090 97.04.08 「寝惚けて候」

「ドライバーを持ってきてくれよ。プラスのやつ。そこの引き出しの奥に入っているから」
 私は慌てて立ち上がり、引き出しをひっかきまわした。見つからない。
「ドライバーなんかないよ」
 私は声がした方を振り向き、しばし呆然とし、ついで己の愚かさに爆笑した。
 テレビの画面に向かってなに答えてんだろオレ。おまけに指図通りに行動しちゃってさ。
 私は寝惚けていたのであった。
 私が観ていた番組はすでに終わっていて、映画が流れている。登場人物のひとりが車の修理をしていて、傍らの人物にドライバーを要請したもののようであった。
 いつのまにか寝入っていた私がふと目覚めたとき、最初に耳にした言葉が冒頭の如くであったという展開だ。
 だいたい、ひとりで暮らしてるんだよなオレ。と、頭を掻いてはみるものの、寝惚けてたんだからしょうがない。
 寝惚けたことほざいてんじゃねえよ、とはよく言われてなかなかに嬉しいものだが、このたびは本当に寝惚けてしまったのであった。笑えるが、さほど嬉しいものではないな。
 寝惚ける、という言葉は好きである。字面も音感も好きだ。言い得て妙、という気がする。
 書いてみてふと思ったが、言い得て妙、とは、こりゃまたずいぶんエラそうである。やけに尊大ぶっておって、いったいおまえは何様のつもりかと自分にツッコミを入れたくなる。モノゴトに距離をおいた、どちらかといえば見下したような態度だ。エセ評論家といったところか。そういうような自分では気づかない振りをしてきた核心が、ついうっかり露呈してしまったわけで、その点では狼狽もあるにはある。しかしそれよりも、言い得て妙、などとふんぞり返ってしまう自分の居心地がなかなか新鮮なので、このままでいこう。なんというか、こそばゆい感じがたまらない。言い得て妙、などと言う奴には不信感を抱かざるを得ないのではないか、と気づいてしまいながら、あえてそう言い募る自分のココロの軋轢が物珍しい。いやあ、ついにこんなこと言う奴になっちゃったかあ、わはははは、ぎしぎし、というような複雑な心境だ。
 あんまり複雑じゃないな。
 寝惚ける、のほうが複雑だ。いったい起きているのか寝ているのか、そこのところからしてわからない。分類できない状態なのか。
 使われる状況も様々だ。睡眠中に寝言を口走ったり、いきなり立ち上がって窓を開けたかと思うとすぐにまた寝る。これは明らかに寝惚けている。起きぬけに引き出しを開けてごそごそとドライバーを探す。これも明らかに寝惚けている。寝惚けているのは明らかなのに、寝惚けるという言葉は明らかではないのである。前者は眠っているし、後者は起きている。いったいどっちがほんとなんだと喚き散らしつつ辞書を開くと、両方の意味が載っていて困ったことになるのである。いやべつに困っちゃいないが、話の展開の都合上、困ってみるのである。
 アタマが眠っていてカラダが起きている、といったような考え方をすればよいのか。となると、人間にはアタマとカラダしかないのか、という疑問がすぐ湧き起こる。眠っていると寝ているとでは違うだろうし、目覚めていると起きているとではこれもまた違うだろう。寝ても醒めてもというが、寝ながら醒めていることは可能だ。そもそも、睡眠の定義とはなにか。これも大脳生理学会と辞書と一般常識とでは、それぞれに独自の見解があろうかとも思える。つまるところはなんだかよくわからない。
 車の修理は終わったらしく、彼はどこかに行ってしまった。
 私はどうだろう。だいたい、私はいま起きているのか。本当に目覚めているのか。
 ただ、寝惚けて書いているだけじゃないのか。

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