186 98.06.07 「香港ブランコ」

「最近は忙しくて」
 と、彼女は、心なしか寂しそうに呟くのであった。香港になんて行く時間はない、と述懐するのであった。
 ネーサン・ロードのほぼ中央から少しばかり路地を歩いた突き当たりに、春愛公園はひっそりとうずくまっている。なんの変哲もない、せいぜい百坪ほどのこぢんまりとした公園である。ガイドブックの類は、徹底して、なかったことにしようとしている。観光客は気づきもしないし、地元住民は見向きもしない。
 例外は、それぞれの立場にひとりずつ存在した。観光客派の筆頭にして末尾は、もちろん彼女である。地元住民派の鶏口にして牛後は、謎のインド人チャダである。名前がわからないインド人は、この列島の古式に則ってチャダと呼ばれてしまうのである。
 入り口のブロック塀に絡みつくやけに大きなポトスの葉を掻き分けると、ようやくその園名を彫り込んだ石板が発見できる。彼女は、実際にそうして、春愛公園の名を知った。彼女は実証主義の信奉者である。
 彼女が属していた小さなデザイン会社は、毎年秋口に香港への社内旅行を挙行する慣習があった。フリータイムになると、みんなブランドという名の宝石を探し求めてガイドブックが指し示す場所へと散っていく。契約社員だった彼女にはそんな金銭的余裕はなかった。そのときの、つまり数年前の、彼女の年収は百三十万円だった。とはいえ、年収の多寡に関わらず、そもそもブランドといったものが彼女の興味を喚起することはなかったのだが。
 置いてきぼりになった彼女の居場所は、春愛公園だった。彼女の興味は、宿泊しているホテルに隣接した春愛公園のブランコに集中していた。たっぷり与えられた時間を、彼女はブランコに乗って過ごしていた。
 香港くんだりまで出掛けて、ブランコ。なんのつもりか、ブランコ。香港でブランコを満喫したニッポンジンは、とりあえず、ローレックスの贋作を売りつけられたニッポンジンよりは少ないだろう。見聞した限りでは、彼女が嚆矢である。後進はない。空前絶後の彼女なのであった。
 ブランコは、愉しい。
 ひゅんと両脚を伸ばして遠い空にちょっとだけ近づくと、生い茂ったアカシアの複雑で柔らかな線と雑居ビルの素っ気なくてまっすぐな線とに切り取られた空が見えた。彼女の宝石が見えた。その空は小さかった。小さくても空だった。東京の空でもボンベイの空でもない、それは香港の空だった。
 彼女は、今年もまた来ちゃったな、と呟きながら、ブランコを思いきり漕ぐ。両脚を振り上げて、懐かしい小さな空を見る。
 そのチャダがボンベイ出身なのかどうかはわからない。そのチャダがその小さな空を見たかったかどうもかわからない。ただ単に、そのチャダはブランコに乗ることが無性に好きなだけだったのかもしれない。ブランコ依存症の発作に見舞われていただけなのかもしれない。
 つまるところ、そのチャダは、彼女が乗り終わるのを待っていた。いつもはそのチャダの独占物であったはずのブランコが、毎年秋口に、あの経済大国からやってきたひとりの女性に奪われてしまう。そのチャダにとって、彼女はライバルだった。それでもブランコはみんなのものだから、そのチャダはじっと待っていた。彼女がブランコに飽きるのをじっと待っていた。
 彼女としても、いくらなんでも、そのチャダの存在に気づく。
 彼女は、そのチャダに、小さな空を譲る。
「オハヨウ」
 ぎこちない口調で、そのチャダは言う。にこにこしながらブランコを譲り受ける。
 そういうときにはね、ありがとう、って言うんだよ。と、彼女は思う。思うけれども、うまく言葉で表現できないので、やっぱり単純に、にこにこしてしまう。
 お互いに、にこにこしながら、小さな空が譲渡される。
 多忙な日常の中で、彼女の脳裡に時折、春愛公園のブランコが横切る。去年も、おととしも、行けなかった。あのチャダさんは、どうしてるかな。あのブランコ、漕いでるかな。あの空を見上げてるかな。
 贅沢は、それを喪ってみなければ、それが贅沢であったことに気づかない。彼女はもう、それなりに糊口の道を確立している。思い立てばすぐにその場所へは行けるが、実際に強行すれば業務上各方面へ迷惑をかけてしまう。あえて赴いたとしても、あのブランコは、もうそこにはないだろう。ブランコはまだあるかもしれないが、あのブランコではなくなっている。
「そういうブランコなの」
 と、彼女は、心なしか寂しそうに呟くのであった。

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