150 97.11.29 「もうすぐ来る」

 我が家において、新築マンション、裏ビデオと並んで迷惑チラシ御三家の一角を担うのが、宅配ピザ屋のチラシである。よそ様のお宅では、また別の御三家があろう。我が家といっても私ひとりで構成されているわけで、迷惑チラシを郵便受けに発見するのは私に他ならない。すぐさま、クズカゴに叩き込む。あ、いまちょっと嘘ついちゃった。裏ビデオのチラシはしばらく眺めてから捨ててるな。ゑへへ。
 かねがね不思議なのだが、宅配ピザ屋というのは、いったい経営が成り立っているのであろうか。あのような代物をわざわざ配達してもらう神経が、まず私には理解できない。そこまでして食したいものなのであろうか。
 かつて一度、我が家を訪れたピザ好きの友人が宅配ピザ屋に電話をしたのだが、あいにく定休日で、その友人はがっかりし私は内心ほっとしたことがあった。ピザという時に役に立たないのである。そういう体験もあって、私の宅配ピザ屋に対する印象は日増しに悪化の一途を辿っている。ピザ自体へのそれもまたしかり。
 私の生活圏へ侵入してこないでほしいと消極的に願っているのだが、そこはピザのやることだから、遠慮というものがないのである。たとえば、洋風居酒屋などで視界に入ってくる。同行の誰かが注文するのである。私は見なかったふりをしてサラダなどつついて御満悦なのだが、「おまえも食えよ」などと最後の一片を差し出されてしまうのである。両手では足りない数の断る理由をすかさず思いつくが、親切で言ってくれているのだから、面倒になって食ってしまう。断るのがめんどくさくて、食うのである。咀嚼しながら、「ピザ食っちゃったなあ」と思う。もしこのとき、「うまいか?」と問われれば「うまい」と答えるだろうし、「まずいだろ」と同意を求められたら「まずい」とうなずくだろう。どうでもいいのである。私は早く安息の地たるサラダに戻りたい。
 ピザである。ピッツァなどともいう。イタリア人が生み出したものは、車にしろファッションにしろ当たり外れが極端で、そこが彼等の愛すべき美点なのだが、私にとってピザは外れである。パスタという絶妙な遺産を未来に伝えた彼等は、その一方でやっぱりピザなどという駄作を産出していたのであった。
 どうも、位置付けがわからない。たとえば、御飯は主食でおせんべは間食である。湿と乾という観点がそれを裏付ける。湿のパスタは主食である。では、ピザはどうなのか。パリパリしている外皮があったかと思えば、生地の内部や具は潤沢だったりする。私としては、はっきりしてもらいたい。いったいあんたは堅いのか柔らかいのか。なによりも、主食なのか間食なのか。どちらでもいける、などという態度は私を激怒させるだけなので、どうかひとつ、ここは自らの氏素性、立場、今後の展望などを明らかにしてもらいたい。返答次第によっては、私にも考えがある。
 さきほど、件の友人が白ワインをぶら下げてやってきた。「なにかツマミが欲しいな」とつぶやき、私の涙の懇願にも関わらず、宅配ピザ屋にLサイズのなんとかというピザを注文したのである。まあ、それはよい。こやつが食えばよいのである。
 しかるに、こやつの恋人よ。なぜにいきなりこやつの携帯電話を鳴らすか。あまつさえ、なぜにこやつを呼び出すか。
 「わりい、わりい」と、こともなげに友を見捨てて立ち去ったあやつもあやつである。私は白ワインとともに、取り残された。
 もうすぐ来る。
 宅配ピザ屋が来るのである。
 逃走するにはもはや遅すぎる。
 部屋の灯りはすべて消した。
 それでもまだ、気の弱い私は、今このとき、居留守を使うか否か大いに迷っているのであった。
 それにしても、この白ワインはうまいな。

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