167 98.02.15 「シャーベットの憂鬱」

 またしても雪。当たり年らしい。
 このたびの降雪量はさほどのものではないらしく、シャーベット状が出馬するかどうかはまだわからない。シャーベット状は今年の当たり語で、関東地方では主にニュースや天気予報を中心に活躍している。実際には、降雪の翌日の路上に活動の場を求める性癖があり、交通事故の原因としてその名を馳せている。
 注意せよ、とマスメディアは語るのであった。危険だぞ、転ぶな滑るな転がるな、と。
 シャーベットにとっては、降って湧いた受難の日々となった。来たるべき夏に備えて鋭気を養っていたところ、いきなりのお召しだ。しかも、慣れない冬の舞台に立ってみれば、状と名乗る得体の知れない輩と強制的にコンビを組まされているのである。シャーベットの胸に兆した名状しがたい不安、推して知るべしであろう。シャーベットにとっては、惨々なオフシーズンである。
 宿命のライバルたるアイスクリームの勝ち誇った表情を思い浮かべながら唇を噛みしめるシャーベットの、ここが切所である。シャーベットは氷菓の一種としてあまたの婦女子の支援を得た他、主にデザート界において数々の成功を収めてきたのだが、その輝かしい経歴に瑕疵が刻まれつつある。由々しき事態と言えよう。
 状である。状のせいだ。状がシャーベットを窮地に追い詰めている。
 立つんだ、状。などと呼ばれて、のこのこ出てきてシャーベットにぴったんことくっついちゃったのだ。
 状も機嫌のいいときは、年賀にくっついて人様の交流のお役に立ったり、告訴にへばりついて正義の何たるかを語ったりしてきたのだが、いまシャーベットにフジツボのように強固に付着してその最も醜悪な一面を露呈しているのである。
 アスファルトの上で固体と液体の境界線をたゆたう、降り積もった雪である。本来、シャーベットにはなんの関わりもなかった。その状態が似ているからといって、似ているからといって、からといって、シャーベット状ときたもんだ。不運なり、シャーベット。
 諸悪の根源は、状だ。状さえ背後に現れなければ、こんな沙汰にはならなかったのだ。状が出現した瞬間から、シャーベットの人生は暗転した。アイスクリームの牙城を崩すことだけを考えていた日々に、突如として冤罪が降りかかってきたのである。
 状という名の疫病神は、シャーベットが築いてきた地道な営為を粉々に打ち砕いてしまったのだ。
 シャーベットは叫びたいだろう。オレは誰も滑らせていない。転ばしてなんかいない。交通事故なんか起こしていない。それは、雪の仕業じゃないか。
 さよう、シャーベット状の雪の仕業に他ならない。シャーベット状の雪には、情状酌量の余地もない。そう、シャーベット状の雪には。
 やがて、春の訪れとともに、状はシャーベットの許を離れていくだろう。そのときにはもはや、シャーベットの名声は地に堕ちている。陽炎の向こうでほくそ笑んでいるだろうアイスクリームの後ろ姿を追いかけながら、シャーベットはまた夏への扉を目指して歩き出さなければならない。遥かな距離を埋めなければならない。失った時間を取り戻さなければならない。
 シャーベットの憂鬱は、終わらない。

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