188 98.06.27 「中島みゆきだ」

 別人だろう。別人に違いない。
 よもや、朝には全国紙の第一面で健筆を振るい、夕には夜会を催して自作の歌を熱唱しているわけではあるまい。異なった二つの局面で公衆の面前にその名を曝す二人の中島みゆきは、やはり別人であろう。
 ひとりは、いうまでもなく歌うたいである。1975年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューし、現在に至るまで第一線で御活躍中の中島みゆき歌手である。本名、中島美雪。
 いまひとりは、知る人ぞ知る、といった存在である。一部の好事家の間で話題をさらってはいるが、まだまだ知名度は低い。毎日新聞では通信社からの配信以外はほとんどが署名記事となるようだが、この背景をもとに登場したのが、中島みゆき記者そのひとである。本名、中島みゆき、だろう、たぶん。まさか、実は本名は松任谷由実だが何かと物珍しがられて煩わしいので筆名中島みゆきを使っている、わけではあるまい。更には、単なる中島みゆきファンが高じたあげく己が筆名となすに至った、わけでもあるまい。ハンドルネイムは「てるてる坊主」でえす、といったような能天気な気分で中島みゆきと名乗られては、世間が許しても毎日新聞社の内規が許さないだろう。中島みゆき記者の本名は、中島みゆきである。
 中島みゆき記者にとって、中島みゆき歌手はどういった存在だったのであろうか。あるとき勃然と同姓同名の歌手が現れ、あれよあれよと有名になっていったのだ。同姓同名の著名人が存在する他の多くの市井の人々と同様、中島みゆき記者には姓名にまつわる多彩なエピソードがあるはずである。
 中島みゆき記者は克己のひとであった。姓名を槍玉に謂れのない揶揄を受けた辛い日々もあったろう。悔し涙を流しながら、「いつか私の方が有名になってやる」と星に誓った夜があったかもしれない。そうして彼女は刻苦勉励し、自分を高め、いつしか毎日新聞の第一面に署名記事を書くまでになったのだ。故郷の御両親も今ではさぞかし安心しておられるだろう。「どうしてこんな名前をつけたのか」と涙ながらに責める我が娘を前に途方に暮れたことも、今となってはよい思い出である。彼等の娘はやがて自分の幼い過ちに気づき、自ら精進し、ついには三大紙の一角をなす新聞の第一面で、報道のいったいなんたるかを鋭く問いかけているのだ。
 経済担当部局が中島みゆき記者の所属である。時折いかにも片手間に、通産省本営発表そのまんまやないか的な記事を書くので、通産省の記者クラブ的なところに詰めているものと推察される。大蔵省に派遣されないのは、まだ経験が浅いからか、力量に不足するところがあるのか、もはや本流から外れたのか、はたまたそもそも経済畑の人材ではなく一時的な修行として異なるジャンルの体験を培っているだけなのか、たいへん気になるところである。
 目下、中島みゆき記者が取り組んでいるのは、石油公団の不良債権問題である。毎日新聞がこの件について報道するとき、その正義の筆を執るのは常に中島みゆきである。時の流れを越えて変わらない夢を見たがる者達と戦っているのである。
 その日のニュースバリューによって、第一面への進出が冷酷に決められていくわけだが、最近では中島みゆき記者は6月10日付け朝刊で見事にトップ記事をものしている。「石油公団、不良債権1兆円」である。よくわからないが、困ったことなのであろう。
 経済面で執筆しているときには目立たないのだが、中島みゆき記者は第一面に起用されるとちょっとした癖を見せる。名詞+助動詞「だ」の多用である。「~損失をさらに拡大させた形だ」特に段落の終わりに乱発する。「~財政資金の投入も検討せざるを得ない状況だ」脚光を浴びる場所に登用されてあがってしまったのだろうか。「透明性のある公団運営を目指す方針だ」中島みゆき記者、可愛いところがあるではないか。
 中島みゆき歌手は、そんな中島みゆき記者を知っているだろうか。存在くらいは知っているのではないかと考えられるが、定かではない。「サンデー毎日」で対談が企画されているとの噂もあるが、ガセネタであろう。
 中島みゆき記者は、もちろん中島みゆき歌手を知っているだろう。忘年会の三次会あたりのカラオケボックスで、歌わされたりするのかもしれない。「中島さんは、もちろん中島みゆきだよね」などと勝手に曲の予約されてしまったりするのかもしれない。
 もはや立派なオトナである中島みゆき記者は、苦笑しながらマイクを握る。
「ホテルのロビーにいつまでいられるわけもない形だ」
 中島みゆきは、中島みゆきを歌う。
「空と君との間には今日も冷たい雨が降っている状況だ」
 中島みゆきだから、中島みゆきを歌う。
「今日は倒れた旅人達も生まれ変わって歩き出す方針だ」
 彼女の名は、中島みゆきだ。

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