092 97.04.24 「春が来た」

 春となった。
 春となれば、私は土手に行かねばならぬ。身体がそれを求めるのだ。クルマに荷物を積み込んで、出立の準備を整えていると、勘太郎が遊びに来た。
「出かけちゃうの?」
 あてがはずれたらしい。不服そうだ。
「勘太郎、他人を訪問するときは前もってアポイントメントを取らねばいかんぞ。社会人の常識だ」
 私は、人生の先達として、おごそかに教え諭した。
「他人じゃないじゃないかっ」
 勘太郎は、私の発言における誤謬をすかさず指摘した。
「そうであった。いかにも、私は君の叔父である」
 私は、速やかに己の非を認めた。いさぎよい態度といえよう。
「それに、ぼくは社会人じゃないよ。小学生だ」
 勘太郎は、更にもうひとつの錯誤をも見逃さないのであった。
「うむ。そうであった。最上級生ともなると、さすがに目のつけどころが違うな」
 私は、更なる過ちを認めた。すがすがしい態度といえよう。
「ふふん」
 勘太郎は、得意げである。
「いやあ、勘太郎。君も大人になったものだ。いや、まいった。俺はつくづく感じ入ったよ」
「あ」
 勘太郎が、急に真顔になった。ようやく、からかわれていたことに気づいたらしい。わははは。相変わらず、とろい奴。
 ここで、勘太郎になにか言わせてはならぬ。こやつはどうも心根が純朴なので、すぐ怒るのだ。口を塞がねば。
「勘太郎も行くか? 土手」
「土手?」
「うん。土手」
「行く~~」
 勘太郎は無邪気に同意した。やはり、まだコドモのようである。
 どうもウチの家系は、むやみに土手が好きで困ったものだ。
 車で五分の距離にある利根川の土手が、近年の憩いの場となっている。
 すっかり緑色を取り戻した土手裾の平坦地に、テーブル、椅子、その他もろもろをセッティングした後、私はおもむろに食糧の採集にかかった。目当てはノビル。ネギの仲間で、鱗茎の部分を食する。らっきょうを一回り小さくしたような感じか。普通の味覚を有したひとは火を通すらしいが、私の舌は鈍感なので味噌をつけて生で丸噛りしてしまう。
 ほんの五分ほどで、充分な量を収穫した。群生地は、今年も荒らされていない。私しか食べないのだろうか。もったいない話だ。下ごしらえをして、すかさずクーラーからシャブリを取り出す。きわめて自堕落な姿勢で飲酒となった。
 快晴だ。春の空は、近いところにある。ぼ~っとしていると、まわりの地面から水蒸気が立ち昇っているのがわかる。微風が心地よい。
「あ~~~~っ」
 意味もなく、声を出したりしてみる。
 勘太郎の姿が遠いところに見える。土手の斜面にしゃがみこんで、しきりになにかを摘んでいる。むむむ。嫌な予感。
 ボトルが半分になった頃、勘太郎は帰還した。
「こんなにいっぱい取れたよっ」
 篭にいっぱいのツクシを抱えて、にこにこしている。やだなあ。オレ、今日はのんびり呑みたいんだけど。
「うむ」
 勘太郎が私の生返事の意味を理解するわけもなく、こやつはいそいそと作業にかかった。袴と穂を、懸命に取り外している。そんなこと教えるんじゃなかった。
 困ったなあ。
「あのさ、勘太郎」私は遠慮がちに申し述べた。「そんなに沢山は必要ないんじゃないか」
「だいじょぶだよっ」
 私を見もしない。
 う~む。
 やがて、ツクシの下ごしらえがすむと、勘太郎はクルマから勝手に、バーナー、鍋、サラダ油、醤油などを持ち出してきた。どの箱になにが収納されているか、こやつは熟知しているのだ。
「準備できたよっ」
 しょうがねえなあ。今日は調理をするつもりはまるでなかったのだが。味噌を持ち出すのに調味料セットをそのまま搬入したのが敗因であった。
 やれやれ。こんなことになるんなら、他の野菜を持ってくるんだったなあ。ツクシだけじゃ個性が強すぎるよなあ。オレ、ツクシはあんまり好きじゃないんだよなあ。私はぶつぶつ呟きながら、ツクシをささっと炒めた。
「できた? ねえ、ねえ、できた?」
「はいはい、できましたよ」
 皿にあける。
「わあいっ」
 喜んでいるが、こやつは食わないのである。私がたいらげるしかない。理不尽だ。「だって、苦いんだもん」というのが、こやつの主張である。
 勘太郎が求めているのは、自らがなした採集活動の結果である。自分が苦労して摘み取ってきた素材が一品としての形をそなえることを待望しているにすぎない。
 食べるのは私だ。
「ね? おいしい?」
「うん。おいしいよ」
 そんなにうまかねえよなあ、ツクシ。
 仕方がないのだ。勘太郎にこうした一連の作業の手ほどきをしたのは、私だ。私は、自分のなした行為を否定したくはない。
 勘太郎は自分の労力が報われて、たいそう御満悦である。いい機嫌でコーラとポテトチップスを摂取している。
 はやくもツクシに飽きた私は、ノビルに手を伸ばした。格段にうまい。うん。やっぱりノビルだよな、春は。春はノビルじゃなきゃなっ。
 ふと気づくと、勘太郎が不審をにじませた視線で私を見つめている。
 私は慌ててツクシを頬張った。
「いやあ、勘太郎。春はツクシだなっ」
「うんっ」
 うんっ、じゃねえよ。

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