117 97.07.16 「いふばあちゃんとドクダミ」

 いふ、である。英語に訳せばIFである。訳しちゃいねえか。IFである。
 もしも、なのである。「もしも、ピアノが晴れならば、小さな家を建てたでしょう」と、いにしえに歌われたあのもしもである。野球にタラやレバは禁物だと解説者のひとはよく言っているが、モシも禁物なのであろうか。モツは臓物なので、モシが禁物であってもいっこうにかまわない気はする。そんな気がしてしまう自分が嫌だが。
 彼女の名は、いふ、なのであった。ゆう、と発音するのであろう。
 その表記を知ったとき私はすかさず畏怖したが、もちろんこれはお約束というのものだ。約束を破るのは仕方がないが、お約束は守らなければならない。
 本名であろうと思われる。大家さんの表札においては家族全員の名を連ねるスタイルが採用されており、そのように表記されていたのだ。いふ、が、彼女の名前である。大屋さんちのおばあちゃんである。
 いふばあちゃんとは時折挨拶を交わすだけの間柄だが、いつも見下すような言い方になってしまう。いふばあちゃんと会うとき彼女は必ず草取りをしており、どうしても視線を斜め下に向けなければならないのだ。いふばあちゃんは草取りをするために産まれてきたのではないか、という気さえする。ああ、そんな気がする自分が嫌。
 いふばあちゃんは我が家の庭の雑草を駆逐するだけでは飽き足らず、隣接するアパートの周囲の雑草までを徹底的に掃討するのであった。問題はドクダミである。ドクダミといえば、ドクダミ科の多年生植物としてこの界隈ではちょっとは知られた大立者だ。健康に寄与するという思いのほか優しい一面があるとの風説も聞く。このドクダミが満開となる一画があるのだ。他の雑草はいっさい生えない。もはやドクダミ畑としか思えない。私は毎日、あの独特の芳香を放つその一画の横を歩く。そこを通り過ぎなければ私はどこへも出掛けられない。
 いふばあちゃんは、ドクダミなんかに臆しない。徹底的な除草作業は黙々と続けられる。ドクダミもドクダミで、少しは手加減してあげればいいのにと思うのだが、きゃつにもきゃつなりの事情があるらしく、すかさず芽を出し瞬く間に生い茂る。傍若無人の生命力だ。この春から既に二度、いふばあちゃんによる殲滅が行われたというのに、既にびっしりと地面を覆い尽くし、いふばあちゃんに挑戦的な態度を示している。
 果てるともない戦いだ。
 実のところ、私としてはさほど興味のある合戦ではない。どちらかといえば、ドクダミとはいえ緑に満ちていた方が好きである。まあ、こだわってはいないが。
 本日は明るいうちに帰宅したのだが、その一画がきれいになっていた。いふばあちゃんが炎暑にも関わらず、またしても己の正義を誇示するに至ったものらしい。
 がんばるなあ、と思いながら、ふと足をとめてドクダミどもの夢のあとを眺めていると、建物の影から当人が現れた。本日の成果の確認作業が遂行されているらしい。一本の雑草たりともこのいふの目からは逃すものか、といった厳しいマナザシを地面に注ぎながら歩いてくる。
「いつも御苦労様です」
 社会生活者として、私は当たり障りのない挨拶を述べた。
「ああ、こんちは。今日もいっぱい取れたよ」
「はあ」
 取れた? 前々から疑惑があったのだが、もしかして。
「売れるんだわドクダミは」
「はあ、そうなんですか」
 売れるのか。知らなかった。
「けっこう手入れが大変なのよ。雑草を抜かなきゃなんないわ、肥料をやんなきゃなんないわで」
「はあ」
 なんだ、ほんとにドクダミ畑だったのか。あ~、損した。感心してて損したよオレは。
「今年はあと二回くらい採れるかしらねえ」
「はあ」
 すると五期作か。参ったなあ。
 思いも寄らない成り行きに呆然としている私に、いふばあちゃんは厳かに宣告するのであった。
「商品なんだから、酔っぱらって帰ってきたときに立ちションなんかしちゃダメだよ」
「は、はいっ」
 今度、しちゃおうかな。

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