『雑文館』:98.05.17から98.09.02までの20本




181 98.05.17 「親族の祭典」

「いや、もう、くたびれ果てたよ」
 西本さんは浮かない表情を浮かべて、しきりにぼやくのであった。浮かないものを浮かべるのは妙だが、世の中は割りきれないものである。割りきれない感情があり、割りきれない仕組みがある。
 私の知っている西本さんは、課長西本俊介四十六歳明朗快活といったものであるが、西本一族という割りきれない仕組みに取り込まれた存在としての西本さんは、いま確かに浮かない顔つきなのであった。沈欝といっても過言ではないほど疲れ切った様子なのであった。
「しかしまあ、今度ばかりは俺はほとほと参ったよ」
 西本さんはひたすらにぼやくのであった。どうやら、自身に勃発している大難事について愚痴をこぼしたい意向のようである。
 知人の愚痴に耳を傾けるのも、シャカイジンの務めではあろう。ここはひとつ、聞かねばなるまい。
 それは、庶民にはわかには理解しがたい別世界の物語であった。
 西本さんが地元の旧家の出であることは知っていたが、その旧家というのがいささか世間の常識からずれているのであった。
 その当主、西本弥五郎は、大地主であった。往時のスケールはないが、今でも大地主である。その膨大な不動産を管理するためだけの会社があり、相続が生じない限り順当な収益をあげている。その社長は番頭と呼ばれる。地元の政財界において、西本弥五郎の番頭はたいへんな力を持った名士である。
 西本弥五郎の名は代々受け継がれる。襲名されるのである。「襲名」という事由によって戸籍が書き換えられるのである。西本弥五郎が没すれば、その嫡男はある日突然、本名が変わる。西本弥五郎になる。西本弥五郎所有の不動産は、西本弥五郎から西本弥五郎へ相続登記される。遺産分割協議書は作成されるが、実態は家督相続である。民法その他に保証された権利を主張する他の相続人はいない。一族はすべからくそういうふうに教育されている。西本弥五郎の全財産は、西本弥五郎が継承するのである。
 西本一族においては、民主主義は永遠に排斥され続ける。
 私は心底驚愕した。そんな前近代的な世界が脈々と生き長らえていたとは。
「ずいぶん困った世界ですねえ」
「そうだろ。困るんだよ、もう」
 西本さんは本格的に困っているのであった。西本さんは今年の燕子花祭の幹事なのである。燕子花とはアヤメ科の多年草であるところのカキツバタであり、西本家の家の花である。家の花だ。県の花、市の花が制定されているように、西本家には家の花があるのだ。ちなみに、家の鳥は鶇で、家の木は欅である。ツグミとケヤキなのだが、西本一族は誰もが皆、その漢字を書けるそうである。妙な一族と断ぜざるをえない。
 燕子花祭は、毎年五月の第三日曜日に開催される。西本一族が西本弥五郎の下に集結する。形態としては単なるパーティなのだが、二百余人が一同に会するのだから一筋縄ではいかない。開催される場所は、西本弥五郎の地所に建築された西本弥五郎所有のホテルの「欅の間」である。欅の間は、年に一度、燕子花祭の折にしか使われない。ウィンブルドンのセンターコートもびっくりの贅沢である。
 西本さんは、去年の燕子花祭の際に幹事を仰せつかった。オリンピックの閉会式において五輪旗を次の開催都市の市長に受け渡す儀式があるが、あのような具合で幹事の胸章を引き継いだのだそうである。同時に、西本弥五郎じきじきに預金通帳とその口座開設に要した印鑑が授与される。次期幹事の任命である。通帳には西本弥五郎のポケットマネー三千万円也が輝いている。この金で次回の燕子花祭を滞りなく行え、との厳命が下った瞬間だ。
 以来、この一年、西本さんは苦慮を重ねてきたのである。西本さんばかりではない。その奥方もまた、辛い一年を送ってきた。
 燕子花祭の幹事を任命されたとなれば、西本一族において一人前になったと見做されたと考えてよいのだが、ただの幹事ではない。著しい心労を伴う艱難辛苦だ。
 幹事を拒否したらどうなるか。「まあ、命を取られることはないけどねえ」と、前提からしてとんでもないことになっている。「あらかじめ海外に永住権を取っておかないと無理だろうなあ」とのお言葉である。拒否するには、このくにを離れて二度と帰って来ない覚悟が必要らしい。
「マフィアみたいですねえ」
「まあ、そんなものかなあ」
「過去に拒否したひとはいたんですか」
「いないよ」言下に否定した。「つまるところ、宴会の幹事をやるだけの話だからなあ。なんとかやり遂げるしかないんだよ」
 なんとか、である。やり遂げる、である。居酒屋に電話をかけて「今度の金曜日六時から、十五人ね。そうそう。じゃあ、とりあえず三千円のコースで。あとは適当にオーダーするから」などとやっている幹事とは、根本的にその重さが異なるのであった。
 席順を決めるだけでも一仕事だ。群れ集う一族には、その血の濃さ、家格などによって自然に序列がある。伝統的に犬猿の仲の家筋もあり、細やかな気遣いが要求される。
 催し物にも頭を痛める。基本的には広告代理店に発注して、司会から何からすべてを取り仕切らせるのだが、その打ち合わせだけでも相当な労力が必要とされる。誰を呼ぶかも重要なポイントとなる。訊くと、テレビでお馴染のあの歌手がやって来るらしい。
「そりゃあ、私も行きたいですねえ。紛れ込んじゃまずいですか」
「だめだよ、よそ者は」
 よそ者扱いされてしまった。
 土産物にも気を使わなければならない。西本さんは、なんとか焼の皿を用意したそうであるが、これが一枚五万円である。三千万円をきれいさっぱり使わなければならないのである。すべての支出は、西本弥五郎名義でなされる。事後に会計報告書を提出しなければならないのである。そこには西本さんやその奥方の人件費は、びた一円も含まれない。西本一族の、それが掟だ。
 燕子花祭の最後には、西本弥五郎のスピーチがある。ここで、本年の燕子花祭の総合評価が下される。伝統的に、青、朱、白、黒の色使いで西本弥五郎の満足度が表される。優、良、可、不可といったところか。「青い」とか「白く」などといったフレーズがスピーチの中にさりげなく織り込まれる。これをもって、幹事の器量が定まるのである。つまるところ、西本一族の中におけるその人物の地位が確定するのだ。なんとも恐ろしい話である。
「過去に、黒はあったんですか」
「あったよ」
「そういう幹事は、その後どうなるんですか」
「たいへんだよ」西本さんはそう言って沈黙し、やがてつぶやいた。「何年かして、自殺したね」
 ひえええ。
 なんでも、黒の烙印を押された人物は、その後の親戚付き合いにおいて著しい困難が生じるものであるらしい。つまり、一族には不要と見做されたのである。西本弥五郎が不要と決めたのだから、一族こぞって右に倣うしかないのであった。
 今年の燕子花祭は、本日、執り行われた。さきほど西本さんから電話があった。
「明日、休むから、よろしく頼む。女房が倒れちゃってね、いま病院なんだ」
 私は唾を飲み込んだ。「な、何色だったんですか」
「朱だったよ」ありありと安堵がうかがえる口調だ。
「そりゃよかった。で、奥さんは」
「ただの過労らしい。ほっとしたんだろう。一年間、気を張り通しだったからなあ」
 そりゃあ、ほっとするだろう。
 電話を切った私はつくづく思った。西本一族に生まれなくて本当によかった、と。

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182 98.05.26 「雨が降りだした」

 額に、ぽつんと、雨粒が当たった。
 空を振り仰ぐと、ずいぶん低い。すぐそこにある雲から雨滴が落ちつつある。かなり黒色に傾いた色彩の厚い雲で、ほどなくして大粒の雨が叩きつけるだろうと思わせる。
 私の前方を歩く高校生もまた、ほどなくしてなにかをやらかすもののようであった。そんなにも大袈裟な仕草で周囲をきょろきょろと見回して、いったいなにをやるつもりなのであろう。きわめて不審な挙動だが、その不審ぶりがあまりにもあからさまで、かえって妙な可笑しさを醸し出しているのであった。
 彼はしきりに背後を振り返る。最初は、私はストーカーと思われているのであろうか、と考えた。くそう、ひとをなんだと思っておるのだ、オレにはそんな勇気はないぞ、といくぶんいじけた心地に捕らわれたのだが、どうも私のことは眼中にないようである。彼は幾度となくそわそわと振り向いては、背伸びをするように私の背後の彼方を見はるかすのであった。なにかに怯えているようでもある。
 なんだろうか。とりあえず、私には関わりがないことではあろう。
 しかし、関わりがあったのである。お互いの当面の目的地が全く同じだったのだ。
 道端の自動販売機というものがそれだ。物件は煙草である。ふうむ、煙草を購入することに罪悪感に苛まれる高校生がおったのか。初々しいものであるな。なんとなく微笑ましさを覚えながら、私は彼のあとに並んだ。
 が、そんな思いはすぐに雲散霧消し、苛立ちがとってかわった。
 こやつは満足に硬貨を投入できないのである。ありていにいえば、手が震えているのである。硬貨は販売機に吸い込まれたりはせず、ちゃりんちゃりんと路上に落ちていくのであった。
 参ったなあ。初体験なのかもしれぬ。まあ、何事にも初めてはあるだろう。煙草のみの先達として、私もせかすような野暮はせぬ。いらいらするのは確かだが、ぐっとこらえてしんぜよう。落ち着いて買ってくれ。
 しかし、見ず知らずのオトナというものに背後に立たれてしまった彼の胸中には様々な思惑が交錯するのであろう。ようやく所期の金額を投入し追えた彼の動揺は隠しようもなく、そのうろたえぶりは見るからに痛々しい。
 かといって、「ま、焦るな。オレは君の喫煙を咎めたりはしないから、落ち着け」などと励ますほど、当方はお人好しではないのである。しいていえば、マイルドセブン・ライトという無難な選択に、いささか難点があるように思う。いい若いもんがそんな冒険心も遊び心もない煙草を喫ってどうする、とは考えるが、やっぱり私には関係がない。彼には彼の嗜好があろう。
 煙草をポケットにしまった彼と目が合った。
 ややや。なぜ私が睨みつけられなければならないのであるか。理不尽である。彼は、きっ、と私を睨みすえるのである。私はたじろいだ。どうなっておるのか。いかなる思考経路を辿ると、そういう行動に到達するのか。なぜだ。さっぱりわからない。
 そのとき、いきなり雨足が強くなった。大量の雨粒が激しく路面を叩き始めた。
 私はすかさず傘を広げた。どういうつもりなのか自分でもよくわからないが、その半分を彼の頭上にもさしかけた。彼は傘を所持していなかった。
「いりませんっ」
 彼は短く叫び、傘を持つ私の腕を押し戻した。そして、駈けだした。あっというまにずぶ濡れとなりながら、遠去かっていった。
 しばらく呆気にとられていた私は、当初の目的を思いだし煙草を購入した。その一本をくわえながら、彼が消え去った道の彼方を眺めやった。
 いりません、ときたか。私は煙草に火をつけた。なぜ敬語か。
 睨んでたくせに。

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183 98.05.29 「明日のあなたへ」

 園田君を説得するにはたいへんな艱難辛苦を伴いますが、およそひとたるもの、いつなんどき園田君を説得しなければならない事態に陥るか、それは誰にもわかりません。今日と同じ明日が訪れると考えるのは傲慢です。明日のあなたが園田君を説得ぜざるをえない立場に至らないと、いったいあなたは自信をもって断言できるでしょうか。明日のことはわかりません。わかりませんが、ささやかな可能性ではあっても事前の細やかな対処が万全であれば、安らかな一夜の眠りをむさぼることができるというものです。そうです、ひとは常に園田君を説得する可能性を胸に秘めて生きていかねばなりません。
 いやいや、あなたの人生です。私が口出しする筋合いはありません。けれども、あなたが人生を前向きに生きていきたいと考えるのなら、明日の園田君に対する備えを磐石たるものにしておくべきではないか、私はそのように愚考しております。
 私は、いささか園田君を知る者として、その手練手管の一端をここに開示し、悩める後進に園田攻略の道を拓きたいと切望してやみません。微力であり、そのうえ僭越ではございますが、園田君説得の指南役を努めさせて頂きたいと存じます。
 御存じないかもしれませんが、園田君は頑固です。いや、むしろ依怙地といっても過言ではありません。ひとたび口にしたことは、たとえ間違いであることがわかったとしても、訂正したりはしません。園田君はあくまで自説に固執します。やんわりとでもその誤謬を指摘されたら最後、園田君の自我は激しく傷つきます。単なる勘違いを指摘されただけでも、園田君は自らの存在そのものを否定されたと思い込んでしまうのです。いきなり怒りだすのが傷を負った園田自我の特徴です。分不相応の自我を抱いて、園田君は今日もこの空の下で生きているのです。三十二年の時を生きてきたのです。
 説得とは、いささかなりとも相手の考え方を変えさせる行為に他なりません。つまるところは、「自分が自発的に思いついたのだ」と相手に思い込ませる高度な話術があればよいわけです。この方法論に固執する向きは、ただちに書店に赴き実用書の棚を探し回るのがよいでしょう。私は、対園田戦の戦術を伝授いたしたいがためにこの稿を起こしたのですから、そうした一般的戦略を語るつもりはありません。明日のあなたの切迫した問題への対応策をお伝えしたいのです。戦略論にうつつを抜かしている場合ではありません。標的は園田君ただひとりです。明日のあなたに必要なものは具体的な戦術です。
 園田説得の第一声は、「君が小学校の四年生だったときだ」です。これしかありません。園田君を見たりはせずに、窓の外などを眺めながらのんびりした口調で語るのがよいでしょう。この瞬間、園田君の脳裡には「初恋のひと、田辺恭子先生」の笑顔がまざまざと浮かんでいます。
 第二声は、「なんてったっけ、君の担任の先生は」です。ここで、ちょっと間を置いてみるのも、よい戦術です。園田君はたまらずに言い募るでしょう。「た、田辺先生っ。田辺恭子先生っ」
 園田君、よほど田辺先生に心酔していたのか、たいがいこの手に引っかかります。
 さあ、すかさず浴びせかけましょう。「二学期の終業式の日に、田辺先生は君になんて言ったっけ」
 とたんに園田君の脳裡に田辺先生の柔らかなアルトが谺します。しているはずです。「園田くん、キミはほんとうはとってもいい子なんだから、みんなと仲よくしなくちゃだめよ。先生はちゃんと知ってるの。みんなと仲よくできなくても、キミがほんとうは素直ないい子だってこと。ね、わかるよね、キミはいい子なんだから」
 園田君の不遇な幼少期が偲ばれるというものですが、園田君は、あの日、田辺先生の髪から仄かに漂っていたシャンプーの香りを忘れてはいません。ああ、田辺先生、貴方の何気ないひとことが、園田君をかろうじて人たらしめています。貴方の暖かなことばを糧に、園田君は今日も生きています。私からもお礼を申し上げたい。ありがとう、二学期の終業式の日の田辺先生。
 もはや園田君は、骨抜きです。さあ、説得です。今ならもれなく園田君は「いい子」です。ばったばったと懸案を片付けてしまいましょう。
 もちろん、「愛くるしい笑顔が素敵な田辺恭子先生」が常に園田君に影響を及ぼすわけではありません。園田君の機嫌にもよりますし、懸案の重要性という問題もあります。いつもいつも、「営業一課の佐々木が結婚するんで、みんなでお祝いを贈るからさ。ひとり千円ってことで頼むよ」といった気軽なお願いを持ちかけるばかりではないのです。
 その程度のことであれば、田辺先生の思い出も有効に作用するでしょう。しかしながら、時には「あなたがお住まいのアパートが市の都市計画事業の施行により取り壊されることになりました。つきましては」といった難題を園田君に持ち込まざるを得ない状況に追い込まれることがあるやもしれません。懸案の重要度によって、園田君の対応も自ずと変わってくるというものです。
 難色を示す園田君への次なるアプローチは、亜沙美さんです。
 亜沙美さんとは、園田君の上位自我として誉れ高い妻女に他なりません。頑迷な園田君をいいように操りうる人材として、斯界では一目を置かれています。園田君と干支が同じ、つまりハタチの若さで、亜沙美さんは園田君を顎で使っています。亜沙美さんの言うことならば、園田君は条件反射のように従います。すなわち、亜沙美さんを落とせば、園田君は意のままです。
 この手法の問題点は、出費がかさむ点に尽きるでしょう。亜沙美さんは、物事の理をあまり重視しません。亜沙美さんを動かすものは、進物です。寄進です。つまり、賄賂です。これまでのデータによると、グッチのセカンドバッグが高得点を挙げています。とはいえ、セイシェル島の名も知れぬ浜辺で拾った貝殻が亜沙美さんを衝き動かした記録もあり、亜沙美さんの嗜好の全貌は未だ明らかにはなっておりません。確実にわかっているのは、海外で入手した品でなければならないが、DFSの包装にくるまれていると即座に却下される、といったところです。園田亜沙美、一筋縄ではいきません。
 いかがでしょうか。明日のあなたの園田君に対する備えを、私の知る限りにおいてお伝えいたしました。最後に老婆心ながらひとこと申し述べておきますが、その懸案がなんであれ、園田君が説得するに値しない人物であるという不動の真実については、けして考えてはなりません。虚しくなるだけですから、くれぐれも考えてはなりません。
 世の中は、もともと理不尽なものです。あるいは、世界は理不尽で構成されています。
 明日のあなたのことは、今日のあなたにはわかりません。

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184 98.06.01 「そんなピロシキに騙されて」

「たまには遊びに来いよ」
 電話がかかってきて、そう誘われただけである。私にはなんの落ち度もない。
「かみさんがピロシキをつくり過ぎちゃったんだよ。食べに来いよ」
 と、その友人は舞台裏を明かす。残飯整理係というわけである。そういうことであれば気が楽だ。
「ゑ。風呂敷をつくりすぎた?」
 などと軽口を叩く余裕もうまれようというものだ。
「ピロシキだってば」
「ああ。ピロシキね。ロシア料理の」
 私は間違っていた。なにが、「ああ」であろうか。私はまたしても致命的な誤謬を犯し、しかもそれに気づいていなかった。次の私の発言にその失態の一端が潜んでいる。
「しかしなんでまあ、この時期にピロシキなんだ」
「ん。ピロシキに時期なんてあるもんなのか」
 と、友人は当然の疑義を呈した。私は、冬のもんじゃねえかなあ、と思っていた。まったくの思い違いだったのだが。
 ここで双方の疑問を掘り下げていれば、その後の私の失態とそれに伴う屈辱は生まれなかったのであるが、その時点における私の関心は、例によって例の方面へ向かっていた。
「ま、いいや。ピロシキは好物だから、いくらでも食うぞ。で、ビールはあるか」
 なぜ話をそこへ持っていくか、私よ。
「ビール? あんまりないな。つまり、おまえが鯨飲するほどには、という文脈においてだが」
 いったい私は、どういう文脈の中で生きていると思われているのであろうか。
「じゃあ、自分で呑む分は買っていくよ」
 私はすかさず応じていた。そういう情けない文脈らしい。なにかしら物悲しい。
 早速ビールを抱えて友人宅を訪れたところ、鬼門の幼稚園児に出迎えられた。友人及びその配偶者がその本能的な欲望に身を委ねたあげくに誕生したヒデユキという人物である。こやつは妙に人懐こい性格を有しており、私はなぜかこやつの好評を博している。精神年齢に近いものを感じているのであろう。
「ぴろしき~」
 両手に揚げパンを持ち、私に抱きついてくる。
「ば、ばかもの。や、やめろ。そんなものを持ったまま抱きつくんじゃないっ」
 しかし、もはや私のスラックスはあぶらまみれである。
「どんな教育をしてんだよ~」
 ヒデユキの背を押しながらダイニングキッチンに入っていくと、友人はげらげら笑いながら、「だめだよ、そんなことをしちゃ」と息子を一応たしなめた。あまりにも、「一応」があからさまな態度である。現に、ヒデユキは「そんなこと」がなんなのか、いっこうにわかっていない様子である。
 この家庭においては、私の人格はきわめて蔑ろにされている。
 従って、馬鹿でかい皿の上に満載となっている揚げパンについて、私にはなんの説明もなされることはなかった。
「まあ、食えよ」
「どうぞどうぞ、いっぱいありますから」
 と、友人及びその妻に勧められるままに、ふたつみっつと食いながら二本三本とビールを飲み干し、世間話などに興じていたのである。
「うん。このパン、うまいね。うまいっすよ、奥さん。なあ、ヒデユキ、うまいよな」などと、能天気に口走っていたのである。
「うまいうまい」
 ヒデユキも全面的な賛意を表明してはばからないのであった。
 実際に、たいへんにうまい揚げパンであり、いくつか持って帰ってよいかと申し出てしまったほどであった。製作者であるところの、友人の妻でありヒデユキの母である女性は大いに喜び、低落傾向であった私への評価は一気に上昇の気配を見せ始めた。
 つまるところ、その揚げパンこそがピロシキであったわけだが、私が想定していたピロシキとはそういうものではなかった。私の脳裡では、揚げパンとピロシキが等号で結ばれることはなかった。
 この家庭における私は、ヒデユキに妙な親近感を得ている他にはなんらの立場もない。その私が、たとえばこうした言辞を弄せば、一瞬のうちに場が凍りつくのは理の必然であろう。
「そんで、ピロシキは、いつ出てくるの?」
 それはすでに出ているのである。目の前にあるのである。しかも、食っているのである。あまつさえ、絶賛しているのである。
 微妙な空白の時間が流れた。
 私のシャツの肱のあたりを、ヒデユキが引っ張った。その場の空気を察したのか、小声で言った。
「ぴろしき、ぴろしき」
 揚げパンの皿を指さしている。
 む。
 むむむむむ。
「これって、ピロシキ?」
 私は、そう言っていた。実にどうも、間の抜けた科白もあったものである。
「おまえさ」友人が呆れ返っていた。「なんだと思ってたの」
「いや、揚げパン、かと」
 答える口調が弱々しい。友人の妻でありヒデユキの母であるところの女性は、明らかに気分を害していた。さきほどまでの友好的な雰囲気はいっさいなかったことにしようと努めているようであった。
「じゃあ、訊くけど」友人は言った。「おまえがピロシキだと思っていたのは、いったいどういうものなんだ」
 私は打ちひしがれて「私のピロシキ」を詳しく説明した。
「おいおい」と、友人は言った。「そりゃ、ボルシチだって」
 あ、そうだ。ボルシチボルシチ。電話を受けて以来、私の脳裡にはボルシチ様のお姿があったのだ。いわゆる、赤蕪の色彩が鮮やかな野菜スープである。私は、それが余っていると聞いて駈けつけてきたのである。ピロシキと耳にしながら、ボルシチを脳裡に思い浮かべていたのである。
 まるっきりの勘違いではあった。
 よそよそしい空気は去らず、私は空回りの抗弁を試みた。
「似ているではないか。四文字で構成されているし、三文字目の「シ」が同じだ。最後に「い」の段できっぱりと締めているところもたいへんな類似といえよう」
 しかし、何を言っても、虚しいばかりであった。
 ヒデユキが、私の肩をぽんぽんと叩いた。
「きをおとすなよ」
 と、ヒデユキは言った。

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185 98.06.02 「明日は明日の、」

 マーフィーの法則あたりが既に語っているのであろうが、雨傘は一極集中するものである。
 多くのひとびとの生活は、ある二箇所の往復によって成り立っている。学校と家庭、職場と家庭、職場と妾宅などである。この間においては往々にして屋外を歩く状況が生じる。このとき、天候が歩行者に対してなんらかの影響を及ぼすことも我々は見逃してはならないだろう。たとえば、雨というものがそれである。
 雨傘の御登場である。
 時あたかも入梅である。雨傘の華々しい活躍が期待される季節の到来である。
 この時期、この雨傘なるものは不思議な出処進退を見せる。何本保有していようが、一本も手元にないといった謎の事態が生じるのである。
 たとえば、朝、出かけようとすると傘がない。雨が降っているのに傘がないと、これは当然いささか困ったことになる。ポンチョを着て、とりあえず駅まで歩いていかなければならない。駅の売店でビニール傘を購入し、また所有する雨傘の本数を増やすハメになる。このとき、所有するすべての傘は職場に存在している。つまり、出勤の時間には降雨があったが帰宅の頃にはやんでいた日々が続いた、ということになる。雨が降ってもいないのに傘を持ち歩く趣味は、私にはないのである。
 もちろん逆の場合もあって、自宅にすべての傘があるのにこれから会社を出ようとしている、といった事態を迎えて途方に暮れることもある。この場合は、とりあえず傘を売っている場所まで親切な方の傘に入れて頂く、という人様の善意に頼った不遜な打開策が図られる。なんにしろ、また傘を購入せねばならない。
 未来への展望が著しく欠けたこのような場当たり的な生活を送っていると、所有する雨傘が無意味に増加していくことになるのだが、実際にはそうはならない。紛失、といった予期せぬ失態もまた一定の割合で勃発するためである。多くは、電車の中に置き忘れるのである。
 こうして今、我が行動を冷静に記してみると、あらためて頭が悪いことがよくわかる。もはや諦めてはいるが、ちと情けないのではあるまいか。
 ま、いいや。
 目下の懸案は、現在保有しているすべての雨傘は職場に存在しているという揺るぎない事実である。天気予報によれば、明日の朝は雨らしい。困ったことに、雨をしのぐ次なる方策であるポンチョは、なんと先週紛失してしまった。明朝の私には雨を防ぐ手立てがない。
 ああ、なんだか他人事のようだなあ。今夜はまだ降ってはいないようだ。ふつうのひとは、こういうときには今夜のうちにコンビニに傘を買いにいくんだろうなあ。でも、なんだか億劫なんだよなあ。
 よし、決めた。明日の朝は雨なんか降んないっ。降んないったら、降んないっ。
 ううむ、そう決めてしまうと、意外に心がラクになるもんだなあ。そんじゃまあ、酒でも呑むとするか。
 明日は明日の、ええと、なんだっけ。

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186 98.06.07 「香港ブランコ」

「最近は忙しくて」
 と、彼女は、心なしか寂しそうに呟くのであった。香港になんて行く時間はない、と述懐するのであった。
 ネーサン・ロードのほぼ中央から少しばかり路地を歩いた突き当たりに、春愛公園はひっそりとうずくまっている。なんの変哲もない、せいぜい百坪ほどのこぢんまりとした公園である。ガイドブックの類は、徹底して、なかったことにしようとしている。観光客は気づきもしないし、地元住民は見向きもしない。
 例外は、それぞれの立場にひとりずつ存在した。観光客派の筆頭にして末尾は、もちろん彼女である。地元住民派の鶏口にして牛後は、謎のインド人チャダである。名前がわからないインド人は、この列島の古式に則ってチャダと呼ばれてしまうのである。
 入り口のブロック塀に絡みつくやけに大きなポトスの葉を掻き分けると、ようやくその園名を彫り込んだ石板が発見できる。彼女は、実際にそうして、春愛公園の名を知った。彼女は実証主義の信奉者である。
 彼女が属していた小さなデザイン会社は、毎年秋口に香港への社内旅行を挙行する慣習があった。フリータイムになると、みんなブランドという名の宝石を探し求めてガイドブックが指し示す場所へと散っていく。契約社員だった彼女にはそんな金銭的余裕はなかった。そのときの、つまり数年前の、彼女の年収は百三十万円だった。とはいえ、年収の多寡に関わらず、そもそもブランドといったものが彼女の興味を喚起することはなかったのだが。
 置いてきぼりになった彼女の居場所は、春愛公園だった。彼女の興味は、宿泊しているホテルに隣接した春愛公園のブランコに集中していた。たっぷり与えられた時間を、彼女はブランコに乗って過ごしていた。
 香港くんだりまで出掛けて、ブランコ。なんのつもりか、ブランコ。香港でブランコを満喫したニッポンジンは、とりあえず、ローレックスの贋作を売りつけられたニッポンジンよりは少ないだろう。見聞した限りでは、彼女が嚆矢である。後進はない。空前絶後の彼女なのであった。
 ブランコは、愉しい。
 ひゅんと両脚を伸ばして遠い空にちょっとだけ近づくと、生い茂ったアカシアの複雑で柔らかな線と雑居ビルの素っ気なくてまっすぐな線とに切り取られた空が見えた。彼女の宝石が見えた。その空は小さかった。小さくても空だった。東京の空でもボンベイの空でもない、それは香港の空だった。
 彼女は、今年もまた来ちゃったな、と呟きながら、ブランコを思いきり漕ぐ。両脚を振り上げて、懐かしい小さな空を見る。
 そのチャダがボンベイ出身なのかどうかはわからない。そのチャダがその小さな空を見たかったかどうもかわからない。ただ単に、そのチャダはブランコに乗ることが無性に好きなだけだったのかもしれない。ブランコ依存症の発作に見舞われていただけなのかもしれない。
 つまるところ、そのチャダは、彼女が乗り終わるのを待っていた。いつもはそのチャダの独占物であったはずのブランコが、毎年秋口に、あの経済大国からやってきたひとりの女性に奪われてしまう。そのチャダにとって、彼女はライバルだった。それでもブランコはみんなのものだから、そのチャダはじっと待っていた。彼女がブランコに飽きるのをじっと待っていた。
 彼女としても、いくらなんでも、そのチャダの存在に気づく。
 彼女は、そのチャダに、小さな空を譲る。
「オハヨウ」
 ぎこちない口調で、そのチャダは言う。にこにこしながらブランコを譲り受ける。
 そういうときにはね、ありがとう、って言うんだよ。と、彼女は思う。思うけれども、うまく言葉で表現できないので、やっぱり単純に、にこにこしてしまう。
 お互いに、にこにこしながら、小さな空が譲渡される。
 多忙な日常の中で、彼女の脳裡に時折、春愛公園のブランコが横切る。去年も、おととしも、行けなかった。あのチャダさんは、どうしてるかな。あのブランコ、漕いでるかな。あの空を見上げてるかな。
 贅沢は、それを喪ってみなければ、それが贅沢であったことに気づかない。彼女はもう、それなりに糊口の道を確立している。思い立てばすぐにその場所へは行けるが、実際に強行すれば業務上各方面へ迷惑をかけてしまう。あえて赴いたとしても、あのブランコは、もうそこにはないだろう。ブランコはまだあるかもしれないが、あのブランコではなくなっている。
「そういうブランコなの」
 と、彼女は、心なしか寂しそうに呟くのであった。

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187 98.06.08 「愚痴をこぼそう」

 世を過ぎる風は冷たく、傷心を抱えることになった。私の繊細な心は傷ついた。
 やはりこういうときには世の慣習に則り、友人に長電話をかけて愚痴をこぼすのがよかろう。ここぞとばかりに、くよくよしてやるのだ。前々から一度やってみたいと思っていたのだが、なかなかその機会に恵まれなかった。今宵、好機を得て、かねてよりの宿願を果たしてみたい。
「あ~、もしもし、オレだけどね」
「ひよひよ」
「オレだってば」
「ひよひよ」
 森崎某、なんだか要領を得ない。
「ひよひよは、よせ」
「これは最近の口癖なのだ。マイブームというやつだな。ひよひよ」
「やめろ、と言うに。まあ、よい。今から愚痴をこぼすので、謹んで聞きたまえ」
「ん。愚痴? あ、そう」
「時には泣き言を言うかもしれん。繰り言といったものにも挑戦してみたいし、こみあげる涙をこらえきれずに絶句してしまうといった劇的な演出も試みたい」
「ふうん。暇だな。ま、いいや。ひよひよ。聞くよ。どうぞ」
 どうぞ、と言われるといささかひるむが、私は深呼吸をひとつして、さっそく愚痴走った。
「さっきさあ、駅の立ち食いソバ屋でさ、もりうどんを食べようとしたのよ」
「そういうものを食ってはいかん。ひよひよ。立ち食いソバ屋では人はすべからくたぬきそばを食わねばならぬ」
「あのな、おまえの嗜好は聞いとらん。それから、ひよひよは、よせ。黙って、友の愚痴を聞け。オレの泣き言など滅多に聞けるものではないぞ」
「ひよひよ」
「よせ、と言っておろうが」
 私は、さめざめと語った。悲劇の主人公として己に降りかかった災厄を過不足なく語った。時には悲痛な声音を絞り出し、またある時には沈んだ口調に苦渋を滲ませ、私は、先ほど立ち食いソバ屋で出くわした災難について、くどくどと語った。
 もりうどんである。私は、ちっぽけなチケットを差し出し、おばちゃんがもりうどんをつくるのを待っていたのである。
 災厄の萌芽は、おばちゃんと客を隔てるカウンターの上に転がっていた。具体的は、刻んだ海苔を満載にした缶がそれである。しかも、投入用のトングが無造作に放り込まれている。あまつさえ、その把っ手は客側に向けられている。
 ははあ、これは客が勝手に入れてよいのだな。吉野家的紅生姜システムなのだな。よいではないか。世知辛いこの業界にも、まだこんな良心が残っていたか。感心かんしん。
 そう考えた私を、いったい誰が責められよう。
 もちろん、私はいつものように浅墓であり、いつものように短慮であった。そんな太っ腹な立ち食いソバ屋が存在するはずはないのである。
「はい、もりうどん、おまちど~」
 どん、と所望の品が置かれると同時に、私はトングを手に取った。海苔を盛大につまみあげた。
 その瞬間である。
「だめだめだめだめだめーっ」
 おばちゃんの鋭い制止の声がかかった。同時に、電光石火の早業で私の手からトングがもぎ取られた。次の瞬間、おばちゃんは海苔の缶をしっかと胸に抱えていた。素早い。素早すぎる。
 呆気にとられる私を、おばちゃんは、きっと見据えた。その目は明らかに私を盗っ人と見做している。
「もりうどんに、海苔がつくわけがないでしょっ」
 激しい御叱責である。
 ないでしょっ、と言われても。私は唇を噛んだ。私の背に、他の客の好奇の視線が集中していた。私は打ちひしがれ、乾いた声で弁解するのであった。取り繕うのであった。
「あは。あはははは。そうだよね、もりうどんだもんね。あはあは」
 恥辱にまみれながら、私はもりうどんを啜り、とぼとぼと店を出た。悔し涙で、風景が滲んでいた。
「な、わかるだろ。オレの屈辱が」私は森崎某に訴えた。「こんな辱めを受けたことはないぞ、オレは」
「ふむふむ、それは災難だったな。ひよひよ。ところで、デンマークの首都はどこだっけ?」
「コペンハーゲンだが、ひよひよはやめろ。いくらなんでも、あのおばちゃんの態度は許せない。オレは口惜しいよ」
「まーまー」
「思い出すだに酷い仕打ちだ」
「まーまー」
「そう思うだろ?」
「思う思う。で、Mnという元素はなんだ? ま、で始まる四文字なんだが」
「マンガンだろ」あ。なんて酷い奴だ。「おまえ、友が悔し涙に掻き暮れているというのに、クロスワードパズルにうつつを抜かしておるのか」
 森崎某は「まーまー」などと言いながら、「ま、で始まる四文字」を考えあぐねていたのだ。
「あれ? わかっちゃった?」
「……」
 こんな奴に我が胸中を理解してもらおうとした私は、いつものように浅墓であり、いつものように短慮であった。
「ひよひよ」
「だから、それはやめろと」

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188 98.06.27 「中島みゆきだ」

 別人だろう。別人に違いない。
 よもや、朝には全国紙の第一面で健筆を振るい、夕には夜会を催して自作の歌を熱唱しているわけではあるまい。異なった二つの局面で公衆の面前にその名を曝す二人の中島みゆきは、やはり別人であろう。
 ひとりは、いうまでもなく歌うたいである。1975年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューし、現在に至るまで第一線で御活躍中の中島みゆき歌手である。本名、中島美雪。
 いまひとりは、知る人ぞ知る、といった存在である。一部の好事家の間で話題をさらってはいるが、まだまだ知名度は低い。毎日新聞では通信社からの配信以外はほとんどが署名記事となるようだが、この背景をもとに登場したのが、中島みゆき記者そのひとである。本名、中島みゆき、だろう、たぶん。まさか、実は本名は松任谷由実だが何かと物珍しがられて煩わしいので筆名中島みゆきを使っている、わけではあるまい。更には、単なる中島みゆきファンが高じたあげく己が筆名となすに至った、わけでもあるまい。ハンドルネイムは「てるてる坊主」でえす、といったような能天気な気分で中島みゆきと名乗られては、世間が許しても毎日新聞社の内規が許さないだろう。中島みゆき記者の本名は、中島みゆきである。
 中島みゆき記者にとって、中島みゆき歌手はどういった存在だったのであろうか。あるとき勃然と同姓同名の歌手が現れ、あれよあれよと有名になっていったのだ。同姓同名の著名人が存在する他の多くの市井の人々と同様、中島みゆき記者には姓名にまつわる多彩なエピソードがあるはずである。
 中島みゆき記者は克己のひとであった。姓名を槍玉に謂れのない揶揄を受けた辛い日々もあったろう。悔し涙を流しながら、「いつか私の方が有名になってやる」と星に誓った夜があったかもしれない。そうして彼女は刻苦勉励し、自分を高め、いつしか毎日新聞の第一面に署名記事を書くまでになったのだ。故郷の御両親も今ではさぞかし安心しておられるだろう。「どうしてこんな名前をつけたのか」と涙ながらに責める我が娘を前に途方に暮れたことも、今となってはよい思い出である。彼等の娘はやがて自分の幼い過ちに気づき、自ら精進し、ついには三大紙の一角をなす新聞の第一面で、報道のいったいなんたるかを鋭く問いかけているのだ。
 経済担当部局が中島みゆき記者の所属である。時折いかにも片手間に、通産省本営発表そのまんまやないか的な記事を書くので、通産省の記者クラブ的なところに詰めているものと推察される。大蔵省に派遣されないのは、まだ経験が浅いからか、力量に不足するところがあるのか、もはや本流から外れたのか、はたまたそもそも経済畑の人材ではなく一時的な修行として異なるジャンルの体験を培っているだけなのか、たいへん気になるところである。
 目下、中島みゆき記者が取り組んでいるのは、石油公団の不良債権問題である。毎日新聞がこの件について報道するとき、その正義の筆を執るのは常に中島みゆきである。時の流れを越えて変わらない夢を見たがる者達と戦っているのである。
 その日のニュースバリューによって、第一面への進出が冷酷に決められていくわけだが、最近では中島みゆき記者は6月10日付け朝刊で見事にトップ記事をものしている。「石油公団、不良債権1兆円」である。よくわからないが、困ったことなのであろう。
 経済面で執筆しているときには目立たないのだが、中島みゆき記者は第一面に起用されるとちょっとした癖を見せる。名詞+助動詞「だ」の多用である。「~損失をさらに拡大させた形だ」特に段落の終わりに乱発する。「~財政資金の投入も検討せざるを得ない状況だ」脚光を浴びる場所に登用されてあがってしまったのだろうか。「透明性のある公団運営を目指す方針だ」中島みゆき記者、可愛いところがあるではないか。
 中島みゆき歌手は、そんな中島みゆき記者を知っているだろうか。存在くらいは知っているのではないかと考えられるが、定かではない。「サンデー毎日」で対談が企画されているとの噂もあるが、ガセネタであろう。
 中島みゆき記者は、もちろん中島みゆき歌手を知っているだろう。忘年会の三次会あたりのカラオケボックスで、歌わされたりするのかもしれない。「中島さんは、もちろん中島みゆきだよね」などと勝手に曲の予約されてしまったりするのかもしれない。
 もはや立派なオトナである中島みゆき記者は、苦笑しながらマイクを握る。
「ホテルのロビーにいつまでいられるわけもない形だ」
 中島みゆきは、中島みゆきを歌う。
「空と君との間には今日も冷たい雨が降っている状況だ」
 中島みゆきだから、中島みゆきを歌う。
「今日は倒れた旅人達も生まれ変わって歩き出す方針だ」
 彼女の名は、中島みゆきだ。

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189 98.06.28 「思いっきりの国」

 マドモアゼル・ソフィは、かつて一度だけこの列島を訪れたことがあるという。その折の体験から、ニッポンジンはすべからく歌手を目指しており来る日も来る日も個室で歌唱力の向上に余念がない、とソフィは思い込んでいる。ニッポンではセイコ・ミソラの権威は絶対であり無条件に崇め奉られている、とソフィは信じている。
 訂正するほどのことでもないので、私は異議を唱えない。短期間の滞在でその国の全貌を理解することなどできるはずもなく、たまたま見聞した一面の事象からその国の全体像を推し量るような浅墓な思考形態は、実は私も得意とするところである。
 私としては、フランスは「思いっきりの国」と断ぜざるを得ない。この国では、何をするにも思いっきり力を加えなければならない。
 たとえば水道の蛇口から水を出す、という単純な行為にすら思いもよらない力を必要とするのである。レバー、ボタンといったスタイルが多いのだが、これが固い。慣れないレバーなのでやり方を間違っているのかと狼狽してしまうのだが、けして間違ってはいないのである。単に、力の加え方が足りないのである。思いっきり捻らなければならないのである。思いっきり押さねばならないのである。思いっきり、思いっきり、思いっきり、思いっきりですか~、などと歌って、ぐいぐい捻ったり押したりせねば事態は進展していかないのである。なにも歌うことはないのだが、歌ってしまうのである。ここはトゥ~ル~ズ~。
 ホテルのバスタブでシャワーに切り換えるにも、やはり思いっきりが必要だ。思いっきりプルタブを引っ張らなければシャワーを使えない。その固さに最初は戸惑う。びくともしない。これは引っ張るもんじゃなくて押すもんじゃないのか、回すもんじゃないのか、揺さぶるもんじゃないのか、などと不安は増大していく。素っ裸のままであれやこれやと試しているうちに方策は尽き、やはり引っ張るものであるとの確信を抱く。そうして、もはや引っこ抜くといったような心意気でえいやっと引っ張ると、意外にあっけなくプルタブは動き、とつぜんシャワーに切り換わるのである。熱湯が頭から降り注ぎ、あぢぢぢと情けなく叫ぶはめに陥るのである。
 ホテルの部屋に入るにも、思わぬ力を要する。どういうものか、きわめて頑丈な施錠態勢が図られており、鍵も折れよとばかりに思いっきり回さねばドアが開かない。思いっきりがよくなければベッドを得ることはかなわない。
 この国で日常生活をつつがなく送っていくためには、思いっきりが肝心なのであった。思いっきり硬貨を押し込まねば地下鉄の切符は買えず、改札ゲートの回転棒は体を預けて思いっきり押さねばならない。思いっきり手を振らねば路線バスは止まらないし、乗ったバスを目的の停留所に停めるには思いっきりボタンを押さねばならない。生活のあらゆる場面で、なにかにつけて思いっきりを要求されるのである。
 私がフランスに対して抱いたそういった印象をソフィに伝えると、彼女は理解しかねるようであった。ガイコクジンの視点は、常に思いがけないものである。ニッポンジンはすべて歌手になりたがっているとソフィは信じ、フランスジンは常に思いっきり力を加えた日々を送っていると私は見做す。
 日仏の民間外交は、相互の文化理解という点で暗礁に乗り上げた。こういうときには、文化の壁、人種の溝を乗り越えて、一己の人間として対峙するべきであろう。お互いに赤心をもって、相対するのである。わかりあえるはずだ。
 そうした次第で、酔ったイキオイでマドモアゼル・ソフィを思いっきりナニしてみようと試みたのだが、やはりこればかりは洋の東西を問わず結末は同じで、頬をひっぱたかれるのであった。
 それはもう、思いっきり。

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190 98.07.01 「君の名は」

 名前しかわからない。会ったことはない。
 そんな「さとうあゆみ」ちゃんが、いま非常に気にかかる。姓名の語感から想像するに、女性であろう。子供であろうと考えられる。
 毎日、サンリオとかいうおもちゃ屋の前を通るのだが、なんだってファンシーショップだとそれはいったいなんだよだからおもちゃ屋だろう、ええとその、通るのだが、その店頭に名刺作成機が設置されている。子供用と見做してさしつかえない安直な機能であり、出来合いのデザインの決まった位置に名前などが決まったサイズで印刷されるものらしい。文字入力もきわめてわかりやすく、年端のいかない子供でも簡単に操作できるようである。
 何度も視界の隅に捉えているうちにいつしか気づいてしまったのだが、ディスプレイはたいがい一定の状況を示している。多くの場合、名前だけが入力され印刷に至っていない。戯れに自らの名前を表示させてはみるものの、そもそも名刺を所持する必要性がない己の分限を心得ているとか、単にカネがないとか、それを見ると入力せずにはいられない衝動を抑えきれないだけだとか、名刺をつくらない理由は子供なりにそれぞれだろう。
 そんなふうにして、ディスプレイの上に誰かの名前が残される。その誰かがその場を立ち去っても、しばらくのあいだ残っている。次の気まぐれな誰かが自らの名を入力するまでは。その間に、サンリオなどという華やかな世界の極北にいる通りすがりの不埒な人物がそのディスプレイを目にすることもあるだろう。そうして、彼はある名前に気づいたのだ。
 さとうあゆみちゃんよ、君はあまりに君の名をそのディスプレイに残しすぎてはいまいか。
 思い返せば、さとうあゆみという名はそのディスプレイ上で頻繁に目にしていた。銀行の用紙記入例の山田花子のようにあまりに目に慣れ親しんでいたせいか、その頻度が物語る異様さに気づかなかった。
 気づいてしまえば、さとうあゆみちゃんがなしてきた行為の異常性に胸をつかれずにはいられない。どうしたんだ、さとうあゆみちゃん。名刺をつくるカネがないのか。そんなに自分の名刺が欲しいのか。名刺作成を禁じられている家訓をあえて侵せないのか。勇気がないのか。どうだろう、さとうあゆみちゃん。思いきって、一度つくってみてはどうだろうか。新たな世界が君の目の前に広がるかもしれん。いつまでも文字を入力してばかりもいられまい。飛ぶのが怖い、などと言ってもいられないだろう。いつかは扉を開けねばならぬ。さとうあゆみちゃん、君の正念場だ。遠い将来に、そんな他愛ないことを決心しかねていた自分を懐かしむ日が訪れるものだ。さとうあゆみちゃん、蔭ながら君の飛躍を祈ってやまない。
 そうではないのか。さとうあゆみちゃんの与かり知らぬ事件なのか。さとうあゆみちゃんに恋心を抱く何者かの犯行なのか。仮名だが、なかむらかつみくんの犯行か。どうなんだ、なかむらかつみ。いじましいにもほどがある。白状せい。故郷のおふくろさんが泣いているぞ。カツ丼食うか。
 さとうあゆみちゃんを妬むものの仕業である線も捨て難い。さとうあゆみちゃんは一種のバーチャルアイドルで、文字だけで確かに存在している単なる時代の申し子なのかもしれない。それとも、本名はやましたあゆみちゃんだったりするのか。やましたあゆみちゃんの母と離別した父正治さんが、娘に会えないという離婚調停条件の辛さを紛らわそうと、自らの苗字を重ね合わせて我が娘を偲んでいるのかもしれない。さとうあゆみちゃんは、いまどこで何を思い何をしているのだろう。
 さとうあゆみちゃん、君は今、幸せだろうか。

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191 98.07.07 「道端の一人芝居」

 かねがね気になっていた物件であった。しかし、立ち止まってしげしげと観察するのははばかられた。かなり狭い道路ではあるが、人通りは多い。いわゆる一間道、つまり幅員1.82メートルの細道であるにもかかわらず、規模の大きな団地と駅を結ぶ歩行者の幹線であり、沿道には高校がある。近道であるならば、いかに狭かろうが、人はその道を通る。
 考現学やらトマソン物体やらが赤瀬川一派の暇力によってもてはやされるようになって久しいが、当該物件もまたその類の代物なのではあった。私もいささかながらそうした嗜好を有しており、その道路上の扉については、かねてより深い興味を抱いていたのである。
 とはいえ、その場に立ち止まって当該物件をじっくり観察するのは至難の技であるように思われた。その人通りの多さが、私をためらわせていた。道路というよりもむしろ通路と称したほうが似つかわしく、立ち止まると邪魔なのである。多くのひとの通行の妨げになりかねない。
 しかし昨今の社会情勢の変化は著しく、立ち止まるべきではない場所で立ち止まってもその無遠慮な行為が黙認される情況が出現したのだ。携帯電話というものがその所業の一端を担っている。道端で携帯電話を使用しつつ立ち止まっている人物は、迷惑げな一瞥を浴びながらも許容される事態が発生したのである。
 立ち止まってもよいのだ。
 しかし、私が当該物件の前を通りかかった瞬間に、折り良く私の携帯電話が鳴り出すはずもない。自らかけるしかなかった。
 そうした背景を背負って、私はこのほど、ついに立ち止まったのである。
 おっと、そうだそうだ、電話をかけなきゃ。といった演技を過剰に滲ませながら、私は携帯電話を取り出した。不意に立ち止まったため、背後にいたらしい女子高生が不快そうに私を見やって通り過ぎていった。すまぬすまぬ。
「あ~、もしもし、オレだけどね」
 とは言うものの、誰かと話そうというわけではない。演技である。電話をかけている演技をするだけである。ひとと話していたら、本来の目的である物件の観察に集中できない。電話をしているふりをしながら、謎の道路上の扉をじっくり観察しようという魂胆である。
「あの件なんだけどさ」
 どの件であろうか。
 電源は切っておく。さすがに、その程度の猿知恵は働く。一人芝居の最中に電話がかかってきたら目も当てられない。話しているのに呼び出し音が鳴ったら、それはあまりに間抜けである。周りの人にどう言い訳すればいいのだ。だいたい、言い訳したら変ではないか。
「そうそう、その件」
 どの件だかわからないままに、道端に佇んだ私は架空の会話を繰り広げた。
 一方で、視線は路上の謎の扉に向けられている。厳密には、路上ではない。道路に沿った民有地に扉だけが存在している。幅2メートル、高さ1メートルほどの木戸である。その背後には、道路に沿って幅1.09メートル以上の空地があり、その先に民家の塀がある。そのまた向こうに、最近改築されたばかりの住宅がある。建築基準法の定めるところにより、建築敷地は接する道路の中心線より2メートル後退せねばならないため、古い住宅を改築する際にはこうした空地がうまれる。往時の法が許したものを、現行法は許さないのである。そこまでは推定していた。
「そんなこと言ってもさあ」
 言い返したりもしてみる。
 わからないのは、なぜ扉を残したか、である。
 新たな出入口は別の場所にアルミ製の扉が設けられており、この木戸はなんの役にも立っていない。ただ、ある。誰もその扉を開けて通り過ぎはしない。
 なんの変哲もない木戸である。寛永元年から残っている由緒ある木戸といった雰囲気ではないし、物理的に撤去不能とも思われない。
「それを言われると弱っちゃうなあ」
 困ったりもしてみた。
 以前にあった生け垣は、きれいさっぱり撤去されている。木戸だけがぽつんと取り残されている。
「そうかあ。参ったなあ」
 参ったついでに天を仰ぎ、そこらへんを二、三歩、あるいた。視点を変えようといった意図である。さりげなさそうに木戸に歩み寄り、さりげなさそうにその裏側を覗いた。まったくさりげなさそうもなかった行動だが、行き過ぎる歩行者諸君よ、気にしないでくれ。
 恐ろしいことだが、携帯電話を手にして話していると、どうも行動が大胆になるようである。
「あ。そうか。こういうことだったのか」
 木戸の背面を初めて見た私は、思わず叫んでいた。
 ちょうど通りがかった小学生らしき少年が不思議そうに私を見つめた。私は慌てて言い募った。
「あ、いやいや、こっちの話」
 こっちの話に決まっているのである。
 こっちの話なんだよ、少年。
 彼が去っていき、私はしげしげと木戸の裏を見つめた。もはや、人目があまり気にならない。携帯電話の副作用のひとつと言えるだろう。
 朝顔であった。植木鉢が数個置かれ、朝顔が植えられていた。そのうちの何本かのつるが徒長し、木戸の裏側を補強する格子に絡みついてしまっているのである。改築工事中に植木鉢をたまたまこの場に移動しておいたところ、育つ朝顔は藁をもすがったらしく、結果として木戸と一体化したようだ。
「うんうん。わかったわかった」
 もはや、演技なのかどうかもわからない。
 つまりは、加賀千代女である。家主の細やかな心情が偲ばれる木戸なのであった。たぶん、秋まではこの木戸が撤去されることはないだろう。
 充分に納得できた。胸のつかえがおりた。
「じゃあ、またあとで」
 発見は常に感動を呼ぶ。
 いやあ、携帯電話って、なんて便利なんだろう。

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192 98.07.22 「傘カバーに学ぶ」

 そのスーパーでは店内用傘カバーと称していた。雨天の折に、デパートやスーパーなどの入口に用意される細長い袋である。不完全燃焼のアカツキにはダイオキシンを撒き散らしそうな半透明の袋である。
 その機能は、その内部に閉じられた雨傘を挿入されることによって、萌芽する。
 その機能は、その雨傘に付着した雨水を袋内に封じることによって、開花する。
 その機能は、その下方に雨水を導いて下端に貯留することによって、結実する。
 店内用傘カバー。その形状、構造、用途などのことごとくが、まったくもってわかりやすい特質を見せる無骨な職人である。雨の日ひとすじに生きて幾星霜、けして陽の目を見ることがない生涯に、誰もが賞賛を惜しまないことであろう。心ある者ならば、その健気な姿に胸をうたれずにはいられないであろう。
 私はうたれないが。
 そんなに暇ではないのである。たかだか、傘カバーである。ないがしろにしちゃうのである。蔑ろである。軽蔑して蔑視しちゃうのである。傘カバーの先端に穴が空いても、私はいっこうに気にしない。
 なにしろ傘カバーの材質は脆弱である。先端の尖った傘をしまいこめば、袋の先に穴が空く。あっけなく、空く。あるいは、破ける。もしくは、綻びる。または、裂ける。まあ、または裂けるのが似合うものだが。
 蟻の一穴。そして、誰もが重力の作用を受けている。傘カバーの中の雨水も、堤が決壊すれば外へ流出する。多くの人々は、傘の先端を下方に向けて傘を持つ。さあ、満を持して、論理的必然性さまの御登場だ。
 いかがでしょうか、論理的必然性さま。
「うむ。儂が論理的必然性じゃ。本件の意味するところは、せっかく溜まった雨水が傘カバーの外へ流れ出すことであるよなあ、といったところじゃ。水は低きに流れる。なすすべもない。もののあはれ、じゃな。違うかもしれんが、ま、気にするな」
 我が意を得たり。いかにも。いかにもである。穴が空いちゃったんだから、しょうがねえよな。との立場に、私も自らの地歩を求めたい。空けようとしたんじゃないもん、空いちゃったんだもん、しょうがないだもん。と、ここぞとばかりにふてくされてみたい。口をとんがらかしたりもしてみたい。
 しかし、誰と話してんだオレ。
 ひとたびふてくされたならば、その後の対応はひとつしかない。傘カバーに包まれた傘の先を床につけて、ひきずりながら歩くのである。もはやその機能の根幹を喪失した傘カバーをまとった傘の先端から、雨水が垂れていく。私のあとに道はできる。カタツムリが残す軌跡のように、私は傘を引きずりながら、雨水の蛇行をスーパーの床に残す。発つ鳥はあとを濁さないというが、飛べない私は頓着せずに床を汚すのである。翼を持たないのだから、仕方がない。
 もちろん、いつものように、これまでのように、やっぱり私は間違っていた。詭弁を弄して、自らの行為を自らの規範に基づいて正当化したに過ぎない。
 自らが店内に持ち込んだ雨水を、床にぶちまける。この世の良識に鑑みて、いったいそれは許される所業だろうか。
「許されんじゃろ」
 ああ、やっぱりそうでしたか、論理的必然性さま。私がいけなかった。悪かった。馬鹿だった。許されなかった。
 たとえば、私のすぐ前を歩く彼女は、自堕落に傘を引きずる私を許さなかった。
 彼女は、破れた傘カバーを許さなかった。間接的に、私を許さなかった。雨の日に同じスーパーを訪れ、同じように傘カバーの先端が破れる災厄に見舞われる。彼女と私は、同じ境遇にあった。
 二十代半ばと見受けられる彼女は、傘カバーの破綻に気づくと、意外な挙動を示した。さっと、傘を斜め横に持ち変えた。水を漏らすまいとの態度が歴然としている。彼女は左手で穴をふさぎ、その左手だけで傘を支えた。右手は買い物かごでふさがっている。彼女は雨水の流出を左手一本で防いでいるのだ。左手は傘の先端部分を握っており、把っ手部分は斜め上方にある。辛そうな姿勢だ。彼女はそのまま、スーパーの入口へ舞い戻った。
 彼女は律儀に傘カバーを取り替えた。私は呆気にとられて、彼女の行動を眺めていた。そういうものであったか。そこまでしなければならないものであったか。深遠なり、傘カバー道。
 傘カバーに溜まった雨水など高が知れているではないか、などと考えてはならなかったらしい。公衆道徳のなんたるかを、いま彼女は身をもって私に提示しているのだ。
 やがて、充分に機能している新たな傘カバーに包まれた傘を片手にした彼女が私の前を通り過ぎていった。むろん、私などには見向きもしない。私の胸裏に、にわかに羞恥を主体とした混乱した感情が兆した。私はすごすごと入口に引き返した。すごすごと、傘カバーを取り替えた。
 再び店内に戻った私は、なぜか彼女の姿を探し求めていた。反省し、成長した己を認めて欲しいといったところであろうか。
「それはじゃな、おぬしは恋に落ちたんじゃよ」
 おいおい、それはぜんぜん論理的必然性がないんじゃないのか。って、だから誰と話してるんだよオレは。

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193 98.08.01 「新・教育とはなんだ」

 コンビニエンスストアの中を右往左往していた私は、文具コーナーの前で足を止めた。ほんの半年ほど前、「教育おりがみ」といった代物を同じ場所で発見し、主としてネイミングといった観点において驚愕を覚えた私であったが、このたび「教育おりがみ」の進化を目の当たりにして、更なる驚愕にうろたえるのであった。「教育おりがみ」に、新たな進展があったのだ。
 「新・教育おりがみ」の御登場である。
 はからずも、「うお~」と小声で呟いてしまった。ここで「さお~」と谺が返ってきたら楽しいよなあ、などととんちんかんな感慨に耽りながら、私は「新・教育おりがみ」を手に取った。
 「新」を冠してリニューアルを企てた商品としては、昨今では日清の「新・Spa王」が記憶に新しい。鈴木保奈美嬢が口の回りに海苔を付着させるCMは、セガの湯川専務の次の次あたりのインパクトをもたらしたと斯界では評判になっている、かもしれない。
 「新・教育おりがみ」ならば、やはり糊ということになろうか。
 いやいや、なろうか、などと変に冷静になっている場合ではなかった。そんなことはどうでもよろしい。おりがみを折りながら口に糊しているようでは、ちょっと哀しいではないか。
 「新・教育おりがみ」である。「クリーンな抗菌剤入りおりがみ」なのである。自らそう謳っているのだ。「おりがみ」というほのぼのとした商品に、唐突に「抗菌剤」などといった切羽詰まった代物が混入しているのだ。逸品である。これはぜひとも購入して後世に伝えねばなるまい。私は、ロックアイス、ジムビームなどとともに、「新・教育おりがみ」を我が手中に納めた。いいトシこいて、ひとりバーボンを傾けながら、こともあろうに折り紙かよ。店員の表情に一瞬そうした冷ややかな蔑笑が横切ったように思えたのは、自意識過剰といったものであろうか。
 いま目の前に「新・教育おりがみ」を置き、あらためて、その差し迫った危機感にたじろがずにはいられない。よくよく見れば、外装の透明なセロファンにステッカーが貼りつけてある。折り紙を玩具あるいは教材と見做すのであれば、ここまでそぐわない惹句もないだろう。「大腸菌O-157の増殖を抑える無機抗菌剤ノバロン使用」ときたもんだ。すべての漢字に仮名が振られている。振れば済むというものでもないだろう。「読める」と「理解できる」との狭間で揺れ動く振り仮名も、その出生の折には、こんなにも意外な局面で登板するとは思いもしなかったのではないか。
「ね~ママ、だいちょうきんってなあに?」
「とってもこわいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、こわくない大腸菌もいるんですよ。
「むきこうきんざい、ってなあに」
「とってもえらいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、えらくない無機抗菌剤も……はて、それはなんだ。だいたいノバロンとは何者か。斯界ではさぞかし名のある傑物なのであろうが、やはり唐突の感は免れまい。
 子供たちよ、君達の衛生環境はそんなに大変な状況を呈していたのか。無機抗菌剤ノバロンの力を借りねばならぬほどに切迫しておったのか。
 私はただただ、驚き入るばかりである。なにか根本的に見当違いな方向へ足を踏み出してしまったのではないか、「新・教育おりがみ」は。
 表の面に物語られた情報だけでも驚きを禁じ得ないのだが、裏返すと具体的な情報が克明に記されており、「新・教育おりがみ」の実体はますます謎めいていくのであった。裏面には、「新・教育おりがみ」が有する「抗菌性」の裏付けが、確たるデータを伴って謳われている。もはや振り仮名の出番はない。保護者向けの情報なのであった。
 まず、どんな菌に対する抗菌性を保持しているかが語られる。それは、「大腸菌」「黄色ブドウ球菌」「緑濃菌」などである。私達を取り巻く環境はそんなにも危険なものであったか、と、ひるまずにはいられない。殊に、緑濃菌。この字面に潜んだ凄みには眩暈がしそうである。
 次に記されているのは抗菌力試験の結果写真である。黄色ブドウ球菌が抗菌剤摂取後三時間で死滅した証拠写真が、誇らしげに添えられている。私はいま玩具あるいは教材を眼前にしているのであったな、と自分に再確認せずにはいられない。
 他にも安全性に関わる試験が施されている。
 「皮膚一次刺激試験」の結果は、「皮膚刺激は認められません」である。それはよかった。よかったが、「一次刺激」とはなんだろう。
 「変異原性試験」の結果は、「変異原性は認められません(陰性)」である。それは喜ばしい。喜ばしいが、「変異原性」とはなんだろう。
 「急性毒性試験」の結果に至っては、とうてい素人の理解の及ぶところではない。「マウスへの経口投与試験で、LD50値は投与最大量である5000mm/kg以上であることが確認されました」ときたもんだ。「LD50値」よ、オレが悪かった。そう懺悔したい気持でいっぱいである。
 もはや、保護者向けといった段階ではない。むしろ専門家向けの情報である。「理解できないけど、とにかく信用できそうだ」といったような感想を持たせる効果を狙ったのであろうが、ここまで執拗に安全性を訴える必要があったのだろうか。私は途方に暮れるばかりである。
 抗菌信仰よ、どこまで我々を連れていくのか。行き着いた先に、明るい未来はあるのか。
 おりがみである。「新・教育おりがみ」である。
 そして、ノバロンである。
「ね~ママ、ノバロンってなあに?」
「とってもえらいものなのよ」
 おかあさんおかあさん、私も同感です。そう信じ込まなきゃやってられません。
 なんだかよくわからないがノバロンよ、いまはただ君を信じて、子供たちの未来を君の手腕に託そう。私には何もできない。仕方がないから千羽鶴でも折って、蔭ながら子供たちの幸せを祈ることにしよう。
 ……ありゃりゃ。どうやって折るんだっけ、鶴って。

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194 98.08.03 「ある朝突然に」

 そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。
 なにも二十六個もまとめて渡さなくてもいいだろう。朝の駅前で配られるポケットティシューである。なんの因果か、突然のポケットティシュー二十六個。朝っぱらから、某消費者金融会社のポケットティシュー二十六個。
「はい、これ」
 おねえさんは、そんなことを言いながら、紙袋ごと手渡すのであった。反射的に、つい受け取ってしまった。
 どうなっているのだ。
 「###で~す。よろしくお願いしま~す」といったところが、常套句ではないのか。一個あるいは二個を配るのが、常道ではないのか。おねえさん、あなたはいささか常軌を逸してはいまいか。
 ポケットティシュー配布作業は、業者に発注する場合と、自社の社員に時間外出勤を強いる場合があるようで、前者においては大量配布はありえない。後者はざっくばらんであり、時間内にノルマを達成できないとなれば、わりと平気で大量配布に及ぶ。これまで、いちどきに五個ほど貰ったことがある。
 それがいきなりの二十六個である。いったいどうしろというのだ。
 その制服から明らかにその消費者金融会社の社員と見受けられるおねえさんは、そそくさと去っていった。呆気にとられたままの私が取り残された。
 なんだろうか。その筋のひとにとっては、私はポケットティシューにも不自由しているように見えるのだろうか。おねえさんの親切心の発露が、この紙袋なのだろうか。もしそうなら、小さな親切、大きなお世話、である。憤然とせざるをえない。
 違うのか。おねえさんには予知能力があり、このあと大量出血の時が訪れる、と私の未来を透視したのだろうか。時ならぬ鼻血に備えよ、との暗示なのだろうか。そうだとしても、これほど多くのティシューはいらないだろう。このティシューをすべて消費するほど出血したら貧血を起こすではないか。小さな貧血、大きなお世話、である。茫然とせざるをえない。
 そうではないのか。消費者金融会社の広告媒体であるところのポケットティシューである。やはり、その道の達人が見れば、カネに困っているのがわかってしまうのだろうか。潜在的顧客を発見したら大量のティシューを配れ、といった指示が発令されており、おねえさんは律儀に任務を果たしただけなのだろうか。小さな金欠、大きなお世話、である。悄然とせざるをえない。
 いや、いつかお世話になるかもしれないが。
 それにしても、この二十六個のポケットティシューの有効な使い道はないものか。やはり、出勤前に自社の前で「###で~す。よろしくお願いしま~す」とやって笑いを取りにいくのが賢明か。
 あれ。おかしいぞ、オレの賢明って。
 そこまで考えたとき、私はもうひとつの可能性に思い当たった。
 もしかして、私はおねえさんのあとを引き継いで、ティシューを配布せねばならないのではないか。おねえさんは、交代要員を待ちあぐねていたのではないか。私は、交代要員と見做されたのではないか。「はい、これ」というくだけた口調に内包された意味は、そういうことだったのではないか。
 配らねばならぬのか。私は、朝の雑踏の中で途方に暮れて立ちつくした。
 配るのか。私が。ここで。このポケットティシューを。
 あまり考えたくはない話である。

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195 98.08.05 「やっぱり泣いたか勘太郎」

 学業を生業とする者にとっては、夏休みである。
 中学一年生であり私の甥であるところの勘太郎といった人物にも、平等に夏休みは訪れた。
 夏休みという長期休暇を利して親類縁者の許を訪れ見聞を広めるといった所業は、児童生徒学生などの特権である。私も、そうした。ゆえに、訪れられる立場となっては、無下に断るわけにはいかない。返せない恩義ならば、次の世代に報いるしかない。
 そうした背景をもって、勘太郎は先般より私の部屋に滞在しているのであった。
 こやつは父親の転勤によってこの四月から大阪に在住していたのだが、長期休暇を得て旧知の輩と旧交を温めるべく、先般より私の部屋の居候と化しているのではあった。
 キャンプに連れていけ、との御要望である。
 平日は小学生時代の旧友と戯れていたようであったが、なにかしらずれてしまったらしい。平日にはこちらもシゴトというものがあるのでほとんど相手をしてやれなかったが、こちらの週末を見計らって、そうした御希望を申し述べる勘太郎なのではあった。
「あいつらと遊んでても、あんまり面白くないんだよね」
 つまらなそうである。ほんの数ヶ月前につるんで遊び回っていた連中と、微妙な齟齬が生じてしまったらしい。それはそうだろう。中学生になった彼等には新たな友人ができている。勘太郎は、過去のひとである。
 しょうがねえな。出番というやつか。
 以前に出掛けた那珂川の河原に、勘太郎を伴った。
 その折は晩秋であったが、もはや盛夏である。川面には幾艘ものカヌーが漂い、水着をまとって水浴に興じる人々も多い。
 テントとタープを設営し、とりあえず素麺で腹ごしらえをした。
 勘太郎は、さっそくスケッチブックを取り出し、上流の橋を描き始めた。こやつはその人相風体人格気性に似合わず、絵画の才を有しているのであった。いかほどの素養なのかは門外漢の私にはわからない。私は絵はまるで駄目である。例えば私がパンダを描いたとしよう。その絵を目にした者は、ブタか、いやカバではないか、といった議論を始めるのだ。自画像ではないか、と穿った見方をする者まで現れる。失礼な話である。仕方がないので、パンダを通して人の世の無常を描いたのだ、といっためちゃくちゃな与太噺を展開するほかなくなる。なにも、ほかなくなる、ことはないのだが、そこはそれ、性癖といったものであろう。
 勘太郎は絵画に熱中し、取り残された私は寂しそうに夕食の支度を始めた。素人キャンプだから、晩餐の準備には常に時間がかかるのである。食の確保はすべてに優先するのである。なにしろ私は寂しそうなので、タマネギを刻みながら涙ぐむのも堂に入ったものである。
 今回は、主賓の立場を尊重して、カレーに挑んでみたのであった。
 カレーは大阪の郷土料理である。最近、私はそうした結論を得るに至った。間違った友を得た所為に他ならない。
 「三度の飯よりカレーが好き」と、ぬかしてはばからない。「三食抜いてもカレーは欠かせない」と、ほざいてなんら反省の色がない。あまつさえ、「カレーさえ食えば、絶食は可能だっ」などと、不明な絶叫を迸らせてのたうちまわる。
 オオサカジン、空気と水とカレーはタダだと思ってます。
 私としては、たくまずしていつしか醸成されていたそうした固定観念を、はなはだ不本意ながら肯定せざるをえない。
 大阪人のサンプルはたったの二例であり、しかも標準的な指標と呼ぶには、いささか、あ、いや、かなり不適当である事実は否めない。しかしながら、人は人の間で生きていくものである、環境に左右されるものである、って、なんの話だ。
 「夕陽が私のイメージを阻害するので、本日のところは静かに絵筆を置きたい」といった趣旨の発言とともに、勘太郎が食卓に戻ってきた。増長している。何様のつもりであろうか。
 まあ、お子様なのであろう。
 カレーを食いながら、話す。
「どうだ、大阪は」
「おもろいよ」
 お、おもろい、のであったか。
「どういうところがおもろいんだ」
「そうやな~」
「おいおい、アクセントが異様に変だぞ」
「そやろか」
「う~ん。“そ”は、そんなに強くは言わないんじゃないか」
「そうかなあ」
「あ。地が出たな。付け焼き刃だな、まだ」
「難しいんだよ、大阪の言葉は」
「そりゃまあ、そうだろう」
「こっちの話し方で喋ると、苛められるんだよ」
「お。イジメにあっているのか。それはミジメだな」
「ダジャレをかましてる場合じゃないんだよ」
「なんだなんだ、ほんとにイジめられてるのか」
「う~~ん。ちょっとね」
「ふうむ。ま、十年後までイジめられることはないから、あまりクヨクヨ考えるな」
「なに言ってんだかな~」
「うひうひ」
 その後、先ほどより川の中で冷やしておいた西瓜をデザートにたいらげ、花火などをして遊んだ。夏キャンプの定番コースである。我々はこれでも正統派なのである。
 初めてわかったのだが、勘太郎は線香花火が下手である。うまく火玉をつくれない。
「おまえ、なんで揺らすわけ。しっかり持ってなきゃ火玉が落っこちゃうだろ」
「できないよ~」
「もしかして、やったことないのか」
「初めてだよ」
 あっけらかんと言い切りやがった。どうなっておるのだ。線香花火を体験しないままに、コドモを脱するつもりだったのであろうか。いかんのではないか。いいのか、それで。
 私が理不尽なイキドオリを抱いている間にも夜は更けていった。騒いでいた周囲のキャンパーも次第におとなしくなり、それぞれに穏やかな夏の夜を堪能しはじめた。
 我々も焚き火を囲んで、ゆったりとした時間を過ごした。私の片手にはバーボン、勘太郎はウーロン茶。
 勘太郎が意表をついて、夜空の星座の名を列挙しはじめた。聞けば、八十八だかの星座をすべて諳んじているのだそうである。なんだなんだ、妙な知識を有しておるな。思っていたより立派な奴なのかも知れぬ。
 あれは琴座、あっちが白鳥座などと、次々と指をさす。
「ほうほう。あれが白鳥座であったか」
「でね、あれが鷲座で、その横にあるのがね」不意に泣きじゃくりはじめた。
 肩をひくつかせている。
 ふむ、ついに泣いたか。
 まあ、泣きたくば泣け。
 私には勘太郎に必要なことばは何も言えないので、何も言わない。
 泣かせておくしかない。
 一時間ほどそうしていたか。星座もそれなりに夜空を傾いて移動していた。
「泣き終わったか」
「うん。終わった」
「呑むか」
 きわめて薄い水割りのバーボンを手渡した。
「うまいか」
「まずいよ」
 それはそうだろう。
 キャンプの夜は更けていく。

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196 98.08.10 「物悲しきはおとな」

 この場合、「雲海」といえば、蕎麦焼酎の銘柄を指す。宮崎県五ケ瀬町に本社を置く雲海酒造株式会社が製造販売している焼酎であり、限定すると1.8リットル入りの紙パックということになる。昨今の私が愛飲していることで、我が家では有名である。ちなみに我が家を構成する人員は私のみである。近来の経済情勢の逼迫は我が家の財政にも少なからぬ影響を及ぼしており、嗜好品といった費目においてはコストパフォーマンスの高い焼酎の消費がいきおい高まっていくという図式がある。端的に述べると、ビンボ~なんて大嫌いだ、といったところか。
 なお、「だったら呑まなければよいではないか」といった、実行不能な要求は厳に慎まれたい。あなたに慈愛の心があるのなら、そういった心ない発言は控えられたい。
 ひとつの生命体として生き長らえるためには飲酒はまったくもって不要な行為であるが、私が私として生きていくためには飲酒は不可欠な習慣なのである。ことは、人格の尊厳に関わっているのである。むろん、私の人格にはなんらの尊厳もないといった見解があるのは知っている。しかし、そんな正しい見解を受け容れるほど私は寛大ではないのである。むしろ狭量といえる。正しいことを拒む人々は、厳然として存在する。私もそのひとりである。呑むったら呑むんだいっぐびぐび、と、だだをこねているのが実情である。実情はたいてい物悲しいのが、この世の常である。物悲しい私なのである。
 一方、「おとなの紅鮭茶づけ」にも私達は重大な関心を寄せないわけにはいかないだろう。東京都港区に本社を置く株式会社永谷園が製造販売している。形状としては、一食分が一袋にパックされている。紅鮭、鮭鱒、食塩、海苔、あられ等の乾燥物の細片が、名刺よりは大きく葉書よりは小さな袋に封入されている。これを御飯に振りかけ熱湯を注ぐと、お茶漬けができる仕組みになっている。
 「紅鮭」と「鮭鱒」の併記にいささかの不安を覚えるが、冷や飯が残った折などに重宝することは我が家においては疑いのない事実である。我が家では、熱湯ではなく番茶が用いられ、練りワサビなども添えられるのであるが。繰り返すが我が家は私ひとりによって構成されているのであり、つまり私が重宝しているのである。
 即席製品に頼ったお茶漬けはやるせない。せめてお茶漬けくらいは、そういった手合いに頼らずに対処したいものである。例えば、自家製の烏賊の塩辛と切り刻んだ大葉と海苔を御飯に載せ熱い焙じ茶を注ぐ、といったささやかな贅沢を自らに許したい。しかし理想は理想であり、実情は実情である。「おとなの紅鮭茶づけ」があるのなら、それを消費するしかないではないか。実情はやっぱり物悲しいのである。
 「雲海」と「おとなの紅鮭茶づけ」。
 いま、その邂逅が我が家では疑惑を呼んでいる。
 「雲海」を購入すると、もれなく「おとなの紅鮭茶づけ」二袋がついてくるのである。「雲海 ちょっとおとなのプレゼント」というキャンペーンが、その背景となっている。私は「雲海」を購入したつもりなのだが、付随して「おとなの紅鮭茶づけ」二袋を入手してしまうのである。いつ果てるともしれないキャンペーンであって、雲海酒造株式会社と株式会社永谷園との間で締結された契約書を一度でいいから読んでみたいとの欲望を抑えきれない。
 いったい、いつ終わるのか。好評ならば自動的に継続していくと、たとえば第五条に明記されているのか。「前条に規定する契約満了の日の三十日間前までに、甲乙どちらかからの相手方に対する文書による申し出がない限り、本契約は更に一年間継続するものとし、契約日以降十年間は同様とする」などと、その契約書には謳われているのではないか。そして、このキャンペーンは双方の企業において、「成功」と見做されているのではないか。まだまだ続いていくのではないか。
 あのさあ、雲海酒造さん永谷園さん、成功してないよこの企画。少なくとも我が家では。
 「雲海」と「おとなの紅鮭茶づけ」、それぞれの消費量は、我が家においては当然のことながら「雲海」のピッチが圧倒的に速い。焼酎を購入しているのだから当然である。お茶漬けを購入したわけではない。「おとなの紅鮭茶づけ」ばかりが、ただただ溜まっていく。
 この大量の「おとなの紅鮭茶づけ」を、いったい私はどう処理すればいいのか。
 いま数えたら二十二袋もあった。食え、というのか。売れ、というのか。捨てるほどの勇気はない。つまるところ、消費せねばならないのだろう。
 とはいっても、袋入りの即席茶漬けの出番は限られている。私は私で、あつあつの御飯には納豆なり筋子なりで対応したい。即席茶漬けを用いるに相応しい余った冷や飯といった局面は、そんなに訪れるものではない。
 「おとなの紅鮭茶づけ」が蓄積されていく。溜まっていく。コレクションとなっていく。
 先に掲げた他に、たら粉末、魚介エキス、抹茶、本鰹粉、昆布粉、調味料、酸化防止剤、着色料などが混入されている。さほど不審な輩はいない。「おとなの紅鮭茶づけ」、そんなに悪い奴ではないようである。確信はないが、根は悪くはないと思われる。ちょいと世を拗ねている気配はあるが、お茶漬けとしてはそんなに酷い奴とは思われない。
 京都の庶民文化といった文脈において伝えられる「ぶぶ漬けでも」云々の逸話がどれほど現実に即したものかどうかは、私にはわからない。が、私は、我が家を訪れるひとに、是非ともお勧めしたい。「おとなの紅鮭茶づけ、でも」と。いや、けして「帰れ」と仄めかしているわけではないのだ客人よ。
 余っているのだ。大量に。人助けだと思って、ひとつ。お互い、おとなじゃないですか。
 とはいっても、さすがに自動車保険の更新にやって来た保険外交員にふるまうわけにもいかず、私はいまホームパーティを開催しようかと思案している。「おとなの紅鮭茶づけの集い」、ううむ、我ながら物悲しい集いではあるなあ。

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197 98.08.16 「当該猫の行方」

「猫を返してください」
 この貼り紙をどう見るかね、ワトソンくん。
 思わず立ち止まらざるを得ない貼り紙であった。書いた者の苦衷に満ちた心情がまざまざと伝わってくる貼り紙なのであった。
 その訴状は一昨日から貼りだされた。毎日その前を通り過ぎる一軒の民家の玄関に、細長い紙が貼ってあったのだ。筆ペンとおぼしき筆跡である。書き初めのように、「猫を返してください」である。当然のことながら盆と正月は一緒に来たりはしないわけで、やはりこの時期に「初日の出」としたためるのも変だろう。かといって、時節に鑑みて「御先祖様、おかえりなさい」とかますのも奇を衒いすぎている。で、何を書くかといえば、「猫を返してください」である。なんだか、飼い主の思考形態においては、そうなっているらしいのである。
 飼い猫が行方不明になったので、猫を返してください、である。
 誰だか知らないけど、猫ばばした奴、返してやれよ、オレは責めないから。ただ猫の手を借りたかっただけなんだろう、わかってるよ、返してやれよ。などと、思わず胸裏に兆す情動を抑えきれない。ついつい、ほだされてしまう私なのであった。うわべだけだが。
 しかし、飼い主は責めるだろう。最愛のペットである。コンパニオンアニマルである。従属物である。ぶっちゃけた話が、所有物である。当該猫の所有権を有していると思い込んでいるから、「返して」と言い募るのである。当該猫が自然にそなえている生存権、欲望、性癖などは、いっさい顧慮されない。
 盗難された、あるいは誘拐された、というのが、飼い主の判断なのであろう。だから、返してください、と宣言して恥じない。
 いや、恥を忍んで貼り紙の儀に及んだのか。
 わからない。わからないが、「返して」は、いかがなものか。
 実は、当該猫は首輪につながれていたのである。首輪は鎖につながれていたのである。その鎖は固定されていたのである。しかもそこは野外である。猫の額ほどの庭である。けして、飼い主の家の中には入れない当該猫なのではあった。ちっぽけな猫小屋が、当該猫の住みかなのであった。
 猫は、そんなふうには飼わないものではないか。
 犬には犬の、猫には猫の、接し方があるのではないか。当該猫の行動範囲はせいぜい二十猫身ほどであった。一匹の猫として、それは不憫すぎやしまいか。
 猫にさしたる興味がない私ですらそう考えるのだから、猫好きのひとにとっては、その情景は耐え難い苦痛なのではなかったか。動物愛護の観点から、なにかしら問題はなかったか。
 ワトソンくん、私は、愛猫家が当該猫を救出あるいは解放したと見るのだが、どうかね。いや、ワトソンくんはここにはいないが、こういうときはワトソンくんに同意を求める古式があるようなので、呼びかけてみるのである。ワトソンくん、君は今どこにいるのか。だいたいワトソンくん、私は君に会ったことがないぞ。
 たとえば、こんな犯人像が想起されるだろう。かねてより当該猫の拘束状況に義憤を覚えていた愛猫家左派、前田吟であったが、ついに堪忍袋の緒が切れた。夜陰に乗じて庭に侵入し、当該猫を首輪から解き放ったのだ。こんな家に飼われていたのでは、猫に小判だ、というのが前田の主張であった。この場合、猫が小判に相当するのだが、思考が混乱するのであまり深く考えてはならない。猫に鰹節、前田に猫、といったところか。猫を被っていた前田吟、とんでもないことをやらかしたものである。前田は自宅に当該猫を連れ帰ったが、これがまた猫屋敷である。大量の猫が暮らしている。どんな猫でも拾ってくるうちに、ついには他人様の猫にまで手を出してしまった前田なのであった。もはや見境がない。杓子も盗難しているに違いない前田は、猫撫で声で猫可愛がりである。偏愛のあまり、前田の劣情の注ぎ具合はいささか歪んでおり、家からは一歩も出さない。当該猫の自由はここにもなかった。ちなみに前田は、猫背で猫舌である。
 どうかねワトソンくん。どんどん間違った方向へ行ってしまったが、ま、気にするな。
 猫を飼うことは不可能である、といった話を聞いたことがある。けして飼うことはできない。ともに暮らして頂くのだ。というような見解であった。そんな話を思い出しながら、私は路上に佇み、貼り紙の文面を眺めるのであった。
 私はふと疑念を覚えた。この「猫」という漢字は間違ってはいまいか。
 「けものへん」に「苗」で「猫」だろう。「けものへん」が支配してこそ、動物であるところの「猫」という漢字が成立する。ところが、この貼り紙の字はそうではない。「けものへん」と「田」が並立し、その上を「くさかんむり」が覆っているのである。「くさかんむり」に支配されているのである。となれば、植物ということになる。むむむ、あのネコは植物であったのか。ネコジャラシやネコヤナギの仲間であったのか。植物にしては、猫の目のようにやけに目まぐるしく動き回っていた記憶があるが、ネコクサとはそうしたものなのかもしれない。似て非なる生命体だったのだ。動物愛護団体も手出しはできない。光合成をするネコなのであった。ここで「きへん」に「猫」などといった例の方向に話を持っていくかというと、そうではないのだよワトソンくん。ただ、飼い主が字を間違っただけである。間違いは誰にでもある。
 が、この乾坤一擲の呼びかけの冒頭で誤字をしでかしてしまうのはいかがなものか。この重大な局面で、誤字である。痛恨の極みであろう。現場に舞い戻った犯人に「むふふふ、ワシが盗んだのは猫だもんね、ネコクサなんかじゃないもんね」と、嘲笑されてしまうのが関の山である。せめて脱字であったなら、すくいようがあったのではないか。「を返してください」との文面を読んだ犯人が、「ワシが盗んだのはなんだったのだ」と頭を抱えているところをタイホすればよいのである。
 当該猫は、いまどこにいるのであろう。なにをしているのであろう。
 私は、先祖の墓参りに行っているのではないかと考えるのだが、どうかねワトソンくん。

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198 98.08.20 「茗荷畑でつかまえて」

 いつかは茗荷谷に住みたい。
 下北沢に住みたいと願うひともいれば、代官山で余命を全うしたいと望むひともいるだろう。亀有で暮らしたいと焦がれるひともいれば、大井町に骨を埋めたいと祈るひともいるだろう。
 私の場合は、茗荷谷だ。憧れの地、茗荷谷。私は、終の栖を茗荷谷と定めたい。ついのすみか、みょうがだに、である。いつかは茗荷谷に庵を結び、心穏やかな時を見つめたい。そうして、人知れず朽ち果ててしまえるのならば、もはや望むものはなにもない。茗荷に尽きるとは正にこのことだ、って、字が違うぞ。
 東京都文京区に茗荷谷はある。地名としての茗荷谷は、いまでは地下鉄丸の内線の駅名として残るのみである。たとえ茗荷谷に住んだとしても、住民票に記されるのは、大塚、小日向、小石川といった町名である。従って、居を定めるにあたっては、慎重な調査が必要となる。法務局に赴いて閉鎖登記簿謄本や旧公図を丹念に吟味し、この土地は以前は確かに茗荷谷と呼ばれていたのだとの証左を得ることが肝要である。
 私はまだ、茗荷谷を訪なうたことがない。夢破れるのがこわくて、足がすくむ。
 茗荷谷。そこは柔らかな陽光が降り注ぐ谷あいであろう。夏ともなれば、大地を覆う一面の茗荷が微風にそよぎ、葉擦れの音が懐かしいメロディを奏でるに違いない。その風は、大地にちょこんと顔を覗かせた茗荷の芽が放つ奥床しげな芳香を、私の鼻腔に運んでくるだろう。私は立ち止まり、深呼吸する。胸一杯に吸い込んだ大気に含まれた茗荷の香りは、私を陶然とさせることだろう。私はきっと、涙を流す。私の長い旅は、いまようやく終わった。私は、還るべき場所へ、ついに還ってきたのだ。茗荷谷。谷を覆う一面の茗荷。
 一面の茗荷。
 一面の茗荷。
 私は大地にがっくりと膝をつく。安堵のあまり、崩折れる。積み重なってきた疲労から、凝り固まってきた困憊から、不意に解き放たれる。
 解放された私は、幻影を見るだろう。
 茗荷の草原の中から、乙女が現れる。か細い両腕で大きな竹笊を抱えている。竹笊の中には、どっさりと茗荷。満載の茗荷。
「採れたての茗荷よ」乙女は微笑んで、その笊を私に差し出す。「思う存分、食べてね」
 って、茗荷が好きと一言で語れば済むのに、私はなぜこんなにも無駄に言葉を費やすのであろうか。魔力である。茗荷の魔力である。茗荷に恋心を絡めとられてしまった者は、もはやこの魔力から逃れるすべを持たない。
 茗荷である。しょうが科の多年生植物である。熱帯アジア原産なのだそうである。熱帯アジアさん、ありがとう。熱帯アジアさんのお蔭で、私の人生は実りあるものになっています。
 拙宅では、正月には明賀、お盆には妙雅と呼ばれて珍重されている。平時には世間の慣習に則って茗荷と呼ばれて珍重されている。二日とおかずに食して珍重もないものだが、日々、思いを新たにしながら茗荷に対するのが、茗荷と抜き指しならぬ関係に陥ってしまった無頼の徒としてのせめてもの努めである。
 ましてや今は旬である。珍重の夏である。安価である。冬に比べれば、冥加金は高が知れている。大量に食することになる。
 茄子とタッグを組ませて浅漬け、というのが目下のお気に入りとなっている。ともに細く刻む。塩で揉みこんで三十分ほど冷蔵庫に寝かせて馴染ませる。たったそれだけだが、これがまた、んまい。んまいのである。私だけがそう感じるのかもしれないが、それはそれでいい。私がいかに幸せであるか他人にわかってたまるか、などと無意味に意気込んだりしながら、肩で風を切って茗荷と茄子の浅漬けをむさぼり食うのが私の夏のあり方なのであった。
 あ、よく冷えたビールなんかも混ぜといてね、そのあり方の中に。って、勝手に混ぜろよ、てめえは。ま、てめえは私だが。
 茗荷にまとわりついて離れない風聞のひとつに、物忘れが激しくなるとの説がある。こうした俗説にはなんらかの訓戒が宿っていることになっている。身体によくないからあまり食うなよ、といった先達の教えがこめられている。いったい、どのような弊害が生じるのであろうか。物忘れ云々は脅し文句に過ぎない。大量の摂取は芳しくないはずなのだ。それはなぜか。なにゆえか。
 私は最近、その解答を見出すに至った。
 再び、妄想の茗荷谷に還ろう。私の未来の安寧が眠っている茗荷谷だ。竹笊を抱えた乙女が私を待っている茗荷谷だ。
「君は誰なんだ」
 私は乙女に問いかける。すると、乙女は謎めいた微笑を浮かべるのだ。
「私は、茗荷の精。茗荷好きのひとにしか見えないの」
 乙女は、竹笊から茗荷をひとつつまみあげ、丸かじりする。
「あなたも、おひとついかが」
 乙女は、私の掌に茗荷をひとつ、分け与える。私はむさぼりかじる。がりっと青春、生茗荷。
「おいしいでしょ。うふふ」
「んまいんまい。うふふふ」
 さよう。茗荷を食べると物忘れが酷くなるのではない。幻覚を見るようになるのだ。
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199 98.08.31 「チョキ男の悩み」

 そんな私にだって悩みはある。
 昨日は、昼食のメニューに悩んでいた。カツ丼とひとしきりの悦楽に身を任せるか、親子丼と束の間の穏やかな時間を過ごすか。私は岐路に立っていた。結局私はカツ丼を選択したのだが、定食屋のおばちゃんの「ごめんなさいね~、カツ終わっちゃったの~」との無責任な発言により、急転直下、一時は背を向けた親子丼様の御慈悲に縋ることになった。かくしてこの問題は、「迷ったときには親子丼」という教訓を残して終息した。
 悩みというものは、尽きない泉からこんこんと湧いてくるものである。
 本日の悩みはまだ解決していない。
 あの遊びはなんというのだったろう。その呼び名がわからない。幼い頃によく興じていたのだが、あの遊戯の名称はいったいなんといったのか。
 悩んでいる。思い出せない。深刻な雰囲気を高めるために、眉間に皺を寄せようとしてみた。鏡に向かって、顎に手を当てるといったポーズを取りながらしかめっ面をつくってみたが、どうもうまくできない。天知茂への道は険しい。難しいものである。私の眉間には皺が宿らないようであった。皺に不自由な眉間なのであった。
 しかし、眉間に皺を刻まずとも、悩むことは可能なのである。現に、私は悩んでいる。このとき、私が人でなしであることは考慮してはならない。ここだけの話だが、それだけは内密にしておいて頂きたい。なお、周知のとおり、「ここだけの話」とは、「あなただけが知らない話」と同義である。
 ジャンケンをする。勝った方が何歩か進める。グーで勝つと三歩、チョキ並びにパーで勝ったときには六歩、それぞれ先に進むことができる。そうしてジャンケンを繰り返しながら、どちらが先に目的地に達するかを競う。単純な遊びである。その名が思い出せず、私の悩みは深まっているのであった。
 勝敗の決し方には、コールドゲイムもあった。一方がジャンケンに連勝を重ねていくと、双方の距離は開いていく。そのうちにお互いの手が見えなくなるほど遠去かってしまい、今日も私は負けるのであった。
 さよう、私は往時よりジャンケンには弱い。なぜなら、チョキを出すのが習い性となっているからである。どういうものか、チョキを出してしまう。好きとか嫌いとか理論的にどうこうとかいった問題ではない。出してみると、指はチョキをつくっているのである。そんなになにかを切りたいのであろうか。現代心理学ではバルタン星人願望と呼ばれる深層心理の発露であろうか。いや今のは例によってキイから出任せだが、なぜか私はチョキを出してしまうのである。そうして、堅実にグーを繰り出してくる地に足の着いた人物に敗退するのである。三歩でもいいから確実に勝ちを拾っていこう、少しずつでもいいから前に進んで行こう。そのように考える人物に破れ去るのであった。
 グー、恐るべし。三歩の根拠はグリコである。グ・リ・コ、と三音節だから三歩である。「グ・リ・コ」と大きな声を出しながら、三歩をあるく。しかるに、なぜグリコなのか。子供に親しまれているとはいえ、なにゆえに一私企業が、そうしたほのぼのとした局面に顔を出したのか。謎である。NHKで放映されたときは、なんと言い換えたのであろう。緑の中を走り抜けてく真っ赤なグリコ、は、やっぱりちとまずかろう。いや、そういうことじゃなく。
 やはり、グリコが流行らせた遊びというのが妥当な線か。グリコ提供の子供番組から誕生したのではないか。定かではないが、そう思えてならない。
 なんとなれば、チョキの言い換えである。チョコレートなのである。グリコ陰謀説、あながち的外れともいえまい。チョコレート、それはそれでいいだろう。しかし、なぜ六歩なのか。「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」あるいは「チ・ヨ・コ・レ・エ・ト」で六歩になるのである。間違っているのではないか。「かいじん20面そう」は、ここのところが気にくわなかったのではないか。そういう原体験が彼あるいは彼等をして、非道へ赴かせたのではないか。
 まず、長音「ー」である。長音は単独では機能しないことでその孤高の地位を築いてきたわけだが、どうしたものか、この遊びにおいては強引に「イ」又は「エ」に置き換えられてしまうのであった。なんにせよ、特に目くじらを立てるほどのことではない。無理に発音しようとすれば、そうならざるをえない。殊に、「イ」については、「ー」よりも原音に近いものと思われる。
 問題は、拗音「ョ」である。なぜいきなり「ヨ」に昇格するのか。チョコだったものが、いきなりの千代子である。二音が三音に増えてしまうのである。猪口才である。いったい、どこの千代子なのか。「チョ・コ・レ・イ・ト」が正しいのではないか。幼い私はたいへん不合理に感じていたものである。しかし、口に出すことはなかった。なぜなら、私がジャンケンに勝つときは、相手はパーを出しているのであり、この余分な一歩の恩恵を多分に享受していたのである。千代子さん、あのときはありがとう。
 更には、促音「ッ」さえも、この遊びにおいては謎の変貌を遂げていた。パーはパイナップルに変換されていた。慣例に従い、「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」と、これも六歩を得る。「ッ」の巨大化である。大きい「ツ」である。大津である。津ではない。ともに県庁所在地ではあるが、滋賀と三重ほども異なってしまうのだ。甲賀と伊賀の暗闘の歴史もあり、事態は複雑化していくのであった。
 だいたいが、パインとアップルからの造語である。アップルがアツプルになっては、あまりに情けない。林檎の清涼感が掻き消え、唐突にあつぷるしくなってしまうのである。あ。しまった。いまの駄洒落は不用意であった。なかったことにしてもらいたい。反省している。自己嫌悪にも陥っているが、いま私はそれを必死に押し隠して、懸命に堪えているところである。
 なぜ私はこうも粗忽なのであろう。悩むところである。
 この瞬間から悩みの内容が変わってしまったが、私は心が狭いので一時にひとつの悩みしか持てないのである。
 遊びの名前? どうでもよいではないか、そんな些細なことは。

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200 98.09.02 「Midnight Bourbon」

「いやあ、やっぱりバーボンには、せめて市販のロックアイスじゃないとね」
 そんなふうにうそぶいたところ、鼻で笑われた。からからと、手にしたオールドファッションドグラスに音をたてさせながら、呆れた口調ですかさず切り返された。
「なに言ってんのよ。ホワイトに冷蔵庫でつくった氷を入れて、おいしそうに呑んでたくせに」
 こちらの過去を知っている人間にはかなわない。二十年も昔の話を持ち出されても困るのである。
 若気の至りは誰にでもあるだろう。その頃、バーボンは小説に出てくる架空の酒でしかなかった。ホワイトあたりの街角で、満足以上の悦楽を得ていた。
「恥ずかしい過去に触れてはいかん」
 こちらもグラスをくるくる回し、からから返し。しかし、難問がある。貯えておいたロックアイスがそろそろ尽きるのである。
「音がいいのは認めるわよ。いいよね、この音」
 からんからん。
「そうだよなあ。冷蔵庫の氷じゃ、こんな音は鳴らないもんなあ」
 からんからん。
 しかるに、この音がそろそろ尽きる。冷蔵庫の冷凍室には、水道水を固体化せしめた物体はあるが、これはあまりいい声で鳴いてくれない。
 すぐ近くにコンビニエンスストアはある。数分で新たなロックアイスを入手できる。が、せっかくの夜を中断するのも味気ない。世間一般の常識からすれば、お互いにタイトロープの上にいるのである。
「家庭用冷蔵庫の冷凍室でつくった氷は、ちゃらちゃらって鳴るからなあ。しゃらしゃらって聞こえることもある。バーボン呑んでるんだからさ、それはないだろう」
「精密に表現するわね」
「癖だから」
「それが敗因だったみたいね。私にしてみれば」
「余計なことを考えてたからもんだからさ」
「癖で?」
「性分だから」
「言い換えれば済むと思ってるでしょ」
「思ってる」
「敗因だらけね」
 くすくす笑っている。ま、歴史上の出来事である。
 歴史だから、覆らない。
「あの頃は、二人でバーボンなんて呑んだことなかったもんね」
「なんたって、ホワイトだから」
「ホワイトだったもんね」
「ビンボ~だったなあ」
「今は?」
「ピンポ~くらいになったかな」
「おいおい。って、可哀想だからツッコミ入れておくわ」
 おいおい。
「なくなっちゃったわよ、ロックアイス」
 空のグラスを掲げやがった。ついに出番か、水道水の氷。こちらのグラスにも補填せねばならない。
「乾杯」
 水道水のアイスキューブでいっぱいの、ふたつのオールドファッションドグラス。中身はバーボンと氷。氷の氏素性は水道水。
「氷は氷だから。お望みのロックアイスにはなれなかったしな」
 いや、望んじゃいなかった。よくわからなかっただけだ。
 つまるところは、双方ともに酔っ払った。
「なんで、こんなとこにいるのかなあ」
「こんな、とはなんだ」
「だって汚いわよ、この部屋。ちゃんと掃除してないでしょ」
「いやあ。わはははは」
「してないでしょ」
「いやあ。わはははは」
「どうでもいいけど、日付が変わりそうよ。どうするつもりなの、このあと」
 それは難問である。私が決めろ、と、その眼が語っている。
 さあて、どうしようかな。中学生の子供がいるくせに、なに言ってんだろ。

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