169 98.02.19 「ねえねえ、レジのおねえさん」

「298円、80円値引きです。188円、30円値引きです。244円、50円値引きです」
 ねえねえ、レジのおねえさん、なにもそんなに連呼しなくても。まるで私が値引きのシールが貼られた品ばかりを選りすぐったみたいじゃないですか。
 たまたまなんです。本日は、たまたまですね、値引き品ばかりが集中しちゃっただけなんです。いつもの私は、値引き品なんて見向きもしないんです。い、いや、見向きはします。む。わかりました、本当のことを言います。時々、値引き品を買います。
 ……すいません、懴悔します。私は、値引き品を、頻繁に買います。閉店間際の値引き品なしに、私の食生活は成り立ちません。
 でもね、レジのおねえさん、そればっかり買ってるわけじゃないんだよ。今日はね、たまたま、値引き品の比率が多かっただけなの。ちょっとね。ちょっと多かっただけなのよ。たまたまなの、たまたま。なんだったら見せましょうか、私のたまたま。
「326円、50円値引きです。148円、20円値引きです」
 ねえねえ、レジのおねえさん、だからさ、いちいち確かめなくてもいいんじゃないですか。私はね、わかってるの。かごの中に値引き品が多いことは重々承知してるの。こと細かに確認していただかなくて結構なんです。おねえさん、その顎の線がきれいなんだけど、その職務に律儀な姿勢が惜しいところだなあ。
「238円。184円」
 ね。ね。値引き品じゃないのも買ってるんだよ。その238円の豚コマなんかね、色つやを吟味しちゃったんです。
 こう見えても、ってあなたのつぶらな瞳に私がどう見えているのかはわかりませんが、私は体面を重んずる質なんです。ねえねえ、レジのおねえさん、だからさ、値引きの金額は省いてもいいんじゃないですか。この期に及んで、なにもいちいち読み上げなくてもいいじゃありませんか。いやもちろん、あなた方の行動の規範となっている接客マニュアルというものが存在するのは知っています。レジ係としてはきはきと全てを読み上げるべく、あなた方が日々精進なさっておられるのは存じております。
「84円、20円値引きです。452円、90円値引きです」
 だからって、なにもそんなに職務に忠実にならなくても。杓子定規ばかりじゃこの世はうまく転がっていきませんよ。もっと融通をきかせてみてはいかがなものか、私はかように進言いたしたい。言わぬが花、とも言うじゃないですか。あうんの呼吸で、わかってくださいよ。私とあなたの仲じゃないですか。いや、初めて会ったばかりですが。
 差し出がましいようですが、その冷たい口調はなんとかしたほうがいいんじゃないでしょうか。そりゃあ、あなたも支店対抗レジ大会で好成績を納め、店長から顕彰された輝かしい歴史があるのかもしれません。ミス・レジ娘とちやほやされた甘美な記憶があるのかもしれません。しかしですね、世の中はマニュアル通りではやっていけないんです。世の趨勢は規制緩和です。ねえねえ、レジのおねえさん、あなたにも情があるのなら、弾力的な運用があってもよろしいんじゃないでしょうか。
 もはや私の体面なんか、どうでもいいんです。私はあなたの将来を思って、あえて苦言を呈しているのです。しかし、私の苦衷はあなたに伝わりません。私はそれが哀しい。
「2162円のお買い上げです。ありがとうございました」
 ……ま、値引きの合計金額を言わなかったから許してやるとするか。

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