195 98.08.05 「やっぱり泣いたか勘太郎」

 学業を生業とする者にとっては、夏休みである。
 中学一年生であり私の甥であるところの勘太郎といった人物にも、平等に夏休みは訪れた。
 夏休みという長期休暇を利して親類縁者の許を訪れ見聞を広めるといった所業は、児童生徒学生などの特権である。私も、そうした。ゆえに、訪れられる立場となっては、無下に断るわけにはいかない。返せない恩義ならば、次の世代に報いるしかない。
 そうした背景をもって、勘太郎は先般より私の部屋に滞在しているのであった。
 こやつは父親の転勤によってこの四月から大阪に在住していたのだが、長期休暇を得て旧知の輩と旧交を温めるべく、先般より私の部屋の居候と化しているのではあった。
 キャンプに連れていけ、との御要望である。
 平日は小学生時代の旧友と戯れていたようであったが、なにかしらずれてしまったらしい。平日にはこちらもシゴトというものがあるのでほとんど相手をしてやれなかったが、こちらの週末を見計らって、そうした御希望を申し述べる勘太郎なのではあった。
「あいつらと遊んでても、あんまり面白くないんだよね」
 つまらなそうである。ほんの数ヶ月前につるんで遊び回っていた連中と、微妙な齟齬が生じてしまったらしい。それはそうだろう。中学生になった彼等には新たな友人ができている。勘太郎は、過去のひとである。
 しょうがねえな。出番というやつか。
 以前に出掛けた那珂川の河原に、勘太郎を伴った。
 その折は晩秋であったが、もはや盛夏である。川面には幾艘ものカヌーが漂い、水着をまとって水浴に興じる人々も多い。
 テントとタープを設営し、とりあえず素麺で腹ごしらえをした。
 勘太郎は、さっそくスケッチブックを取り出し、上流の橋を描き始めた。こやつはその人相風体人格気性に似合わず、絵画の才を有しているのであった。いかほどの素養なのかは門外漢の私にはわからない。私は絵はまるで駄目である。例えば私がパンダを描いたとしよう。その絵を目にした者は、ブタか、いやカバではないか、といった議論を始めるのだ。自画像ではないか、と穿った見方をする者まで現れる。失礼な話である。仕方がないので、パンダを通して人の世の無常を描いたのだ、といっためちゃくちゃな与太噺を展開するほかなくなる。なにも、ほかなくなる、ことはないのだが、そこはそれ、性癖といったものであろう。
 勘太郎は絵画に熱中し、取り残された私は寂しそうに夕食の支度を始めた。素人キャンプだから、晩餐の準備には常に時間がかかるのである。食の確保はすべてに優先するのである。なにしろ私は寂しそうなので、タマネギを刻みながら涙ぐむのも堂に入ったものである。
 今回は、主賓の立場を尊重して、カレーに挑んでみたのであった。
 カレーは大阪の郷土料理である。最近、私はそうした結論を得るに至った。間違った友を得た所為に他ならない。
 「三度の飯よりカレーが好き」と、ぬかしてはばからない。「三食抜いてもカレーは欠かせない」と、ほざいてなんら反省の色がない。あまつさえ、「カレーさえ食えば、絶食は可能だっ」などと、不明な絶叫を迸らせてのたうちまわる。
 オオサカジン、空気と水とカレーはタダだと思ってます。
 私としては、たくまずしていつしか醸成されていたそうした固定観念を、はなはだ不本意ながら肯定せざるをえない。
 大阪人のサンプルはたったの二例であり、しかも標準的な指標と呼ぶには、いささか、あ、いや、かなり不適当である事実は否めない。しかしながら、人は人の間で生きていくものである、環境に左右されるものである、って、なんの話だ。
 「夕陽が私のイメージを阻害するので、本日のところは静かに絵筆を置きたい」といった趣旨の発言とともに、勘太郎が食卓に戻ってきた。増長している。何様のつもりであろうか。
 まあ、お子様なのであろう。
 カレーを食いながら、話す。
「どうだ、大阪は」
「おもろいよ」
 お、おもろい、のであったか。
「どういうところがおもろいんだ」
「そうやな~」
「おいおい、アクセントが異様に変だぞ」
「そやろか」
「う~ん。“そ”は、そんなに強くは言わないんじゃないか」
「そうかなあ」
「あ。地が出たな。付け焼き刃だな、まだ」
「難しいんだよ、大阪の言葉は」
「そりゃまあ、そうだろう」
「こっちの話し方で喋ると、苛められるんだよ」
「お。イジメにあっているのか。それはミジメだな」
「ダジャレをかましてる場合じゃないんだよ」
「なんだなんだ、ほんとにイジめられてるのか」
「う~~ん。ちょっとね」
「ふうむ。ま、十年後までイジめられることはないから、あまりクヨクヨ考えるな」
「なに言ってんだかな~」
「うひうひ」
 その後、先ほどより川の中で冷やしておいた西瓜をデザートにたいらげ、花火などをして遊んだ。夏キャンプの定番コースである。我々はこれでも正統派なのである。
 初めてわかったのだが、勘太郎は線香花火が下手である。うまく火玉をつくれない。
「おまえ、なんで揺らすわけ。しっかり持ってなきゃ火玉が落っこちゃうだろ」
「できないよ~」
「もしかして、やったことないのか」
「初めてだよ」
 あっけらかんと言い切りやがった。どうなっておるのだ。線香花火を体験しないままに、コドモを脱するつもりだったのであろうか。いかんのではないか。いいのか、それで。
 私が理不尽なイキドオリを抱いている間にも夜は更けていった。騒いでいた周囲のキャンパーも次第におとなしくなり、それぞれに穏やかな夏の夜を堪能しはじめた。
 我々も焚き火を囲んで、ゆったりとした時間を過ごした。私の片手にはバーボン、勘太郎はウーロン茶。
 勘太郎が意表をついて、夜空の星座の名を列挙しはじめた。聞けば、八十八だかの星座をすべて諳んじているのだそうである。なんだなんだ、妙な知識を有しておるな。思っていたより立派な奴なのかも知れぬ。
 あれは琴座、あっちが白鳥座などと、次々と指をさす。
「ほうほう。あれが白鳥座であったか」
「でね、あれが鷲座で、その横にあるのがね」不意に泣きじゃくりはじめた。
 肩をひくつかせている。
 ふむ、ついに泣いたか。
 まあ、泣きたくば泣け。
 私には勘太郎に必要なことばは何も言えないので、何も言わない。
 泣かせておくしかない。
 一時間ほどそうしていたか。星座もそれなりに夜空を傾いて移動していた。
「泣き終わったか」
「うん。終わった」
「呑むか」
 きわめて薄い水割りのバーボンを手渡した。
「うまいか」
「まずいよ」
 それはそうだろう。
 キャンプの夜は更けていく。

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