126 97.08.11 「最下段のかくし芸」

 新聞の第一面の最下段に居並ぶ広告群の怪しさは、私にヨロコビをもたらしてやみませんが、昨日またまた傑作が現れました。嬉し涙が止まりません。ボウダの涙です。なまくら包丁で玉葱のみじん切りするときのアレです。ん、ちょっと違うかも。
 「鈴木博美が金」とか「空飛ぶ“東京タワー”」などの見出しが燦然と輝く第一面を下に辿っていったところ、件の広告が出現しました。何日か経ってから読む場合のために解説を加えておきますが、第6回世界陸上大会のマラソンで鈴木選手が金メダルを獲得し、郵政省が放送電波の中継所として飛行船を飛ばす計画を明らかにした、ということのようです。鈴木さんがカネを要求したわけではありませんし、立ち疲れた東京タワーがどこかへ飛んでいってしまったわけでもありません。世の中、そんなに面白いことばかりじゃないのです。鈴木選手も郵政省も御苦労様です。
 とはいっても目下の話題は、日本カルチャーセンターによる「かくし芸名人講座」です。かくし芸名人、です。かくし芸。かくし芸、に他なりません。頭がくらくらしてきますが、この恐るべき現実を冷静に見つめましょう。
 かくし芸です。隠れてます。正月にフジテレビ系列で散見される以外、注目されることはなかったかくし芸が、いま真夏日と熱帯夜が続くこの時期に唐突にその存在を主張し始めたのです。
 どっと脱力しますが、うががっと気合を入れ直して「かくし芸名人講座」を凝視してみましょう。
 とにもかくにも船長、その講座は、突飛すぎやしないでしょうか。あまりに飛躍が過ぎやしませんでしょうか。しかし需要あるところに、日本カルチャーセンターあり。どんなに少ない需要であろうとも、日本カルチャーセンターは供給を欠かさないのでした。
 メインコピーはふたつ。「もてる人はひと味ちがう!」「あなたもスグ、宴会のスターに」。なにかこの、いま見たことは早々に忘れて、すぐにでも山あいの鄙びた温泉宿に逃避したくなる衝動を抑えきれません。いいからもう、もてなくていいから、ひと味違わなくていいから、宴会のスターなんかになりたくないから、などと書き置きを残して、傷心を癒しに湯治に赴きたい自分を否定できません。心ゆくまで湯につかって、忘れたいことがあったことすら忘れたいと願ってやまない私です。
 「もてる」というのは未だに肯定的な価値観だったのでしょうか。「宴会のスター」って、それはかなりいたたまれない存在に思えますが。いや、まいったなあ。いや、ほんと、まいったですよ。あ、私、うひょうひょとヨロコんでますが。
 どのような立場のひとがどのような人生を通り過ぎてどのような動機を抱えて受講のやむなきに至ったのか、容易に想像できてしまうところがたまりません。さぞかし長い間、宴席で屈辱を味わってきたおとうさんなのでしょう。それは辛い日々だったことでしょう。しかしおとうさん、己の無芸を欠点と思い込んでしまう感性には、そんな講座を受けても何も身につかないと思いますが。そうですそうです、そのようなコピーにココロを動かされる感性です。
 お願いですから、酒席ではで~んと構えて黙々と呑んでてくださいよ。
 ボディコピーも私を喜ばせてやみません。まず、効果を謳いあげております。「男、女、芸下手の人まで、たちまちモテモテになる「かくし芸名人講座」誕生」なんだそうです。男、女に次ぐ第三の性、芸下手の登場です。無芸がそれほど重要な問題であったとは知りませんでした。その三つの性のすべてがモテモテになってしまうほどの講座だと言ってます。モテモテ。いったいどこの言葉でしょうか。モテモテ。いつ墓場から甦ったのでしょう。いいなあ、モテモテ。時空間が歪んでいる模様です。
 「急な指名にも、宴席のモノを使い、大ウケの宴会芸がスグできる」とも語っております。実践的であるとの主張が垣間見られるところです。具体的な方法論を伝授せしめん、といった気概が窺えます。「急な指名にも」が切実です。急な指名に泣かされてきたおとうさんたちを、ぐっと引きつけてます。急な指名には備えておかなければと考えるおとうさんたちは、ぐっと引きつけられてしまうのです。
 しかしおとうさん、宴会芸ができないひとは死ぬまでできないのです。付け焼き刃の芸はけしてウケません。私もなにひとつできないので安心してください。ええ、私は芸などなにもできませんとも。できませんったら、できません。急な指名どころか、一年前からわかっていたって、できないひとにはできません。
 こいつに宴会芸をやらせたって座が白けるだけだ、といった認識を周囲に植えつけたほうが手っ取り早いと思うんだけどなあ。私はそうしましたが、ま、普通の社会で生きていこうとすると、なかなかそうもいかないんでしょうね。
 って、私が暮らしている社会も普通ですよ普通。ほんとほんと。
 こういう広告が出現する、ごく普通の社会ですってば。

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