183 98.05.29 「明日のあなたへ」

 園田君を説得するにはたいへんな艱難辛苦を伴いますが、およそひとたるもの、いつなんどき園田君を説得しなければならない事態に陥るか、それは誰にもわかりません。今日と同じ明日が訪れると考えるのは傲慢です。明日のあなたが園田君を説得ぜざるをえない立場に至らないと、いったいあなたは自信をもって断言できるでしょうか。明日のことはわかりません。わかりませんが、ささやかな可能性ではあっても事前の細やかな対処が万全であれば、安らかな一夜の眠りをむさぼることができるというものです。そうです、ひとは常に園田君を説得する可能性を胸に秘めて生きていかねばなりません。
 いやいや、あなたの人生です。私が口出しする筋合いはありません。けれども、あなたが人生を前向きに生きていきたいと考えるのなら、明日の園田君に対する備えを磐石たるものにしておくべきではないか、私はそのように愚考しております。
 私は、いささか園田君を知る者として、その手練手管の一端をここに開示し、悩める後進に園田攻略の道を拓きたいと切望してやみません。微力であり、そのうえ僭越ではございますが、園田君説得の指南役を努めさせて頂きたいと存じます。
 御存じないかもしれませんが、園田君は頑固です。いや、むしろ依怙地といっても過言ではありません。ひとたび口にしたことは、たとえ間違いであることがわかったとしても、訂正したりはしません。園田君はあくまで自説に固執します。やんわりとでもその誤謬を指摘されたら最後、園田君の自我は激しく傷つきます。単なる勘違いを指摘されただけでも、園田君は自らの存在そのものを否定されたと思い込んでしまうのです。いきなり怒りだすのが傷を負った園田自我の特徴です。分不相応の自我を抱いて、園田君は今日もこの空の下で生きているのです。三十二年の時を生きてきたのです。
 説得とは、いささかなりとも相手の考え方を変えさせる行為に他なりません。つまるところは、「自分が自発的に思いついたのだ」と相手に思い込ませる高度な話術があればよいわけです。この方法論に固執する向きは、ただちに書店に赴き実用書の棚を探し回るのがよいでしょう。私は、対園田戦の戦術を伝授いたしたいがためにこの稿を起こしたのですから、そうした一般的戦略を語るつもりはありません。明日のあなたの切迫した問題への対応策をお伝えしたいのです。戦略論にうつつを抜かしている場合ではありません。標的は園田君ただひとりです。明日のあなたに必要なものは具体的な戦術です。
 園田説得の第一声は、「君が小学校の四年生だったときだ」です。これしかありません。園田君を見たりはせずに、窓の外などを眺めながらのんびりした口調で語るのがよいでしょう。この瞬間、園田君の脳裡には「初恋のひと、田辺恭子先生」の笑顔がまざまざと浮かんでいます。
 第二声は、「なんてったっけ、君の担任の先生は」です。ここで、ちょっと間を置いてみるのも、よい戦術です。園田君はたまらずに言い募るでしょう。「た、田辺先生っ。田辺恭子先生っ」
 園田君、よほど田辺先生に心酔していたのか、たいがいこの手に引っかかります。
 さあ、すかさず浴びせかけましょう。「二学期の終業式の日に、田辺先生は君になんて言ったっけ」
 とたんに園田君の脳裡に田辺先生の柔らかなアルトが谺します。しているはずです。「園田くん、キミはほんとうはとってもいい子なんだから、みんなと仲よくしなくちゃだめよ。先生はちゃんと知ってるの。みんなと仲よくできなくても、キミがほんとうは素直ないい子だってこと。ね、わかるよね、キミはいい子なんだから」
 園田君の不遇な幼少期が偲ばれるというものですが、園田君は、あの日、田辺先生の髪から仄かに漂っていたシャンプーの香りを忘れてはいません。ああ、田辺先生、貴方の何気ないひとことが、園田君をかろうじて人たらしめています。貴方の暖かなことばを糧に、園田君は今日も生きています。私からもお礼を申し上げたい。ありがとう、二学期の終業式の日の田辺先生。
 もはや園田君は、骨抜きです。さあ、説得です。今ならもれなく園田君は「いい子」です。ばったばったと懸案を片付けてしまいましょう。
 もちろん、「愛くるしい笑顔が素敵な田辺恭子先生」が常に園田君に影響を及ぼすわけではありません。園田君の機嫌にもよりますし、懸案の重要性という問題もあります。いつもいつも、「営業一課の佐々木が結婚するんで、みんなでお祝いを贈るからさ。ひとり千円ってことで頼むよ」といった気軽なお願いを持ちかけるばかりではないのです。
 その程度のことであれば、田辺先生の思い出も有効に作用するでしょう。しかしながら、時には「あなたがお住まいのアパートが市の都市計画事業の施行により取り壊されることになりました。つきましては」といった難題を園田君に持ち込まざるを得ない状況に追い込まれることがあるやもしれません。懸案の重要度によって、園田君の対応も自ずと変わってくるというものです。
 難色を示す園田君への次なるアプローチは、亜沙美さんです。
 亜沙美さんとは、園田君の上位自我として誉れ高い妻女に他なりません。頑迷な園田君をいいように操りうる人材として、斯界では一目を置かれています。園田君と干支が同じ、つまりハタチの若さで、亜沙美さんは園田君を顎で使っています。亜沙美さんの言うことならば、園田君は条件反射のように従います。すなわち、亜沙美さんを落とせば、園田君は意のままです。
 この手法の問題点は、出費がかさむ点に尽きるでしょう。亜沙美さんは、物事の理をあまり重視しません。亜沙美さんを動かすものは、進物です。寄進です。つまり、賄賂です。これまでのデータによると、グッチのセカンドバッグが高得点を挙げています。とはいえ、セイシェル島の名も知れぬ浜辺で拾った貝殻が亜沙美さんを衝き動かした記録もあり、亜沙美さんの嗜好の全貌は未だ明らかにはなっておりません。確実にわかっているのは、海外で入手した品でなければならないが、DFSの包装にくるまれていると即座に却下される、といったところです。園田亜沙美、一筋縄ではいきません。
 いかがでしょうか。明日のあなたの園田君に対する備えを、私の知る限りにおいてお伝えいたしました。最後に老婆心ながらひとこと申し述べておきますが、その懸案がなんであれ、園田君が説得するに値しない人物であるという不動の真実については、けして考えてはなりません。虚しくなるだけですから、くれぐれも考えてはなりません。
 世の中は、もともと理不尽なものです。あるいは、世界は理不尽で構成されています。
 明日のあなたのことは、今日のあなたにはわかりません。

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