043 96.06.24 「日米誤解書簡」

 妙な電子メイルが届いた。アメリカ合衆国のメイルアドレスで、J. MORRISONと名乗っている。「do you know Mariko Araya?」というタイトルで、「If so contact me. I'm from Las Vegas and would like to talk. Thanks」と言っている。これが全文。モリソンさん、すまん。私はあなたが何を言いたいのかわかりません。あまつさえ、私信を公開してしまいました。すまんすまん。私、日本語しか理解できないんです。個々の単語の意味はかろうじてわかるんだけど、つながるとわからんです。ま、この私に英語を読ませようとしたあなたの読みの甘さが敗因ですね。残念でした~。
「いえい。オレはジムってんだ。ラスベガスで、しがないギャンブラー稼業に精を出すのがオレのしがない日常さ。マリコを知らないか。アラヤマリコってんだ。あんたもアラヤってんだろ。なら、知ってるはずさ。連絡をくれよ。話したいことがあるんだ。悪い話じゃないぜ」というふうに理解したんだけども、すまんジム、マリコという親類縁者はおらんのだ。他をあたってくれ。
 勝手に男性と決めつけてしまったが、モリソンといえばやはりジムということになろう。そういうものだ。
 邪推するに、このジムはアラヤマリコさんという日本人女性の知り合いがいるのであろう。ふられたに違いない。マリコはジムの前から姿を消した。八方手を尽くしたが、マリコの行方は杳として知れない。ジムは姓が同じ人間をたまたまインターネットにおいて発見し、藁にもすがる思いで、電子メイルに思いを託した。しかし、それを受け取ったのは、このような善悪の判断もつかない卑劣漢であった。ああ、ジム。君の思いは、ついに太平洋を越えなかったよ。
 あるいは、ジムは悠々自適の生活を送る退役軍人かもしれない。この短い書面には隠された深い意味があるのだ。「私は、先の大戦後に、一時ニッポンにいたことがあります。アカセンで、素晴らしい女性と素晴らしい時を過ごしました。若き日のよい思い出です。私は今、ラスベガスで何軒かのホテルを経営しています。偶然インターネットで懐かしいファミリーネイムを見かけ、懐かしさのあまりこのように手紙をしたためてしまいました。もしかして、あなたは彼女の子供さんではありませんか。いや、そんなことはありませんね。いずれにしても、久し振りにニッポンの方とお話ししたいと思います。何かのご縁です。連絡をくださいませんか。折り返し、エアチケットをお送りします。スイートルームを用意してお待ち申し上げております。草々」ああ、もしかしたらジムは私の父親かもしれない。そういえば私の髪の色はニッポンジンとは思えない。をいをい、それは白髪だって。う~ん、おれって、ばか?
 ばかです。
 ジムは官憲の手の者という可能性も否定しがたい。「私はラスベガス市警のモリソン警部補だ。アラヤマリコという日本人女性が失踪している。犯罪に巻き込まれた恐れがある。ついては、縁者である貴殿の連絡を乞う」
 はたまた、ジムは誘拐犯かもしれぬ。「あんたの家族のマリコを預かっている。連絡せよ」
 だから、わしはまりこなど知らんというのにっ。
 やはり、ふられた説を支持したいと思う。ラスベガスのホテルのロビーでマリコの部屋に電話をかけるジムのうらぶれた姿が目に浮かぶようだ。そのロビーにいつまでもいられるわけもないぞジム。いいかげん、あきらめたらどうなんだ。
 で、返事を出そうと思うのだが、「あんた、あのこのなんなのさ」って、どんなふうに訳せばいいのだろう。

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