206 98.11.15 「裏声で歌へ笑点のテーマ」

「パッパラ・パラパパ・ッパッパ・パフ、かなあオレは」
「タメがあるね。深いねどうも」
「とりあえずパ派としておこう」
「パ派が、やっぱり多数派ということになろうか」
「いや、セ・リーグのほうがまだまだ人気があるんじゃないか」
「ほどよくボケるね」
「すまんすまん」
 笑点のテーマである。テーマといっても主題のことではない。テーマ音楽である。あまたの耳に馴染み深いあの笑点のテーマが話題となっている。しょせんは居酒屋の片隅で俎上に乗った話柄のひとつに過ぎない。そして、我々は酒席では主題などといった大がかりなものには取り組まないのである。素面だったら、なおさら取り組まないが。
「オレもパ派なんだけど、こうだな。パンパパ・ンパパパ・ンッパンパン・パフ」
「パン派の登場だな」
「ドンパン節の影響がうかがえるな」
「禿頭の血筋ではないか」
「余計なお世話だ」
「すまんすまん」
 笑点のテーマを口に出して歌うとき、いかなる音に置き換えて歌うか、といったきわめてどうでもいい問題に、我々は取り組んでいるのであった。この場合の音とは、文字と言い換えてもいいだろう。何の気なしに口に出して歌った歌をあえて表記してみると、人それぞれなのではないか。オレはこうだが、みんなはどうだ、といった成り行きなのであった。
「オレのも影響が歴然としてるよ。バンババ・ババババ・バンバンバン・パフ」
「バン派の台頭か」
「歯、磨けよ。と、思わず合いの手を入れちゃうね」
「世代がばれるね」
「すまんすまん」
 はて。オレはどう歌ってたかな。私は当惑した。歌った覚えはあるかと問われれば、あると答えるだろう。過去のどこかで、戯れに歌っているはずである。この惑星のどこかで、私は笑点のテーマを歌ったはずである。そのとき私は、いったいどのように発声したのであろうか。失った過去を取り戻そうとする私の懊悩に関わりなく進んでいく会話に、いささか狼狽する私であった。その場の流れで告白は席順となっており、幸い私は最後の六番目なのだが、なんとしても思い出せない。
「オレの場合は、こう。タッタタ・スタラタ・スッタッタ・パフ」
「タだけに頼らずスの援軍を仰いでいるのが新味だな」
「スタ派が出現したか」
「タタっていうのは、別の意味で多数派だな」
「文字でボケるなよ」
「久夕派ではどうか」
「だから、やめろと」
「すまんすまん」
 こう考えてはどうだろうか。私はいつも異なる歌い方をしてきた、と。私は、これまでのちっぽけな半生において、笑点のテーマをどう歌うかなどと思い悩んだことはなかったのである。口から出任せに、場当たり的に、その場限りの笑点のテーマを口ずさんできたのである。と、そんな風に考えてみると、いかにもそれは私の行き当たりばったりの来し方によく似合う。うむ。そうだったのだ。私は何度か笑点のテーマを歌いながらようやくここまで歩いて来たが、歌ったのはすべて異なる笑点のテーマだったのだ。だとすれば、この先いかなる笑点のテーマを歌おうとも、それは私に許されたささやかな自由に他ならない。そうではないか。
「チャッチャチャ・チャチャチャチャ・ウンチャッチャ・パフ、ってのはどうだ」
「チャ派も正統的な感があるな」
「おもちゃのチャチャチャ、か」
「歳がばれるね。せめて、ニッポン・チャチャチャ、と言えぬものか」
「すまんすまん」
 さて、ついに私の出番が来たようだ。私は、いったいどんな笑点のテーマを歌うのだろう。私は心を無にした。虚心坦懐に色即是空に、私は笑点のテーマを朗々と詠じた。つもりだったが、雑念だらけの心底が露呈したのか、思わず声が裏返ってしまった。
「スッチャカ・スチャラカ・スッチャンチャン・パフ」
「おっと、これはまた色彩感があふれてるなあ」
「意味が汲み取れるのがいささか邪道か」
「すまんすまん」
 私は謝罪し、いや実はこういうことなんだよと、これまでの懊悩を告白した。実際のところ、そのように歌うとは自分でも思っていなかったのだ、と。そして歌ってみたところ、どうやら最前耳にした歌い方に引きずられた影響を受けたようだ、と。
「ほほう。特に歌い方など決めてはいないんじゃないかとの見解か」
「うなずけるものはあるな」
「そうだろ」
 私はいささか自信を得て、試しにもう一度歌ってみてくれと、最初に歌ったパ派に水を向けた。
「ん、もう一回か。スッパパ・パラパパ・スッパンパン・パフ。あれま」
「ウメ星殿下のようだな」
「ふむ」
「ウメ星殿下は古かったな」
「すまんすまん」
 そういうことなんだよ、と私は申し述べた。その前に聞いたものに引きずられる傾向は否定できないのではないか、と。
「それはあるだろうなあ。笑点のテーマを私はこう歌うという決意を秘めて生きているひとはいないもんなあ」
「いたら怖いな」
「いや、円楽師匠は決めている気がする」
「歌丸師匠も怪しいな」
 と、ひとしきり落語家評が続き、テーマに関する話は終わったのかと思いきや、再び戻ってくるのだから酒席の話題は気まぐれである。
「なぜ、ア段なのかな」
「なるほど。慧眼ではあるな」
「パ、バ、タ、チャ。ぜんぶア段だな」
 早速その他の各段を、めいめいがてんでんばらばらに歌った。にわかに、居酒屋の片隅にざわめきが満ちた。キッキキ・ツペペペ・ヲンヲンヲン・パフ。傍迷惑な実証主義集団である。いきなりその情景に出くわしたひとがいたら驚くに違いない、と考えながら、私もヌンヌヌ・ヌルヌル・ヌンヌルヌン・パフ、などと歌ってみた。
「歌いやすいのは、やっぱりア段だな。見事に仇を討ったと言うべきか」
「偉い奴だったんだ、ア段。徒にはできんな」
「だてにア段をやってないな。婀娜な姿の洗い髪」
「天晴れ、ア段の射手。ア段の本懐、もって瞑すべし」
「こらこら、なに言ってるのかわからんぞ」
 暫時、ア段を賞賛する声が相次いだ。しかし冷静な奴がひとりくらいはいるもので、沈着な物言いがついた。
「待て待て。やみくもにア段を賞揚するのもいかがなものか。ア段だったらなんでもいいのか」
「ふむふむ。では、試しに。ランララ・ララララ・ランランラン・パフ。ううむ、ぱっとしないな」
「なんと、ラが破れ去ったか。オリーブの首飾り界では揺るぎない地位を築いた大立者であったが」
「どんな界だよ」
 実証主義集団はまたしても、それぞれが思い思いに歌った。アッアア・ナナナナ・ヤンヤンヤン・パフ、などと騒がしい。傍迷惑なことを実証しているようにも見受けられることであろう。
「結論が出たな」
「出た出た」
「破裂音である」
「いかにも。ア段の破裂音である」
「笑点のテーマは、ア段の破裂音で歌われるべきものだったのだ」
「見事な結論だな」
「感慨無量である」
「いやあ、実りあるひとときであったな」
 物悲しい実りである。
 さあ、もうこれで終わっただろう、と思いきや、実はまだ続きがあったので、笑点のテーマの奥深さには驚くばかりの私であった。
「さて、パフだが」
「ついに来たか。パフについて語り合う時が来たのか」
「その前をどう歌おうと、パフはパフであった。他の何ものにも代え難かった。これはいかなることか」
「なぜ我々は、あの奇妙なるも馴染み深い音を、パフと発声表記するのか」
 わかった。よくわかった。実を言えば、私もパフについては、かねがね一言申し述べたい儀があったのだ。こうなったら、腰を据えて語り合おうではないか。
「我々はまず、芸能人水泳大会を想起しなければならないだろう」
 そうして、我々はパフのなんたるかを、終電の時刻まで熱く語り合ったのであった。

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