『雑文館』:99.04.26から00.02.05までの20本




221 99.04.26 「うひょひょえいい」

「うひょひょえいい」
 と、いったような驚愕と怯懦に満ちた悲鳴が、突如として玄関のドアの外から聞こえてきたのである。
 私は驚いて、手にしたばかりの朝刊をぽろりと落としてしまった。事態を把握するまでには、しばらくの時間を要した。
 うむ。私がよくない。私が悪かった。私が馬鹿だ。私が馬だ。私が鹿だ。私は、ゑゑと、誰だっけ。
 そもそもは、尿意といったものが発端であった。便意と並んで人心をいたたまれなくさせてきたこの狼藉者は、暁を覚えないはずの私の春眠に乱入してきたのである。にょ~いにょ~いとほざきながらやって来て、私を覚醒させたのであった。覚えちゃったか、暁。あんまり覚えたくはなかったが。尿意よ、もうすこし思いやりがあってもよいのではないか。ないのである。尿意は非情と提携している。
 ぱちくりと目をしばたたかせてみたが、辺りは暗い。枕元の時計を見やると、まだ午前四時である。未明である。私の身体を包む布団ちゃんは、「行かないで」と甘える。「行っちゃダメ」と睦言をささやく。
 しかし、行かねばならぬのだ、愛しきひとよ。いや、布団よ。目下の懸案は、この尿意に他ならない。可及的速やかに、この問題に決着をつけねばならぬ。この尿意をなんとかしなければ、私は自らの小水で君を汚してしまうだろう。すぐに帰ってくる。いいこだから、おとなしく待っていてくれハニー。
 といったような次第で、寝惚けたままトイレに赴き、筋肉を弛緩させたのであった。じょろじょろ。
 ふと、戸外の物音に気づいた。じょろじょろ。新聞の配達業務を生業としている、いわゆる朝刊太郎さんの勤務が遂行されているもののようであった。じょろじょろ。ううむ、朝刊太郎は古かったかな。じょろじょろろろ。じゃあ、朝刊太夫だ。って、更に古くさくなっているのだが、そういうことには気づかない寝惚け頭の私なのであった。ぶるんぶるん。
 尿意問題を全面的に解決した私は、再びハニーのぬくもりに抱かれんと、いそいそとトイレを出た。我が庵の構造的特質として、そこは玄関となっている。玄関には、やはりドアがある。その内と外では人格が変貌すると後ろ指をさされて久しいドアである。開閉以外の外交手段として、その中央の下部寄りの位置に郵便受けといったものが設けられている。ピザ屋、AV屋、宗教屋などのチラシが頻繁に投入されることで名高い郵便受けだが、新聞が挿入されることを本業としていることもあまり知られてはいないが事実である。
 尿意の解消という緊急懸案事項から解放された私がトイレを出たちょうどその時、朝刊太夫が郵便受けに朝刊を差し入れたのは、単なる偶然にすぎない。そこに私がいたのは、偶然にすぎない。
 ドアの内側にいた私は、にょきにょきと差し込まれた朝刊を見出した。反射的に腕を差し伸べて、その朝刊を引き抜いた。寝惚けていた。単なる反応である。なにも考えていない行動である。
 しかし、ドアの外側にいた朝刊太夫にとっては、論外の現象であった。
「うひょひょえいい」
 と、いったような驚愕と怯懦に満ちた悲鳴をあげたとしても、いったい誰が彼を責められるだろう。いつものように、朝刊をその郵便受けに差し入れた。いつもなら、その朝刊の半ばまでがその郵便受けの内部に納まり、もう半分が戸外に突き立ったままとなるはずである。それがなんだというのだ。朝刊はそのままするすると内部に引き込まれていくではないか。なんだというのだ。これは、底無し郵便受けか。朝刊太夫は、畏れおののいた。
「うひょひょえいい」
 朝刊太夫よ、すまなかった。私がよくない。私が悪かった。私が馬鹿だ。馬でも鹿でもない。馬鹿きわまりない。
 あまつさえ、ドアの内側からかくも間の抜けた発言を聞かせてしまって、本当に申し訳ない。
「あ。ごめんごめん。配達するもんだからさ、つい」
 朝刊太夫は、朝刊を配達するのが仕事なのである。失敬千万の暴言である。つい、で済ませようというのかオノレは。
 済ませようとしたのである。寝惚けていると、失敬を不自然に感じないのである。
 しかし、この朝刊太夫は、百戦錬磨のツワモノなのであった。驚愕と怯懦に満ちた悲鳴をあげたわりには、瞬時に立ち直るのであった。
「おはようございます。今日の見所は第八面ですよ」
 なんだろう。こうした不慮の事態に対するケーススタディが完璧なのであろうか。わからない。わからないが、見所は第八面であるらしい。
「わかった。第八面だね」
 なにもわかっていないくせに、ドアの内側の寝惚け頭はそのように返答するのであった。
 そんなことより、ハニーである。ぬくぬく布団ちゃんに抱かれなければならないのである。
「帰ってきたよ。むふふん」
 そうして寝過ごして、遅刻の憂き目をみる私は、ゑゑと、誰だっけ。
 少なくとも、馬鹿であるのだが。

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222 99.05.08 「社長に表彰される」

 表彰されてしまった。社長表彰なのだそうである。
 どこの社長かといえば、真っ先に疑わしいのは日本たばこ産業株式会社の水野勝社長だが、確信はない。昭和初期より大阪市此花区で紙の卸問屋を営む株式会社このはな商会の三代目社長佐々木雄一郎もちろんロータリークラブの会員だよ、かもしれないし、兵庫県尼崎市において五年前に株式会社ヒポクラテスを創立しソフトウェア開発に起業家生命を賭けた倉持誠次社長二十八歳一日の睡眠時間は平均四時間です、かもしれない。
 いったい私を表彰したのは、どんな企業のどんな社長なのであろうか。どんなどんなどーなーどーなー、謎である。さすがは大阪である。やることが違う。子牛を乗せている。四つ橋筋の桜橋交差点近くにある煙草自動販売機の前で、私はしばし立ちつくすのであった。そんな都心で、よもやそんな大技を繰り出してくるとは。侮り難し、大阪。の、煙草自動販売機。
 その夜、呑み疲れてホテルに辿り着いた私は、ふと思い立ち近所のコンビニエンスストアに買物に出掛けた。その帰途で見掛けた煙草の自動販売機の前で、いささかの難問に直面したのである。五百玉を投入した後、いつも喫っている銘柄が品切れとなっていることに気づいた。はてさて、いかがすべきか。べつに、池の畔で失った斧の主成分を問われているわけでも、砂漠でスフィンクスに足の本数に関する問題を突きつけられているわけでもない。さしたる考慮もなく「峰か。さいきん喫ってねえなあ」とその灰色調のパッケイジが目にとまり、「久し振りに喫ってみっか」と購入に及んだのであった。「峰」を買ったのであった。竜太よ、今夜もありがとう。
 ところが大阪、ここは大阪、いきなりの寿攻撃だ。馬鹿にしないでよオペレーション・コトブキ。出てきた煙草のパッケイジは、むやみやたらとコトブいているのであった。燦然と輝く「社長表彰」の文字を取り巻くように、紅、白、金などの色彩が絢爛豪華に氾濫している。金の鶴が舞っている。白い花びらが舞っている。ちょっと舞って、プレイバック。いまの煙草、プレイバック。私は、間違ったボタンを押してしまったのではないかと、己の行動を振り返った。いったい何を教わってきたのか私は。間違いない、私は峰を購入するためのボタンを押したはずである。その証拠に、このパッケイジにおいて、申し訳なさそうに恥ずかしそうに「峰」のロゴは微苦笑をたたえているのであった。わかるよ、峰。私だって疲れるのである。峰である。峰としかいいようがない。しかし、その身にまとった衣装について、峰は「孫がケッコンするはんで、ネクタイなぞ締めてみたんがでえもく似合わんなが」といった謎の方言混じりの独白を色濃く滲ませるのであった。
 つまりは、記念煙草である。どこぞの企業がなんらかの社内イベントの際に発注したものらしい。平成十年十一月九日が、その記念日である。パッケイジに、そう謳われている。なんらかの目標を達成したのか水野さん。創立記念日だったか佐々木さん。三十万本ほど出荷できたか倉持さん。なにがあったのか未だ匿名の社長。わからない。わからないが、社長表彰である。記念の煙草である。煙草一箱でごまかそうとした浅慮を咎め立てする不粋はすまい。よいではないか、こんな私でも表彰されたのだ。思えば、表彰の栄に浴したのは、小学生のみぎり校内マラソン大会で六位入賞を成し遂げた以来であろうか。感慨無量である。
 それにつけても、なぜ峰か。かなり地味な銘柄ではなかったのか、峰は。マイルドセブン系なりキャスター系なりキャビン系なり、喫煙者に広く受け容れられている銘柄があるように思えるが。ワンマン社長の好みが露骨に反映したというありがちな結末なのか。それとも、一担当者の己の手前勝手な嗜好に貫かれた捨て鉢な企画が上役に見過ごされ続け、奇跡的に通ってしまったのか。
 なんにせよ、水野、佐々木、倉持あるいは未だ匿名の社長、そのいずれかの決済印が押された企画書が、どこぞのオフィスのとある書架のバインダーの中に眠っているのかもしれない。水野社長の決済を仰ぐような事柄ではないし、佐々木社長は文書決済など意に介せず口頭で命令するだけだし、倉持社長の会社では紙で記録を残すことはないかもしれないが。
 わからないのは、そんな背景を持った記念煙草がなにゆえに流通していたか、その一点に尽きる。なぜ、自動販売機に。どういったカラクリで私の手に。大阪、不意をつく街である。しかも記念日は半年前である。酷いことに、この記念煙草には賞味期限が記されていない。まずいんじゃないのか、日本たばこ産業株式会社の担当者よ。品質は損なわれていないのであろうか。
 そういう煙草をもって、私は表彰された。
 誰だかわからないが、社長、ありがとう。
 おすそわけ、おこぼれ。午後十一時の大阪は四つ橋筋で、私はそうした文脈で表彰されたのであった。
 あるいは、されなかったのであった。

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223 99.05.09 「犬の呪縛」

 目覚めれば、犬だった。
 実にどうも、彼は犬となっていたのである。
 かふか不幸か、毒虫ではなかった。犬だった。その朝、彼は、犬になっていたのであった。チワワなり秋田犬なりダックスフンドなりといった具体的な位置付けはなかった。単に、犬だった。目覚めたばかりの彼は、ただ単に、犬でしかなかった。
 その朝、彼は単なる犬になっていたのである。
 午前三時まで飲酒にうつつを抜かしていた。そのまま友人宅になだれこみ、惰眠をむさぼった。同行したのは、その家主ほか二名である。のちに秘密結社nWoと呼び習わされたその三名が更なる馬鹿話に花を咲かせているのをよそに、彼だけはただちに睡眠に陥った。まさに陥穽であった。人は安易に寝顔を曝してはならない。そうした教訓を彼の身に降りかかった災厄から学ぶことも、あながち的外れではないようである。
 彼は、午前七時に叩き起こされた。プロレスとはなんの関わりもないこのnWoは、そそくさと彼を部屋から追い出した。とっくに電車は動いてるんだからとっとと帰れ、と言わんばかりのつれない態度であった。
 まだ寝惚けている彼は、唯々諾々と追い出された。電車に乗って、家に帰った。なんともはや、電車に乗ったというのである。切符を買い、電車に乗る。それは人として、ごく普通の行動である。だが、犬が切符を買い電車に乗るというのは、これはいささか周囲に疑念を呼び起こすのではないか。
 もちろん彼の潜在的主観としては、自分は人である。犬ではない。ホモ・サピエンスでありモンゴロイドであり大和民族であり関西人であり会社員であり、駄洒落が好きでありミステリが好きでありタコ焼きが好きである。人である。人は、自分が人であることに疑いを抱くことなど、あまりないものである。ましてや、自分が犬ではないかとの疑念に苛まれることはない。
 が、それでもやっぱり、その朝、彼は犬だったのである。
 彼を犬たらしめているのは、あるひとつの文字であった。まったくもって、彼の額にマジックで書かれた「犬」の一文字が、彼を犬と化さしめているのであった。むろん、彼は知らない。自らの額のまんなかに、どちらかといえば悪筆に類する「犬」という文字がくっきりと記されていることなど、彼には知る由もないのであった。
 nWoの仕業である。昏睡状態の彼の額に季節外れの書き初めをなしたのは、彼の友人三名、その名もnWoに他ならなかった。
 墨痕鮮やかに、額に「犬」。人に見えなくもないが、額で犬宣言をしているのだから、犬なのだろう。たとえばその朝、電車の中でたまたま彼の真向かいに座った人は、そうした感慨を抱きながら目を背けたと伝えられる。
「なんや、犬やん。かかわりあいにならんとこ」
 この期に及んでも、彼はまだ、半ば寝惚けていた。自らの存在に対する周囲の反応がいつになくよそよそしいことにまったく気づかなかった。犬の呪縛が、彼の注意力を低下させていたのであろう。
 犬が電車に乗っている。しかもその犬は、犬としての自覚に欠けている。
 その朝、彼はそういう存在であった。
 なんともはや、nWoは酷い集団であって、「彼は帰宅したのではない。彼が外を歩いていたとしたら、それは、お散歩だ」などと、全く反省の色がないのであった。
「鏡を目にすることがないように、起こすや否やさっさと追い出した」
 とは、nWo首魁の語るところである。皆目、悪びれるところがないのであった。
 相手によっては、顧問弁護士に相談して訴訟を検討といった展開となってもおかしくはないが、nWoの高のくくり方はすがすがしいほどであった。
「だって、犬だし」
 犬を人とも思っていない。
 nWoはその日の夕方、彼に電話をした。彼も粗忽で、その時まで自らの額に生じている異変に気づいていなかった。
 鏡を見てみろと、nWo側は要求した。
 沈黙が訪れた。長い長い静寂が流れた。
 その間、彼の脳裡に去来した様々な思いは、いったいどのようなものであったのだろうか。
 やがて彼はつぶやいた。「……犬やったんか」
 その時のnWoの喜びようは、尋常ではなかった。実にどうも、天罰を待ち望んでいるとしか思えない。
「せめて‘太’と書いてくれれば、ボケようもあったのに」
 その夜、彼はしみじみとそう述懐したと伝えられるが、nWoの言うことだからどこまでが真実なのかは薮の中である。

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224 99.05.11 「不忍池の下手くそ達」

 東京都上野恩賜公園などと、正式名称はなにやらとんでもないことになっているが、つまりは上野公園である。動物園だの博物館だのがあり、上野駅のすぐ傍にある上野公園である。西郷さんと花見で有名なあの上野公園である。池もある。不忍池というのがそれだ。どうしたものか、そうした領域に足を踏み入れたのであった。
 待ち合わせの時間を間違えて一時間の余裕ができた。そんじゃあ、ちょいとそのへんをぶらついてみっか、というので、私といったものは連休でにぎわう不忍池のほとりに出現したのであった。
 そのすぐ傍を幾度となく通過してはきたが、実際に足を踏み入れたのは初めてである。まったくもって知らなかったが、ここは観光地なのであった。斜め上に視線を巡らせれば周囲はビルばかりだが、不忍池は観光地なのであった。観光地であるかどうかの判断は、単純である。缶ビールの値段がすべてを律する。不忍池において、350ml缶は厳然として五百円であった。法外である。観光地と断じて、なんら恥じるところはない。園内から出てほんの一、二分も歩けば、必ずや通常の価格で商われている自動販売機に出くわすことであろう。運がよければ、激安店に邂逅するかもしれない。それでも、ここは不忍池、観光地に他ならない。五百円の理不尽が罷り通る。露店商のおにいちゃんに五百円玉を差し出しながら、理不尽と貴婦人は紙一重などと謎のフレーズが脳裡に渦巻き、いささか混乱気味の私なのであった。
 そうなれば、酒肴も必要であろう。なにしろ観光地なので、露店商が軒を並べている。焼きトウモロコシといった王道から、中華風揚げパンやらトルティーヤやらシシカバブやら、おまえらこんなとこにいていいのかと一言たしなめてやりたくなるような異端の顔触れまで、世界の庶民の食文化を一同に会してみました、といった風潮に支配されているのであった。私はちょっとアンニュイでニートでカルビな気分だったので、カルビ焼といったものを選択した。とても一口では頬張れない肉片が五つ、玉葱を介在させつつ串刺しになっている。これも五百円也。
 さっそく池のほとりのベンチに陣取り、入手したてのカルビ焼とビールの摂取にとりかかったが、私の関心はすぐに三分裂した。
 ひとつはいうまでもなく、当面私に課された飲食である。
 もうひとつは、目の前の池で展開されている子ガモの食糧取得活動である。
 さらにひとつは、隣のベンチで繰り広げられている大学生らしきカップルの口喧嘩である。
 口はカルビ焼に、目は子ガモに、耳はカップルに、それぞれ釘付けとなった。
 カルガモ、マガモ、フェラガモなど、鴨の氏素性も様々であろう。当然のことながら私はそうした方面の知識に疎く、そのカモの種別は不明である。が、子供であることはわかる。体長十センチほどで、なかなかに愛らしい。子ガモ君は、なにやら覚束ない潜水を何度も試み、餌の捕獲に余念がないのであった。
 隣の二人は口論に余念がなかった。美奈君が声高にまくしたてるので、その一切の内容は周囲にくまなく知れ渡っていくのであった。喧嘩の原因は、主に健太君の操船技量の不足に求められるようであった。最前まで手漕ぎボートを池面に浮かべ、風流のいったいなんたるかを究めんと高い理想を掲げたはずの二人であったが、健太君のオールさばきがあまりに拙かったため、理想はあえなく幻想と化し、二人の間に亀裂が生じたもののようであった。水しぶきが髪にかかった服にかかった、と美奈君はかまびすしいのであった。どうしてくれる、と健太君に迫る美奈、ハタチの春であった。迫られて閉口する健太君、ハタチの春は哀しかった。
 私も閉口していた。カルビ焼の肉片の串離れの悪さが、私を閉口の人と化さしめるのであった。三十センチほどの竹串である。平串であり、肉との接着面積は小さいとは言い難い。串の摩擦係数が高いのか、肉片自体の付着力に並々ならぬものがあるのか、その相乗効果のなせるわざなのか、肉片はうまく串から抜けてくれない。私の不器用加減を差し引いても、いささかの問題を内包した串離れの悪さである。こちらの顎の筋肉が肉離れしかねない。口のまわりを肉汁でてからせながら、悪戦苦闘する私なのであった。
 子ガモ君の悪戦苦闘も特筆に値するだろう。親離れしたばかりと推察されるこの子ガモ君も、なにか上手にはなれない哀しい運命を背負っているようであった。先ほどから何度も潜水を企てているが、ふたたび水面上に浮上してきた折にそのくちばしに獲物を捕らえてきた試しがない。空振り子ガモ君なのであった。大物狙いのタイプなのかもしれない。常にホームランを狙って大振りする手合いなのかもしれない。それもいいだろう、名も知れぬ子ガモ君よ。背伸びする時代は、誰にでも必要だ。
 健太君も背伸びしたようであった。どうも、初ボート体験であったらしい。なんだろう、子供の頃、なにをやってたんだろうか。二人の口論は小休止の気配が濃厚となりつつあった。どういう展開でそうなるのか、美奈君がオールの使い方を健太君に教授しはじめたのである。健太は水中深くオールを入れないからダメなのよ、などと美奈君、鼻高々である。まずいんじゃないか、そういう物言い。まずかった。まずかったのである。健太君、キレました。大いに怒った。憤然健太、すくっと立ち上がった。うるさいっ、だまれっ、などと仰る。お。かっこいいじゃん健太君。あとのことは知らないけどね。
 私はかっこわるい。隣のベンチはドラマティックな展開を見せているのに、ふんぎぃぃといった形相で、歯を食いしばって肉片を竹串からむしり取ろうとしているのである。周囲の視線は隣のベンチのソープボックスオペラに注がれており、その視界には私の情けない姿が入っているのであろう。屈辱である。昔馴染みの屈辱である。またこやつと出会ってしまった。会いたくないと常々言っておろうが。とれない肉片、会いたくなかった屈辱。世界はこのふたつで構成されているのだろう。
 子ガモ君の世界は、どうしてもとれない獲物とどうしても獲物をとれない自分とで構成されているようであった。彼の体力は限界を間近に見つめたようであった。池面にしばし子ガモ君は漂って、なにやら小首をかしげている。もはや感情移入している私には、子ガモ君が「ぼく、なにをまちがってるのかな」と言っているように見える。子ガモ君よ、そうじゃないんだ、俺達はなにもまちがっちゃいないんだ、ただ単に下手なんだよ。つまりは、下手くそなんだよ。君は餌をとるのが、俺はカルビ焼を食うのが、健太君はボートを漕ぐのと女性とつきあうのが。
 下手くそなんだよ、俺達。
 健太君は、ほんとに下手くそだった。「あ。あ。ごめん。ごめんなさい」ときたもんだ。そりゃあねえだろう。深層では共感するけど、そりゃなかろう健太君よ。せっかく、かっこよかったのになあ。終わっちゃった。美奈君は、もうなにも言わなかった。なにも言わないで、さっさと帰っちゃった。ま、そりゃ、帰るわな。健太君、茫然。茫然としながら、よろよろと退場。
 いやあ、そういうのってよくあるよ、健太君よ。彼女達は、なんだかいきなり帰っちゃうんだよな。失礼だよな。本件について君はどう思うかね、子ガモ君よ。
 子ガモ君の姿は掻き消えていた。河岸を変えたのだろうか。健太君の敗北を目の当たりにして、なにか思うところがあったのだろうか。
 わからない。わからないが、私の咀嚼活動は実はその間も続いていたのであった。ようやく最後の肉片に辿り着いた。思えば長い道程であった。束の間の戦友はどちらも消え去ってしまった。私ひとりが、不忍池のほとりでためらっている。
 最後の肉片は生焼けだった。火が通っていなかった。
 もう立ち去れ、とカルビの神様が諭しているのだろう。待ち合わせの時間も近い。
 すべてを食えなかったカルビ焼と、これはしっかりすべて飲み干したビールの空缶をクズカゴに捨てた。
 そうして私は不忍池に背を向けた。
 どうしようもなく下手くそな戦友達の健闘を祈りつつ。

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225 99.05.13 「決めつけられた誕生」

 誰かがどこかで思わぬことを決めているのが、この世の中である。
 どうやら、誕生花というものがあるらしい。誕生石が月に設定されるのに対し、一年366日、すべての日に割り当てられているのがウリであるようである。いろいろあるらしいが、私のあたった文献によれば、一月三日は誕生花は福寿草であり、五月二十六日はわさびだという。私の誕生日の誕生花は「キウイ」である。花言葉は「ひょうきん」。
 キウイときたか。なにが哀しゅうてキウイ。花は咲けど、つまりは食いもんだろうそれは。どうなっているのだ。かすみ草の花束を抱えてあどけなく微笑む私の可憐な姿を無視するというのか。乱れ咲くスイートピーに囲まれて真珠色の涙を流す私のしどけない艶姿を黙殺するというのか。
 するわな、そりゃ。ひょうきんだしなー。
 誕生花というのは、どこの誰がどういった思惑で決めたのか、どうもよくわからないが、やはり曰本フラワー協会などという業界団体があって、その販促活動の一環と捉えるのが良識というものであろう。「チョコレイト業界にはセイントバレンタインデイがある。そこで我が業界もフラワーデイといったものをつくろうではないか」「すると、八月七日、花の日、ということになりますか」「ばかばか。そんな百番煎じなことをしてどうする」「ばかじゃないもんっ」「いや、だからな、一年中、花の日にすればよいのだ」「そ、それは大胆すぎるのではっ」「ふふふふふ。奥の手があるのだ。孫の手じゃないぞ」といった展開のあげく、一日一花運動プロジェクトが発動し、誕生花に結実したのである。いや、ほんとのとこは知らないが。
 花き業界ではどうもそういうことになっているらしい。
 この方法論を採用している他の業界もきっとあるに違いない。たとえば全曰本漁業協同組合連合会といったあたりが怪しい。「誕生魚というのはどうかの」「いいですなあ」「三月五日の誕生魚はタイじゃな。魚言葉は自然美じゃ」「なぜ三月五日ですか」「儂の誕生日なんじゃ」「じゃ、九月十日の誕生魚はヒラメで、ひとつ」などとさしたる根拠もなく決めつけられ、そのうちに魚不足が生じ、「二月二十九日はシーラカンスでいっか」といった顛末に至るのである。
 商戦には絡まない親睦団体も、こういうことをやっているかもしれない。こちらは趣味が高じたあげく、そうした暴走に至る。曰本野鳥の会発行の日めくりカレンダーには、一枚一枚に誕生鳥たるツグミだのヒバリだのが記されていたりするのであろう。
 そんなふうに考えてくると、もはやなにもかもが怪しい。誕生本を密かに決めちゃっていないか、読書家のみなさん。誕生山を内緒で決めちゃっていないか、山男のみなさん。誕生電車を人知れず決めちゃっていないか、てっちゃんのみなさん。
 もしかして、本日の誕生人は織田信長で、人言葉は「是非もなし」なのではないか。本日の誕生菓子はプリンで、菓子言葉は「揺れる心」なのではないか。本日の誕生道具はバールで、道具言葉は「のようなもの」なのではないか。
 恐ろしいことである。漫然と日々を過ごしてはいられないではないか。
 誕生法、誕生映画、誕生思想。私達はどうして生きていけばいいのだろう。誕生競走馬、誕生香辛料、誕生CPU。私達は誕生してもよかったのか。誕生民族紛争、誕生テーマパーク、誕生無形文化財。私達は、私達は。
 そうして恐るべきことに、もしかして、本日、五月十三日の誕生日は、四月一日なのではないか。
 日言葉は「そんな馬鹿な」。

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226 99.05.30 「東池袋三丁目のマンボウ」

 マンボウの姿を目の当たりにするのは初めてではないが、やはりマンボウという魚はどこにいようが度し難い。今回のマンボウは東京都豊島区東池袋三丁目一番三号に住んでいる。サンシャイン国際水族館というのが、彼のとりあえずの住まいである。
 泳ぐ、というより、浮遊している、といった印象が強い。その行動原理には、主体性や目的意識といったものは一切感じられない。見方によっては、しょせん人類の叡智など高が知れており私の崇高な大望が理解できるはずもなかろう、といった認識を抱いているようにも思える。とはいえ、その移動原理の主たる部分を支配するのは、慣性モーメントである。やはり、なんにも考えてはいないのであろう。
 ぬぬぬぬーっと、水中を漂う。何かに突き当たるまで直進する。水族館という衆人環境におかれたマンボウの場合、何かとは透明なビニールシートに他ならない。水槽の硬質ガラスの壁に激突するとマンボウの生命が危機に瀕するので、水族館側としては弾力をもって彼を受け止める策を講じているのである。マンボウとは、そういう魚である。ぼよよよよんと、頭部をシートにぶちあてながら、なんらの対処がない。そのまま進もうとしているのかと思うと、そうでもない。何もしない。そのうえ、何をしたいのか傍目にはいっこうに理解できないのである。そのうちに体の向きが何かの拍子に左右どちらかに傾く。右に傾けばそのままシートに沿って左へ進む。左に傾けばそのままシートに沿って右へ進む。度し難い。およそ、何事にも逆らわない。
 時を同じくしてその場に居合わせたマサキ君という名の五歳ほどの少年が、私がこのマンボウに対して抱いた印象を代弁してくれた。
「おかあちゃんおかあちゃん、このさかな、ばかだよ」
 いかにも。いかにもマサキ君、その通りである。このマンボウは、そしてたぶんすべてのマンボウは、マサキ君と私の基準に照らし合わせたならば、ばかなのである。
 もちろんマサキ君と私は、マンボウを不当に貶めているわけではない。ただ単に、ばかだなあ、と思っているだけである。
 しかし、マサキ君の御母堂には、また別の意見があるのであった。
「マサキっ。そんなこと言っちゃマンボウさんに失礼でしょっ。謝りなさい」
「えーっ」
 マサキ君、不満そうである。私も不満である。
「謝りなさい」
 御母堂、頑なである。マンボウに謝っても仕方がないと思うのだが。たとえば我が子にママなどと呼ばせない教育方針から既に明らかであるが、どうもマサキ君の御母堂は森羅万象に対して少数派としての立場を堅守しているもののようであった。
「ごめんなさい」
 不承不承といった態度を露骨に滲ませ、マサキ君は謝罪した。お。なんだマサキ、オレを裏切るのか。権力に屈するのか。
 どうかね、マンボウ君。この親子に対して君になんらかの見解はあるかね。
 あるわけがないのであった。頭だけの魚のくせに、なんにも考えていないのが東池袋三丁目のマンボウの真骨頂なのであった。ただただ、ぬぬぬぬーっと、水中を漂うばかりである。だいたい、自分がどのように紹介されているか、わかってはいないだろう。水槽の脇に説明板が掲げられているのだが、その説明文がまた味わい深いのであった。
 三億個の産卵をするとか尾鰭がないとか、マンボウの種族的特徴が紹介されている。英語では、Head-fishなのだそうである。しかるにその日本語訳が、なにゆえに「頭だけの魚」となるのであろう。謎である。「だけ」などとは、少なくとも明示的にはその英単語は語っていないだろう。
 更に、説明文の締めくくりがまた困惑を招く。「主食は海に漂うクラゲと言うのですからかなり不思議な魚としか言い様がないようです」というのである。
 魚がクラゲを食うと、不思議なのか。私はとまどうばかりである。納豆食ってるオレはどうすればいいのだ。
 言い様がない、のか。私は途方に暮れるばかりである。他にもいくらでも語りようがあるように思うが。
 どうかね、マンボウ君。ここまで悪し様に言われて、君はどんな心地かね。
 もちろん、マンボウからの返事はない。意外な方向からはあったが。
「ふうん。不思議な魚よねえ」
 とは、私の傍らで同じ説明文を読んでいたマサキ君の御母堂の御発言である。こらこら、納得するなって。
 一方その頃、マサキ君はゴマフアザラシの水槽にかぶりつきになっていた。
 私は、あらためて水槽に視線を戻した。東池袋三丁目のマンボウは、マンボウにしかできないことをしていた。

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227 99.05.31 「それは夕立のように」

 それはいつも、いきなりやって来る。
 やって来て、目の前を通り過ぎる。あっというまに駈け抜けていく。
 他人の色恋沙汰その名も修羅場篇というやつだ。私のもとにはなぜか訪れないのだが、どうも世間の人々には、そういうものが意外な頻度でやって来るらしい。世間のみなさんもたいへんだ。
 本件に関しては私は暇を持て余しているのだが、世間の人々にとってはどうやらそうでもないらしい。色々あるらしい。たとえば、常磐線快速の車両において、スーツをよれよれにして、声高に己の恋心を連綿とまくしたてる男というのが、それだ。一見して、ぼこぼこに殴られてしまったのが容易に看て取れる。二十代半ばといったところか、彼はひん曲がった眼鏡を意に介さず、浮かれたように言い募るのであった。
「このひとは、暖かいものを、柔らかいものを、安らげるものを」彼は息をついた。「俺が必要なものを」はぁはぁ、と、苦しそうである。「ぜんぶ、くれるんだ」ぜぃぜぃ、と、死にそうである。「俺にはこのひとしかいないんだ」もはや、倒れそうである。「わかったか」と、きっぱり言ったが、やっぱりへなへなと崩折れた。
 おいおい。しっかりしろ。
 隅のシートに腰掛けていた私は、眼前の男の振舞いに茫然となった。茫然の原因の半分は睡魔によるものであった。睡眠の神様に、私は絡めとられていたのである。ふと目覚めたら、目の前によれよれ男がいて、自らの熱情をほとばしらせているのであった。
 どうなっておるのだ。私が乗ったのは、遊び疲れ酔い疲れ仕事に疲れた人々が家路を目指すいつもの終電だったはずだ。寝不足だった私は、座席に座り込むや否や眠りに落ちた。眠くてたまらなかった。それが、ふとした拍子に目覚めてみれば、目の前には修羅場があった。電車は深夜の関東平野を北東に疾走中である。
 目をぱちくりさせて事態の把握に努めたところ、自分が特異な位置に存在しているのがわかった。私はその車両の片隅にいた。シートに座って眠り呆けていた。周囲の座席には誰も座っていない。乗り込んだときには周囲にはかなりの乗客がいたはずだが、みんな避難してしまったようであった。寝惚けた視線を巡らせると、車両のこちら側だけががらがらで、反対側が混んでいる。熟睡した私だけが取り残されたらしい。
 避難の原因は明らかで、大立ち回りが演じられたもののようであった。その一方の主役は、よれよれ男である。もう一方の主役は、よれよれ男の視線の先にいた。勝ち誇ったようにたたずんでいる。見るからに、法令の遵守ということになんらの意味を見出さない職業に就いているのが明らかな男であった。このヤとよれよれ男が、どうやら格闘の儀に及んだらしい。まわりにいた乗客はみんな君子だったらしく、危うきからは遠去かった。君子になるにはかなり難のある私だけが、すぐ傍で繰り広げられた格闘に気づきもせずに、眠り呆けていたという展開なのであった。
 いまひとつ覚醒には至らない私にも、格闘を惹起した存在は明白だった。怯えた瞳を見開いてヤに寄り添うようにたたずむ長い髪の女性である。いやあ、やっぱりこういうときに出てくる女性は、髪が長いのであるなあ。定番だなあ。お約束だなあ。などと、寝惚け頭で感心する私なのであった。
 三角関係といったものであろうか。どうもよれよれ男が一方的に勘違いしているようでもあるが、しかしまあ、目の前でそこまで言われちゃ、すこしはほだされるだろう。と思いきや、彼女はいっこうに意に介さないのであった。彼女にとってよれよれ男はストーカーにも等しい存在であったのかもしれない。ヤの背に隠れて怯えるばかりの長い髪なのであった。
 なんだか私は、とんでもないものをかぶりつきで目撃しているようである。この情況に至る経緯は、いったいどんなものであったのであろうか。惜しかった。眠りこけている場合ではなかった。
 このあとは、どうなるのか。いかなる展開が三者の間で繰り広げれるのか。興味は尽きない。はずだったが、尽きた。そこでまた、私はことりと眠ってしまったのである。もったいない話である。もったいないが、眠かったのだから仕方がない。どういうものか、眠っても、眠っても、まだ眠い。そんな日々が続いていた。睡魔がどこかしら妙だったせいなのか、埋もれていた記憶が夢というかたちをとって甦った。この類の修羅場に遭遇するのは、実は初めてではなかったのである。三度目であった。
 そのとき私は中学生だった。駅前でバスを待っていたのだと思う。人通りは多かった。衆人環境の中、中年のもつれた三角関係は夕立のようにやって来て、あっというまに消えていった。女が男にひきずられていた。実際には腕をつかまれていた程度のことなのだろうが、私的記憶においてはひきずられていたのである。ここにもよれよれ男は登場した。ぼこぼこ状態であることはいうまでもない。よろめきながら、先を行く二人を追いかけていた。「きみぃ、それは僕の妻だよ」と叫びながら。
 どうにも似たような構図である。二度目もさして変わり映えしない。たしか十年ほど前のことで、どこかの海水浴場が舞台だった。このときのよれよれ男は、破れた海パンを押さえながら内股で追いすがっていたはずである。
 三度が多いのか少ないのかはわからないが、なにゆえに同じような修羅場に出くわしてしまうのであろう。居合わせた人々の耳目を集めずにはおかない激しい場面に遭遇してしまうのであろう。三角関係を呼び起こしやすい体質なのであろうか。
 あのような立場に置かれると、どういう心境になるのだろう。世間の視線をどのように感じるのだろう。それとも、起こっている事件に忙殺されてそんなゆとりはないのか。謎である。
 終点の駅で、駅員に揺り起こされた。既に、三人の姿はなかった。またしても、修羅場は瞬く間に通り過ぎていった。
 眼鏡が落ちていた。レンズは砕け、フレームが折れ曲がっている。もはや修復のしようもない。あのあと、いったいどうなったのだろう。
 なにかを暗示しているのだろうか。たとえば、次に床に落ちてそうなるのは私の眼鏡である、とか。
 そんなのも、ちょっと悪くない。

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228 99.06.23 「ありません」

 昼飯時に、とある役所の食堂において、そのおとーさんは私の前に出現したのであった。
 食券を求めて自動販売機の列に並んだ。たまたま私の前にいたのが、そのおとーさんであった。私にとっては、そのおとーさんは縁もゆかりもない。そういう位置付けのおとーさんである。同じ列に居並んで、今ささやかな縁が生じたが、それだけのことである。私とおとーさんとの間になんらかの関係があるとするならば、それは単なる偶然がもたらしたものに過ぎない。
 おとーさんは、壁の黒板を眺めていた。本日の日替わり定食のラインナップを伝える黒板である。A定食が鶏の唐揚げ定食であり、B定食がアジフライ定食である、と、本日はそのような展開を見せていた。更なるC定食の欄も設けられていたが、厨房サイドにも色々と都合があるのだろう、「ありません」とのことであった。ごめんね、今日はBまでにしてね、というのが、厨房サイドの本日の日替わり定食に関する公式見解のようであった。
「ありません、って、食ってみたいね」
 ぼそりと、おとーさんがつぶやいた。ま、ありがちな軽口である。日常生活の潤滑油、といったところであろう。こういう他愛ない軽口を重ねて、私達は単調な日々を当たり障りなくやり過ごしていくのである。例えばそれは、「食券乱用」といった物言いと同様の、よくある戯れ言である。
 が、おとーさんの発言に反応する者はなかった。私は、おとーさんの更に前にいたお兄さんに向けられた発言と解釈していた。おとーさんのためらいがちな小声を耳にしたと思われるのは、私とお兄さんだけである。この種の軽口は、旧知になされるべきものであろう。互いに打ち解けた間柄においてのみ許される「ユーモア」といった類の発言であろう。私がおとーさんと初対面である以上、おとーさんはお兄さんに向けて語った、と、私はそう考えたのであった。
「ありません、って、食ってみたいね」
 おとーさんは、更に言い募るのであった。こらこら、お兄さんよ、相手をしてやればぁ。「そうですねぇ。食ってみたいですねぇ」とかなんとか、あからさまにおざなりな口調でも構わないから、ちっとは反応してあげたらぁ。あんたの上司だろ。いくらタワゴトだからといって、なにも黙殺しなくても。そりゃまあ、このおとーさんは、いつもいつもこういうしょうもないことをなべつまくなしにほざいているのかもしれないけどさぁ。おとーさんは、気の利いたことを思いついた、と思い込んでるんだからさ。適当に相づち打ってあげればぁ。そのように、私は考えた。
 が、お兄さんはおとーさんの関係者ではなかったのである。私は驚愕した。お兄さんは、A定食の食券を購入して、さっさと去っていくのであった。おとーさんも、意に介さない。お兄さんとおとーさんの間にはなんらの関係もなかったらしいのである。その上おとーさんは、あろうかとか、まだ言ってるのである。だんだん確信に満ちた口調になっているのである。
「ありません、って、食ってみたいね」
 あまつさえ、私に向かって「にっ」と笑いかけるのである。
 ゑ? なに? オレ? オレに言ってんの? おとーさん、さっきから、オレに話しかけてたの? あ。それは、その、なんだ。
 いやん。それはもう、やだやだ。
 私は硬直した。
 つ、つまんないんだけど。そ、その戯れ言。
 ようやく語りかけた相手に認識されたと理解したおとーさんは、なにかしら自信に満ちた仕草で券売機の「C定食」のボタンを押し、そうして明らかに私ひとりに向かってにこにこと笑いかけるのであった。
「食ってみたいよね、ありません、を」
 い、いや、そんなことはありません。私は硬直するのみである。
 おとーさんは、なおも「C定食」のボタンを押した。当然のことながら、食券は発行されない。
「ありません、は、ありませんでしたー」
 晴れやかな声音で、おとーさんは私に語りかけた。もはや、付近数メートルに届かんという声量であり、私は床に視線を落とし「オレはこのひととはなんの関係もないんだ」と、背中で精一杯、良識ある世間に語りかけるのみであった。
 なんでオレに? どうしてオレにそんなこと言うの? オレは、たぬきうどんを食おうと思ってただけなのに。
 そんでもって、なんでたぬきうどんの食券を買うわけ? おとーさんよ。
 ありません。そういうのって、よくないです。ええ。よくありません。
 ありません、とも。

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229 99.06.24 「どちら」

 おばちゃんもおばちゃんだ。そういう訊き方はよくない、と私は強く思う。よくありません。だめです。いけません。いかんのです。
 昼飯時に、とあるラーメン屋、つまりは伊沢町二丁目の進々亭、富士銀行の並びにある緑色の看板が目立つあの店だが、そういった場所でタンメンの摂取に躍起になっていたところ、アロハシャツを着た男が隣のテーブルに就いたのであった。
「ラーメン、ギョーザ、ビール」
 と、アロハ氏は淀みなく注文した。なんのためらいもない。言い終わるや否や、競馬新聞を取り出し、儚い夢に思いを馳せつつ勝馬投票券の購入方針に関する大いなる考察に取りかかった。
 ひとは誰でも何かに取り組んでいる。私の目下の懸案は、少々塩分が過剰気味の眼前のタンメンに他ならない。一方、アロハ氏に差し迫った関心事は、競馬である。ラーメンではない。ギョーザではない。ましてやビールではなかった。そんな些細なことはどうでもいいのである。
 が、進々亭のおばちゃんにはおばちゃんの職務があった。客の注文を受け、それを正確に厨房に伝える。それこそがおばちゃんが取り組んでいる崇高な任務である。482日連続無失策の自己記録を更新中と推察されるおばちゃんは、律儀に己の聖職を全うしようとした。自らに課された責務を忠実に遂行せんと試みるおばちゃんなのであった。
「ラーメン、ギョーザ、ビールですね」おばちゃんは復唱しながら伝票に書きつけた。「ビールはどちらになさいますか?」
 その訊き方がいかんというのである。他人事ながら、私はアロハ氏の苦境に限りない同情を覚えた。私がアロハ氏側の人物と化した瞬間であった。もはや私はアロハ氏の走狗である。その背景には、スープの塩分問題の他に、麺の茹でかげん問題、全野菜量に比してのキャベツの寡占問題といった店側に対する私の憤懣がのんべんだらりんと横たわっていた事実は否定し難い。私は、口には出さなかったものの、ただちにアロハ氏との統一戦線を築くに至った。アロハ氏よ、共に進々亭と闘おうではないか。
 アロハ氏は競馬新聞に捧げていた視線を、のろのろとおばちゃんに向けた。おばちゃんの発言の骨子が理解できない御様子である。もっともである。私も理解できない。
 ビールはどちらになさいますか、と、おばちゃんは、命題を提示した。おばちゃんにはおばちゃんの職業倫理に貫かれた常識があるのだろう。かといって、なんらの例示もなく「どちらか」と客に選択を求めるのはいかがなものか。二者択一を迫るのならば、それ相応の礼儀があってしかるべきではなかろうか。
 どちらか。
 ハイネケンかコロナか、と訊いているのか。食前に飲むか食後に飲むか、と問うているのか。熱燗のビールか冷やのビールか、と尋ねているのか。ビーを飲みたいのかルを飲みたいのか、と迫っているのか。かいもく見当がつかない。
「どちら、って?」
 当惑を滲ませながら、アロハ氏は訊き返した。当然の反応である。俺に与えられた選択肢はいったいどのようなものであるのだろうか。アロハ氏の胸裏にはもちろんそうした疑念が兆しているのであった。
「生にしますか、それとも瓶?」
 ここに至ってようやく、おばちゃんは苛立たしげに回答例を提示した。
 そういうことであったか。私はようやく得心した。ジョッキの生ビールなのか、それとも瓶のビールなのか。どうやらおばちゃんはそこのところをアロハ氏に問うていたもののようであった。
 とはいえ、アロハ=タンメン統一戦線、略してあたぼうよ戦線、いや略すというにはいささかの夾雑物が混入しておるが、とにもかくにも二毛作、あたぼうよ戦線としては、今更ながらに自らの質問の意味を提示するおばちゃんの態度に、いささかの不信感を禁じ得ない。どうなっておるのだ進々亭。
 ビールを注文して「どちらか」と問われれば、「あ。生ね。生中ね」とか「瓶ね。一番絞り、ある? あ、ないの。じゃ、ラガーでいいや」などといった当意即妙のお答えを誰もが返す。そう考えているのなら、進々亭よ、それは大間違いなのだ。おばちゃんよ、大間違いなのだぞ。アロハ氏は競馬に夢中でその論点に気づかず、私は私で見当違いの方向を無駄に深く考察する性癖によってその視点とはかけ離れた場所を模索したが、そうした少数派の存在をいかに考えておるのか進々亭。その対応如何によっては、あたぼうよ戦線にも考えがある。ま、休むに似ている例のやつだが。
 無造作に「どちら」とは何事か。あたぼうよ戦線は困惑するばかりである。はじめから、はっきり問い掛けてもらいたい。生か、瓶か、と。あたぼうよ戦線は、あんまり頭がよくないのだぞ。あ、いや、アロハ氏よ、いまの発言はその場のイキオイだから。イキオイ。イキオイなんだよ。勢い、って書くんだよ。そんなこと知ってるか、あはは。
 などと内部抗争を繰り広げている場合ではなかった。
「んーとね、じゃあね、ええとね、どっちにしようかな」
 こらこらアロハ氏よ、迷うんじゃないってば。迷う前におばちゃんの無法をひとことたしなめるくらいの気概を発揮してもよいのではないか。どうだろうアロハ氏、ここはひとつ、全国のビール愛好家を代表して進々亭サイドの不遜を戒めてみないか。私も全国のタンメンファンを代表して全面的に支援する。競馬の予想も大切だが、世の中にはきっちり筋を通しておかなければならない局面もあるものだ。アロハ氏よ、今こそあなたがその先駆者となるべき時である。立ち上がれ、アロハ氏。
「じゃあ、生。生中ね」
 アロハ氏はついに決断した。
「生中おひとつですね」すかさず、おばちゃんは対応した。「ラーメン一丁、ギョーザ一枚、生中一つ、入りましたあ」
 厨房はただちに呼応した。「ラーメンいっちょ~、ギョーザいちまいっ、生中ひと~つ」
 おばちゃんの482日連続無失策の自己記録は安泰であった。
 安泰じゃないのは、あたぼうよ戦線である。
 よくわかったアロハよ。
 あんたがそんな腑甲斐ない奴だとは思わなかった。コンビ解消だ。あんたとの関係もこれまでだ。そうやって競馬新聞にかまけているがいい。短い間だったが、世話になった。あんたはあんたの生中を飲め。私は私のタンメンに憤っていこう。
 しかし、よく考えてみると、アロハ氏と私とはなんの関係もなかったな。
 よく考えてみるまでもないが。

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230 99.07.01 「下巻から」

 やっぱり私は馬鹿だった。
 電車に揺られながら、購入したての文庫本を三十数ペイジまで読み進めた私は、文庫本の表紙を見返した。そうして私は卒然と自らの過ちに気づいた。下巻だったのである。上下巻に分かれた小説の下巻から、私は読み始めていたのであった。
 読みながらも、どうも様子が変だな、とは思っていたのである。当然なされるべき説明がほとんど省略されているような印象を、漠然と受けていたのである。違和感をいわいわと感じていたのである。初めて接する作家であり、こういう作風なのであろう、と無理やりに自分を納得させていたりもした。しかし、違和感はいわっいわっと耐え難いまでに押し寄せ、困惑した私はついに表紙を見返し、下巻から読み始めた己を見出すに至ったのであった。
 私は本を閉じ、当惑と闘った。私のココロは下を上への大騒ぎである。
 下巻である。物語は展開しているのである。中盤にさしかかって、盛り上がっているのである。そこのところに途中から土足で割り込んでいたのであった。
 下巻だったか。
 下巻から読んじゃったか。
 最低である。下の下である。夜は墓場で運動会である。が、ちっとも愉しくないのである。不治の病、粗忽症がまたしても発症したのであった。骨粗鬆症も大変だが、粗忽症もそれなりに大変なのである。
 たとえば、アララト山に、上巻と下巻が漂着したとしよう。たとえば、神田神保町の古本屋「けやき書房」の店頭に、上巻と下巻が並んでいたとしよう。たとえば、JR常磐線上野行快速電車に乗り込み、バッグの中に購入したばかりの文庫本の上巻と下巻が納まっていたとしよう。
 どちらから、読み始めるか。
 上巻である。上巻に紛れもない。上官の命令には逆らえない。情感を求めるべく、上巻から読み始めるのが人の道である。大の道である。木の道である。本の道である。
 上巻があり、下巻がある。上を読んでから、下を読む。それがこの世界のサダメである。上を見ればきりがないし、下を見たら高所恐怖症だった場合は怖い。この世界はそういうことになっている。そんな世界で、この下衆は下巻を手に取ったのであった。ついつい下手に出てしまう性格なのであった。
 上下、という概念が私に突きつけられている。右と左は概して対立するが旦那様、上下はこの瞬間、順序を表しているのである。後ろでもから前からでも構わないと言い放った方もいたが、下からいくのはこの場合、御法度なのである。下付きを好む方もあろうが、私は本を読んでいるのである。上巻を先に読まねばならぬ。が、私は下巻から読んでしまったのである。しかも、三十数ペイジに至るまで、己の過ちに気づかなかったのである。
 本の小さな出来事に、私は傷ついた。梅雨空を背景に、中吊り広告が揺れていた。絶え間なく揺れている電車の律動に身を任せながら、上巻から読んでいればよかった。終点までのこの長い時間が終わるまでに何か解決策を見つけて生きていかなければ。
 情けない。しかしこの程度の過失は誰もがやらかしてしまうものである。そのへんにころがっているものである。
 たとえば、私の右隣で読書に勤しむうら若き女性であるが、実はこのひとも下巻仲間に違いないのである。まったく根拠はないが、そうに決まっているのである。山形県天童市出身の彼女は今春大学を卒業しある家電メーカーに就職したのであったが、本日ささいなミスをしでかして上司に叱られ、たいへん動揺しているのであった。動揺のあまり、上中下と三分冊された文庫本の下巻から読み始めてしまい、未だにその事実に気づいていない彼女を、いったい誰が咎められるだろう。加奈君よ、ミスは今後も幾度となくしでかすものである。いちいち思い悩んでいては身がもたんぞ。元気を出せ。それから本は上巻から読んだほうがいいよ。いや、彼女の名前が加奈かどうかは知らぬが。
 更には、左隣で「新書太閤記(四)」に没頭しているおとうさんであるが、この山崎さんに至っては一二三をすっとばして、いきなりの第四巻である。眼前に本を広げて頁を繰ってはいるが、実は山崎さんの懐中には本日付けの辞令が忍ばされているのであった。勤続二十八年、いったい俺の人生はなんであったか、と山崎さんは憤っており、読書どころではないのであった。リストラである。出向である。減俸である。左遷である。月曜と木曜の陶芸教室以外のすべての時間をガーデニングに注いで安閑としている妻に、いったいどう告げればよいのか。そんな山崎さんに、シリーズ物は第一巻から読んだほうがいいですよ、などとたわけた忠告を、いったいどこのどいつができるというのだろう。いいじゃないですか、第四巻。第四巻から始まる人生もありますよ山崎さん。もちろん偶然でない限り、このおとうさんは山崎さんではない。
 そんなふうに赤の他人の人生を勝手にでっちあげ、オレの他にも粗忽なひとはもっといるのだ、と無理やりに自分を納得させた私は、のろのろと上巻を取り出した。一から出直しだ。上巻からやり直すのだ。
 私はあらためて上巻から読み始め、すぐに物語に引き込まれた。ニューヨーク48番街で居酒屋を営むダニーが、主人公然とした魅力的な光彩を放っている。そうか、こいつはこういう奴だったのか。が、ダニーは主人公ではないのである。なぜなら、下巻早々で、ダニーの心臓をベレッタの弾丸が貫くからである。
 私は、それを知っているのである。

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231 99.09.14 「元を取りに行こう」

 飲み放題である。四季の季語、飲み放題に他ならない。なんと麗しい響きであろう。思わず心ときめいてしまうことであろう。血圧は上がり動悸なども生じることもあるかもしれない。白目なども剥いてしまうのも、むべなるかなといったところである。極端な場合には、脂汗が流れ全身が震えだすかもしれない。しかしそのままだと生命が危機に瀕し、やんぬるかなといったところになってしまうので、ここはひとつ我にかえって今回の飲み放題に対峙してみよう。
 カクテル飲み放題、二時間2500円也、というのが、このたび私の前に出現した魅惑の企画なのであった。
 シティホテル内の飲食店は、宿泊客に少なからず依存するその性質上、不況の煽りをたいへん受けやすく、昨今では主にバイキングという方法論にすがって集客活動に精を出しているのは、あまねく知られたところである。過激なホテルでは、和洋中がそれぞれ競うように朝昼晩とバイキングをやっている。午後にはケーキのバイキングなども執行される。食い放題、飲み放題である。一方、バーはどうか。ホテルバーに放題という手法は馴染むのか。バーの主力商品は、時間、空間、雰囲気などである。酒や料理ではない。
 今回、銀座のとあるホテルのバーにおいて、そうした野心的なサービスが供されていると聞き及び、私は驚愕した。破格である。自棄になっているのではないか、とも思える衝撃のプランである。
 放題システムに対したとき、誰もがまず考えるのは「元が取れるか」という一点に尽きよう。ここで重要なのは、「元」をどう解釈するか、という問題である。モンゴル帝国の広大な領土を制圧するのは大変な難事業であろうが、モト冬樹を説得する程度のことならばなんとかなりそうである。敵はジンギス・カンなのか、モト冬樹なのか。このあたりの見極めが肝要である。今回の場合は、明らかにモト冬樹級である。ハードルは低い。しかも、グッチ裕三の全面的協力が得られるといった気配さえ漂う。鎧袖一触で攻略可能である。たかだかカクテルである。ほんの三杯か四杯でモトが取れる。せいぜい三十分間ほどで取れるモトなのであった。取れて元々なのであった。
 店側としては元が取れるどころではない。もはや赤字をいかに些少に抑えるか、といった難局に立ち至っているのであろう。酒肴をどれだけ捌けるかといったあたりが勝負どころなのであろうが、2500円に目が眩んで迷い込んだ手合いには、あまり期待できない儚い願望ではあろう。
 私も、もちろん目が眩んでいた。ようやく仄暗い空間に目が慣れたときには、カウンター席に座り、本企画に関するバーテンダーの説明に耳を傾けているのであった。限定版らしき三十種ほどのカクテルリストが目の前に広げられた。日替わりだというこのリストが飲み放題の対象となっている模様である。当然の措置ではあろう。飲み放題だからといって、カクテルブックを開かなければレシピがわからないような珍しい代物ばかりをオーダーされたら、バーテンダーも困ってしまうのである。
 リストには、各ベースともにそれなりの顔触れが揃っており、私には興味のないリキュール・ベースがいささか多すぎることとブラディメアリが欠落していることを除けば、充分に納得できるラインナップであった。
 私は瞬時に戦略を組み立てた。ジン・ベースとウォッカ・ベースを主体に陣を配し、ショートドリンク隊で攻める、といったところである。飲み放題とのせっかくの御好意にロングドリンクで応じるのは、それはあまりに間抜けであろう。
 一番槍のギムレットを味わいながらリストを眺めていた私は、またしても悪しき慣習に出くわし、いささかの怒りを覚えるに至った。2500円は♂用の値段なのであった。♀は、2000円だというのである。どうなっているのだ。男女飲酒機会均等法の立場はどうなるっ。って、そんな法律はないが。なぜ、そうなるのであろう。前世がうわばみだったとしか思えない女は数知れないし、ウィスキーボンボンで宿酔いになる男もこれまた数知れないが。世の中に納得し難いことは少なくないが、私は未だにこの不合理を解消できない。2000Yenだというのである。このもうひとつのY2Kを、カクテルの神様、看過してよいものでしょうか。
 と、怒っているうちにも、着実に飲酒活動は続いていくのであった。息抜きにテキーラ・サンライズといったロングドリンクに寄り道をしたりしながらも、基本的にはギムレットとウォッカ・ギムレットの間を往復する私なのではあった。
 バーテンダーにはホームポジションがある。彼がカクテルをつくる場所である。たまたまなのか、本能のなせるわざなのか、私はその目の前の席に陣取っていた。オーダーもたやすくできる。彼の手が休んだその瞬間にすかさず次のカクテルを告げ、お互いに手持ち無沙汰とは徹底的に無縁に過ごした二時間となった。
 バーテンダーの背後は総ガラス張りである。十五階から眺める銀座の夜景といったものが広がっている。さしたる感興を呼び起こすものではないが、不思議なことに杯を重ねるに従って、その光景がなんだか妙に心地よく感じられてくるのであった。
 酔っているのである。
 心地よい二時間であった。人生は素晴らしい。
 なお、二時間で十九杯のカクテルを呑んだ場合、翌朝にはたいへん素晴らしくない人生が待ち受けていることを、末尾ながら付け加えておきたい。

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232 99.10.13 「天秤座がいっぱい」

 警察署の狭いロビーはたいへん混雑していた。
 警察と私がお互いに歩み寄るとき、ほとんどの場合そこには道路交通法が介在する。道路交通法こそが警察と私との細い絆である。
 一方、誕生日と私がお互いに歩み寄るのは、三年ごとである。三年おきにしかお互いに意味を見出さないのが、誕生日と私との醒めた関係である。
 本年の誕生日はその三年の節目にあたり、私としては警察に出頭せざるをえなかった。即ち、運転免許の更新である。更新は大切である。後進に道を譲るわけにはゆかぬ。更新せねばならぬ。その昔、うっかり失効をやらかしている私である。二の舞は踏むまい。失効してはならぬ。膝行してでも更新せねばならぬ。
 ならぬならぬと呟きながらなんやかんやの手続きを終え、私は空いた椅子に腰掛け、自らの名が呼ばれるのを待っていた。周囲の混雑を眺めているうちに、私は三年ごとにとらわれる思いに、またしてもとらわれるのであった。
 ここにいる方々は、みんな誕生日が近いのだなあ、と。免許の更新は一ヶ月前からだから、このロビーにいる皆さんの誕生日は最大限離れていても一ヶ月以内なのだなあ、と。
 その日、私は自分が更に恐ろしい事態に置かれていることに気づいた。更新当日の日付を考慮し、ロビーにいる皆さんはほとんどが天秤座の星々の下に誕生していることを理解するに至ったのである。
 視力検査で落第しそうになって困じ果てているあのおばちゃんは、天秤座である。住民票も持たずにやって来て住所変更せよと息巻くあのおとうさんも、天秤座である。孫らしき青年の手を借りながら覚束ない足取りで歩くあのおじいちゃんも、天秤座である。写真うつりが悪いから撮り直しさせろとだだをこねるあのおねえちゃんも、天秤座である。みんな、天秤座である。私も、天秤座である。
 風説によると、星座だか宮だかそのような分類によって、なんらかの性格性癖性向などが表されるものであるらしい。浅学非才ゆえによくわからないのだが、その名称から察するに、天秤座とかいったものは、二股膏薬というかどっちつかずというか優柔不断というか表裏比興というか、なんというかそういった申し訳ない性格を象徴しているものと考えられる。己の人物像を考え合わせると、更にその確信は深まる。確信は自信に変わったりもする茨城県警取手警察署午前11時なのではあった。信念の人の場合は自信が確信に変わるらしいのだが、優柔不断な私達の場合、確信を得て初めて自信を抱けるのであった。
 即ち、このロビーにいる老若男女は人としていささかの問題を抱えている、と断じて差し支えないであろう。竹を割ったようなとか、小股の切れ上がったとか、そのようなきっぱりとした表現とは無縁の面々である。ぐにゃぐにゃで、へろへろで、でへでへである。「いやあ」と頭をぽりぽり掻いてその場をやり過ごし続けてきたお歴々である。およそ信念などといった概念の極北に位置する方々である。清濁併せ呑まれて、場当たり的に世渡りをしてきた変節漢の集合体である。
 皆さんは私の分身であり、私は皆さんの分身である。みんな仲間だ。天秤座だ。
 ロビーを眺め渡し、私は呆れた。よくもまあ、そういう人間の屑ばかりが群れ集ったものである。見方によっては、得難い情景である。貴重である。誰かがここで「天秤座のひと、手を挙げて」と言ったら、全員がさっと声の主を振り返り、ぱっと手を挙げちゃうのである。とりあえず世の中の動静に逆らわないのが、天秤座である。
 おばちゃん、視力検査なんかなんとかなると思ってただろ。よくわかるよ、そういう高をくくった態度は。オレもそうだよ。でもね、あんまり警察を甘く見ちゃいけないな。おとうさん、住所証明なんかどうにでもなると舐めてただろ。よくわかるよ、そんな不遜な姿勢は。オレもそうだよ。でもね、あんまりお役所仕事を甘く見ちゃいけないな。おじいちゃん、とりあえず運転免許くらいは更新しとくか程度にしか深く考えてないだろ。よくわかるよ、そういう浅墓な考え方は。でもね、あんまり車の運転を甘く見ちゃいけないな。おねえちゃん、自分はもうちょっと見栄えすると思い違いしてただろ。よくわかるよ、そういう見当違いのナルシシズムは。オレもそうだよ。でもね、あんまり現実を甘く見ちゃいけないな。
 何事も甘く見る性癖が身についた私達である。これまでのジンセイがなんとかなってきたのでこれからもなんとかなっていくのだろう、といった漠然とした行動指針に基づいて生きていく私達こそが天秤座である。なあみんな、そうだろう。と、皆さんに挙手して頂こうかと考える茨城県警取手警察署午前11時04分なのではあった。
 ロビーは相変わらず混雑していた。信念の人ばかりが集まる日もあったろう。猜疑心の強い人達が群れ集った日もあったろう。むやみに朗らかな人々が集結した気味の悪い一日もあったに違いない。
 この日、そこには、ぐにゃぐにゃでへろへろででへでへで、舐めた態度で世渡りしていく人々がいた。
 私の名が呼ばれ、私は新しい運転免許証を入手した。
 私は思った。撮り直してよ、と。

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233 99.12.06 「納豆問答」

 電車の中というものは、他人様の突飛な御意見に出くわす場所として、私においては極めて高い評価を得ている空間である。
 本日は、その人相風体からして中学生と推察されるユウスケ君のあまりにも誤った見解が採取された。その友人であるらしきヒロキ君の再三の説得も、いっこうに効を奏する気配はなかった。
「だからさあユウスケ、納豆は畑でとれるんだってば」
 ヒロキは次第に投げやりな発言をなしつつあった。無理もない。先ほどからヒロキは、納豆のなんたるかについて様々な表現でユウスケの蒙を啓こうとしてきたのだが、ユウスケのあまりの頑迷に直面し、もはやなすすべもない御様子なのであった。
 どういった経緯で、彼等がアイドルの話でもゲイムの話でもなく、なにかしら彼等にはそぐわない納豆といった代物を話題に取り上げたのかはわからない。彼等にも彼等なりの事情があったのであろう。私が気づいたときには、彼等の議論は白熱していた。
「サカナの卵に決まってるじゃん、納豆は。ヒロキ、おまえ知らないの?」
 というのが、ユウスケのたいへんに間違った主張なのであった。知らないよな、ヒロキ。初耳だよな。ユウスケはちょっとおかしいよな。
 ユウスケの納豆に関する見解は、それはつまり「魚卵」だというのであった。ぎょらん、こそがユウスケの納豆原論序説なのであった。見上げてぎょらん夜の星を、というのであった。遥かな宇宙から時を超えてやって来た、というのであった。ばかだなあ、ユウスケは。
「ほら、イクラとかスジコとかさ、あれの仲間だよ。納豆は」
 なおも、そのように力説するユウスケなのであった。
 しょっぱなから脱力していたヒロキは、それでも友達甲斐のある偉い奴だったようで、この友がこの甚だ誤った見解を有しながら今後の人生を歩んだあげくに漂着するであろう悲劇を憂慮したのか、「それはちがうよユウスケ」と、友を正しき道に導かんと試みるのであった。
 曰く、納豆の原料は大豆なんだよ、さかなの卵じゃないよ、畑でとれるダイズなんだよ、豆腐とおんなじで大豆からつくられてるんだよ、と。
 しかし、ユウスケにはまったく通じないのであった。
「ヒロキ、おまえばかだな」などと、ユウスケは軽く一蹴するのであった。「豆腐は海草からできるんだよ。知らないのおまえ」
 知らないよなヒロキ。トコロテンと勘違いしてるんじゃないの、ユウスケは。
「だいたい、おまえが言ってるダイズってなんだよ。そういう名前の野菜かなんかがあるのか」
 と、ユウスケの誤解はそれが誤算だと気づかぬままに更なる誤認を煽りながら致命的な誤謬を招いていくのであった。
「じゃあ、訊くけどさ」ヒロキとしては挑発せざるをえなかったのであろう。「納豆はなんの卵なんだよ。なんていう魚の卵なんだよ」
 いかにも。いかにもヒロキ、それは私もユウスケ自身の口からぜひ聞きたいところである。いいぞヒロキ。糾弾せよ、このあまりにも誤解にまみれたユウスケを。
「ダイズに決まってるじゃん。ダイズの卵が納豆だろ」
 が、そのようにさらりと言ってのけたユウスケは、もしかしたら大人物なのかもしれぬ。
「な、なんだよユウスケ。それ、なんだよ」ヒロキの口調に激しい疑念が兆した。「まさかおまえ、ダイズという名前の魚がいる、とでも」
「いるに決まってるじゃん」
 と、さらりと言ってのけたユウスケは、どうやら怪人物のようであった。
「ば」ヒロキはさすがに絶句した。「ばっかじゃないのおまえ」
 ばかである。ユウスケはどうかしている。すべての食物は海から来たる、といった遠大な思想が窺える。ユウスケの信ずるところによれば、「ダイズ」という名の魚がいてその卵が納豆だ、というのであった。
 もちろん、ダイズという名の魚はいるかもしれない。北海はシェトランド諸島ラーウィックで先々代からトロール漁を営むヨハンさん当年とって七十二もうそろそろ引退だよ、といった人物が、「こいつがダイズだ」と言って、タラの一種を指し示したとしよう。「ダイズ」と鼓膜に響いたとしたら、いったい誰がヨハンさんの主張を否定できるだろうか。「ヨハン」との名が明らかに北欧の出自を明示しており、彼が拠って立つ言語体系はスラブの香りを放っているわけで、アングロサクソンとスラブとの言語的軋轢の中で「ダイズ」と呼ばれるサカナが生じたとしても、無理のないところであろう。更には、タンザニアはムワンサ郊外に住み、ビクトリア湖で長年仕掛け漁をして生計を立てているイルサ・ハギボさんが、「ダイズは高く売れるね。めったに穫れんけどな」と述懐している可能性もまた、私達はけして否定できないであろう。ましてや、ラプラタ河の畔に住むカルロス・カンポスさんや、バイカル湖の幸を生活の糧とするユーリ・スヴァロフさんや、勃海において漁業を営む黄建陳さんの御見解もまた、我々は重視せねばならないであろう。彼等がとある魚を「ダイズ」と呼称していないと、いったい誰が否定できよう。魚の名称というものに対する彼等の言語感覚を、どうしてないがしろにできようか。あまつさえ、千葉県流山市長崎一丁目に在住する小川由香ちゃん四歳が、なにかしらの勘違いのあげくに、ムロアジの開きを「ダイズ」と呼んでいないなどと、確信を持って断言できる人物は存在しえないのではないか。
 さよう、「ダイズ」と呼称される魚はいるかもしれないのである。
 わかったよ、ユウスケ。譲歩しよう。ダイズと呼ばれる魚がいたとしよう。
 いることにしよう。
 だからといって、納豆は魚卵じゃないのである。
 茨城県民のひとりとして主張しよう。納豆は、納豆はだな、大豆のなれの果てなのだぞ。あまつさえ、枝豆のともだちだ。ユウスケ、君は知らんのかもしれないが、それは歴史的醗酵的朝御飯的ねちゃねちゃ的ネギとカラシは欠かせない的な事実なのであるのだぞ。
 そうした、かくかくじかじかの次第なのであった。
「だからさあユウスケ、納豆は畑でとれるんだってば」
 と、ヒロキが投げやりになるのは無理もなかった。ユウスケの定説は、もはや施しようがない。やはりグルとユウスケにつける薬はないのであろう。信念といったものはほとんどすべての場合きわめて傍迷惑であるが、ユウスケの信ずるところもまた、例外ではないようであった。
 なにかを無条件に信じている、というひとは、とにかく非常に傍迷惑なのである。
 ヒロキは、半ば心配げに半ばほっとしたように、途中の駅で降りていった。納豆を魚卵と信じて疑わない友をひとり残すのは忍びないけれども、その保護者的立場からとりあず逃れられて安堵している、といった風情であった。
 ユウスケが、ひとり取り残された。それまでの会話がなかったかのように、窓の外を眺めている。どこにでもいそうな中学生である。
 が、ユウスケはここにしかいない。納豆は魚卵であり、その卵を産んだのはダイズという名の魚である、といった誤解を頑なに守るユウスケは、ここにしかいない。どうにも困った奴である。未来のある時点で、己の致命的な過ちに気づき、あるいは気づかされ、人知れず恥をかく予定のユウスケである。
 ユウスケよ。周囲の乗客は、君にひとこと意見したがっておるぞ。君とヒロキの会話は、車内のみなさんの耳に届いていたのだ。そうした雰囲気に、君は気づかないか。気づかないだろう。君の長所と短所は、唯我独尊という四文字熟語に集約されている。ああ、わかる。君はそういう奴だ。けれどもみなさんは、君のちょっとした誤解をたしなめたがってうずうずしておるぞ。ちょっとしたことなんだ。君は、ちょっとだけ間違っているだけなんだ。ま、それもよいだろう。たいしたことじゃない。納豆は、魚卵。それは、カナダの首都がキャンベラであったり水素の元素記号がHgであったりするような誤解とさほど違うまい。誰だって、間違う。間違って憶えていることはある。私も先般、小春日和は春先のことだと思い込んでいて赤っ恥をかいた。小春が陰暦十月の異称だったとはな。そうだよ、納豆が大豆だったとはな。
 君もいつか学ぶだろう。こっそりと恥をかいて、そうしてはじめて身につけることだろう。納豆は魚卵などではないことを。
 が、蛮勇のおばちゃんが現れた。そっとしておく、ということができない大人げない大人は、やはりいるのであった。
「さっきから聞いてたんだけどね」もう、導入から度し難い。デリカシーのかけらもない。「納豆は魚卵じゃないのよ」いやはや、否定から始めるとは。「納豆はね、大豆からできるのよ」なにも、そう単刀直入に切り込まなくても。「魚卵じゃないの」あろうことか、そうダメを押した。
 わからない。どうしてこうした無遠慮な精神が存在し得るのであろう。私は慄然とした。おばちゃんは、指摘して、それで、それだけで嬉しいのかもしれない。他人の心が傷つくということを、知らないのかもしれない。ともかく、よくわからない。無礼千万なおばちゃんであった。
 ユウスケは硬直した。それはそうだろう。「あんたにはカンケーねえだろ」反発した。当然だろう。もっともである。年長者に対して敬語がないが、やむをえまい。おばちゃんのほうが非礼にすぎる。
 ユウスケの誤解は、いつか未来のある時にひっそりと自らが気づくであろうはずの些細な誤認である。公衆の面前で指摘されるようなことではない。いわば、どうでもいいことである。
 ユウスケは中学生である。「公衆の面前」は、それはつらい。とうてい、素直に聞き入れられるものではない。
 ユウスケは言い放った。「うざってえんだよ」
 うん。私もこのおばちゃんはうざったいと思う。でもなユウスケ、おばちゃんには、介入したがるタイプっつうのがあるんだな、これが。
 自分が中学生であった時分をすっかり忘却したらしいおばちゃんは「んまあ、なによ、ひとがせっかく教えてあげてるのに、その態度は」と、逆上した。
 うわあ。せっかく、だって。たかが納豆の話に、なに言ってんだかなあ。
 その後、なにがしかの悶着があり、双方ともにふてくされてそっぽを向くという顛末に至った。ま、そんなものであろう。
 ユウスケと私は、偶然おなじ駅で降り、私はここぞとばかりにユウスケのその後を観察にかかった。ユウスケは携帯電話だかPHSだかを取り出した。ううむ、そういうヨノナカになっているのであったか。
 ユウスケが呼び出した相手は、最前の良心の男ヒロキのようであった。ひとしきり今しがたのおばちゃんのやりとりを報告して憤慨した後、またギロンは元に戻っていった。
「ヒロキよう、おまえも頑固だな」うひゃひゃひゃ、まだ言ってるよユウスケは。「だからさあ、納豆はダイズっていう魚の卵なんだってば」
 頑固はおまえだ、ユウスケ。

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234 99.12.08 「遠い日のあおぞら」

 長野県から届いた封筒から出てきたのは、新聞の一部分をコピイしたB4版の紙切れであった。新聞とはいっても、小学校の校内新聞といった類のものである。「あおぞら」というのが、どうやらその紙名であるようだ。ウサギ小屋の「あたらしいなかま」の名前が「ピーちゃん」に決まった、とか、「3ねん1くみのやまざきみちこさん」が市内の書道展で「きんしょう」を受賞した、などといったほのぼのとした報道がなされている。学級を崩壊させようにもその方法論を誰も知らなかった四半世紀以上前に発行された新聞なのであった。原本は、たぶん藁半紙にガリ版印刷されたものであると思われる。遠くない未来にワードプロセッサーなどといったものが出現するとは思いもしなかった誰かの手書きの文字が、右肩上がりで紙面を埋めている。
 教頭先生が「給食はなぜ食べ残してはいけないのか」といった啓蒙を企てているがいまひとつ説得力に欠けており、ベルマークの蒐集競争は四年二組がぶっちぎりで独走中の模様であるが、そんななかで「ドロボーをたいほ! 5ねん2くみのふたりのおてがら」といった見出しには、私ならずとも思わず目を奪われることであろう。
 その記事を熟読すると、私としてはいわいわと違和感を覚えずにはいられない。たとえば担当記者は、このように健筆をふるっている。「5ねん2くみのゆうかんなふたりがドロボーをつかまえました」。
 おいおい、つかまえてないって。小学五年生のガキに、そんなことできるわけがないだろうが、「あおぞら」紙の記者よ。まあ、そのような指摘を今このときにされても困ることであろうが。
 記憶というやつは、きっかけさえ与えられればかなり鮮やかに蘇るものであり、まざまざと蘇った記憶と対峙してしまった私としては、いささか困惑せざるをえない。
 記者は「ゆうかん」と表しており、それはその分脈から「勇敢」と解釈できるのであるが、実際の「5ねん2くみのふたり」は、「有閑」であり「憂患」でもあった。少なくとも「夕刊」ではなかったが、暇であり憂いに満ちていた。
 「ふたり」のうちのひとり、幸次という輩は、どちらかといえば憂患の徒であった。こやつは宿題のドリルを学校に忘れてきてしまったのであった。律儀に宿題をやろうとして、その痛恨の事実に気づいたのである。幸次は困惑した。夜である。とっくに日は暮れている。宿題をやるためには学校にとってかえし、当該ドリルを確保せねばならない。しかし、「夜の学校」というのは、いつだって「こわい」ものである。幸次には、とてもひとりきりでその場へ赴く勇気はなかった。
 幸次の脳裡に「近所に住んでいる幼馴染みの級友の援助を仰ぐ」といった発想が生じたのは無理からぬことであろう。幸い、そやつは「有閑」を座右の銘としているかのような、なにかしら早くもジンセイの正しき道から逸れてしまった輩であった。
 幸次はそやつの家に赴き、同行を要請した。
「ゑー。いまから、学校にぃ?」
 私としてはたいへん迷惑な申し出である。あからさまに、嫌だ、と、言ったつもりである。閑で有る。たしかに、閑であり、暇である。暇も閑も有る。しかし、私にとってヒマな時間というものはたいへん貴重なものなのである。次の瞬間に自分の意思で何をしてもかまわない、という自由の確保こそが、私にとってのヒマな時間である。なによりも尊ばれる。実際になにかをするわけではないが、そういった状況の確保こそが重要なのである。しかるに、他人の意向が介入したとたんに、それは崩壊する。ヒマではなくなってしまうのである。
 もちろん、往時の私がそのような明白な認識を有していたわけではない。自分の時間が、本来予定していなかった突発事態によって阻害されたことに、漠然とした迷惑を覚えたにすぎない。
 だいたい、そこまでして宿題をやろうとする性根がわからない。私のドリルは、もちろん学校に置きっぱなしである。そもそも、私にはウチに帰ってきてまで学業をする気がないのであった。宿題をやらなければ先生に怒られるだけで、べつに殺されるわけではない。怒られたら、「すみません」と言っていれば済むのである。宿題ごときに、自分の自由な時間を剥奪されてたまるものか。怒られたって、はなから反省するつもりはないのだから、特にしょげかえることもない。相手は宿題を出すのがシゴトで、やってこなかった奴を怒るのがシゴトである。最初から、噛み合わない。相手にちゃんとシゴトをやらせてあげればよいのである。怒られる時間などたかが知れている。学校を出た瞬間に訪れる自分の時間に比べたら、なんちゃない。と、このあたりは、表現はまったく違うが、当時から明白に意識していた。
 そういった背景があるので、幸次の動機がそもそも理解できない。
「いいじゃん、宿題なんかやんなくても」
 と、言ってしまうのであった。
「そんなわけにはいかないだろ」
 と、幸次は怒りだす。平行線である。
 その後、家人からの「友達甲斐のない奴」といった冷たい視線を背中に浴びせかけられ、仕方なく出掛けるはめに陥ったのであった。
 御存じの通り、学校には怪談が憑きものである。いや、付きものである。
「おまえ、先に行けよ」
「なに言ってんだよ。おまえのドリルを取りに来たんじゃねえかよ」
 などと、お約束の会話を交しつつ、及び腰で歩みを進める我々なのであった。
 なんとか所期の物件を取得し、校舎を脱出した後で、事態は急変した。我々はまったく知らなかったが、学校には先客がいた。ドロボーさんであった。校舎の角を曲がった拍子に出くわす、という、誠にわかりやすい邂逅なのであった。三人ともにわけのわからない悲鳴をあげて、ひっくりかえった。腰を抜かしたのである。悲鳴を聞きつけた近所の皆さんが駈けつけ、ドロボーさんの犯行は露見した。やがて、警察、担任、親などが次々とやって来て、大騒ぎの一夜となった。
 そうして翌朝、我々はヒーローとなっていた。地元紙並びに「あおぞら」紙の記者の取材を受けるなど、多忙な日々を送ることとなったのだが、もちろんそんな日々は長くは続かない。事態は次第に沈静化していった。
 が、その一方で、ひとつの問題が次第に顕在化しつつあった。事件を知ったひとがまず最初に抱く疑問は、「なにゆえにあやつらはそんな時刻に学校なんぞにいたのだ」という点であり、それは幸次が忘れたドリルを取りにいったという説明を受けてすぐさま解消されたのであったが、中には更なる疑問を投げかける者もあったのである。
 では、もうひとりの輩のドリルはどうであったか。彼は家に持ち帰っていたのか。
 担任は事件当夜よりこの点を危惧していたらしく、警察のロビーで私にささやくのであった。「いいか。おまえはドリルをちゃんと下校時から持ち帰っていたことにしとけよ。誰かに訊かれたら、そう答えるんだぞ」
 その夜、幸次は入手したばかりのドリルを手にしており、私は手ぶらであった。関係者はそれを目撃している。担任は、宿題をしない常習犯たる私の習癖を熟知しており、事情を把握するや否や、私のドリルがどこに存在するかを私に質した。私の「教室の机の中にあります」とのたいへん素直な回答を聞いた担任は、「やっぱりなあ」と嘆息し、口止め工作にかかったのであった。
「はい。わかりました」
 私はそう答えたが、その夜の私の関心は一点に集中していて、実はそれどころではなかったのである。パンツだ。パンツこそが、私の関心事なのであった。ドロボーさんに出くわして腰を抜かした瞬間、私は小便をちびっていたのである。わずかだが、ちびっていたのである。それがばれないか、ばれたらどうしよう、と、その夜、警察署における私は、ほとんどそのことしか頭になかったのである。担任の工作は、まったくの徒労に終わった。
 さあ、もうひとりの輩のドリルはどうであったか。彼は家に持ち帰っていたのか。
 級友にそうした問いを投げかけられるたびに、私は事実をありのままに語った。担任の教唆は念頭になかった。幸次は夜の学校という難所に立ち向かい、目的物を獲得した。が、同行した私はついでに同じことをすればいいのにしなかったのである。
「だって、持って帰ってきても、どうせ宿題なんかやらないんだもん」
 この発言が、じわじわと浸透し、問題となった。
 要するに、「宿題という、誰もが仕方なくも嫌々ながらもそれでもそれなりにこなしていることを、このヒーローはやっていない。やろうとする意思すらない。それは、とってもとってもいかんのではないか。だってヒーローだろう」というのであった。「学級会」といった時間において槍玉にあげられてしまう私なのであった。糾弾されてしまうのであった。
 私としては、ちびってるからヒーローなんかではありえないし、どうせやらない宿題を持ち帰るのはあまりに効率が悪い、といった見解を抱いている。そもそも、「ヒーロー」に祭り上げられてどれほどオレが困っているか、てめえら、わかんのかよ、といった心境である。が、そんなことは言えない。吊るし上げられながらも、例によって「すみません」と言っていれば済むだろうという処世術を駆使するのみであった。
 「時間」と「うやむや」は、切っても切れない紐帯に結ばれている。ソドムとゴモラ。おすぎとピーコ。愛と誠。時間とうやむや。容赦なく時は流れ、全てはうやむやになった。
 うやむやこそが、人類が仕方なく産み出した最大の叡知である。仕方なく、の範囲内に留まるところが弱いが。
 なにかしら、思い出してもしょうがないことを強制的に暴かれた気がしてならない。そのきっかけを与えてくれた「あおぞら」よ、一定の範囲内で感謝しよう。思い返せば、そんなに悪い記憶ではなかった。
 が、そうしたものを、はるばる長野県から送り付けてきた幸次よ、いったいなんのつもりか。いかなる料簡なのであろうか。引っ越しの荷物を整理してたら、などと能天気なことをほざいているが、駒ヶ根市から更埴市に転居することはとにかくわかった。だからといって、どうして私の記憶を喚起させるか。
 脅迫としか思えない。
 オレがちびったことを、幸次よ、おまえは気づいていたんだろう。
 んんと、そうだね、そうね、それはだね、それは、ゑゑとその、内緒にしてね。頼むよ、あの狂乱の一夜をともに過ごした親友じゃないか。

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235 99.12.10 「怖くない怪談」

 運転している自分ひとりしか乗っていないはずの車である。私は誰も乗せていない。乗せていない、はずであった。車にはたいがいバックミラーといったものが備えつけられており、私の車にもその鏡は装着されている。後部座席に誰かが座っていれば、その姿が映る。
 しかるに彼は、いったいいつのまに乗り込んでいたのか。気づいたときには、バックミラーには後部座席に座る彼のお姿が映っていたのである。
「ま、幽霊ですから」
 と、見覚えがあるような気がしないでもない小柄な初老の男性は、仰るのであった。
 ふむ。幽霊ならば、その神出鬼没もそれなりの合理性に裏打ちされているといえよう。しょせん幽霊のやることだから、いきなりそのお姿を現したとしても、べつだん咎め立てすることもなかろう。
「申し遅れました。私、小川です」
 幽霊さんは、礼儀正しくお辞儀するのであった。
「あ、これは御丁寧にどうも」私も自らの姓を名乗って返礼した。
 どうにも妙な具合である。幽霊の知り合いができたのは初めてなので、どうしていいかわからない。やはり、支持する政党と好きな球団の話題は御法度なのであろうか。私は戸惑うばかりである。あは。あはははは。と、空笑いをかましつつ、当たり障りのない話題から入ってみた。
「ゑゑと、小川さん、どうしてまた、こんなところに」
 私としては、疑義を呈さざるを得ない。よって、当然の疑惑を口にした。が、小川さんの御気分をいくぶん害してしまったようであった。
「ははあ。やっぱり憶えておられないのですね」
 幽霊の小川さんは、バックミラーを介して、恨みがましげに私を見つめるのであった。
 ん。なになに。ゑ。なんだなんだ。あ。どうしたんだどうなってるんだ。小川さん、あなたはなにか私に含むところがある、とでも。
 あるのであった。
「半年ほど前のことですがね」
 と、幽霊の小川さんは、語り始めるのであった。都内でタクシーの運転手をしていた小川さんは、ある夜、有楽町において、茨城県は取手までという長距離の客を乗せた。その客を送り届けたのち、都内に引き返す途中で事故に遭った。急に飛び出してきた犬を避けようとして路肩の電柱に激突し、あえなく昇天した、というのであった。
 晩婚であった小川さんは、まだ大学一年生である息子の将来が気掛かりでならない、と、しみじみと語るのであった。妻の美津子さんの行く末も心配でならない、と、さめざめと泣くのであった。
「それが、半年前のことだったんですよ」
 その暗転の夜に、小川さんがはるばる送り届けた客こそがこの私である、と、小川さんは語るのであった。そうか。そうであったか。あの夜の運転手さんが小川さん、あなたであったか。
 その夜のことはよく憶えている。私には、大枚二万円をはたいてもなんとしても帰宅して明朝四時に起床せねばならない事情があった。都内に宿を求めて翌朝始電に乗り込んだのでは、約束の時刻に間に合わなかった。やむなく深夜長距離タクシーという非常手段を採択せざるを得なかった。
「あ。思いだした」野人である。「レッズの話をしたんですよね」
「そうそう」小川さんは儚げに微笑んだ。「岡野は、息子に似てましてね」
「そうでしたよね。髪型はそっくりだけど、鈍足だって」
「うんうん。子供の頃からね、運動会を嫌がってね」
 と、幽霊の小川さんは、泣くのであった。
 やはり未練を断ち切れないのであろう。だからといって、なにゆえに私の許を訪れるか。私は、その真意を伺った。
「いやまあ、幽霊の恰好じゃ、妻子の前に顔を出せんでしょう。死んだとはいえ、私にもプライドがあります」
「ふうむ。そういうものかもしれませんねえ。でも、だからといって、なぜ私のところなんでしょうか」
「いやあ、他に化けて出るとこがなくて」
 おいおい。「ゑゑと、その。それは、ちょっと」
「あなたは、私が生前最後に会話を交した方だから、化けて出るのも妥当かなあ、と」
 ぜんぜん妥当じゃないぞ。「あのう、それはちょっと迷惑なんですけども」
「そうでしょうねえ。すみませんねえ」
 小川さんは、ぺこぺこと頭を下げるのであった。卑屈な幽霊という存在はいかがなものか、と思うし、そもそも幽霊に対していかなる立脚点をもって「存在」といった概念を適用すべきか、とも思う。幽霊は、迷惑である。
 私の知ったこっちゃない、といえば、ないのだが、それではあまりに人情という概念に対して申し訳ないだろう。
「ま、そういう事情じゃ、しょうがないでしょう」私としては、小川さんを容認せざるを得なかった。が、こちらにもこちらなりの立場がある。「で、いったいいつまでそうして未練がましく幽霊稼業を続けるつもりなんですか」
「そうですねえ。どうしましょうかねえ」
 と、言われても。
 ……以上は、私の作り話であり、つまりその、ゑゑとなんだ、あれだよ、あれだってば、だからさ、そのう、怪談である。ちっとも怖くないのが、特色となっている。
 私としてはあくまで怪談のつもりであり、助手席にひとを乗せる機会があるたびに精一杯の臨場感を漂わせて物語るのであるが、誰もいっこうに怖がってくれないのである。私に唯一備わっていない才能といえば、それは怪談をつくる能力である。なお、「唯一」という言葉の意味を辞書で調べるのは法令によって禁じられているので留意されたい。
 怖くない怪談、というものは、それ自体が矛盾に満ち満ちている。
「だからさ、そういうわけで、リアシートに幽霊の小川さんがいるわけなのよ」私はこれみよがしにバックミラーに視線を転じる。「やっほー、小川さん。今日の調子はどう? 元気?」
 といった、能天気な言辞で締めくくるのが敗因かもしれぬ。幽霊に元気はなかろう。つまるところ、誰ひとりとして怖がってくれやしないのである。ちぇ。つまんねえの。
 どうも、付き合う人間の傾向が固定化されているのが、私の不幸並びに幸福であると思われる。私の渾身の怪談を聞き届けた者は、なにかしらボケようとするのである。
 曰く、「そっか。オレのクルマには佐藤さんがいるんだよ。じゃ、あれだよ、こんど四人で麻雀しようぜ」
 するものか。
 曰く、シートベルトを外しながら後方に振り向いて、「あ。小川さん、初めまして。オレはコイツとは小学校で新入生のときに机を並べて以来の付き合いなんすけどね、いやあ、コイツはいつかは幽霊に取り憑かれる奴だと思ってましたよ。なんかコイツはオクテでねえ。いやもう、めでたいっす。思う存分、取り憑いてやってつかあさい」
 つかあすなって。
 曰く、なんのつもりか助手席から降りてわざわざ後部座席に陣取り、なにもない隣の空間に向かって、「あらあら、小川さんですか。初めまして。奇特ですわね。でもね、だめですよ、こんな貧乏神に取り憑いちゃ」こらこら。「幽霊だったら、もっと取り憑き甲斐のあるひとに、ばーんと取り憑かなきゃ。」こらこら、と言うておろうが。「ほんとにもう、こんな小者に取り憑いちゃって。小川さんたらもう。もうもう。タクシーの運転なさってたんですか。だったら、このひとがおかしな運転をしたら、たしなめてやってくださいよ。このひとは脇見運転が得意なんですよ」
 そりゃあ、小者だけどさ。脇見運転は、けして得意じゃないぞ。それは単なる習慣だ。
 と、そんなふうに、例によって屈辱にまみれた日々を送っていたところ、私の怪談に反応してくれたひとが出現するのだから、世の中はわからない。わからないものである。わかったためしはないが。
 仮に、田島さんとしておこう。ったって、そういう名なのだが。とある会合が終わったあと、田島さんというそのハタチ前後と思われる女性を送り届けるハメになったのであった。「あんた、帰り道でしょ。送っていってあげてよ」と、誰かに言われて、彼女を助手席に乗せたのであった。
 初対面の田島さんは、しょっぱなから妙だった。落ち着かない。そわそわしている。しきりに後部座席を気にしている。
「誰か、いますよね」と、真剣な口調である。
 いねえよ。と、ぶっきらぼうに言い放ちたかったが、そこは私もそれなりに年降りたオトナであり、うら若きオトメには一応ものやわらかく接しておくにこしたことはなかろうと考え、不必要に快活な口調で言い放つのであった。
「いるわけないじゃない」
 が、そのあとがよくなかった。ついうっかり私は付け足してしまったのである。「小川さんなんて」
 しまったしまった。いかんいかん。が、アトノマツリというやつである。
「あ。小川さん、っていうんですね」田島さんの声音になにかしら力強さが加わった。「うしろの座席にいらっしゃる方は、小川さんっていうんですね」
 いないって、小川さんなんて。それはね、架空の人物なの。オレのでっちあげ。でっちあげて三十年、丁稚奉公の時分から長年かけて磨き上げたオレのでっちあげ、なのよね。
 などと、おちゃらけていればよかったのかもしれない。が、私には図に乗るという取り返しのつかない性癖がある。ここぞとばかりに、うかうかと例の「怪談」を語ってしまった。初対面の方にそのような戯言を語ってどうする。ええい、この口か。この口なのか、そんなデタラメを言うのは。と、内心では人格が分裂気味の私なのではあった。
 田島さんの反応は気味が悪かった。「そうですか。それで小川さんはあんなに哀しそうなんですね」
 はあ?
 なんだろ、このひと。
 ちょうど赤信号にさしかかり、クルマを停めた私は横目で田島さんに視線を注いだ。あ。駄目だこりゃ。いっちゃってる。成田のホテルでミイラになるタイプといったところか。
 やだなあ。なんでこんなひとを乗っけちゃったんだろ。その後、私は最小限のことばしか語らず、よそよそしい態度に努めるのであった。やっぱり怖いのは、死んだ奴より生きてる奴だ。こらこら、シートベルトを外すんじゃない、田島。身体ごと振り向いて、誰もいない後部座席に語りかけるんじゃないってば。
 ようやく田島さんの家に辿り着いたときには、心底ほっとした。
 いやはや、こういうひとがいるから宗教法人はやめられないのだろう。おいおい、誰もいない後部座席の空間と握手して涙ぐむんじゃない。いいかげんにせい、田島。
 たいへんつれない態度をあからさまにして、私は田島さんをクルマから追い出した。急発進してバックミラーを覗くと、田島さんは大きく手を振っている。やだなあ。
 私は制限速度という概念を無視して、大急ぎで田島さんをバックミラーの中から振り払った。生きてる奴は、ほんとに怖い。
 後日譚があるので、更に心はくじける。田島さんは、その前日に亡くなっていたのだそうである。そのように伝えてくる輩があったのである。
 そこまで大がかりにボケるのか、我が友人たちよ。なにもそこまで仕組まなくても。わかったわかった。いつもいつもでっちあげてばかりのオレが悪かった。だからといって、田島さんのような「女優」を手配しなくても。
 今回ばかりは私も少々反省した。身から出た錆、といったところなのであろう。自業自得なのであろう。
 そうして本日、ふとバックミラーを覗いた私の目に映ったのは、後部座席に並んで座る小川さんと田島さんであった。
 ふたりとも、そんなににこにこと笑うなってば。無言で笑うなってば。
 私は、ある一線を越えてしまったのかもしれない。

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236 99.12.28 「中間省略癖あり」

 出先から戻ると、同僚の苦情が待っていた。彼の不在中に私が残したメモが問題だというのであった。
 「沖氏からTEL依頼」というのがそれである。悪筆であるが、それは織り込み済みの問題である。問題は他にあった。私が出掛ける間際に沖さんから同僚宛ての電話を受け、同僚が不在であったために沖さんは私に同僚からの電話を求める伝言を託し、私はメモによって忠実にその任務を果たした後、外出した、といったような経緯である。ん。あるのか問題。
「あ」
 あった。大問題だ。
「すまんすまん。またやっちゃったよ」
 沖さんじゃない。池仲さんなのであった。
 またしても私は熟語の中間省略癖をやらかしてしまったのであった。
 時々、やる。やってしまう。やっちゃうんだよね。
 筆記すると、時折こういう事態に立ち至る。池仲である。まず、さんずいを書く。ここで筆記の速度と意識との間にずれが生じるのである。意識が先走る。腕の動きはそれについていけない。こうしたきわめて短い時間においては、私は意外にせっかちである。手がさんずいを書き終わった頃には、意識は先に行っていて也やにんべんを追い越している。二文字目のつくりである中を書こうとしている。で、書く。そうして、沖という一文字だけがしたためられる。紙面に残された文字がなまじ漢字としての体裁を備えているものだから、間違いに気づかない。しかも、気が急いている。出掛けなければならないのである。それなのに、自分宛ではない電話を受けて、そのうえ伝言を残さなければならない。必然的に、走り書きとなる。悪いことに、この場合、意識が先走っているのである。
 たとえば「阿部さんからTEL依頼」と書こうとしてこの癖が発揮されたとしよう。こざとへんにおおざとだ。似たようなものが並ぶ。これはすぐさま自らの過ちに気づく。同様に、中間省略の結果が、実際にはあるのかも知れないけれどもとりあえず自分の知らない文字となった場合にも、やっぱり間違いに気づく。今回の沖のようにたまたまビンゴとなった折に、私は世間に迷惑を及ぼすのである。
 同僚にどう対応したかを尋ねると、当惑し類推したのち正解がひらめき、しっかり池仲さんに電話したという。偉い、と誉めると、過去の事例を持ち出してきた。私は以前、「松坂さんからTEL依頼」と書こうとして板さんと書いたことがあるのだそうである。記憶にないが、いかにも私のしでかしそうな失態ではある。
 実際に、筆記の際にはよくやるのである。時期と書こうとして、明と書いたことがある。給油と書こうとして、紬と書いた記憶もある。いかがなものであろうか。
 コンピュータを使って文章を書き慣れているひとなら、思い当る節があるのではないかと思うのだが、とにかく手書きというものはべらぼうに時間がかかる。こちらの意識はコンピュータ慣れした速度で進むのだが、手の動きのほうは居残りで漢字の書き取りをやらされた小学生時分からほとんど進歩がない。手で書くより、キイボードで打ち込んで変換したほうがよっぽど速い。結果的に意識が先走る。書こうとした二文字ではない別の一文字が紙の上に残る。現代病の一種ではないか、とも思うが、それはさすがに思い上がった見解なのではあろう。
 善悪と書こうとして、恙と書いたこともある。善くも悪くもツツガムシだ。快晴と書くつもりが、情と書いたこともある。情けないことではある。
 心配なのは、この性癖が進行するのではないかとの一点に尽きる。私はいつか渋谷駅と書こうとして、単に沢で済ませるのではないか。候補地と書こうとして他と書いて終わりにしてしまうのではないか。あの谷底の街は確かにいにしえには単なる沢だったのであろうが、やはり沢はまずかろう。候補地が他のところになっては困る関係者の方々もいるだろうから、これもまずかろう。
 さらには、電気保安協会を雲の一文字で片付けてしまいそうな自分がこわい。
 あまつさえ、核戦争防止国際医師の会を桧の一文字で省略したアカツキにはどんな天罰が下るのであろうヒノキチオール。
 同僚にそうした不安を打ち明けたところ、「馬鹿」とのことであった。
 ううむ。この二文字は中間省略し難いな。

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237 00.01.12 「二世代鍋の余波」

 その母娘の間には、余人には計り知れない断絶があるようであった。
 スーパーの野菜売り場で、母娘は声高に喋りまくり周囲の耳目をそれとなく惹き寄せるのであった。私も、母娘の言動に注目したひとりである。
「葱の買置き、ある?」
「なかったわね」
「じゃあ、買いましょ」
 母は五十代半ば、娘は二十代半ば、といったところか。実際の会話は機関銃のように繰り広げられており、ひとり娘が気弱な夫とともに里帰り中である事実、母が無口な亭主との二人暮しに飽き飽きしている現状、久方振りの再会を祝して今夜は鍋を囲もうとする計画などが、速やかに世間に知れ渡っていった。鍋を彩る春菊や白菜を購入する間に、母娘はそれだけの情報をスーパーの巷に開陳してしまうのであった。
 野菜売り場においては概して和やかな母娘であったが、魚介売り場に到達した瞬間、その亀裂は顕在化した。
 母は立ち止まり、娘は通り過ぎた。私の脳裡にザ・ビートルズの「Hello Goodbye」が流れ始めた。母は海老の物色にかかった。車海老を御所望の御様子である。さりげなく左前方の蛤に視線を走らせてもいる。と同時に、その先の鱈の切り身をも視野に入れた模様である。スーパーとともに生きて三十余年、母の風格が垣間見えた瞬間であった。
 新米主婦たる娘が舞い戻ってきて詰問の儀に至った。「なにやってんのよ。鶏の水炊きって、決めたじゃない。こういうのは、いらないの」
 娘は母が手に取った車海老を邪険に奪い取り、元の位置に戻した。
「決めたっておまえ」母、怒る。「おとうさんがお肉、食べられないの、あんた知ってるじゃない」
 娘、憤然。「ヒロユキさんは、おさかなが嫌いなの。言ったでしょ」
 メモメモ。おとうさんは肉ダメ、ヒロユキさん魚が嫌い。って、メモってる私は何者か。
 スーパーにおける「肉」はつくづく不思議である。魚肉を徹底的に排斥する。精がつくからとそれだけの理由で、「精肉」である。妖しすぎはしまいか。妖精よ、君の強引さには負ける。
 負けたのか母は。魚介売り場においてなんらの収穫がなかった母娘は、精肉売り場に辿り着いた。事前にそれぞれの主張はあったものの合意に至らないままこのスーパーに足を踏み入れたらしき母娘は、それぞれの配偶者の嗜好を楯に実際のところは己の嗜好を真っ向からぶつけ合うのであった。
「あぶらっこいのは、ねえ」と、母。
「なまぐさいのは、ねえ」と、娘。
「わかったわよ」母は一方的に独自の決議を申し渡した。「あんたは鶏の水炊きをつくりなさい。わたしはたらちりにするから。土鍋はふたつあるから、別々にやりましょ」きびすを返し、魚介売り場という名の楽園に舞い戻っていった。
「んもう。強情なんだから」ひとりごちた娘は、骨付きの鶏肉を籠に搬入しはじめた。出来合いの肉団子なども購入の運びに至ったようであった。
 母はたらちりと言い、娘は鶏の水炊きと言う。
 たらちりの母は海産物に安寧を求め、水炊き娘は地に足のついたものを選択する。
 二世代住宅、というものがある。住宅、それはおおごとである。鍋、それはたいしたことじゃない。二世代鍋、というものがあってもいい。
 別である。別れている。ふたつ、ある。たらちりと鶏の水炊き。
 他人事ながら、それでも私はおとうさんの良心に期待したい。「お。ヒロユキくん、その鶏はうまそうだねえ。すこし分けてくれんか」と、心にもないことを言ってはくれまいか。
 他人事ながら、それでも私はヒロユキさんの良心に期待したい。「あ。おとうさん、その鱈の切り身、ちょっとお裾分けしてくれませんか」と、無茶は承知で言ってはくれまいか。
 とでも思わざるを得ない。レジに辿り着いた母娘よ、なぜそうした細かいことで言い争うか。
「この葱はあんたの勘定ね」「じゃあ、白菜はおかあさん持ちね」「だったら、春菊はそっちで持ってよ」
 主婦よ、主婦たちよ。あなたがたの迫力には、勝てない。勝てないが、早々に勘定を済ましてはくれまいか。
 私はただ、待つのみである。モヤシ一袋、牛乳一パック、おにぎり一ヶを買い物籠に入れただけの些細な私は、ただ待つのみなのであった。
 母はまだなにか言っている。娘もなにか言っている。
 私の脳裡で鳴り響いている「Hello Goodbye」は、まだまだおさまりそうもなかった。

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238 00.01.23 「大浴場の大人物」

 その大浴場で、がしがしと身体を洗っていたところ、問題の人物は私の隣に出現したのであった。アベシンヤ、という名であるらしい。幼稚園児と察せられるこの輩が手にしていたプラスチック製の小さな籠には、マジックでその名が記されていた。百円ショップでよく商われている粗末な籠であり、ボディソープやシャンプーの類が詰め込まれている。姓はアベ、名はシンヤ、そういった人物が私のとなりに陣取ったのであった。
 温泉とはいえ、街なかの健康センターといった趣である。実際に温泉ではあるのだが、地質学だかなんだかの発展した昨今、温泉は大都会のまんなかであろうと狙いを定めて掘れば出てくるものである。街なかにあるので、ほとんど銭湯的に利用されており、察するにアベシンヤは常連と見做して差し支えないようであった。経営者側も温泉でありながらその市場を鑑みたのか、あえて銭湯的なアプローチを試みている。銭湯にしてはきわめて高価だが温泉としてはきわめて安価な入浴料でその娯楽を提供しており、その結果シャンプー石鹸タオルの類はそっちで用意しな、ウチでも売ってるけどちょいと高いよ、といったすがすがしい態度を貫いているのであった。
 そうした背景があり、常連は自らの入浴必需品を持ち込むのが常態となってる。アベシンヤの場合のように、その親が息子が持ち込むそれに彼の名を記すのも、当然の知恵なのであろう。
 が、シンヤは、常連と呼ぶにはいささか心許ない態度を示すのであった。どうやら湯温の調節がままならないらしい。レバーをいじくり回して途方に暮れている。
 その保護者は、いったいどこにいるのだろうか。シンヤには、当然存在してしかるべき同行者に助けを求める風情がなかった。やがて諦めたらしく、隣にいた赤の他人の助力を乞うことにしたようである。
「ねえねえ。もっとつめたくしたいの」
 人見知りをしない性格を保有しているらしい。尋ねれば人は答えてくれると思っているようである。今どき、貴重な存在ではあろう。
「それはだな、こうやるんだ」私は、湯温調節のなんたるかを彼に教示した。
「わー。できたできた。ありがとー」
 どうも、無邪気とか天真爛漫とかいった要素が、アベシンヤの人物像の大半を構成しているようであった。子供である。
 が、シンヤは子供と呼ぶにはいささかためらいを覚えずにはいられない特性を有していた。懸案の突起物の大小がオトコの価値を定めるものならば、シンヤはもちろん大人物である。私は視線を自らの下腹部に落とし、やはりオレは小者であったのだなあ、と再確認するに至ったりするのであった。
「裸の英雄アベ、というわけだな」
 うっかりひとりごちたところ、シンヤは耳ざとく聞き咎めた。
「えーゆー?」
「あ。いやすまん」私は赤面した。「くだらん戯れ言だ。忘れてくれ」
「えー、のつぎは、びー、だよ。ゆー、じゃないよ」
 突飛な反応である。Aの次はBである。こう見えても、私もそれくらいは知っている。その次だって知っている。なんと、こともあろうにCというのだ。更に驚いたことに、そのまた次にはDなるものが不気味にその存在を主張しているのである。
「おう、そうだな。えーの次はびーだな」
 私が迎合したところ、シンヤはとたんに得意げな態度をあからさまにした。
「うん。そうだよ。えー、のつぎは、びー。えーびーしーでーいーえふ」そこで、はたと詰まった。「えふ、えふ、えーと」
「ほうほう、えふの次はなんだ」
 シンヤはしばし思いあぐねた後、不意に破顔して叫んだ。「げー」
 ん。げー、ね。「んー、そうだな。げー、な。ま、それもよかろう」
「ゑ。ちがうの?」
「いや、違うかどうかはわからん。オレが間違って覚えているだけなのかもしれん」
 ちょうど私は身体を洗い終えており、そろそろ湯に浸かりたかった。そそくさと会話を断ち切り、湯船へ向かった。
 が、アベシンヤという輩は妙に人懐こいのであった。私が湯に浸かりながら、晩飯はなにを食おうかなと考えていると、じゃぶじゃぶとやってきて、私の隣にちょこんと腰を据えた。
「じー、だよ。じー」喜々として報告に及ぶのであった。「げー、は、まちがっちゃったの。じーえっちあいじぇーけー」
「あ。そうだな」私は、Zまで朗々と語りそうなシンヤを慌ててさえぎった。「そうそう。よくできました」
「ゑへ」シンヤは喜ぶのであった。
「おまえさ」私は尋ねてみた。「おとうちゃんといっしょに来たんじゃないの」
 気になるところである。先ほどからのシンヤはずっと単独行動である。
「さうな」と、シンヤは答えるのであった。「いちじかんくらい、はいってる」
「ははあ。サウナね」
 シンヤの語るところによると、彼の父はサウナに悦楽を求めるひとのようであった。その間、息子を放置しておくということは、つまりこの父子はかなりこの浴場に通いつけていると考えてよかろう。息子がこの場を熟知していることを承知しているからこそ、自らはあの扉の向こうにある高温度高湿度の部屋に安心して身を委ねていられるのであろう。
 が、そうなると、場馴れしているはずのシンヤが湯温調節をできないのが謎である。それは、しごく簡単な操作である。その点をシンヤに問い質すと、呆気ない回答が得られた。
「んんとね」照れくさそうであった。「おぼえらんないの」
 であるか。なにかを身につけるまでに時間がかかる質らしい。私は共感を覚え、しばらくの間シンヤと他愛ない会話を交した。ポケモンがどうしたこうしたとかいった話題であり、私としては空白地帯の知識を埋める、といった展開となった。
「あ。おとうちゃんだ」不意にシンヤが、立ち上がった。「おとうちゃん、こっちこっち」
「おう」
 息子の呼び声に相好を崩したその人物は、小柄だが筋骨隆々であった。猪首に乗っているのは笑顔になってさえも精悍な顔立ちであり、頭は角刈りである。
「皆さんに御迷惑をお掛けしなかっただろうな」
 湯船に入ってきた父は息子にそう問い掛けた。言葉自体は重々しいが、口調は情愛に満ち溢れている。私は当惑を覚えていた。その姿、そ、その物言いは、ひょっとして。
「してないよ」シンヤは無邪気に答えた。
「そうかそうか」
 父は目を細めて息子の頭を撫で、次の瞬間、別の意味で目を細めて訝しげな視線を鋭く私に見据えた。ひええ。そのスジの方であったか。その二の腕にとまってる揚羽蝶ね、そういうものを彫り込んだ方は「お断り」の場ではなかったのでしょうか。
「おゆをの出しかたをおしえてくれたんだよ」
 父の懐疑を嗅ぎとったのか、シンヤがすかさず私という人物との関わり合いを解説した。
「そうでしたか」父はとたんに警戒を解き、きっちりと頭を下げた。「息子がお世話になりまして」
「あ。いえいえ。べつに、そんな」
 小者の私は慌てて立ち上がり、恐縮した。この類の方々は、どうしてそんなに「きっちり」するのであろう。それに、低くてひび割れた声音だし。それは「威圧」なんだけどなあ。
 私のそれも、恐縮していた。小者だから。そうして、その父の股間を眺めながら、遺伝というものはこういう突起物にも現れるのだなあ、と感じ入るのであった。
 その後、どうしてそうした顛末に至るのか今もってよくわからないが、三人で父子馴染みの焼肉屋にいるのであった。父と私はビール、シンヤはウーロン茶を呑んで、談笑していたりするのであった。御馳走されてしまう私なのであった。
「シンヤ、ちょっと火が強いな」
 父の言葉に、シンヤはロースターのレバーをいじり、予想通り失敗した。火は消えた。
「やっぱり、そうなったか」
 父と私は同時におなじ言葉を口にし、顔を見合わせ、苦笑した。
「あれ。あれれれ」
 シンヤは首をひねっている。思惑通りにいかないコトの成り行きに、合点がいかないらしい。
 シンヤという輩には、こういう微妙な操作を遂行する能力が欠落しているようであった。その事実が決定的に露見した。訓練の意味で、父はあえてシンヤに炎を調節させたもののようである。
 父はいわくありげな含み笑いを、私に送ってきた。「こういう奴なんですわ。いくら教えても憶えやがらない。ひとつ御指導してやっちゃくれませんか」といったところであろう。
「それはだな、こうやるんだ」私は、炎調節のなんたるかを彼に教示した。
「わー。できたできた。ありがとー」
 どうやら、そこで他者によって得られた結果に満足してしまい、次にもう一度自分がやるときのことに思い至らないのが、シンヤの問題点であると思われた。
「どうですかね」こういう奴は、と父が訊く。
「いますよ、こういう奴は」ここにもうひとり、と、私は答えざるをえない。「でも、まあ、なんとかかんとかやってますよ」
「ふむ」父は、不得要領であった。「そんなもんですかね」
 どう答えてよいかわからず、私はビールを呑み干した。父は、その瞬間、私を「論外」と見做したようであった。
 父は息子の性格に不満を憶えており、私はしょせん他人事でもあるし「ひとそれぞれだからしょうがないんじゃないの」と思っている。
 オトナ同士のそういう隙間風にまるっきり気づかないのが、シンヤという輩の真骨頂である。
「このかるび、やけてるよ」
 にこにこしながら、頃合に焼けたカルビを、私の小皿に置いてくれるのであった。
 大人物ではあろう。

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239 00.01.31 「ムササビ幻聴」

 「オランダ人はムササビ」であるというのだが、どういうことなのかよくわからない。
 たとえば、テレビの天気予報で耳にする。「……山沿いでは大雪になる恐れがありますので、御注意下さい。オランダ人はムササビです。風邪が流行っております。御帰宅の際にはうがいをお忘れなく。以上、関東地方のお天気でした」
 うがいは大切なことである。御教示ありがとう。しかし、なにゆえにムササビか。在日オランダ人のみなさん、なにか発言してしかるべき頃合ではなかろうか。
 しばらく前から時折、耳にしていたのである。ここ一、二週間といったところであろうか。いったん気づいてしまうと、意外に多くの人々がさりげなく主張しているのであった。オランダ人はムササビである、と。思いのほか様々な場面で、その見解は語られているのであった。電車の中で、居酒屋で。テレビのニュースで、国会で。耳にする。耳につく。耳を聾する。
 例えば先週の当地では市議会議員選挙活動が行われており、各候補者は自らの姓名の連呼に余念がないようであったが、やはり当該の命題は語られていた。
「きただ、はるお。きただはるおでございます。市政に携わり四期十六年、まだまだやり残したことは数多くあります。オランダ人はムササビです。きただ、はるお。きただはるおに、ぜひとも皆様のお力添えを」
 政見としては、はなはだ異色ではあろう。オランダのムササビニンゲン市と姉妹都市の調印を結ぶのが、きただせんせいの五期目の悲願なのかもしれぬ。
 気にしすぎるせいなのか、日を追うごとに耳にする頻度が高まってきた。本日、駅の構内放送においてもオランダ人はムササビとなっていた。
「とりでー。終点、取手です。土浦、水戸方面へは六番線にてお乗り換えとなります。オランダ人はムササビとなっておりますので、御注意ください。とりでー。終点、取手です」
 御注意しなければならない事態に至っているようである。
 帰宅してテレビをつけると、誰もが口にしている感すらある。例えばスポーツニュースに登場した某球団の投手までが言及している。キャンプインを翌日に控えその抱負を語るのはよいが、そのインタビューはオランダ人についての見解を表明する場ではなかろう。
「自主トレは順調でしたからね、今年は肩を早めに仕上げますよ。オランダ人はムササビですから。最低十勝はしないとね。開幕投手ですか? それは監督が決めることですから」
 どうも、その一言を交えるのがハヤリとなっているようである。
 オランダ人は、特にイギリス方面からダッチ・アカウント、ダッチ・ワイフなどとあまりよく言われてはいない。ロイヤル・ダッチ・シェルなどとと表立っては手を握り合ってはいるが、裏に回ればその間に横たわっているのはけして好感情ではない。その点、オランダと当列島との友好の歴史は長い。ヤン・ヨーステンに始まりフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトを経てピーター・アーツに至る親日家の系譜を、私達はないがしろにしてはならないだろう。
 そのオランダ人がムササビだというのである。どうしたことか。まずもって、このフレーズは、毀誉褒貶、いずれのあたりに位置するのであろう。とりあえず、ここがわからない。この当惑が解消されないので、先へ進めない。オランダ人はムササビ。その真に意味するところに、辿り着けない。
 例えば、「フランス人はハイエナ」などという発言がこの列島の公共の電波に乗ったとしよう。すかさずそれは外交問題となり、日仏双方の閣僚が恫喝したり謝罪したり鼻白んだり開き直ったりして大騒ぎとなるのは必至である。
 例えば、「イタリア人はライオン」といった見解がこの列島においてまことしやかに語られたとしよう。イル・レオーネ。えー、それではなにも起こらない。
 誉められたら含み笑いで黙して語らず、貶されたら何をおいても反論。それが外交の基本である。
 しかるにムササビ。ムササビである。オランダ人のみなさんは、きっと困っているのである。「どうすんだよ、ムササビだってよ」「ムササビかあ」「どうするよ」「どうするって、あんた」「おれたち、ムササビって言われてるんだぜ」「うーん」
 ムササビというのもよくわからない。人がムササビに対して抱く疑問の第一は、モモンガとどう違うのか、この一点に尽きよう。こういうことは調べればすぐわかる。とはいっても、国語辞典にあたっただけなので、はなはだ一面的な解釈である。
 ムササビは「むささびりす科の哺乳動物」である。「前足と後足の間に皮膜があり、夜、この皮膜で木から木へと滑空する。木の実・芽・皮などを食べる」のが、ムササビである。どう読んでも、「、夜、」が味わい深い。このふたつの「、」に挟撃されて際立たされた「夜」に込められた執筆者のムササビに対する思いには圧倒される。夜のムササビ、ワビサビの夜。しかも、「この皮膜で」「滑空する」というのである。ムササビ、けだし名将ではあろう。
 一方、モモンガはどうか。同書によると、モモンガは「ももんがりす科の哺乳動物」である。「科」という壁に隔てられていることが、まずわかる。その先の記述が呆気ない。「ムササビに似て、ずっと小さく、体長約20センチ。森林の樹上にすむ」というのである。もはや、ムササビの優位は動かし難いことであろう。ムササビについて語られた「滑空」と「食糧」は、モモンガの場合、言及されない。しかも、モモンガはムササビよりも「ずっと小さ」いのである。「樹上にすむ」と、その暮らし向きに論及されたことだけが、モモンガのせめてもの慰めなのではあった。
 整理しよう。ムササビは、夜を愛し、その身体は小さくはない。己が有した皮膜で滑空する。飛翔するのではない。滑空である。あくまで重力には逆らわない。重力をやりすごすだけである。落ちているだけなのに、そうとは見せない。それが、滑空である。そういう衒いを身につけたのが、ムササビである。なおかつ、ムササビはオランダ人なのである。
 つけっぱなしのテレビで、官房長官が言っている。「野党の対応は遺憾であり、オランダ人はムササビである」と。
 自分はなにか深く考えているのだという表情をつくるのが生業のキャスターも、言っている。「オランダ人はムササビですが、私達はもう一度ムササビとはいったいなんであるのか、いや、なんであったのかを問い掛け直すべきではないでしょうか」と。否定の肯定、あるいは肯定の否定。それが彼等の文法である。
 すべては幻聴である。私がすべてを曲解している。
 オランダ人はムササビである。いったいどういった経緯で、そのフレーズは私の脳裡に入力されてしまったのであろう。
 わからない。わからないが、私も今ではすっかり「オランダ人はムササビである」ことを信念としてしまった。
 語り継がれると、「事実」となるものである。
 オランダ人はムササビである。
 少なくとも私には異論はない。同感である。
 ムササビ、なのである。

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240 00.02.05 「初代王者はハナゲン君」

 試しに定規を当ててその寸法を計ってみたところ、54mmもあった。大物である。未公認ではあるが、自己最高記録であろう。もっとも、公認記録はない。いや、あるのかもしれない。ギネスブックあたりに。世界最長の鼻毛は、1986年にスペイン人ベラレス・サンチェスさんの鼻腔から摘出された98.4mmである、といった記述がなされているのかもしれない。サンチェスさんはその頁に栞を挟んで持ち歩き、女友達に鼻高々に開陳して鼻に掛けては鼻の下を伸ばしているのかもしれない。サンチェスさんはそういう鼻につく行為を繰り返す鼻持ちならない輩であるのかもしれない。目を醒ませサンチェス。鼻毛が長かったくらいで自分を見失ってはいかん。
 実際のところは、記録をつくろうと思えば伸ばし続ければよいわけで、抜いたり切ったりしなければ、かなりの長さの鼻毛が得られるのであろう。リボンを結んだり三つ編みにしたり、といった展開も考えられよう。更には、横に伸ばして頬に貼り付かせるように蚊取線香状にカールさせれば、あなたもほら、天才バカボンに。
 ま、なりたいひとはいなかろうが。
 そういえば、鼻毛を伸ばした偉人としてバカボンのパパという傑物がいるが、氏の鼻毛は直毛であった。
 先ほど私の鼻の穴から産出された54mmの物件も、直毛である。またひとつ氏とのささやかな類似点が発見されて、ちょっとうれしい私であった。
 なんだか捨てるのが惜しい気がして、私はセロテープで壁に張った。今後、これはと思われる物件が発掘された場合、比較して最長記録を伸ばしていきたい所存である。とりあえず初代チャンピオンは54mmのハナゲン君である。どうしてそういう名前がつくのか、そもそもなぜ鼻毛ごときに名前が必要なのか、それは私にもわからない。
 ハナゲン君を眺めながらつらつら考えているうちに、ハナゲン君はひとつの事実を証明していることに気づいた。私の鼻の開口部から奥へ54mm程度入り込んだ位置に、ひとつの毛穴が存在するわけである。そんな奥のほうで私に隠れてなにをやっていたのかと思えばなんのことはない、鼻毛を生やしていたのである。そんな奥深いところから、外界に向かって懸命に鼻毛という触手を伸ばしていた毛穴である。まさか、そんな存在をこの私が有していたとは、今の今まで知らなかった。自分のことは自分ではなかなかわからないものである。
 その毛穴のそのまた奥でひっそりと暮らしているのは、毛根である。ハナゲン君の産みの親、ハナゲンのママである。毛根があればまた生えてくる、とは育毛剤のCMがつとに語ってきたところであり、思えばこれまでにも幾多の54mm内外の鼻毛を産み育ててきたに違いない。毛根の中の毛根、ハナゲンのハハである。まさか、そんな存在をこの私が有していたとは、今の今まで知らなかった。自分のことは自分ではほんとうにわからないものである。
 やはり、次代の王者もハナゲンのハハが産み出すのであろうか。それともその更に2mm先にまた別の毛根があって、蒙古が外海を目指したように外界への進出を目論んでいるのであろうか。最奥部に牢名主のような存在の毛根の主がいて、その真の実力を発揮する機会を伺っている可能性も否定し難い。興味は尽きない私の鼻の穴である。
 この先いかなる戦いが繰り広げられていくのであろう。最長防衛記録はどこまで伸びるのか。白毛の王者は現れるのか。60mmの壁を越える日は来るのか。
 初代王者ハナゲン、その君臨はいったいつまで続くのか。
 頑張れ、ハナゲン。サンチェスさんも応援しているぞ。

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