050 96.07.14 「ところ変われば」

 セブンイレブンがあった。
 需要があればセブンイレブンはどこにでも出現する。ま、セブンイレブンだけじゃないけども。
 とにかく、セブンイレブンがあった。
 私達一行はキャンプに出かけたのであった。キャンプ場ではない。予約が面倒だし金がかかるので、キャンプ場は敬遠しているのだ。要はトイレが確保できれば充分なのである。水道があれば、願ってもない。大自然に恵まれていなくてもよい。私達は戸外で飲酒をして酔っぱらったらそのまま眠れる環境があれば幸せなのだ。キャンプ場じゃなくても、その気になって探せばそういう場所はある。
 たとえば、それは那珂川の中流にある。河原だ。考えることは誰でも同じで、テントやタープがあちこちに張られている。しかし河原そのものが広大なので、キャンプ場のようにせせこましい雰囲気はない。ゆったりと飲酒を享楽できる。すぐ近くに物産センターというものがあり、異様に安い野菜を購入できるのもありがたい。地元農家の皆さま御提供の穫れたての野菜だ。
 去年の夏に、この魅惑の楽園を発見した。久し振りに行ってみたら、物産センターの隣に24時間営業のセブンイレブンが出現していた。河原に訪れるキャンプ愛好者を徹底的に意識したセブンイレブンなのであった。なんと、公道を通らずに行ける。河原側に専用通路があるのだ。
 店内に入ると、需要と供給という問題について、ほとんど強制的に思いを馳せざるを得ない展開となる。
 不可思議な品揃えである。いきなり、木炭の箱が積み上げられている。木炭はキャンプ生活の必需品だ。購入者が多いのだろう。大量にある。発砲スチロール製のクーラーボックスも同様に積み上げられている。これはデイキャンプ派の需要か。この時点で、おれが知っているセブンイレブンじゃないっ、という思いが強くこみあげている。
 日用雑貨の類も奇妙な特異性を見せている。割り箸、紙コップ、レジャーシート、缶切りなど、どんなひとが買ってどこで使うかが歴然とした商品がきわめて豊富だ。更に、カップラーメンのコーナーで眩暈を覚える。品種はさしたるものではない。だが、量が異様だ。なぜ、こんなにも。ぜんぶ売るつもりなのか。弁当のコーナーでも、事情は変わらない。そこは黒い。色彩が黒で支配されている。おにぎりの海苔の色なのだ。すべて売れるのか。本当に売れるのか。
 頭がくらくらになりながら、店内をよろめき歩いていると、更なる衝撃に襲われた。ゑ? 花火? これぜんぶ花火なの? 視界いっぱいに広がる花火コーナー。線香花火から打ち上げ花火まで、質量ともにきわめて豊富なのだ。ここは花火屋なのか。たしか、コンビニに来たはずだったのだが。
 我が陣地に戻り、七輪で焼き鳥を焼きながら、考えた。
 ってことは、スキー場近くにある冬のセブンイレブンでは、ゴーグルを売っていたりするのだろうか。海水浴場近くにある夏のセブンイレブンでは、海パンを売っていたりするのだろうか。もちろん、するのである。需要あるところに、セブンイレブンの供給あり。北京のセブンイレブンはまるで自転車屋のようだし、昭和基地の近所のセブンイレブンでは日本食が豊富なのだ。そうに決まっている。
 やがて陽は落ち、河原のあちこちで花火の曳光が飛び交い始めた。冷たいビールをかっくらいながら、おそるべしセブンイレブンとの思いを噛みしめる私なのであった。
 ま、セブンイレブンにはセブンイレブンの道があろう。
 私は私のビールを飲もう。天に星、地に花火。片手に焼き鳥、心に安らぎ、唇にビール、背中にヤブ蚊を。
 あ~、幸せ。

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