176 98.04.07 「ビニール傘がない」

 テレビのニュースで、男性記者がレポートをしている。生中継だ。なにかの裁判の現場となった場所で、右手にマイクを握っている。
 さすれば、左手は何をしているか。これがまた、傘を握っている。雨が降っているからだ。雨が降っているならば、傘をさす。私もそうするし、あなたもそうするし、件の記者もそうする。濡れるのが嫌だとか、単なる習慣だとか、好きだったおばあちゃんの遺言だとか、その理由は様々だろう。どんな動機であれ、雨が降れば私達は傘をさす。あるいは、なんの動機もいらない。そういうことになっている。
 かっぱを着用することもあるだろうし、ただずぶ濡れになっていたいときもあるだろうが、多くの場合、私達は傘によって雨をしのぐ。
 件の記者の事情も変わらない。都会では自殺する若者が増えているというのなら、その現場に赴き、なんらかのレポートをなさねばならない。傘がない、などと甘ったれたことをほざいている状況ではない。ビニール傘をさして、現場の臨場感を電波に乗せなければならない。それが、彼の使命である。仕事である。彼が選んだ道である。
 ビニール傘である。降雨となれば、駅の売店やコンビニエンスストアの店頭を飾るあの安っぽい傘である。安っぽい上に実際に安い例のあの傘である。
 テレビの画面に登場する記者は、ほとんどすべてビニール傘を携えている。イブ・サン・ローランやミチコ・ロンドンやウンガロの傘をさしては出てこない。彼の経済状況や趣味嗜好を想像すれば、そういったブランド物の傘を持って現れるのがいかにも自然であるように思えるが、実際にはそうではない。
 ビニール傘である。ビニール傘をさして、彼は登場する。生地は透明だ。把っ手の部分は、必ずと言っていいほど白と相場は決まっている。王道を往くビニール傘を持って、彼は視聴者の前に姿を見せる。まず例外はない。現場の記者は透明なビニール傘を携えて出現する。
 見栄え、特に照明に起因する事情で、透明が尊ばれるのであろう。それは、わかる。
 が、はたしてそれだけの理由か。彼等は、それ以外の傘を不謹慎と決めつけてはいないか。雨を避ける道具ではなく、演出上の小道具としてビニール傘を採用してはいないか。わずらわしい非難を避ける、ただそれだけのためにわざわざ安価なビニール傘を調達しているんじゃないのか。
 かねてよりそうした疑問を抱いていたところ、私はさきほどついに現場を押さえるに至った。裁判の報道は終わり、交通事故のニュースとなった。新たなる現場に、また別の記者が派遣されていた。段取りに不都合が生じたのであろう。いきなり画面が切り替わり、現場のディレクターとおぼしき人物と打ち合わせ中の記者が登場した。明らかにうろたえている。
 その手には派手派手しい傘が握られていた。ベネトンに他ならない色使いであった。
「見ーっけっ」
 私は大喜びで、ブラウン管を指さした。
 気を取り直した記者は、悔しそうにレポートを伝え始めた。横合いから差し出された透明なビニール傘を邪険に振り払う仕草が、キュートである。もはや、遅いのだ。取り繕うことはできない。さぞかし辛かろう、無念だろう。普段着を視聴者の前に曝さねばならないのである。正装たる透明な傘を身につけずに、私物のベネトン傘をさして、とある事故現場からレポートを伝えなければならないのである。彼の職業倫理はずたずたである。心なしか震える声の裏側に、私は彼の激しい動揺を嗅ぎ取った。
 それにつけても、スタジオで安閑としているキャスターよ、マイクを引き取るや否や開口一番に「失礼いたしました」は、なかろう。ベネトン傘を握り締めて悔恨に打ち震えている記者の立場は、いったいどうなるのか。
 どうなるのかって、上司に怒られちゃうんだろうけど。

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