152 97.12.01 「素人のあかさたな」

 素人のあかさたな。
 と、うっかり言い間違えた恥しい経験のない方はよもやあるまいとは思いますが、万が一まだやらかしたこのない方がいらっしゃいましたら、早めに言い間違えることを強くお勧めするものです。これははしかと同じようなもので、大人になってからやるといささか厄介なことになります。いわば、はしかのようなものです。はしかをひととおり体験しておくべき重要性は、いみじくも先人が語るところです。私の病気がはしかならば、などと鹿賀丈史になっている場合ではありません。
 あさはかさ、言いにくいものです。あかさたな、と言い間違えてなんの不思議がありましょう。浅墓さ、漢字を思い浮かべて初めて、ようやくぎこちないながらも言えるものです。浅い墓。それはたしかに浅墓ではありましょう。素人は浅墓です。「あかさたな」と言い間違えるほどに。
 胸に手を当てて思い出してみましょう。
 思い出せませんか? あなたは過去のある時点で、たしかに言い間違っているんです。「素人のあかさたな」と、あなたはたしかに口にしているんです。思い出せないだけなんです。
 もしかして、忙しい日々の中で、言い間違ったことにすら気づかないほど、あなたは疲れているんじゃないでしょうか。そう。あなたは憶えていないだけなんです。疲れているんでしょう?
 「あさはかさ」のつもりが、「あかさたな」。幼い頃から馴れ親しんだフレーズが口をついて出たとしても、いったい誰があなたを責められるでしょう。あなたの周囲の人々も、それはわかっています。気づかないふりをして優しく微笑みながら、あなたの言い間違いを不問に付してきたのです。けして咎めることなく、なかったものとしてやりすごしてくれたのです。あなたの記憶にないのは、そうした善意が作用したお蔭に他なりません。
 それにつけても、「あかさたな」。「は」の立場がありません。目の前で扉をぴしゃりと閉ざされて十二支に入り損ねた猫のような立場の「は」は、いったいどうなるのでしょうか。しかし「は」には格助詞という奥の手があるので、ここはひとつぐっとこらえて頂くほかはありません。「わ」の皮を被ることによって「あかさたな」の背後にそっと隠れて密着する裏技を、「は」は既に有しているのです。なんとかこらえて頂きましょう。第一、「は」を例外として認めてしまいますと、「ま」や「や」が黙ってはいないでしょう。「ら」に至っては、寝た子を起こしてしまうかもしれません。その一方で、「いきしちに」も「俺の青春を返せ」などと言い出しかねない不穏な動きを見せております。ナンバー2というものは常に鬱屈を抱えて日々を過ごしているものです。あまつさえ、「おこそとの」といった社会の底辺で健気に生きる彼等の存在も蔑ろにしてはなりません。
 そういった諸々の背景を無視するわけにはいきません。ここはひとつ、「あかさたな」以外のことは考えないことにしましょう。もう、存分に考えてしまいましたが。
 耳を澄ませてください。「あかさたな」の切なる声が聞こえるでしょう。「あたしだけを見つめて。他のひとは見ないで」と。聞こえませんか? なに、聞こえた? それは幻聴です。お医者さんに診てもらったほうがいいでしょう。
 それでもまだ、確信を持って「私は、いまだかつてそんな言い間違いをしたことはない」と胸を張って断言できる方がいらっしゃいましたら、悪いことは言いません。早めに言い間違えて下さい。たいしたことじゃありません。ついうっかり、というのが基本的な用法です。くれぐれも、意図的であると悟られないようにそっと言い間違えてください。
 なにも、つい先日、私がそう言い間違えて赤っ恥をかいたから、言うんじゃないんです。断じて、ないんです。私は、自分が屈辱にまみれたからといって他人にもそれを味わせようなどと考える卑劣漢ではありません。断じて、ありませんっ。

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