123 97.08.04 「センチメンタル・ジャーニー」

 あの三和農林株式会社が新作を出したらしい。
 新たなカイワレ大根を求めて、私は旅に出た。
 三和農林株式会社といえば、カイワレ大根史上に燦然と聳え立つ金字塔「かいわれちゃん」を世に問うた進取の気性に溢れるベンチャー企業として、その筋ではたいへん高い評価を受けている。もっとも、その筋の線上に人影は私しか見当たらないが。私もG線上のアラヤと呼ばれた男だ。こうなったらもう、正面からとことん三和農林と対峙してみたい。なにがこうなったらなのか、ぜんぜんわかってないけど。
 この旅が私になにをもたらすかはわからない。なにひとつ収穫のない旅になるかもしれない。それならそれで構わない。旅人は、いつだって孤独だ。失望は、どんなときでもすぐ傍にいて、登場の機会を狙っている。
 最初の訪問地はKストアである。この界隈では揺るぎない地位を築いているチェーン店だが、商品の鮮度という点で致命的な欠陥を抱えている。鮮度なんて気にせんど、といった低能ダジャレに見られる魯鈍な態度が私の足を遠ざけさせてきたが、って、オレかこんなしょうもないダジャレ言ったのは。アタマ悪いんじゃないか。とりあえず、ここには問題の品はなかった。カイワレ大根は置いていたが、目的の三和農林産ではなかった。
 私はスーパーM屋に向かった。品揃えがきわめて薄いものの品物の鮮度を前面に押し出して、通を唸らせてきた店である。玄人好みと近所では物議を醸している。あ、通とか玄人とかってオレねオレのことね。しかしながら、最近がらりと路線を変え、一気に雑貨コーナーを充実させるなどの愚策を弄して、識者の眉をひそめさせているのであった。あ、識者ってもちろんオレのことね。現在、M屋はホームセンターと見紛うばかりの商品展開を見せている。M屋をM屋たらしめてきた鮮魚並びに精肉コーナーは、半分の面積になってしまった。庶民の悲嘆の声を耳にするにつけ、私は小さな胸を痛めている。私が自分で嘆いて、自分で傷ついているだけだが。井野団地という大票田を背景につい二年ほど前に誕生したばかりのM屋だが、その経営戦略にきわめて杜撰な見通しかないように思われる。だいたい、この店はそもそもカイワレ大根を置いていない。
 次に私が訪れたのはスーパーM田である。ここはしばらく前に大改築を行い、見事な再生を見せつけてくれた。それまでは、二階に衣料品、一階に食品という時代錯誤的な姑息な手法を採用していたのだが、一念発起してワンフロアで食品だけを贖なうという今日の姿に生まれ変わったのだ。過ちは誰にでもある。大切なのは、過ちを認めることだ。広大な床面積を品揃えに振り向けた姿勢は、良識ある人々の間で好感を呼んでいるという。あ、しつこいようだけど、それ、オレのことね。オレオレ。間で、などといいつつ、相変わらず私が私の好感を勝手に呼んでるだけなんだけど。で、まあ、ここにも問題のブツはなかった。
 どこにあるのか。三和農林株式会社の新作よ。
 私は疲労を覚えながら、まだ見ぬカイワレ大根に思いを馳せた。さぞかし可憐な双葉であろう。緑と白のコントラストが鮮やかに映えているに違いない。私は脳髄に響く食感の歯切れよさを想像しながら、徒労となりはてそうな旅を続けた。
 私はTストアに望みを託した。少なからずスノビズムが横溢した品揃えを特徴としており、普段はあまり訪うことはない。いささか高価でもある。だが、ここもやっぱり土砂降りだった。
 IY堂にも足を向けた。って、そのまんまだが。Yマート、Mエツ、I屋、Jコ。私のスーパー遍歴は積み重なっていった。版図は次第に広がり、七市町村を股に掛ける大航海時代が訪れるに至った。
 どこにもなかった。
 D屋でやっと発見した。ここは近所にあるのだが、過去に私はここで不祥事を起こしており、D屋だけは避けていたのだ。だが背にカイワレ大根は代えられぬ。仕方なく、意を決して足を踏み入れた。
 ま、こういうところにあるものである。「新衛生基準をクリアした乳酸菌応用の健康水耕野菜」と謳われた三和農林株式会社の新作「乳酸菌 かいわれ」は、ようやく私の目の前に姿を現した。
 いやあ、普通のカイワレ大根だったけどね。ふつうふつう。なんちゃない。
 なにが新衛生基準だか。48円だって。舐めているのか。オレがいったいいくらガソリン代を使ったと思ってるんだ。
 旅とはそういうものではあるけれど。

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