007 95.11.16 「定義事件」

 居酒屋でがやがやと馬鹿話をしていたら、日本でいちばん広い島はどこかという話になった。このとき広島であろうと答えた一休さんのような奴がいたがこやつはすかさず黙殺された。で、佐渡島だろう淡路島ではないかいや沖縄本島も侮れない、と議論は紛糾した。結論はというと、これが本州だったので、一同はひっくりかえった。
 それはないだろう、と言わざるをえない。誰も本州を島だとは思ってないぞ。北海道も四国も九州もそうだ。島であってたまるものか。だが地理学を聞きかじった人間がいて、彼の語るところによると島には島の定義があるのだそうで、それは面積が鍵を握っておるという。ある一定の面積を超えると大陸というものに昇格するらしい。なんでも、いちばん広い島がグリーンランドで、いちばん狭い大陸がオーストラリアなのだそうだ。
 釈然としない。ぜんぜんしないぞ。
 しかし、地理学方面の常識はそのようになっているらしい。べつに他方面に押しつけるわけではないが、自分達のムラの中では島だの大陸だのといった言葉を使い分けるときに定義が必要になるので、とりあえず決めつけておるらしい。
 沼と湖にも似たような定義があるという。深さだ。従って、地理学専攻の女子大生と首尾よく仲よくなってドライブなどに行ったときには発言に注意しなければならない。「きれいな湖だね」などとはうかつに口にしてはいけない。「違うわ、これは沼よ」と言い返されてしまうかもしれないからだ。
 狭い世界での言葉の定義付けという似たような現象はどこにでもあるようで、例えば気象庁に勤務する女性と懇意になって夜の港で逢瀬するときには注意が必要だ。「夜霧が出てるね」などと口走ろうものなら、「違います。霧じゃありません。これは靄です。視程が違うんですよ」と諭されてしまうのだ。敵は「小型で強い台風」などという謎めいた用語を駆使する方々だ。小型で強いとはなんという言い草であろう。生理的に理解できない。気圧だの風力だのと言われても、そんなことはこちとらの知ったこっちゃないのだ。小型だったら、弱いに決まってるじゃないか。
 ふだん何気なく日常的に使っている普通名詞を、定量的に厳格に定義している人々がいる。そこでは情緒は徹底的に排除され、数字によって機械的な分類が行われてしまうのだ。恐慌せざるを得ない。
 こういうことを知ってしまうと、何事も不用意に発言できなくなってしまう。特に自然科学方面があぶない。口に出す前に考えなければならないのだ。砂と言ったとすると、隣に地学に詳しいひとがいて「いや、この荒さは礫と言うべきでしょう」と口を挟まれるかもしれない。そのようなことをいちいち考えてからおもむろに口を開くはめになる。ひどいときには事前の思考だけでは解決できず、ついに押し黙ったままでそっと唇を噛みしめるというような事態に陥る。考え過ぎて寡黙になる。
 こうしてひとは無口になっていくのだ。
 もう一軒いこう、ということになって、居酒屋からスナック方面へ流れていった。水割りをつくりながら、店の女の子はこう言うのだ。
「あ~ら~、こちら、おとなしいのね」
 どう返答しようかと、またまた考え込んでしまうのだ。

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