181 98.05.17 「親族の祭典」

「いや、もう、くたびれ果てたよ」
 西本さんは浮かない表情を浮かべて、しきりにぼやくのであった。浮かないものを浮かべるのは妙だが、世の中は割りきれないものである。割りきれない感情があり、割りきれない仕組みがある。
 私の知っている西本さんは、課長西本俊介四十六歳明朗快活といったものであるが、西本一族という割りきれない仕組みに取り込まれた存在としての西本さんは、いま確かに浮かない顔つきなのであった。沈欝といっても過言ではないほど疲れ切った様子なのであった。
「しかしまあ、今度ばかりは俺はほとほと参ったよ」
 西本さんはひたすらにぼやくのであった。どうやら、自身に勃発している大難事について愚痴をこぼしたい意向のようである。
 知人の愚痴に耳を傾けるのも、シャカイジンの務めではあろう。ここはひとつ、聞かねばなるまい。
 それは、庶民にはわかには理解しがたい別世界の物語であった。
 西本さんが地元の旧家の出であることは知っていたが、その旧家というのがいささか世間の常識からずれているのであった。
 その当主、西本弥五郎は、大地主であった。往時のスケールはないが、今でも大地主である。その膨大な不動産を管理するためだけの会社があり、相続が生じない限り順当な収益をあげている。その社長は番頭と呼ばれる。地元の政財界において、西本弥五郎の番頭はたいへんな力を持った名士である。
 西本弥五郎の名は代々受け継がれる。襲名されるのである。「襲名」という事由によって戸籍が書き換えられるのである。西本弥五郎が没すれば、その嫡男はある日突然、本名が変わる。西本弥五郎になる。西本弥五郎所有の不動産は、西本弥五郎から西本弥五郎へ相続登記される。遺産分割協議書は作成されるが、実態は家督相続である。民法その他に保証された権利を主張する他の相続人はいない。一族はすべからくそういうふうに教育されている。西本弥五郎の全財産は、西本弥五郎が継承するのである。
 西本一族においては、民主主義は永遠に排斥され続ける。
 私は心底驚愕した。そんな前近代的な世界が脈々と生き長らえていたとは。
「ずいぶん困った世界ですねえ」
「そうだろ。困るんだよ、もう」
 西本さんは本格的に困っているのであった。西本さんは今年の燕子花祭の幹事なのである。燕子花とはアヤメ科の多年草であるところのカキツバタであり、西本家の家の花である。家の花だ。県の花、市の花が制定されているように、西本家には家の花があるのだ。ちなみに、家の鳥は鶇で、家の木は欅である。ツグミとケヤキなのだが、西本一族は誰もが皆、その漢字を書けるそうである。妙な一族と断ぜざるをえない。
 燕子花祭は、毎年五月の第三日曜日に開催される。西本一族が西本弥五郎の下に集結する。形態としては単なるパーティなのだが、二百余人が一同に会するのだから一筋縄ではいかない。開催される場所は、西本弥五郎の地所に建築された西本弥五郎所有のホテルの「欅の間」である。欅の間は、年に一度、燕子花祭の折にしか使われない。ウィンブルドンのセンターコートもびっくりの贅沢である。
 西本さんは、去年の燕子花祭の際に幹事を仰せつかった。オリンピックの閉会式において五輪旗を次の開催都市の市長に受け渡す儀式があるが、あのような具合で幹事の胸章を引き継いだのだそうである。同時に、西本弥五郎じきじきに預金通帳とその口座開設に要した印鑑が授与される。次期幹事の任命である。通帳には西本弥五郎のポケットマネー三千万円也が輝いている。この金で次回の燕子花祭を滞りなく行え、との厳命が下った瞬間だ。
 以来、この一年、西本さんは苦慮を重ねてきたのである。西本さんばかりではない。その奥方もまた、辛い一年を送ってきた。
 燕子花祭の幹事を任命されたとなれば、西本一族において一人前になったと見做されたと考えてよいのだが、ただの幹事ではない。著しい心労を伴う艱難辛苦だ。
 幹事を拒否したらどうなるか。「まあ、命を取られることはないけどねえ」と、前提からしてとんでもないことになっている。「あらかじめ海外に永住権を取っておかないと無理だろうなあ」とのお言葉である。拒否するには、このくにを離れて二度と帰って来ない覚悟が必要らしい。
「マフィアみたいですねえ」
「まあ、そんなものかなあ」
「過去に拒否したひとはいたんですか」
「いないよ」言下に否定した。「つまるところ、宴会の幹事をやるだけの話だからなあ。なんとかやり遂げるしかないんだよ」
 なんとか、である。やり遂げる、である。居酒屋に電話をかけて「今度の金曜日六時から、十五人ね。そうそう。じゃあ、とりあえず三千円のコースで。あとは適当にオーダーするから」などとやっている幹事とは、根本的にその重さが異なるのであった。
 席順を決めるだけでも一仕事だ。群れ集う一族には、その血の濃さ、家格などによって自然に序列がある。伝統的に犬猿の仲の家筋もあり、細やかな気遣いが要求される。
 催し物にも頭を痛める。基本的には広告代理店に発注して、司会から何からすべてを取り仕切らせるのだが、その打ち合わせだけでも相当な労力が必要とされる。誰を呼ぶかも重要なポイントとなる。訊くと、テレビでお馴染のあの歌手がやって来るらしい。
「そりゃあ、私も行きたいですねえ。紛れ込んじゃまずいですか」
「だめだよ、よそ者は」
 よそ者扱いされてしまった。
 土産物にも気を使わなければならない。西本さんは、なんとか焼の皿を用意したそうであるが、これが一枚五万円である。三千万円をきれいさっぱり使わなければならないのである。すべての支出は、西本弥五郎名義でなされる。事後に会計報告書を提出しなければならないのである。そこには西本さんやその奥方の人件費は、びた一円も含まれない。西本一族の、それが掟だ。
 燕子花祭の最後には、西本弥五郎のスピーチがある。ここで、本年の燕子花祭の総合評価が下される。伝統的に、青、朱、白、黒の色使いで西本弥五郎の満足度が表される。優、良、可、不可といったところか。「青い」とか「白く」などといったフレーズがスピーチの中にさりげなく織り込まれる。これをもって、幹事の器量が定まるのである。つまるところ、西本一族の中におけるその人物の地位が確定するのだ。なんとも恐ろしい話である。
「過去に、黒はあったんですか」
「あったよ」
「そういう幹事は、その後どうなるんですか」
「たいへんだよ」西本さんはそう言って沈黙し、やがてつぶやいた。「何年かして、自殺したね」
 ひえええ。
 なんでも、黒の烙印を押された人物は、その後の親戚付き合いにおいて著しい困難が生じるものであるらしい。つまり、一族には不要と見做されたのである。西本弥五郎が不要と決めたのだから、一族こぞって右に倣うしかないのであった。
 今年の燕子花祭は、本日、執り行われた。さきほど西本さんから電話があった。
「明日、休むから、よろしく頼む。女房が倒れちゃってね、いま病院なんだ」
 私は唾を飲み込んだ。「な、何色だったんですか」
「朱だったよ」ありありと安堵がうかがえる口調だ。
「そりゃよかった。で、奥さんは」
「ただの過労らしい。ほっとしたんだろう。一年間、気を張り通しだったからなあ」
 そりゃあ、ほっとするだろう。
 電話を切った私はつくづく思った。西本一族に生まれなくて本当によかった、と。

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