193 98.08.01 「新・教育とはなんだ」

 コンビニエンスストアの中を右往左往していた私は、文具コーナーの前で足を止めた。ほんの半年ほど前、「教育おりがみ」といった代物を同じ場所で発見し、主としてネイミングといった観点において驚愕を覚えた私であったが、このたび「教育おりがみ」の進化を目の当たりにして、更なる驚愕にうろたえるのであった。「教育おりがみ」に、新たな進展があったのだ。
 「新・教育おりがみ」の御登場である。
 はからずも、「うお~」と小声で呟いてしまった。ここで「さお~」と谺が返ってきたら楽しいよなあ、などととんちんかんな感慨に耽りながら、私は「新・教育おりがみ」を手に取った。
 「新」を冠してリニューアルを企てた商品としては、昨今では日清の「新・Spa王」が記憶に新しい。鈴木保奈美嬢が口の回りに海苔を付着させるCMは、セガの湯川専務の次の次あたりのインパクトをもたらしたと斯界では評判になっている、かもしれない。
 「新・教育おりがみ」ならば、やはり糊ということになろうか。
 いやいや、なろうか、などと変に冷静になっている場合ではなかった。そんなことはどうでもよろしい。おりがみを折りながら口に糊しているようでは、ちょっと哀しいではないか。
 「新・教育おりがみ」である。「クリーンな抗菌剤入りおりがみ」なのである。自らそう謳っているのだ。「おりがみ」というほのぼのとした商品に、唐突に「抗菌剤」などといった切羽詰まった代物が混入しているのだ。逸品である。これはぜひとも購入して後世に伝えねばなるまい。私は、ロックアイス、ジムビームなどとともに、「新・教育おりがみ」を我が手中に納めた。いいトシこいて、ひとりバーボンを傾けながら、こともあろうに折り紙かよ。店員の表情に一瞬そうした冷ややかな蔑笑が横切ったように思えたのは、自意識過剰といったものであろうか。
 いま目の前に「新・教育おりがみ」を置き、あらためて、その差し迫った危機感にたじろがずにはいられない。よくよく見れば、外装の透明なセロファンにステッカーが貼りつけてある。折り紙を玩具あるいは教材と見做すのであれば、ここまでそぐわない惹句もないだろう。「大腸菌O-157の増殖を抑える無機抗菌剤ノバロン使用」ときたもんだ。すべての漢字に仮名が振られている。振れば済むというものでもないだろう。「読める」と「理解できる」との狭間で揺れ動く振り仮名も、その出生の折には、こんなにも意外な局面で登板するとは思いもしなかったのではないか。
「ね~ママ、だいちょうきんってなあに?」
「とってもこわいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、こわくない大腸菌もいるんですよ。
「むきこうきんざい、ってなあに」
「とってもえらいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、えらくない無機抗菌剤も……はて、それはなんだ。だいたいノバロンとは何者か。斯界ではさぞかし名のある傑物なのであろうが、やはり唐突の感は免れまい。
 子供たちよ、君達の衛生環境はそんなに大変な状況を呈していたのか。無機抗菌剤ノバロンの力を借りねばならぬほどに切迫しておったのか。
 私はただただ、驚き入るばかりである。なにか根本的に見当違いな方向へ足を踏み出してしまったのではないか、「新・教育おりがみ」は。
 表の面に物語られた情報だけでも驚きを禁じ得ないのだが、裏返すと具体的な情報が克明に記されており、「新・教育おりがみ」の実体はますます謎めいていくのであった。裏面には、「新・教育おりがみ」が有する「抗菌性」の裏付けが、確たるデータを伴って謳われている。もはや振り仮名の出番はない。保護者向けの情報なのであった。
 まず、どんな菌に対する抗菌性を保持しているかが語られる。それは、「大腸菌」「黄色ブドウ球菌」「緑濃菌」などである。私達を取り巻く環境はそんなにも危険なものであったか、と、ひるまずにはいられない。殊に、緑濃菌。この字面に潜んだ凄みには眩暈がしそうである。
 次に記されているのは抗菌力試験の結果写真である。黄色ブドウ球菌が抗菌剤摂取後三時間で死滅した証拠写真が、誇らしげに添えられている。私はいま玩具あるいは教材を眼前にしているのであったな、と自分に再確認せずにはいられない。
 他にも安全性に関わる試験が施されている。
 「皮膚一次刺激試験」の結果は、「皮膚刺激は認められません」である。それはよかった。よかったが、「一次刺激」とはなんだろう。
 「変異原性試験」の結果は、「変異原性は認められません(陰性)」である。それは喜ばしい。喜ばしいが、「変異原性」とはなんだろう。
 「急性毒性試験」の結果に至っては、とうてい素人の理解の及ぶところではない。「マウスへの経口投与試験で、LD50値は投与最大量である5000mm/kg以上であることが確認されました」ときたもんだ。「LD50値」よ、オレが悪かった。そう懺悔したい気持でいっぱいである。
 もはや、保護者向けといった段階ではない。むしろ専門家向けの情報である。「理解できないけど、とにかく信用できそうだ」といったような感想を持たせる効果を狙ったのであろうが、ここまで執拗に安全性を訴える必要があったのだろうか。私は途方に暮れるばかりである。
 抗菌信仰よ、どこまで我々を連れていくのか。行き着いた先に、明るい未来はあるのか。
 おりがみである。「新・教育おりがみ」である。
 そして、ノバロンである。
「ね~ママ、ノバロンってなあに?」
「とってもえらいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、私も同感です。そう信じ込まなきゃやってられません。
 なんだかよくわからないがノバロンよ、いまはただ君を信じて、子供たちの未来を君の手腕に託そう。私には何もできない。仕方がないから千羽鶴でも折って、蔭ながら子供たちの幸せを祈ることにしよう。
 ……ありゃりゃ。どうやって折るんだっけ、鶴って。

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