎さあ、それ、俺のキカイだよな」
「今はね」振り向きもしない。
「俺も、やりたいんだけどな」
「あとでね」にべもない。
「あとでって、いつだよお」
振り向いた。「うるさいな。ちょっと黙っててよ」
「……はい」
ぐすん。
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089 97.04.02 「粗忽な私を呼び止めて」
呼び止めてくれるから、人間って素晴らしい。
機械は呼び止めてくれないもんな。あ、いやいや、銀行の現金自動支払機は呼び止めるか。でもあれは呼び止めるっつうより、早く現金を取り出せって言うだけだな。あれ、せわしないよなあ。せかすみたいに、短い間隔で喋りやがる。こちとら、通帳やカードをしまうのに忙しいんでいっ、カネを取り出し忘れてるわけじゃないんだっ。だいたい、いちいちやかましい。しつこいし、くどい。それに冷たい声だしやがって、もっと温かみのある口調で喋れんのか。第一勧銀の支払機は西田ひかるの声を出せ。三和銀行の支払機は和久井映見の口調で喋れっつうの。カードはここっ、通帳はここっ、てさあ。操作を間違うと冷静に指摘しやがるのも、憎たらしい。大声で間違いを正すんだよなあ。大声っていっても、それはこっちの気のせいなんだけどさ。間違ったときはこっそり小声で教えてほしいよな。恥ずかしいじゃないかっ。
あ、いけね、また逆上しちゃった。支払機のことはどうでもいいのだった。自動販売機は、品物を取り忘れてもそれを教えてくれないので困る、というような話をするつもりだったのだ。なんでいきなり横道にそれちゃうかな、オレ。
対人販売の場合、購入したばかりの品物をうっかり手にとらずにレジを離れても、すかさず店員が呼び止めてくれる。「あ、お客様、お忘れですよ、お買い上げになったコンドーム」バツの悪い思いはするが、まあ、ありがたい。その場で双方が気づかなくても、デパートあたりだと店内放送で呼び出してくれる。「さきほどおもちゃ売場で電動コケシをお買い上げ下さいましたお客様、お品物をお忘れですので至急おもちゃ売場までお越しください。取りに来なかったらアタシが自分で使っちゃうぞ」まさか、そんなことは言わないが。なんにしろ、人様の親切は身に染みる。
自動販売機だとそうはいかない。忘れたらそれっきりだ。しばらくして気づいて戻ってみても、まず残されていない。誰かが持って行っちゃうのである。その自動販売機の利用頻度の高さが察せられて勉強にはなるが、私が買った缶コーヒーは誰かが飲んじゃうのである。私が意図した通りに事態は進行しないのである。私は損をしちゃうのである。しかし、持って行っちゃったひとは、こりゃ儲かったってんで疑いもせずに飲んじゃうのかな。飲み口に毒物が塗られているんではないか、なんて考えないのかな。その缶コーヒーは差し上げるから、そのへんの心境を一度じっくりお聞きしたいとつくづく思う。
他人に話すとあまり信じてもらえないのだが、私はわりとこの類の失敗を懲りもせずに繰り返す。これまでのジンセイにおいて見ず知らずの他人に供給してきたタバコ、清涼飲料水その他は、数知れない。これまでで最も高価だったのは電車の切符で、千円くらいだったのかな。このときはさすがに自分の粗忽さに呆れた。当然のことながら改札口に到って取り忘れたことに気づくわけで、すかさず券売機まで戻ったが、すでに切符は人手に渡っていた。今となっては、過不足なく使用されたと思いたい。途中下車されたら、私の出費が本当に無駄になってしまうではないか。
巷間伝わるところによれば、品物を取り忘れても呼び止めてくれる自動販売機は存在するらしい。簡単な技術だという。そりゃまあ、取り出し口にセンサーをつけて時間を計るだけだもんな。普及しない理由は、まあ、わかる。すぐに喋りだすとまっとうな利用者を不快にするし、しばらくたって喋りだすと粗忽な利用者はすでに立ち去っている。
どうして、自腹を切って購入した品物を取り忘れるのか。馬鹿ではないか、とひとは言う。だが馬鹿を自覚している人間に馬鹿と言っても、なんの効果もないのだ。
原因はわかっている。お釣りを取ることに専念してしまうのだ。専念する必要などまるでないのだが、私はなにかに捕らわれると他のことを忘れてしまうのである。横道にそれてしまうと、なかなか戻ってこない。
今、思い出したのだが、品物を確保してお釣りを取り忘れたことも、これまた数知れないな。
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090 97.04.08 「寝惚けて候」
「ドライバーを持ってきてくれよ。プラスのやつ。そこの引き出しの奥に入っているから」
私は慌てて立ち上がり、引き出しをひっかきまわした。見つからない。
「ドライバーなんかないよ」
私は声がした方を振り向き、しばし呆然とし、ついで己の愚かさに爆笑した。
テレビの画面に向かってなに答えてんだろオレ。おまけに指図通りに行動しちゃってさ。
私は寝惚けていたのであった。
私が観ていた番組はすでに終わっていて、映画が流れている。登場人物のひとりが車の修理をしていて、傍らの人物にドライバーを要請したもののようであった。
いつのまにか寝入っていた私がふと目覚めたとき、最初に耳にした言葉が冒頭の如くであったという展開だ。
だいたい、ひとりで暮らしてるんだよなオレ。と、頭を掻いてはみるものの、寝惚けてたんだからしょうがない。
寝惚けたことほざいてんじゃねえよ、とはよく言われてなかなかに嬉しいものだが、このたびは本当に寝惚けてしまったのであった。笑えるが、さほど嬉しいものではないな。
寝惚ける、という言葉は好きである。字面も音感も好きだ。言い得て妙、という気がする。
書いてみてふと思ったが、言い得て妙、とは、こりゃまたずいぶんエラそうである。やけに尊大ぶっておって、いったいおまえは何様のつもりかと自分にツッコミを入れたくなる。モノゴトに距離をおいた、どちらかといえば見下したような態度だ。エセ評論家といったところか。そういうような自分では気づかない振りをしてきた核心が、ついうっかり露呈してしまったわけで、その点では狼狽もあるにはある。しかしそれよりも、言い得て妙、などとふんぞり返ってしまう自分の居心地がなかなか新鮮なので、このままでいこう。なんというか、こそばゆい感じがたまらない。言い得て妙、などと言う奴には不信感を抱かざるを得ないのではないか、と気づいてしまいながら、あえてそう言い募る自分のココロの軋轢が物珍しい。いやあ、ついにこんなこと言う奴になっちゃったかあ、わはははは、ぎしぎし、というような複雑な心境だ。
あんまり複雑じゃないな。
寝惚ける、のほうが複雑だ。いったい起きているのか寝ているのか、そこのところからしてわからない。分類できない状態なのか。
使われる状況も様々だ。睡眠中に寝言を口走ったり、いきなり立ち上がって窓を開けたかと思うとすぐにまた寝る。これは明らかに寝惚けている。起きぬけに引き出しを開けてごそごそとドライバーを探す。これも明らかに寝惚けている。寝惚けているのは明らかなのに、寝惚けるという言葉は明らかではないのである。前者は眠っているし、後者は起きている。いったいどっちがほんとなんだと喚き散らしつつ辞書を開くと、両方の意味が載っていて困ったことになるのである。いやべつに困っちゃいないが、話の展開の都合上、困ってみるのである。
アタマが眠っていてカラダが起きている、といったような考え方をすればよいのか。となると、人間にはアタマとカラダしかないのか、という疑問がすぐ湧き起こる。眠っていると寝ているとでは違うだろうし、目覚めていると起きているとではこれもまた違うだろう。寝ても醒めてもというが、寝ながら醒めていることは可能だ。そもそも、睡眠の定義とはなにか。これも大脳生理学会と辞書と一般常識とでは、それぞれに独自の見解があろうかとも思える。つまるところはなんだかよくわからない。
車の修理は終わったらしく、彼はどこかに行ってしまった。
私はどうだろう。だいたい、私はいま起きているのか。本当に目覚めているのか。
ただ、寝惚けて書いているだけじゃないのか。
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091 97.04.23 「ミスそのへん」
今朝のテレビには釘付けになった、のは束の間で、画面を横目にしながらおもむろに開いた新聞の記事が私のココロを鷲把みにして離さないのでした。
いいのかそんな記事を熟読してて、リマでは突入だぞ突入。
でも、こっちのほうが面白いんだもんなあ。
毎日新聞の茨城南版。「ミス牛久 競合ミスコンのせい? 応募者激減に市困惑」というのが見出し。もう、これだけで、大喜び。
困惑してますかあ、困惑。リマではあのあたりで十七人が死んで、牛久市では当局が困惑してます。リマはとりあえず私には関係ないんだけど、牛久市は御近所だし友達が住んでいたりもするので、やはり牛久市のほうが気になります。
あ、うしく、です。うしく、と読んでください。ぎゅうきゅうではありません。
なんでも、「ミス牛久」は三人が選ばれるそうなんだけど、四人の応募があったんだそうです。応募の締め切りが間近で、「同市が頭を痛めている」んだそうです。もう、わけがわかりません。四人のうちから三人を選べばよいだけではないかと、普通は思うじゃないですか。一人だけを落選にするのがいかんのでしょうか。落選した女性の前途を憂慮しているのでしょうか。そうとしか思えません。たしかに、その女性はちょっとかわいそうな気もします。牛久市は、「このまま、応募者が増えない場合、締め切りを延長」することも考えている模様です。落選しそうな女性はもはやわかっていて、その方は牛久市にとって重要ではないけど敵に回すとこわい方の娘さんなのでしょうか。
牛久市の担当者は「“前回募集には約四十五人が集まったのに”と困惑の表情」をしているらしいです。四十五人に「約」がつくとこがそもそも不思議だけど、それはおいといて、そんなことにいちいち困惑しなくてもねえ。実際には、左遷人事に戦々恐々の日々なんだろうけど、担当者の方は。たいへんだよね。親類縁者を頼ったりして、締切日にはそれなりの人数が揃うんだろうな。なにしろツテを頼って、なんとか新聞記事にしてもらったくらいなんだから。でも、自治体はマスメディアにはあんまり借りをつくんないほうがいいと思うけどなあ。
応募者激減の原因は、隣のつくば市が同時期に「ミスつくば」を募集していて、そちらの賞品が段違いってことらしんですけど。
たしかにねえ、いまどき十万円の旅行券を目当てに「年間約十二回ある市の関係イベントに花を添える」気になるひとなんかいるんでしょうか。拘束時間を考えれば、コンビニでアルバイトしたほうがましです。まあ、四人の応募者がいたわけですが。いろいろしがらみがあって断わりきれなかったんでしょうね。まあ、つくば市のほうもたいした賞品じゃないんですけど、それでも格段には違います。
もっとも、つくば市にしろ牛久市にしろ、その程度の賞品でよく応募する気になるなあ、と、私は感心することしきりです。失うもののほうが多いように思えてならないんだけど。
私は牛久市在住の女性を知っているのでこの方を推薦したいと強く思いましたが、あいにくミセスなので、応募資格がありません。やっぱり、世間で喧伝されているように「ミス」はちょいとまずいのではないでしょうか。「ミス」にこだわる発想は、非常にアタマが悪そうに思えます。このあたりから例によって脱線していきますが、いっそのこと「河童娘」でいいじゃないですか。牛久といえば河童です。詳説しませんが、そういうことになってます。「ミス牛久」にはなんの興味も湧かないけど、「河童娘」だったら、お近づきになりたいな、と思うじゃないですか。は。思わない? 河童娘、いいと思うけどな~。押し倒したいよね。「河童娘」がだめだったら、「かっぱ娘」でもいいな。あ、そういう問題じゃないですか、そうですか、すみません。
「ミスなんとか」って、きわめて屈辱的な蔑称にしか聞こえないんだけど、そうでもないのかなあ。
世の中は謎だらけです。
「ミス牛久」に関するお問い合わせは、牛久市商工農政課へ。
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092 97.04.24 「春が来た」
春となった。
春となれば、私は土手に行かねばならぬ。身体がそれを求めるのだ。クルマに荷物を積み込んで、出立の準備を整えていると、勘太郎が遊びに来た。
「出かけちゃうの?」
あてがはずれたらしい。不服そうだ。
「勘太郎、他人を訪問するときは前もってアポイントメントを取らねばいかんぞ。社会人の常識だ」
私は、人生の先達として、おごそかに教え諭した。
「他人じゃないじゃないかっ」
勘太郎は、私の発言における誤謬をすかさず指摘した。
「そうであった。いかにも、私は君の叔父である」
私は、速やかに己の非を認めた。いさぎよい態度といえよう。
「それに、ぼくは社会人じゃないよ。小学生だ」
勘太郎は、更にもうひとつの錯誤をも見逃さないのであった。
「うむ。そうであった。最上級生ともなると、さすがに目のつけどころが違うな」
私は、更なる過ちを認めた。すがすがしい態度といえよう。
「ふふん」
勘太郎は、得意げである。
「いやあ、勘太郎。君も大人になったものだ。いや、まいった。俺はつくづく感じ入ったよ」
「あ」
勘太郎が、急に真顔になった。ようやく、からかわれていたことに気づいたらしい。わははは。相変わらず、とろい奴。
ここで、勘太郎になにか言わせてはならぬ。こやつはどうも心根が純朴なので、すぐ怒るのだ。口を塞がねば。
「勘太郎も行くか? 土手」
「土手?」
「うん。土手」
「行く~~」
勘太郎は無邪気に同意した。やはり、まだコドモのようである。
どうもウチの家系は、むやみに土手が好きで困ったものだ。
車で五分の距離にある利根川の土手が、近年の憩いの場となっている。
すっかり緑色を取り戻した土手裾の平坦地に、テーブル、椅子、その他もろもろをセッティングした後、私はおもむろに食糧の採集にかかった。目当てはノビル。ネギの仲間で、鱗茎の部分を食する。らっきょうを一回り小さくしたような感じか。普通の味覚を有したひとは火を通すらしいが、私の舌は鈍感なので味噌をつけて生で丸噛りしてしまう。
ほんの五分ほどで、充分な量を収穫した。群生地は、今年も荒らされていない。私しか食べないのだろうか。もったいない話だ。下ごしらえをして、すかさずクーラーからシャブリを取り出す。きわめて自堕落な姿勢で飲酒となった。
快晴だ。春の空は、近いところにある。ぼ~っとしていると、まわりの地面から水蒸気が立ち昇っているのがわかる。微風が心地よい。
「あ~~~~っ」
意味もなく、声を出したりしてみる。
勘太郎の姿が遠いところに見える。土手の斜面にしゃがみこんで、しきりになにかを摘んでいる。むむむ。嫌な予感。
ボトルが半分になった頃、勘太郎は帰還した。
「こんなにいっぱい取れたよっ」
篭にいっぱいのツクシを抱えて、にこにこしている。やだなあ。オレ、今日はのんびり呑みたいんだけど。
「うむ」
勘太郎が私の生返事の意味を理解するわけもなく、こやつはいそいそと作業にかかった。袴と穂を、懸命に取り外している。そんなこと教えるんじゃなかった。
困ったなあ。
「あのさ、勘太郎」私は遠慮がちに申し述べた。「そんなに沢山は必要ないんじゃないか」
「だいじょぶだよっ」
私を見もしない。
う~む。
やがて、ツクシの下ごしらえがすむと、勘太郎はクルマから勝手に、バーナー、鍋、サラダ油、醤油などを持ち出してきた。どの箱になにが収納されているか、こやつは熟知しているのだ。
「準備できたよっ」
しょうがねえなあ。今日は調理をするつもりはまるでなかったのだが。味噌を持ち出すのに調味料セットをそのまま搬入したのが敗因であった。
やれやれ。こんなことになるんなら、他の野菜を持ってくるんだったなあ。ツクシだけじゃ個性が強すぎるよなあ。オレ、ツクシはあんまり好きじゃないんだよなあ。私はぶつぶつ呟きながら、ツクシをささっと炒めた。
「できた? ねえ、ねえ、できた?」
「はいはい、できましたよ」
皿にあける。
「わあいっ」
喜んでいるが、こやつは食わないのである。私がたいらげるしかない。理不尽だ。「だって、苦いんだもん」というのが、こやつの主張である。
勘太郎が求めているのは、自らがなした採集活動の結果である。自分が苦労して摘み取ってきた素材が一品としての形をそなえることを待望しているにすぎない。
食べるのは私だ。
「ね? おいしい?」
「うん。おいしいよ」
そんなにうまかねえよなあ、ツクシ。
仕方がないのだ。勘太郎にこうした一連の作業の手ほどきをしたのは、私だ。私は、自分のなした行為を否定したくはない。
勘太郎は自分の労力が報われて、たいそう御満悦である。いい機嫌でコーラとポテトチップスを摂取している。
はやくもツクシに飽きた私は、ノビルに手を伸ばした。格段にうまい。うん。やっぱりノビルだよな、春は。春はノビルじゃなきゃなっ。
ふと気づくと、勘太郎が不審をにじませた視線で私を見つめている。
私は慌ててツクシを頬張った。
「いやあ、勘太郎。春はツクシだなっ」
「うんっ」
うんっ、じゃねえよ。
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093 97.04.27 「初西瓜」
スイカを買ってしまった。丸ごと一個だ。
つい出来心で、としか言いようがない。魔がさした、とも言う。どっちだよ。どっちもだ。
途方に暮れている。いったいこの球体をどう取り扱えばよいのであろう。スイカずら~、などととつぜん殿馬一人になって秘打「スイカ割り」などを披露すればよいのだろうか。しかし、スイカズラは植物だ。スイガラは灰皿へ。
などとダジャレている場合ではなかった。こうして目の前にしてみると、さほど食べたいものではなかったことを痛感する。それなのになぜ、買ってしまったか。わからない。なんだかよくわからないが、買ってしまったのだ。購入を決意したあたりの記憶に靄がかかっている。もや~。もっとも、モヤ文明だってその実態はよくわかっていないので、たいしたことじゃない。
マヤだってば。涙の数だけ強くなれるの。そりゃマヨだって。
そもそも決意などなかったのではないか、とも思える。スーパーで発見し、「あ、スイカだ~」と引き寄せられ、「もう出回ってるのか~」と感嘆したときにはカゴに入れていた。そんな気もする。給料を入手したばかりという背景も災いした。フトコロの暖かい人はココロがムエタイ、とよく言われるが、そのように混乱した心理情況ではあった。
私の経済観念はめちゃくちゃである。家計が逼迫されるまでは、なにも考えない。買いたいものがあり、それに見合う現金を保持している場合、おおむねその結論は購入へと導かれる。衝動がすべてを律する。まあ、そういうひとは多かろうが。誰もが、めちゃくちゃな経済観念のおもむくままに消費活動を行っているのだ。俺だけが悪いんじゃないっ。
いや、べつにそういうずさんな自己弁護をする必要はないんだけど。
なんにしろ、カネのありがたみがわからない。いつか、痛い目に遇うのだろう。カネの重さがわからない。
だが、スイカの重さはわかるのだ。この世には体験しなければわからないことが無数にあるが、スーパーのカゴにスイカを入れることの弊害もまた、自ら経験しなければ実感できない事柄のひとつといえよう。あのね、スイカを買ったら他の買物はできません。あまりに重くて店内を歩き回ると疲れるし、なによりカゴに他の品物が入らない。手押し車を使わなきゃだめね。あ、あ~あ、あ~あ、大五郎、まだみっつ。私の場合は、スイカ一個をとりあえず精算してクルマに積み込んだ後に、あらためて通常の買物にかかった。
くだんのスイカは、2800円也。高価である。高価、四月より始まり、西瓜、万金にあたる。実際には2940円で入手に至った。確実に言えることは、5%の消費税を上乗せされているという揺るぎない事実である。私は、これまでのちっぽけな半生において幾多のスイカを食してきたが、消費税5%のスイカを購入したのは初めてだ。ぺぺぺっと吐き出す種の4.76%は納税の代償なのだ。うかつに種を吐き出してはならぬ、と心に誓ってみるが、ま、儀式のようなものだ。どのみち、種は食えない。種はスイカの容量または重量の4.76%には満たないだろう。種が納税代償分だと思えばよろしい。と、このようにして、よよいのよいのセイフにいいように欺かれる私である。
テーブルの上に、どでんとスイカ。この量感は壮観だ。良寛は和尚さんだ。スイカだなあ、とつくづく思う。スイカならではの圧倒的な存在感を誇示している。う~ん、こりゃまったくもってスイカだ。スイカとして産まれ、スイカとして生き、スイカとして死んでいくスイカである。大地の恵みたるところのスイカだ。瓜科のスイカに他ならない。よっちゃんのスイカとは一味ちがう。いや、一味どころじゃないか。
どうしていいかわからなくなったので、とりあえずデジタルカメラを持ち出して激写した。画像データをいじって目・鼻・口などを描いてみたが、それはカボチャになすべき行為のような気もしてきたので、すぐにやめた。
あらためてスイカを眺め、おまえは何者かと誰何してみたが、返事はない。
もしかして、私がこれを食べるのであろうか。つきつめて考えるとそうなるのだが、どうにも実感が湧かない。見れば見るほど、食欲方面から遠去かっていく感想しか抱けない。立派だなあとか、重そうだなあとか。ちっとも、食べたいとは思わない。
購入したことによってすべてが完了している気がする。自分が食べるかどうかは、どうでもよかった。買いたかっただけだ。食べたいわけではなかった。
このまま生ごみとして廃棄できるだろうか。自分の良心はそれを許すだろうか。
否。生米と生卵に賭けて、そんなことはできない。
ならば、食わねばならぬ。ならぬのだ。らぬ。
下痢を恐れてはいかん。私は、自分に言い聞かせた。要するにスイカの実体は水分で、我が胃腸の活動に著しい艱難辛苦を及ぼすことは明らかだが、ビールだと思えばなんの支障もない。ないったら、ないのだ。
さあ、食うぞ。
……食いました。ぜんぶ。
しかし、よくよく考えてみると、一気に丸ごと食うこたあ、なかったな。
じゃ、ちょっとトイレに行かねばならんので、失礼。
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094 97.04.30 「ザリガニ談義」
カワエビの唐揚げをつまみながら、といっても私は食っちゃいないが。私はエビやカニの類は食わないのだ。食え、といわれれば食うが、べつにうまいとは思わない。まあ、まずくはないけど。要するに興味がない。刺身のツマのほうがずっとうまいと思うね。あるいは、線キャベツのほうが。いや、私の好みはどうでもよかった。カワエビの唐揚げを肴にしながら飲酒しておったのであった。とある居酒屋での出来事である。
私以外の顔ぶれは同じショクバのワカモノが三名。みんな、私と干支が同じである。つまり十二歳の年齢差がある。かといって、タメ口をきかれちゃう私である。私に威厳はまったくない。ええ、ありませんとも。こちらも、奢ったりなんかしない。酒は自分のカネで呑まなきゃうまくない、というのが私の見解だ。彼等はまた違う見解を抱いているかもしれないが、そんなこた知らん。だいたい私が誘ったわけじゃない。呑むんだけど来る? と訊かれて、へこへこついていったに過ぎない。
話が合わないかというと、そうでもない。私の精神はあまり成長の痕跡がみられないからだ。むしろ、同世代の連中と呑む方が苦手だ。だって、シゴトの話するんだもん。
この三人はシゴトのことなんか、なあんにも考えてないので、愉しく呑める。
カワエビを食いながら話題がザリガニ談義へ移行していくという単純明解な展開が、居酒屋における人としての正しいあり方であるか否か。この疑問が、繰り返し論議されながらも未だ解決をみていない根源的な命題であることは重々承知しているが、ただいまのところはさっさとザリガニ方面へとんずらこきたい。
彼等はニホンザリガニを知らなかった。いかんのではないか。ザリガニといえばアメリカザリガニしか見たことがないというのだ。いかんのではないか。ザ・リガニーズも知らないというのである。いかん、ってこたないな、これは。
私も正式名は知らない。とりあえずニホンザリガニと表記しておくが、在来種のザリガニである。フジヤマザリガニかもしれないし、ニンテンドーザリガニかもしれない。とりあえず、わからん。あの小さな鋏を持った目立たない泥んこ色のザリガニである。アメリガザリガニの派手なパフォーマンスを苦々しげに眺め、小柄な身体をすくませながら、やがて訪れる破滅の時を静かに待っていたあのザリガニである。その控え目な態度が子供等の好感を呼んでいたニホンザリガニ達は絶滅してしまったのであろうか。我々は大切に扱っていたのであったが。
アメリカザリガニに爆竹を縛りつけ木っ端微塵に吹き飛ばすことは日常的に行われていたが、ニホンザリガニにそのような悪鬼のごとき所業を為すことは暗黙的に禁じられていたものであった。
申し訳ない。ショ~ネンがオトナに至るには、ザリガニ、カエル、バッタなどの尊い生命に対する殺戮行為が不可欠だったのだ、昔は。って、ずいぶん身勝手な自己正当化をしてるなオレ。ま、いいや。みんなもやっただろ、きっと。三人も爆竹作戦の遂行を経て今の自分がある、と言う。ヤな自分だな~、ぼくたち。
ザリガニはなぜカニなのか、エビではないのか。この疑問もまた持ち出された。この問題に悩むことのなかったショ~ネンは少なかろう。いかにもエビである。エビ以外のなにものでもない。エビガニともいうし。カナヘビはどう見てもトカゲの仲間であるが、それと同じようなものなのか。四人で頭をひねったが、どうもよくわからない。
昔はエビのことをカニと呼んだのではないか、という見解が提出された。伊勢海老などといっているが、あれは本当は伊勢蟹だったのだ、縁起物だから恵比寿様のえびを拝借したものであろう、などという突飛な意見である。残る三人が真に受けそうになったので、私は慌てて打ち消した。信じるなよ、そんなタワゴト。
カニとは岐阜県に残る可児という地名からきているという説もある。調子に乗った私は、またまた無謀な論を開陳した。可児は「かに」と読む。岐阜県可児郡可児町が原産地なのではないか。またまた、信じそうになる三人。おいおい。
その後もむちゃくちゃを言いまくり、私はすっかり法螺吹き男と化した。曰く、神から転じたものだ、その昔ザリガニは田の神だった。曰く、スペイン語では海老のことをカニという、在来種というのは間違いで安土桃山期に宣教師が持ち込んだものだ。うんぬんかんぬん。
そのうちに、ザリはどうなるのか、という当然の展開となった。これはいかなる意味か。私はすこし真面目になり、自説を滔々と申し述べた。「いざる」が訛ったものではないか、昔はイザリガニだったのではないか、根拠はぜんぜんないがなんとなくそう思う。だが、もはやまったく信じてもらえない。オオカミが来たよな少年と化す私であった。
ザリガニの話はなぜか異様に盛上がり、その後も釣り方におけるそれぞれの方法論がたたかわされたりするのであった。途中からは記憶も途切れ途切れなのだが、どうも実際に釣りに行くことになったらしい。五月五日の子供の日がよかろう、という。童心にかえろうというのが趣旨のようだ。集合場所の地図まで持たされてしまった。
やだよオレ、行きたかねえよ。翌朝、奮然と抗議したところ、私は唖然とすることとなった。
なんかね、どうも、私が、行こうって、言いだしたんだって。
ほんとにもう、コドモなんだから。
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095 97.05.01 「ら」
「ら抜きをするなら徹底的にやってもらいたい。手抜きをするなっ」
なんだなんだ。えらい剣幕だな。
「ら抜き、いいだろう。大目にみてやろうじゃないか」
森崎某、なんのつもりなのか、偉そうな態度である。この男は私の友人として誉れ高いが、私の友人を営んでいるだけあって、どこか世間と歯車が噛み合っていない。
本日は、ら抜き言葉にお怒りの御様子だ。
「オレはべつに構わないと思うんだけどね。可能と尊敬の区別もつくようになるし」
「なななにを言っておるのだ。おまえは亡国の徒か」
「そうだよ」
知らなかったのであろうか。私は亡国の徒に他ならぬ。
「ばばばばばかもんっ。きさまそれでも帝国軍人かっ」
「まさか」
「おまえはさ」森崎某は嘆息するのであった。「そういう醒めたところがいかん。おまえの肉体には熱き血潮が滾っておらんのか」
「おらんおらん。うーたん」
「またそうやって混ぜっ返しやがる。ま、よい。目下の敵は、ら抜き言葉だ」
「敵、なあ」
「敵とはいえ、それがしも一箇のもののふだ。寛大である。譲歩も致そう。ら抜き言葉を使ってよいこととする」
何様のつもりか。
「なれど、条件がある。ら抜き言葉を使う者は、向後一切、らを使ってはならぬ。金輪際、まかりならぬぞ。城下に高札を立てて、民に伝えよ」
殿様のつもりらしい。
「名前がさくらちゃんだったら、どうすんの」
「改名せよ。それができぬのならば、死罪に処す」
処すなよ。
「らを使えないってことはさ、たとえば、ラクダと言ってはいかんのか」
「無論である。クダとしか言ってはいかん。砂漠にいるクダ、とでも言えばよいではないか。意味は通じる。私もそこまで狭量な人物ではない。クダを巻くくらいは許そう」
充分に狭量だと思うが。
「そうするってえと、水戸黄門のテーマソングを歌うと、人生苦ありゃ、苦もあるさ、ってことになるわけだな」
「当然である」森崎某はうなずく。「自ら蒔いた種である。苦しみ抜けばよろしい」
「西武ファンだと大変だな。私はイオンズのファンです、と言わねばならん」
「いうまでもない」森崎某は断言する。「巨人ファン以外は人ではないのだから、気にすることはない」
むちゃくちゃだが、普段から放言癖のある人物なので、あまり気にしてはいけない。
「らを発音できないと困るなあ。モリタカのララ・サンシャインが歌えん」
「歌うんじゃないっ、そんなもの。およそ、人たるもの、南沙織だけを歌っていればよろしい」
ばかか、こいつ。あ、いや、ばかなのだが。
「落慶や霍乱なども口にしてはいかんのだ。ざまあみろなのである」
森崎某は呵々大笑するのであった。
そんな言葉は使わんぞ、ふつう。
そろそろ、おちょくってみようかな。
「いくらおまえがいきりたっても、実際にはそこここでら抜き言葉が使われる場面が見れるわけで」
「ちょ」森崎某の目がぎらりと光った。「ちょっと待て」
「あん?」
「お、おまえ、いま、見れる、と言ったな」
「あ、そうか、言ったか? あ、言ったな。わははは」
「使うなよ」森崎某は静かに言った。「二度と、らを使うなよ」
「それはつらいな」
「使うなと言うておろうがっ」
「ら~ららら~」
「許せぬ。成敗してくれよう。そこへ、なおれ」
そろそろキレるかな。逃げよっと。「じゃ、オレ、野暮用があるから」
「待てっ。待てと言うに」
「さよなら~」
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096 97.05.04 「電車の中で」
基本的に本なり新聞なりを手にしていないときには電車には乗らないが、やむにやまれずなんの読み物も持たずに乗るはめになることもある。仕方がないので中吊広告などを眺めるが、芸能人の離婚を知ったりしてもさほど楽しいものではなく、すぐに飽きる。
妄想癖の登場だ。
たとえば、乗客が全員片側に寄ったらどうなるのかと、よく考える。仮に、全員がなにかのかげんで左側に寄ったとする。線路際で火事が起こっていて全ての乗客が野次馬と化したとかの理由で。そういう情況のときに線路が左へカーブしている箇所にさしかかったとしよう。御存じのとおりカーブした線路は内側のレールが低い。車両が心持ち左へ傾いている。重心が左に偏った車両は内側に転倒しないのだろうか。あるいは、右へカーブしている地点にさしかかったとする。過大な遠心力を得た車両は外側へ転倒しないのだろうか。
著しい偏心が設計条件に加えられていることは明らかだから、妄想以外のなにものでもない。それはわかっているのだが、なぜか考え込んでしまう。左側に寄った全員が吊革なり荷物棚なりにぶら下がったらどうなるだろう。偏心荷重は車両の上部に集中するようになると思えるのだが、違うのだろうか。素人考えだが、モーメントは一気に増大するとしか思えない。そこまでの前提条件をも考慮して転倒の検討はなされているのか。そこのところが、ちょっぴり不安だ。
そして、みんなが左側に寄ったらオレだけは右側の非常口ボタンがある場所に行って一人だけでも助かってやるぞ、と固く心に誓うのである。
好きな映画はと問われると「タワーリング・インフェルノ」と「ポセイドン・アドベンチャー」と即座に答える私である。どうも、非常事態に叩き込まれるのを望んでいる気配がある。現実逃避であろう。こういう奴ほど、いざというときには役に立たないのだが。
そういったような妄想情況を披瀝したところ、やっぱり呆れられた。私はひとを呆れさせるのが得意だ。
そういう心配をするひとはいない、というような感想を得た。あんたが妄想するような、乗客の偏りに起因した事故がかつてあったか。否。ない。踏み切りに自動車が立ち往生したりポイント切り替えにミスがあったり土砂崩れがあったり運転手が居眠りしたりしたときに、列車事故は起こるのである。あんたが言うような事故は起こり得ない。絶対にない。ないったらないのだ。
そうかなあ。私は釈然としない。どうして、絶対にない、って言うのかなあ。
可能性、皆無じゃないと思うんだけど。
もっとも、相手の見解は正論なので、私は反論できない。もうそんなことを考えるのはやめなさい、もっと大切なことがあるだろう、などと親身になって諭されたりしまう私なのであった。
そうかな~。やっぱりオレ、乗客がみんな片側に寄ったら電車は転倒すると思うな~。
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097 97.05.05 「カピバラからの逃走」
カピバラが怒っているのを目撃したことがありますか。私はありません。そもそも、私はカピバラを見たことがありません。でも、カピバラ、怒るとちょっと怖い気がします。侮れません。追いかけてくるんじゃないでしょうか。そんな気がします。多分そうでしょう。逃げるしかありません。
最大の齧歯類というフレコミです。ネズミの仲間ですね。成獣になると体長1m、体高50cm、体重60kgに達するとは、ものの本が語るところです。そんなでかいネズミがこの世に存在するかと思うと即座に首をくくって死にたくなりますが、実際にはその形状はカバに似てお茶目らしいので死ぬのはぐっとこらえましょう。人間、そんなに死に急いではいけません。我々は腐っても霊長類です。
カピバラ、ふだんは南米のジャングルで30頭程度の群れをなしていたり、このくにの動物園でさらし者になっていたりするそうですが、ふと街角で出会わないとも限りません。昼飯を食べ終わって爪楊枝をくわえながら舗道に出たところ、一匹のカピバラが昼寝をしていたらどうしましょう。逃げるのです。逃げるしかありません。いいから、逃げましょう。仕事? なにを言ってるんですか。そんな悠長なことをほざいている場合ではありません。目が合ったら終わりです。さあ、カピバラが眠っている間に逃げるのです。そおっと、そおっと、起こさないように。さ、いまだ、走れっ。竹馬の友セリヌンティウスが待っているぞ。
夜道で寿司の折り詰めを手に千鳥足で歩くカピバラに出くわしたらどうしましょう。逃げましょう。悪いことは言いません。ただちに逃げてください。ただのカピバラではありません。酒が入ってます。酒乱のカピバラは手におえません。根拠はありませんが、手におえるわけがないのです。逃げましょう。顔を憶えられてストーキングされたら、あなたの一生は台無しです。
カピバラは非常に臆病で、驚いたり敵がきたりすると、すかさず水中に飛び込んで身を隠すといいます。性格がおとなしい上に人に慣れやすく、南米ではペットとして飼われているともいわれます。
けれども、我々は知っていますね。そういう奴こそ、ひとたび破綻すると、とんでもないことをしでかすことを。あのおとなしいひとが、ってやつです。善良そうな仮面の下でなにを考えているのかわかったものではありません。
カピバラにも機嫌の悪い日はあるでしょう。かわりばえのしない退屈な日々の営みの中で、ふと魔がさす瞬間もあることでしょう。そのときそのカピバラの目前にたまたまあなたがいたとしたら、カピバラがあなたの鼻先に噛みつくであろうことは容易に想像されます。いや、ひょっとして鼻先では済まないかもしれません。あなたのなにか他のもっと大事な突起物がいま危機に直面しているのです。油断してはなりません。
なんといっても齧歯類です。怖そうです。とっても怖そうです。なんだというのでしょうか、この難しい漢字は。なにもよりによって齧はないでしょう。なにかもっと他の漢字はなかったのでしょうか。
噛みつかれたら、最後です。あなたはカピバラに噛みつかれた人物として余生を過ごさねばなりません。いや、べつにあなたがそれを屈辱と感じないのなら、私としてもこれいじょう無理強いするつもりはありません。けれどもし、あなたに自己の尊厳を大切にする気持があるのなら、悪いことはいいません、逃げましょう。
我々とカピバラがうまくやっていけるわけがありません。
なにしろ、カピバラの指の間には水掻きがあるのです。信じられますか。水掻きです。これには不信感を抱かざるを得ません。得ませんったら、得ません。係わりあっちゃだめなんです。
そういうわけで、カピバラに出会ったら、ただちに逃げてください。私からのお願いです。
次に、街角でヒマラヤユキヒョウに出くわした場合の対処法ですが、あ、もういい? はあ、もういいですか。これからが山場なんですが。
そうですか、残念です。
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098 97.05.06 「谺」
たとえばここに、勃然と雪合戦をやりたくなった男がいたとしよう。
心の奥深いところから雪合戦衝動が熱く噴き上げ、矢も盾もたまらない。掌に雪を丸め、それを相手に投げつけたい。ぶつけたい。男は思い詰める。
男は都内の一部上場企業に勤める会社員だ。妻子と住宅ローンを抱えている。
山間部にはまだ残雪があるだろう。連休が明けた朝、満員電車に揺られながら、男は遠い空に思いを馳せる。自分はこんなところで何をやっているのだろう。
一面の真っ白な大地をぎゅっぎゅっと踏み締め、おもむろに両の掌にむんずと雪をつかみとり、雪玉をつくる。男は空想する。雪玉の大きさは重要だ。大きからず小さからず。できる限り固く握る。投げるときのフォームはコンパクトに。足場が悪い。ノーワインドアップだ。ランナーを背負っているつもりで投げるんだ。
低めだ。玉は低めに集めろ。腰より下だ。敵の動きから目を離すな。先を読め。敵の重心が動きかけた瞬間に、その一歩先へ投げるんだ。
ふと我に帰ると、男は降りるべき駅を乗り越していた。
男はしばらく放心していたが、やがて決意した。ほんの少し前までは思いも寄らなかった決意だ。
新宿駅から会社へ電話をかけた。嫌味を浴びながら、唐突な体調不良による欠勤を得る。電話を切り、男は吐息をつく。今、なにかを失ったが、あとでべつななにかを得るだろう。
連休明けの中央本線は空いている。自由席に座った男はすぐさま眠りに落ちた。
目覚めたときには窓の外には新緑の山並が広がっていた。自分がどこにいるかはわからないが、男はあまり気にしない。稜線のあたりに目を凝らす。ある。雪はまだ残っている。
適当な駅で降りる。駅前の鄙びた靴屋で長靴を買い、タクシーを拾う。
雪があるところ? そう、雪があるところ。雪って、雪のことかい? そう、雪のことだ。遠いよ、途中までしか行けないし、その先はしばらく歩くことになるよ。かまわない、雪を見に来ただけなんだ。
男はそっとつぶやいた。雪合戦をしに来ただけなんだ。
タクシーを見送り、小一時間ほど山道を登った。
このあたりでいいだろう。日照の悪い山あいに、充分な残雪があった。男は長靴に履き替え、上着を傍らの木の枝にかけた。相手はいないが、仕方がない。男は、雪をすくいとった。
今朝からずっと考えていた通りのやり方で雪玉をつくった。手頃な距離にある樹の幹を目がけて投げる。何度も投げた。ほどなくして、かなりの確率で思い通りの場所に当てられるようになった。
男は汗を拭った。
視野の片隅で動くものがあった。兎がいた。当てられるか。男は柔らかめの雪玉をつくった。兎は立ち上がり、きょとんとして男を見つめている。
男は振りかぶった。
まさか命中するとは思いもしなかった。兎は顔をぶるるっと振るい、身をひるがえして木立の中に消えた。
いきなり、男の腹の底から笑いが突き上げた。
山あいに、男の哄笑が谺した。
やがて男は満足し、涙を流した。帰らなければならないところがある。男は空を振り仰いだ。蒼い。帰らなければならない。
男は山道を下っていった。
肩が、微かに痛い。
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99 97.05.07 「反社会的な窓」
ひとは、様々な秘密を抱えて街を歩いている。
億単位の使い込み発覚を恐れているひとがいれば、不倫相手の配偶者を殺すためのナイフを懐に忍ばせているひともいる。
ここに、誰にも言えない秘事を心の奥に潜ませて、びくびくしながら歩いている男がいた。彼は、というのはつまり私に他ならないが、怯えていた。もしもこのことがバレたらどうしよう、おろおろ。彼は、たいへん気が弱い。気を病み、気を揉み、気後れし、気疲れしている。
彼と擦れ違う人々は思いもしないだろう。彼が誰にも知られたくはない秘密に思い悩み、思い煩い、思い過ごし、思い詰めていることを。
だが実際には、彼はパンツをうしろまえにはいているのである。後ろ前だ。後ろが、前だ。前後が逆なのだ。
痛恨事だ。大失態だ。自殺点だ。液状排泄物を放出する奇妙な突起物を露出するための開口部が、こともあろうに臀部側に存在している。なんの役にも立たない。なんのための穴か。穴として、それで許されるか。
つい先ほど、小用を足そうとして、彼は無念やる方ないこの事態に気づいた。そのときは片脚側から粗末な代物を引っ張り出してなんとか困難な局面を乗り切ったのだが、いかんせんトランクスであり、布地に伸縮性が乏しい。心持ち窮屈な体勢を強いられた。ブリーフだったらなんの問題もないはずだが、そもそもブリーフを後ろ前にはくことはないだろう。
昨日買ったばかりのパンツである。穿き慣れないパンツは、履き慣れない靴より始末が悪い。
気づいてしまうと、落ち着かない。臀部を収納するための布のふくらみが前面にあることが、どうにも気になる。反対に、臀部が妙にきついようにも感じる。気づくまではなんとも思っていなかったことが、無性に気にかかってならない。
彼は心配性である。考えなくてもいいことを考えてしまう。とつぜん身体測定が実施されたらどうなるか。「はあい、みなさん、パンツ一丁になって並んでください」。いやだ、そんな屈辱には耐えられない。彼は絶望に駈られる。誰もが彼のパンツの開口部を指さして笑うだろう。後ろ指をさされるのだ。官憲は眉をひそめるに違いない。社会の窓を閉ざし、裏口へ広く門戸を開いている男がいる、アナキストではないか。「本部本部、応答せよ。17番目に並んでいる男、挙動不審につきマークします」「了解。17番、引き続き警戒せよ、どうぞ」「了解。念のため、公安の応援を頼みます」「了解」。いやだ、それは濡れ衣だ冤罪だ。はたまた、後ろに並んだ男に男色嗜好があったら、どうなるか。誘っているようなものではないか。
彼の連想は次第に妄想の域に突入する。いま擦れ違った男はやけに目つきが鋭かったが、麻薬捜査官ではないか。目が合ってしまった。反転して尾行されるのではないか。呼び止められ、連行されるのではないか。入念な身体検査をされたらどうすればいいのか。「あ。こいつのパンツはどうなっているのだ。調べろ調べろ。ブツは肛門の中に違いない」。ずぶずぶずぶ。うわあ、やめてくれ。俺は無実だあっ。
彼の顔は引きつり、自らの妄想に冷や汗をかいている。
ここにおいてようやく彼は解決策を見出した。こっそり着替えればよいのであった。誰もがすぐに思いつくことなのだが、彼には何事においても紆余曲折があるのだ。
彼はちょうど通りかかったパチンコ屋のトイレを拝借することにした。個室に入ってズボンとパンツを脱いだ彼は、呆然とした。目の前にパンツを掲げ、何度も前後を見返した。開口部などなかった。金輪際、なかった。そういうパンツだったのだ。
後ろ前などではなかった。勘違いであった。すべては気のせいであった。
窓はなかった。社会への興味など一切もたない自閉症のパンツだったのだ。
後ろ前などではなかった。勘違いであった。すべては気のせいであった。
彼はのろのろとパンツとズボンを身につけた。トイレを出ると、パチンコ屋の喧騒だ。満員の店内を蟹歩きしながら、彼は「このひとたちは、オレがどれほど間抜けか知らないんだろうなあ」と考えていた。
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100 97.05.11 「きゅきゅきゅのきゅ」
好事家というか酔狂者というか、世の中には思いがけない嗜好を発露しながらその妥当性を全く顧みない人々がいて、たとえば「オバQ音頭保存会」に属する方々の日々はなかなかに苛烈だ。
毎月9日に開催される月例会に参加すれば、オバQ音頭に取り憑かれた幾多の人生の歪んだ断面を垣間見ることができる。参加者は、過去のどこかで道を踏み外し、未だに深い霧の中をさまよいながら、なおも自らの誤謬に気づいていない。明るく元気に、オバQ音頭を歌い、踊る。その姿は歓喜に満ち溢れ、その歌声は朗らかに響き渡る。
オバQ音頭とは、往年のテレビまんが「オバケのQ太郎」の後テーマ音楽であり、石川進がその全人生を傾けた絶唱が、ひとたび耳にした者の心を捉えて離さない名曲だ。およそ人たるもの、聞いたことがないでは済まされない。
なお、極度に閉鎖されたこのムラ社会においては、アニメという単語は永遠に排斥され続ける。彼等にとって、「オバケのQ太郎」はあくまでテレビまんがから逸脱しない。彼等がオバQ音頭と恋に堕ちた日、アニメはまだ未来に眠っていたのだ。
月例会は、オバQ音頭で幕を開ける。
きゅきゅきゅのきゅ、きゅきゅきゅのきゅ、オバQ音頭で、きゅっきゅっきゅっ……
全員が精魂こめて歌い踊ったあとは、各会員より活動報告がなされる。
曰く、昨夏は町内会の盆踊り会場に潜入してテープをすり替えたが一番だけで終わってしまった、今夏はフルコーラスを全うすべく年初より鋭意策略中である。
曰く、昨年は2000枚のリクエスト葉書を出したが、力量不足か一度も採用に至らなかった、本年は一念発起しこれまでに3000枚の葉書を書き、早くも2月に一度、3月に二度、ラジオより聖典が流れた、今後も奢ることなく努力を続けたい。
曰く、本年は勧誘に重点を置いているが、これまでに8名の同志をこの場に導くことができた、今後もオバQ音頭の素晴らしさを広く世に知らしめるべく、精進を怠らないことを誓うものである。
地道な努力と迸る情熱に支えられたたゆみない活動が逐一報告され、その度に会場は大きくどよめき、割れんばかりの拍手に満ちる。
分科会では、活発な討議が行われている。「オバQ音頭禁止法」公布の事態に至りなば、我々はいかに生くべきか。ドロンパを足掛りに米大陸に進出することの是非はどうか。O次郎がオバQ音頭に果たした役割は過小評価されすぎているのではないか。政界に打って出てはどうか。
白熱する討論は深更まで絶えることがない。
月例会は、再びオバQ音頭で幕を閉じる。
きゅきゅきゅのきゅ、きゅきゅきゅのきゅ、オバQ音頭で、きゅっきゅっきゅっ……
最後は「ばけらった三唱」で、締める。
ばけらった~、ばけらった~、ばけらった~。
うお~。ぱちぱちぱちぱち。
こうして繁栄をほしいままにするオバQ音頭保存会だが、その将来をおもんぱかるとき、やはり一抹の不安を内抱しているのであった。近年、会員の老齢化が進み、懇親会の席では病院の評判、民間医療の実際、霊園の価格情報といった、時の流れに蝕まれつつある自らの肉体を不安視する話題が尽きない。
会員諸氏からも行く末を憂える声が目立っている。今後は、若き新規会員をいかに募り、この魂の音頭をいかに後世に伝承するかが課題となろう。
私も、古参会員のひとりとして、言いたい。
君も、オバQ音頭保存会に参加してみないか。
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