『雑文館』:96.05.07から96.06.21までの20本




021 96.05.07 「駄洒落自動契約機」

 あらゆることがそうなのだけれど経済についてもこれまた門外漢なので、その業種をどんなふうに呼んでいいのかわからないわけです。貸金業、っていうのかな。そんな気がするんですけど、自信がないです。プロミスとかアコムとか武富士といった企業のことですね。ナニワ金融道をちゃんと読んでおけばよかったなあ。サラ金という死語もありますが、どちらかといえば高利貸しという死語のほうが雰囲気が出るので、ここでは高利貸しと称してみます。怒られそうだなあ。怒らないでね。私は単に頭が悪いだけで、悪気はないんです。根はいい奴なんです。あ、いやいや、あんまりいい奴じゃないかもしれないんだけど、許してお願い。
 このゴールデンウィーク(以下、「ゴウ」と略す。)の新聞紙上で、やけに高利貸しの広告が目立ったように思うんですが、いかがでしょうか。銀行もお休みなのでチャンスなんでしょう。よんどころない事情でとつぜん現金が必要になってしまうひとは、どうしたって、いるからなあ。
 そこで自動契約機の登場です。銀行のATMのような面構えをしていながら、借金の契約をこなしてしまうスグレモノです。誰にも会わずに現金を借入することができる、と、各社がんばって宣伝しています。カードが発行されちゃうんです。受付の女の子に自らの貧相なフトコロ事情を吐露する必要がなくなったわけです。プライバシーが守られるんですね。もちろんプライバシーの保護なんて幻想なんですが。
 この、自動契約機が笑えるんですね。名前が。ひとつひとつをとってみれば他愛ないネイミングなんですが、まとまると変なんです。高利貸しによるダジャレの競演。私は、さっそく蒐集活動に没入したですよ。元気になってね山本晋也。
 困ったときはスポーツ新聞を読め、という先祖代々の格言に従って、私はスポーツ新聞を購入してきました。いやまあ、そんな家訓はないですけどね、スポーツ新聞の辺境方面を熟読しました。
 あるあるるる。高利貸しの広告が氾濫してます。採集結果は、こうです。いらっしゃいまし~ん、お自動さん、ひとりででき太、むじんくん、¥en結び、受付じょうず、ひタッチくん。これ、ぜんぶ、高利貸し機関が設置した自動契約機の名前です。圧倒されちゃいますね。そんなに、そんなに、そんなにも、ダジャレを言いたかったのか、高利貸しギョ~カイのみなさんは。私もダジャレは好きです。聞きますよ~、ウケつつ。
 よーろっぱ方面の言語がちらついてないとこに、まず好感を覚えますね。基本的にはどれもニホンゴを使ってる。ここまで出揃うと、いかにもなにかそれらしい背景がありそうですが、なんにしろ結果的には笑えるので私はたいへん嬉しいです。
 だからって、借りないけどね。
 たとえば銀行のATMが管轄銀行毎に固有名詞を与えられるという事態はありえないですよね、たぶん。やればいいと思うんだけど、やらない。やったら、不都合が多いから。汎用性という効能が崩れちゃう。
 その点、汎用性の呪縛から解放されてる高利貸し諸兄のセンスは冴えてます。ただ単に競ってます。ネイミングという最後のどうでもいい砦にこだわってます。いいなあ。みんな借りてやれよ、と、エンもユカリもないんですが思わずお勧めしてしまいます。変な名前ですけどね、幾多の会議を経てそのような命名に至った苦難の歴史があったのです。きっと。そういう名前じゃないと、誰も借金してくれないんですね。わかってます。わかってますとも。ま、勝手に解釈してますが。
 あ、しまったしまった。せっかく略したのに使ってないじゃないか。ゴウ。よし、これで義理は果たした。
 じゃ。(と、しんちゃんの物真似をしてみたのだが、わかっていただけただろうか。心配だ。わかってくれとは言わないが~、そんなに俺が悪いのか~。歌ってどうする、いいかげんにカッコを閉じろ。はい、閉じます、ぎざぎざハートのこもりうた~)
 ぎざぎざ、って、変な語感だな。ま、いいけど。

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022 96.05.11 「佐賀の逆襲」

 「ネコを上回る切れ者と評判を呼んで」しまったのは、佐賀県三養基郡在住のシベリアンハスキー、テツである。本日の毎日新聞が「くわえてくるならボクの方が得意」という、なんともはや味わい深い見出しでそう報道している。大口を開けた御本犬の写真入りだ。雄・4歳のテツは、現金46万円入りのバッグを拾得したのだそうである。まいったなあ、評判を呼んじゃったかあ。評判を。ネコを上回る切れ者だって。切れ者ときたかあ。切れ者。いやあ、自然に口元が緩んでしまうな。
 この記事は書き出しからして埼玉県及びネコへの対抗意識が過剰で、全体的に妙におかしげな雰囲気が漂っている。のっけからいきなり「埼玉県ではネコが16万円入りのビニール袋を見つけたが」と、きたもんだ。比べてどうする。後半では「ついに“口”にした成果は、埼玉のネコが拾った額のざっと3倍」という記述もある。埼玉県民と愛猫家を挑発しているかのようだ。
 もっとも、佐賀サイドの気持もわからないではない。「テツがバッグを見つけたのは先月10日のこと」なのだ。「埼玉のネコ」より前のことなのだ。こちらの方が先に話題になってしかるべきだったのだ。しかし佐賀県警広報担当の不見識か、はたまた佐賀支局社会部の怠慢のせいか、テツの拾得事件に誰も関心を払わなかった。「埼玉のネコ」が鮮烈なデビューを飾るまで、佐賀サイドでは誰もこの事件の持つ価値について考えることはなかったのだ。初戦の敗因はこのあたりにあろう。それにしても「埼玉のネコ」と繰り返して書いていると、もはや固有名詞のような気がしてきたな。
 記事中には、他にも味わい深い記述がちりばめられている。テツは「これまでにも空き缶やティッシュ、菓子の袋などをくわえて持ち帰ることはあった」そうである。単なる馬鹿犬ではないか、とも思える。しかしそうではないのだ。テツは「1年近く現場周辺を用を足しつつかぎ回」っていたのだそうである。地道な蒐集活動には、なにやら大望があったようなのだ。そう読み取れる筆致なのだ。いつの日か大物を拾得する確かな予感がテツにはあったに違いない。ねえか。用を足してるようじゃ。
 この記事は周囲の感想をも伝えているのだが、その書きっぷりがこれまた奇妙だ。まず、「家族」の証言。「こんなに役に立つものは初めて」。ついに犬がしゃべったのか、こっちの方が大ニュースではないか、と思ったが、どうやら違うらしい。これはテツ自身の家族ではなく、飼主ということのようだ。犬には現金が役に立つとも思えないので、きっとそうだ。バッグを届けられた鳥栖署員は「あの粘りは見習わんと」と「感心している」そうである。一個人の軽口をいちいち報道するなよう。ま、これはこのテのほのぼの記事に共通するフォーマットだが。
 さて、問題は今後だ。3匹目のドジョウを狙う人々の戦いが注目される。金銭を拾得したペットは有名になるという共通認識が、本日をもってめでたく誕生したのだ。「ウチのミ~コちゃんは145万円も拾いました」とか「いや、ウチのポチなんかは248万円です」などといった声が、本日以降、全国津々浦々から関係各機関に通報されるのだ。金銭闘争の他にも種族闘争が考えられる。「ウチのは8万円しか拾ってないんですけど、こいつが実はアライグマなんです」その他、ネズミ、ウシ、トラ、ウサギ、リュウなど。
 みなさん自腹を切るのでたいへんである。

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023 96.05.18 「皐月の寒い夜に」

「ねえ、あなた、明日も寒いと思う?」
 うむ。寒そうな気もするが、わからん。それにしても、5月とは思えないな。
「コホン。わたしは、ほんじつ、気候と家計の関連について舌鋒鋭く論じてみたい、と、思っているわけなのです」
 いきなり家計が出てきたか。
「この不順な気候によって、御存じのようにファンヒーターが稼働しているわけです」
 存じてます。
「一方、灯油のポリタンクが空であるという現状にも、わたしたちは目を向けなければなりませんっ」
 まあ、次の冬までは購入することもなかろう。ちょうどいいんじゃないか。
「わたしもそのように事態を軽視しておりました。しかし、そのような楽観論は放棄せざるを得ない状況となったのです。事態は急変しました。わたしたちは、ただちに決断せねばなりませんっ」
 なにを決断するの。
「今この瞬間にファンヒーターのスイッチを切るかどうかという、誠に重い決断です。わたしたちは今、岐路に立たされております。冷徹に未来を見通し、切迫した現実を直視し、自らの全存在を賭してこの過酷な選択に立ち向かうことこそ、急務といえましょう」
 ええと、それはつまりファンヒーターの燃料タンクが空になるのも間近、ということなのかな。
「いかにも。いかにも、その通りです。よくできました」
 誉められちゃった。
「さあ、いかがいたしましょう。可及的速やかな御決断をっ」
 そう、急に迫られてもなあ。灯油だけに頼った暖房生活は失敗だったかなあ。
「悠長に過去を振り返っている場合ではありません。もっと寒いかもしれない明日に備えアリとなるか、明日のことを考えるのはやめてキリギリスとなるか。さあさあ」
 今夜は灯油が尽きるまでヒーターをつけておいて、明日になったら灯油を買いに行く、というのはどう。
「無駄です」
 にべもないなあ。
「この寒さが長くは続かないことは明らかです」
 そりゃそうだけどさあ。
「さあ、決断の刻です。果断なる御措置を」
 あのさあ。
「はい」
 おれ、どっちでもいいや。
「は」
 よく考えてみたら、そんなに大した問題じゃないし。
「それでは、わたしが決断してよろしい、と」
 うん。
「わたしの決断に従う、と」
 いいよ。
「異議は唱えない、と」
 となえませえん。
「わかりました。それでは、明日のために、ただちにファンヒーターを止めましょう。すると、寒くなります。寝ましょう。布団のなかに入りましょう」
 おれ、眠くないけど。
「それは好都合です」
 あっ。
「ゑへへへ」
 そ、その展開は、読めなかった。

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024 96.05.22 「迷走のスーパー」

 あれから一ヶ月、心の傷もようやく癒えました。スーパー大黒屋特製のかごは洗濯物を満載して今日も活躍しています。
 私は今日もスーパーで買物をしました。スーパー、とはいったいなんであろうか、と考えました。超、じゃないすか超。直訳すると、超、なんです。たかが超なんです。馬鹿じゃないでしょうか。チョーだって。釜山港に帰るのが関の山です。
 あ。傷がぜんぜん癒えていないのを暴露してしまった。こらこら。だから、強がっちゃだめだっていうのにぃ。めっ。
 で、まあ、まだ胸は痛むんですが、スーパーです。またまたスーパーが舞台になってしまうのです。生活臭を漂せてしまって申し訳ないです。
 突然ですが、あなたはスーパーで謎の足跡を残していることはありませんか。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、思いつくままに無駄な動きをしていることはありませんか。昨今の家計に関する緻密な計算、今夜の献立に対する周到な計画、自らの消費活動を鑑みた長期的な展望、といった様々な経済事情に思いを馳せることなく、行き当たりばったりに買物をすることはありませんか。
 私はあります。あります、どころじゃなくて、毎回そうなんです。馬鹿なのでしょうがないんですが、情けないったらありゃしません。
 スーパーの商品配置は計算しつくされていて、まず青果方面に誘導されることになっています。その後、鮮魚、精肉へ続くという黄金コースがあるわけですが、私は生来のあまのじゃくなのか、どうしても用意された誘導路に従うことができないんです。スーパーにおける落ちこぼれなんです。学生諸君はまだまだ未来があるので落ちこぼれとなっても救いがありますが、いいトシをしてこともあろうにスーパーで落ちこぼれちゃうとなると、これはもうどうしようもありません。救いようがないんです。決められた道を歩めない。落伍、頽廃、破綻、転落、絶望、といった方向へ止めどなく流れてしまうわけです。
 具体的には、このような次第です。
 お。大根が安いな。買お。で、この大根、どうしようかな。サラダと漬物と煮物、ま、こんなとかな。んと、サラダね、ドレッシングがなかったな。どこに置いてあるんだっけ。どこだどこだ、あ、ここにあったのか。ふむ。中華ドレッシングにしようか。そういや、カイワレなんかも乗っけてみようかな。野菜方面へあともどり。んんと、次はなんだ。漬物か。そういや、塩が少なくなってたな。どこに置いてあるんだっけ。ええとええと、ああ、ここか。おっと、ミョウガもいるよな。あともどり、あともどり。うわあ、ミョウガはやっぱり高いなあ。でも、買う。次はなんだっけ。煮物か。鶏肉と合わせようかな。そうしよう。どっちだ。ああ、ここか。あ。この手羽先は安いな。買お。ってことは、切らしてた黒コショウも買わなきゃ。どこだどこだ。ん。ここか。あ。なんだなんだ。粒コショウがないじゃん。あ、待て待て、煮物用の鶏肉だ。ええと、それはどこにあるんだ。おや、この醤油はやけに安いじゃねえか。買お。そういや、牛乳がなかったな。どこだっけ。ここか。あ、いけね、鶏肉だ。いいかげん、疲れてきたな。そうだそうだ納豆も買わなきゃ。それから、パン。あ、マーガリンも。あ、そうそう、ゴミ袋がもうなかった。あ。だから鶏肉だってば。そういや、大根も買わなきゃ。いや、待てよ、そもそも鮭の切り身を買いに来たんじゃなかったっけ。
 頭のなかが大混乱になって、あっちへ行ったりこっちへ行ったりそっちへ行ったり、そのうちにどっちへ行っていいのかわからなくなっちゃう。誠にもって大騒ぎとなってしまうのです。
 傍目にはほとんど法則性がないんでしょうね、きっと。無駄な動きばっかり。ブラウン運動をするスーパーの中の私。自分が次にどの売り場に行くか、考える頭がないんです。翻弄される迷走台風。ようやくレジに並んだと思ったら、買い忘れたものを思いだして、またまた流浪の旅へ。パドルに弾かれるピンボール。疲れます。
 あなたも、スーパーにおいて人生の歩数を無駄に消費していませんか。私はしています。なおりません。この無駄な歩数の総計は、実に東京・大阪間に匹敵する距離に相当すると、私は思い込んでいます。なにしろ、馬鹿だから。
 そうして、くたくたになってスーパーを出るわけですが、こらこら、だからカゴを持ち出すなというのにっ。

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025 96.05.24 「そうだね、京都に行きたいね」

 JR東海の「そうだ、京都へ行こう」シリーズのテレビCMが放映されていない地域にお住まいの方には申し訳ないです。あれは関東でしかやってないかもしれませんね。ターゲットがもろに関東なので。要するに、東海道新幹線に乗って京都に観光に来てね、と言ってるわけです、JR東海が。京都の史跡の映像とともにそれらしいメッセージが語られ、「そうだ、京都へ行こう」とキメる。BGMは、「サウンド・オブ・ミュージック」より「マイ・フェイバリット・シングス」。最後にJR東海のロゴが出てきて、ジングル調にその企業名がアナウンスされる。ってのがパターンです。
 だいたい、京都というのは観光地の大御所で、あ、いや、大御所は京都のひとに怒られそうだな、ええと、太閤でもないし、ま、この列島でいちばんの観光地だと言いたいわけです。春の京都、夏の京都、秋の京都、冬の京都、どれもその四文字だけで堂々としたコピーになっちゃう。梅雨の京都だって、ハマっちゃう。かなわない。こんな観光地、他にないですよ。
 しかし、ほおっておいても観光客が来るかというと、そういうわけでもないらしく、観光地京都の恩恵を受けているJR東海としては、潜在的な顧客の発掘に余念がないわけです。「そうだ、京都へ行こう」。たしかに、行こうかな、と思いますよ。
 カネがあれば。
 行きたいですよ。
 でも、カネが。
 ないんだってば。
 ま、私のフトコロ具合はどうでもいいんですが、このコピー、ずっと使われてます。名作なんでしょう。「Discover Japan」以来のヒットですね。言ってることはおんなじです。再確認というアプローチ、効くみたいです。京都は、いちど行ったことがあるから、いいや。とは、言いにくいもんね。
 で、このシリーズ、そろそろ衣更えしてもいいんじゃないか、と提言するものであります。コピーはもちろん変えません。いつまでも過去の遺産に頼っていてもしょうがないだろう京都、みたいな~。
 会社の上層部とやりあっている長髪カーリーの男。現場を任されていたが、ソリが合いそうもない直属上司がやってくると聞いて、猛反発。じかに上層部にねじこんだもののラチがあかないので、辞表を叩きつける。変なアクセントで、「こんな会社、辞めてやるっ」。フェイドインする「マイ・フェイバリット・シングス」。場面は一転。高層ビルを背景に、その男がネクタイを外し、放り投げる。ひらひらと舞う緑色のネクタイ。男は、青空を見上げ、またまた変なアクセントでつぶやく。「そうだ、京都へ行こう」。
 やってくんないかなあ、JR東海とラモス瑠偉。今だったらハマると思うんだけど。
 最も必要とされないプレイヤーが最も必要とされるチームに移籍した、という点で、これ以上効率的な移籍はなかったわけで、いいと思うんだけどなあ。
 任天堂も「ラモスのエキサイティングサッカー」とかなんとか、そこそこ売れそうなサッカーがらみのゲイムソフトをひとつ販売できるようになったわけで、よかったですね。
 それにしても、京都~大阪間の立場はどうなってるんだろう。

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026 96.05.27 「あるサッカー観戦記」

 ユーゴスラビアから研修に来ているサヘケビッチさんが、昨日の昼過ぎに一升瓶を抱えて我が家にやってきた。サヘケビッチさんではないのかも知れないが、彼の発音は私の耳にはそのように聞こえてしまうので、彼は私にとってはサヘケビッチさんなのだ。ちなみに、他の同僚達はそれぞれ、サスレビッチ、ハノベビッチ、サノメビッチなどと好き勝手に呼んでいて、サヘケビッチさんはカタカナ流浪人となっている。本人が、なんとでも好きなように呼んでくれぃ、と豪快に笑い飛ばすだけなので、なかなか統一されないのだ。
 サヘケビッチさん来訪の意図はサッカーだ。キリンカップ・サッカーを一緒にテレビ観戦しようという趣向なのだ。先般、サヘケビッチさんお気に入りのイザカヤというところで、これもサヘケビッチさんお気に入りのニホンシュというものを飲みながら語り合っていたところ、お互いにサッカーファンであることが発覚した。折り良く両国代表が激突するというので、酒でもくらいながらアイコクシン剥き出しで応援しようではないか、と衆議一決して、日曜の午後を迎えたのだ。
 問題はある。我々は意思の疎通をするのに、たいへんな苦労をしなければならないのだ。サヘケビッチさんは日本語を話せない。私は自慢じゃないが、日本語の会話には不自由しない。ま、ちょべりば、などと口走る方々と話すときには不自由するが。ちょべりば、の意味およびその解説を初めて聞いたときは、私、頭を抱えましたよ。サヘケビッチさんと話してたほうが楽だ。この場合、英語が使われる。サヘケビッチさんの英語は海外研修をするだけあって、まったく問題がない。私の英語は大問題だ。ただひたすら単語を並び立てる。ヒアリングは壊滅状態。ジャルパック英語なのだ。かといって、お互いの母国語を理解できないのだから、英語に頼るしかない。結果的に、何度も訊き返す、ゆっくり喋る、身振りをまじえる、目を見る、心理を読む、といった先人が残した様々な手法を総動員して、相互理解を深めていかねばならない。大騒ぎなのだ。
 もっとも、双方ともに酩酊した場合は話が違う。ツーカー、ってやつですか。お互いに何を言ってるのかすぐわかっちゃう。まったくもって、酔っぱらいってやつは、なあ。とはいっても、この手法は翌日になるとなにひとつ憶えていないという副作用を伴うので、実際にはなんの役にも立たないのだが。
 我々はキックオフとともに、がんがん呑み始めた。迅速な相互理解のために。
 サヘケビッチさんがいきなり、オカノは出ていないのか、と、つぶやいた。彼は漢字を読めるわけではないので、フィールドの映像だけでそのような疑問を抱いたもののようだ。ニッポンサッカー事情に詳しいらしい。侮れない。私は緊張した。
 彼は、今日は我々の負けだね、とも言う。なぜか、と訊き返すと、賭けているものが違う、とのお答えだ。君達にはワールドカップの開催がかかっているじゃないか、とサヘケビッチさんは断言するのだ。どんなことがあっても負けるわけにはいかないだろう、と。ワールドカップというものの意味や価値が、DNAレベルで刷り込まれているとしか思えない。
 この短い会話をしただけで、キックオフから10分ほど経っている。問い返すことに多くの時間が費やされてしまうのだ。生産性の低い会話なのだ。その間、呑む手も休まない。
 どんどん呑んだ。
 どうして、なんたらッチってひとばっかりなの。私は、なんの気なしに訊いてみた。ストイコビッチはもちろん知っている。サビチェビッチも、知っている。他は知らなかった。しかしまさか、ほとんど全員がなんたらッチだとは思わなかった。
 FWは佐藤と江藤、MFは斉藤と工藤と後藤と伊藤、DFは加藤と武藤と安藤と須藤、GKは内藤。翻訳すると、こんな感じかな。そういうチームだったのだ、ユーゴスラビア代表は。藤原一族の陰謀チーム。
 サヘケビッチさんの回答は謎めいていた。カタコトの日本語だ。「こんなもんだっち」
 冗談なのであろうか。深すぎて、わからない。サヘケビッチさんは、けたけた笑っている。
 そうか。ならば、こちらも冗談で対抗するしかあるまい。
 このくににも、同じような苗字はあるのだぞ。モンチッチ。この家系は先祖が猿なのだ。なに。人類はみなそうだって。うそつけ。おれは違うぞ。
 ミナシゴハッチはどうだ。この家系は不遇で有名だ。マッチというのもいる。歌って踊れるレーサーだ。チッチってのも凄いぞ。恋人のサリーが魔法使いなのだ。デッチも味わい深い。代々、奉公に出る家系だ。
 というようなくだらないことを口走っていたら、前半が終わってしまった。横目でテレビの画面を見やりつつ、サヘケビッチさんに渾身の冗談を理解して頂くべく、狂乱の身振り手振りと初歩的な英単語の乱れ打ち。疲れ果て、酔っぱらった。特に、奉公という概念の説明に20分ほどが費やされたのが痛い。
 なにをやっているのだろう。
 ハーフタイムにすこし冷静になり、反省という崇高な精神活動が導入され、正しい応援をしようということになった。
 後半は、サヘケビッチさんと私の間に言語的交流はほとんど生じなかった。そもそもどちらも、ほとんどまともな言葉を口にしなかった。双方の口から発生したのは、歓声、絶叫、嘆息、哄笑、罵声などであり、双方の喜怒哀楽を足すと常にプラスマイナス0となった。一方が悲嘆に暮れると、もう一方は快哉を叫ぶ。
 そして、日本代表は勝った。
「サノバビッチ!」とサヘケビッチさんは吐き捨てた。ひょっとして、それが本名ではないのだろうか。拳を突き上げながら、私の脳裏にそんな思いが掠めた。
「モリシマとナナミにやられた」というのが、サヘケビッチさんの見解である。
 その後、したたかに呑み、深夜になってサヘケビッチさんは帰宅していった。彼の研修期間は近々終わり、帰国の時が近づいている。そうそう一緒に呑む機会もない。いろんなことを喋ったのだが、例によって記憶がない。帰りがけの言葉しか憶えていない。
「また、来るよ。代表と一緒にね。今度はスタジアムで同じことをしよう」
 2002年に、ってことらしい。6月1日が過ぎたら、英会話を習いに行かなければならないかもしれない。
 あと5日。

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027 96.05.27 「訪れた観光客」

 訪れた観光客、という人種が、唐突に出現する時間帯があります。
 日曜日の夕方から深夜にかけて現れますね、この方々は。舞台はニュース番組です。映像のなかでのみ存在するのが特徴となってます。この人種は不特定多数であり、あなたにも私にもそうなる資格はあります。
 こんなふうに登場しますね、たいがいは。「ぺろぺろ県ぐちゃぐちゃ町では、てらてらの花が今を盛りに咲き誇っています。ここ、町営てらてらの里では、園内に植えられた二万株のてらてらが、去り行く春を惜しむように可憐な姿を見せています。折からの好天に恵まれ、訪れた観光客は、色あざやかな様々なてらてらを眺めながら、夏の足音を感じとっていました」。
 あるいは、「ぐずぐず県ぱくぱく市では、ふにゃふにゃ祭りが催されました。ふにゃふにゃ祭りは室町時代の中期から伝わる伝統行事で、訪れた観光客は、でれでれするぽこぽこに扮したひらひらの妙技に盛んな拍手を送っていました」。
 更には、「だらだら県のごにょごにょ川では、初夏の風物詩、ぴこぴこ漁が解禁となりました。折から訪れた観光客は、網に掛かってげらげらするぴこぴこの姿に、興奮した面持で歓声をあげていました」。
 ま、そんなこんなで、明日は月曜日かぁやだなぁと消沈している視聴者を前に、訪れた観光客はなにやら能天気な所業を展開するわけです。さすがは、訪れた観光客です。他にも、訪れた観光客は「舌鼓を打っ」たり「春の一日を堪能し」たり、その定型句に貫かれた突飛な行動原理はなんともはや隅に置けないのでした。
 実際には、訪れた観光客を構成する方々にはそれぞれの事情があって、様々な人生模様があるわけです。「家族サービスもやってらんねえよな、こちとら残業続きで疲れてるんだ、はやくウチに帰って眠りたいよ、とほほ」と内心で嘆きながらも、にこにこしているおとうさんがいますね。「なによ、こんな変な祭りに連れてきて、馬鹿じゃないの、あたしは映画を観たかったのよ、もう」と心のうちで毒づきながら、にこやかに微笑むおじょうさんもいます。いろんなひとがいるわけです。
 しかし、テレビカメラはそういう個人の集合体を、強引に一括して、訪れた観光客へと変貌せしめてしまうんですね。
 その映像を取材したスタッフは、局へ戻る車内で愚痴をこぼしてるんでしょう、きっと。昂揚しないだろうからなあ、そんな取材。それを伝えるニュースキャスターの口調も棒読み状態ですね、たいがい。決まり文句の切り口上という、彼もしくは彼女のジャーナリスト魂を萎えさせずにはおかない原稿を飽き飽きしながら読み上げてます。
 日曜日の日没後は、みんな疲れてる。撮った方も撮られた方も。伝える方も、伝えられる方も。観る方はどうかというと、やっぱりこれも疲れてるわけで、ぼさっと、どうでもいいニュースを眺めてる。元気がいいのは、テレビ画面の中にいる訪れた観光客だけなのかもしれませんね。ほんとは元気じゃないのかもしれないんだけど。
 つまるところ、ああいうニュースの需要がよくわからない。強烈な需要はまずないですよね。でも、あののどかでどうでもいい映像と紋切り型フレーズの乱打は、やっぱり日曜の夜の風物詩としかいいようがないですよ。週に一度の出来事を風物詩とはいわないだろうけども。受動的な需要、消極的な供給。どちらも確実にあるんですね。
 様式美。あ、これですよこれ。そうそう、様式美ですね。
 もう、それだけで、美しい。
 となると、このスタイルは、いろんな場面で使っていただきたいですよ。
 「東京都千代田区では、通常国会が開催されました。国会はこの地方に伝わる伝統行事で、折から訪れた国会議員は、さかんな野次を送っていました」。
 「千葉県市原市では、暴走族が今を盛りに駆け抜けています。色とろどりの衣装を身にまとった地元暴走族の皆さんは縦横無尽に走り回り、初夏の一夜を満喫していました」。
 こういう投げやりな報道、やってほしいなあ。
 「茨城県取手市の中学校では、恒例のいじめが始まっています」って、おいおい、こんなこと書くと村八分になっちゃうので、うやむや~と呟きながら、去ることにしましょう。じゃ。

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028 96.06.02 「鬱憤をこらえきれずに」

 林投手、というのは韓国の延世大の学生で、ハヤシさんではありません。リンさんです。かといって、下の名前がトウシュさんというわけでもないのでややこしい。投手とは野球なるスポーツの一種における守備という一局面での一選手の位置を示しておるわけで、そのような実はたいへん細かい分類がなぜか一個人の肩書として通用しちゃう状況ってのは、考えてみると不思議です。野球、浸透してるんですね。だから、この林仙東さんの就職問題が騒ぎになっちゃう。
 韓国野球界とダイエー・ホークスの間で花いちもんめをやった結果、本人が入団したかったダイエー・ホークスに行けなくなっちゃったらしいんですね、どうも。よく知らないんですが、林さんの単純な希望は叶えられない仕組みになっているらしいんです。自分達でつくって自分達で使うルールなんだから、FIFAみたいに事情に応じて好きなように変更すればいいのにね。ゑ? そもそも、ルールがなかった? あ、そうなんですか。そりゃまた、まぬけでしたね、どうも。
 それでまあ、林さんは「やけ酒」を飲んじゃった、らしい。「ダイエー入りできず、うっぷん」とかいう小見出しを従えて、「林投手やけ酒、壁殴り骨折」とかいう見出しが、本日の毎日新聞朝刊に踊っております。謎めいたスタンスです。面白がってるみたい。は? そんなふうに感じてしまうのは私だけなんですか。あ、そうでしたか。たははは。
 でも、ソウル支局の中島記者が書いた記事には「やけ酒」なんて言葉は出てこないんですよ。中島さんは「31日夜から延世大学近くで酒を飲み、うっぷんをこらえきれずに右こぶしでを壁を殴りつけたという」と伝えています。飲酒と鬱憤の放出との関連性は触れていませんよね。こういうのは「やけ酒」っていうのかなあ。私、ちょっと疑問です。「けっ、やってらんねえよな、酒でも飲むか」というように飲酒の動機が明白なのが「やけ酒」だと思ってたんだけど、違うんでしょうか。この中島さんの記事だけでは酒を飲み始めた状況がわからない。伝聞だし。はじめは和やかに楽しく飲んでたかもしれないよなあ、と私は思ってしまうんです。
 結果から判断して「やけ酒」と決めつけちゃっていいのかなあ。
 もっとも、こういった当て推量による心理描写のない記事ってのはあまりないですけどね。新聞は好きだもんね、心理描写が。たとえば、この記事の隣にはサンディエゴで銃殺された父子の葬儀の報道があって、「悲しみを新たにしていた」とか「声を震わせた」とか定番フレーズのてんこ盛り。報道される葬儀は、必ず「しめやかに営まれ」ます。ま、読む方も心理描写がないと物足りなく感じてしまうんで、しょうがないんでしょうけど。
 林さんは右手小指を骨折して、全治4週間。アトランタオリンピック出場は難しいようです。

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029 96.06.03 「探偵は肩をすくめてみせて」

 俺の名は官兵衛。茨城の片田舎で探偵をやっている。こんな小さな町にだって俺の仕事はある。どこにいたって人間は愚かで、過ちを犯さずにはいられないものなのだ。
 ドアが開いた。さっそく依頼人が訪れたようだ。
「官兵衛さんっ、今日が何日だと思ってるんですかっ。あと3日以内に払わないと、今度こそ出て行ってもらいますからねっ」
 やれやれ。俺の美学は、永遠にこの大家には理解されないらしい。どこの世界に家賃を滞納しない探偵がいるだろうか。
 俺は肩をすくめてみせた。なぜなら、肩をすくめてみせない探偵はいないからだ。大家は、あてつけがましく派手な音をたててドアを閉めた。己の不動産を自ら傷つけている。人は哀しい生き物だ。
 そのドアがまた開いた。今度こそ依頼人のようだ。
「あたしのバッグ知らない?」ずかずかと入ってきた。「見つからないのよ」
 捜し物か。取るに足らない仕事だ。俺は、内心で溜息をつきながら、机に載せていた両脚を床におろした。
「話を聞こう」
「おとといから見当たらないのよ。もしかしたらここかと思って」
「そう。ここに来ればわかる。俺は凄腕の探偵なんだ」
 女はまじまじと俺を見つめ、やがて言った。「熱でもあるんじゃないの」
「微熱ならある。君の美しさがそうさせるのさ」
 なにしろ探偵なので、リップサービスもしなければならない。
 しかし女には通じなかった。「ばっかじゃないの」
 仕方がない。俺は肩をすくめてみせた。探偵だからだ。探偵は肩をすくめてみせなければならない。
「ビジネスの話に入ろう。前金で2万6千円。成功報酬は2千円だ。期限は今日1日。この条件で請け負おう」
「あのねえ」女は呆れ果てた口調で言った。「いつから探偵になったのかわかんないんだけど、だいたいそんな無茶な料金体系があるわけないでしょ」
「今日び、探偵稼業も不況でね。不服なら結構。お引き取り願いたい。これでも俺はなかなか売れっ子でね。次の依頼人がドアの向こうにいるかもしれない」
 俺は、しわくちゃのゴロワーズの袋からよれよれになった最後の一本を抜き出して、ジッポで火をつけた。つもりだったが、オイルが切れていた。やむなく、二丁目の中華の殿堂「龍華軒」のマッチで、火をつけた。
 探偵に不慮の災害はつきものだ。
「ははあん」とつぜん、女の瞳が輝いた。「わかったわかったわよ。その契約でいいわ。早く、あたしのバッグを見つけて」
「本当にこの契約でいいんだな」
「はいはい、探偵さん」
「俺は仕事が早いんだ」
 俺は机の引き出しからバッグを取り出した。
「やっぱりね」女はバッグをひったくると、素早く中身を確かめた。「いくら入ってたんだか憶えてないけど、たぶん2万6千円、さあ、返しなさい」
 女は、手を出した。
 お嬢さん、せっかちは身を滅ぼすぜ。
「それは前金で貰っといた。約束通り、バッグは発見した。成功報酬の2千円をくれ」
「いいかげんに、探偵ごっこはやめてよ、おにいちゃんっ」
「は、はいっ」
 妹はドスの効いた声で言った。「返すのよ」
「はい」
 俺はがっくりとうなだれ、財布を取り出した。
 結局、貧乏な兄になんら施すことなく、妹は帰っていった。
 俺の名は官兵衛。茨城の片田舎で探偵をやっていた。先々月の家賃を払うためには、まだ、あと2万8千円が必要だ。

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030 96.06.05 「D棟102号室のドア」

 私の部屋はB棟102号室で、D棟102号室の新井さん宛の郵便物が時々迷い込んでくる。たいした手間でもないので直接新井さんの郵便受けに入れてくることにしているのだが、近頃どうも新井さんの様子がおかしい。
 郵便受けはドアに備えつけられていて、必然的に私は新井さんの部屋のドアを目にする。このドアに昨今の新井さんの怒りが反映しているのだ。新井さんには会ったことがないのでどのような人物なのかわからないが、かなり怒っていることはこのドアの現状を見ればすぐわかる。
 以前貼ってあった「新聞の勧誘おことわり」のステッカーがなくなっている。どこにでも売ってるやつだ。こんなの貼って効果あるのかなあ、と思わざるをえない代物だが、やっぱりそうだったようで、役立たずなステッカーは剥がされていた。代わりに登場したのが、ワープロで作成したらしい張り紙だ。「新聞の勧誘員に告ぐ。私は死ぬまでサンケイ新聞を購読し続ける。ただちに立ち去りたまえ」。なんと、命令口調だ。怒ってる怒ってる。しかも、余白に手書きの文字が書き加えられている。「特に、ヨミウリ。俺はナベツネの野郎が撲殺したいくらい大っっ嫌いなんだ!」。こわいこと書くなあ、新井さん。
 まあ、確かに読売新聞の勧誘は入れ替わり立ち代わりやって来て、うっとうしい。あそこはいろんな勧誘組織が独自に動いているらしくて、いろんな人が読売新聞というただひとつの商品を売りに来る。あれ、逆効果だよなあ。その全員が「巨人戦のチケットは誰にでも喜ばれる」という得体の知れない幻想を抱いてるあたりは笑えるんだけど。そんなの、いらないよなあ。一度、「巨人はどうでもいいんだけど、ヴェルディのチケットはないの」と訊いたら、勧誘員、困ってたっけな。
 新井さんの怒りは宗教関係者にも向けられる。この張り紙もワープロで作成されている。「私は神を信じない。仏も信じない。すべての宗教を信じない。救われなくて、結構だ」。毅然としている。「信じない」はすべて倍角だ。あっぱれ新井さん。でも、あの方々は「このような方をこそ、正しき道に導こう」って考えるかもしれないぞ。効果、あるんだろうか。なんたって、あの方々はこちらの話を聴こうとしないもんなあ。謎めいた話をいきなり始める。しかも、自分がどのような人物であるか、こちらから尋ねるまで名乗らない。非礼といえば非礼なのだが、こちらの常識とあちらの常識があまりにかけ離れているので、咎めてみても無駄なのだ。この張り紙も無駄になるんじゃないかな。「この張り紙が見えないのかっ」って怒っても、あの方々には通じないと思うな。
 不動産会社の販売営業担当者も、新井さんの怒りの対象だ。マンションを購入しませんかというやつ。近所に部屋の埋まらない新築物件が数軒あって、この一帯は彼等の有望市場となっているらしいのだ。新井さんの主張は妙に整然としている。「マンション業者の方へ。あなた方の経済状況に対する見通しの甘さのツケを、私のところに持ち込まないで下さい。私は千坪ほどの土地を所有しておりますので、マンションを購入する必要はありません」。この相手には理が通じるので、効果はありそうだ。確かに、逆算すればバブルの頃に計画された建築物には違いない。が、しかし、この張り紙を見てすごすご帰った販売営業担当者から話を聞いた企画営業担当者が「その千坪の土地を当社とともに有効活用してみませんか」と、やって来るかもしれないぞ。新井さん、百坪くらいにしとけばよかったのに。
 以上がワープロで作成された張り紙だが、まだあるのだ。これは手書き。「あ、そうそう。宅配ピザ屋の諸君、君達が配ったパンフレットは見向きもせずに廃棄されておるぞ。無駄なことはやめなさい」。あとから気づいて張り足したらしいが、なにもその気分を律儀に「あ、そうそう」などと表現しなくてもいいのにな。
 このような次第で、新井さんは怒っている。しかし、怒っているばかりじゃないのだ。ドアの隅っこのほうにもう一枚、微笑ましい張り紙があって、訪れる者の心を和ませてくれるのだ。
「ただし、裏ビデオ通信販売のパンフレットは歓迎」
 なにが、「ただし」なんだか。もう、新井さんってば。

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031 96.06.07 「八木さんの法則」

 「野菜が安い冬は、火事が多い」「空梅雨には、性犯罪が横行する」「衆議院が解散すると、羽根布団がよく売れる」といったところが全盛期の八木さん語録だ。なんだかわけのわからない法則を、八木さんは唐突に披瀝する。
 八木さんは無任所で、普段は仕事がない。なにか揉め事があると出向いて行って、その年輪と話術で穏やかに解決してくる。社内でひとりだけふわふわと宙に浮いている。みんながしゃかりきになってシゴトをしているところにふらふらと現れて、ぼそっと「衆議院が解散したんだってね。羽布団が売れるなあ」などと言いだす。
 どうしてですか。なんでそうなるんですか。と、訊けば、八木さんはとうとうと説明してくれる。立て板に水、って実はちっともぴんとこないけど、まあそんな感じ。話題はあちこちへ跳びまくり、最後には縁なしの眼鏡を右の人指し指でずり上げながら「そういうわけで、そうなるんだ」と、八木さんは皺だらけの顔ほころばせて断言してくれる。
 その場では妙に納得してしまうのだが、あとから考えるとぜんぜんつじつまが合わない。つまり騙されたわけだが、それが楽しい。
 飲みに行くと、八木さんは銚子一本を空ける間に、「八木の法則」をひとつ解説してくれる。衆議院の解散から、南米の軍事政権へと話が飛ぶ。その後、土星、熱海、ヒマラヤなどを淀みなく転々とし、清少納言の主張、北上山地の酪農事情、百貨店業界の内幕などに触れ、二丁目のやぶ芝の鴨せいろの美点、営業部の書庫を破壊した真犯人といった卑近な話題も盛り込みつつ、ふと気づけば、いきなり羽根布団が馬鹿売れすることになっている。風が吹けば桶屋が儲かる式のむちゃくちゃな論理展開が延々と続くのだ。
 しかし、八木さんの話術は、聞く者に矛盾を感じさせない。ゆっくりと話すのだが、独特の間がある。聞き手は八木さんの考えたとおりに八木さんの言葉を理解する。そして、次はどうなるのか、という点にだけ関心が集中してしまう。それっておかしいんじゃないの、なんて疑問が湧いてこない。話が続いている間だけだが。八木さんの話が一段落してから、あらためてその内容を反芻して初めて、あまりにずさんな展開だったことに気づくのだ。
 そういう法螺話を聞きたくて、よくくっついて歩いていた。入社したての頃だ。いっぱい飲ませてもらった。一緒に仕事をすることはないのに、仕事が終わると行動を共にしていた。八木さんも法螺話はしたいらしく、こちらをいいカモだと考えていたふしがある。喜んで奢ってくれた。
 月日が経ち、次第に八木さんの立場は微妙なものに変わっていった。八木さんの仕事ぶりが思わしくなくなったのだ。魔法のような調停能力が失われてしまった。噂話を聞くと、なにかといえば「私が」と言うらしい。「私が説得します」「私が責任を持ちます」云々。そんな無茶な発言で揉め事が収まるわけがない。普段なにも仕事をしていないだけに、風当りは強かった。
 思い当るふしはあった。間遠にはなったものの、依然として夜の法螺話は続いていたのだ。八木さんの法則は変化しつつあった。「俺が散髪に行くと、銀行強盗が起こる」「俺が宿酔いになると、円は暴落する」。「俺」が登場することが多くなった。解説の法螺に、飛躍が乏しくなった。
 居辛くなったのだろう、やがて八木さんは定年前に退職していった。法螺話を聞くこともなくなってしまった。
 通夜の席で、ついつい我慢できずに訊いてしまった。出入りの激しい席で、ふとした偶然に、八木さんの奥様と私だけが、仏間に取り残されたのだ。
「末期の法則、というようなものは、おっしゃっておられましたか」
 いやはやなんとも、こともあろうに私はなんという質問をするのだ。
 答えるほうも答えるほうで、初対面の奥様は、くすりと笑った。私のことは八木さんから聞いていたらしい。気配でわかった。同類項なのねえ、とでも言いたげな素振りだ。
 奥様は、含み笑いをしながらおっしゃった。
「俺が死んだらイナゴの大群がやって来る、と、申しておりました」
 私は思わず吹き出した。奥様もつられて笑った。
「酷い出来ですね」
「ほんとに」
 ふたりとも、遺影に目をやった。ずうっと、見ていた。

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032 96.06.09 「冷蔵庫に九谷焼」

 九谷焼の茶碗という物体が、ここにある。
 石川県は九谷地方でつくられた磁器が、九谷焼だ。国語辞典にそう書いてあった。詳しいことは知らない。
 茶道業界方面で使用されるものらしい。食器としてはあまり役に立ちそうもない形状だ。高価な物らしい。逸品、というおことばであった。叔父がそのようにのたまわった。「おまえもそろそろ、こういうものを持っていてもいいだろう」との突飛な見解である。わけがわからない。なにがそろそろなのであろう。
 そんなものを私が所有しても無駄ではないか。茶道にまるで興味がないし、こうした磁器を鑑賞する見識もない。
 一方で私には、くれると聞くと、あとさきを考えずに頂いてしまう情けない性癖がある。すかさず手が出て、ぺこぺこしてしまう。からだがいうことをきかないのだ。「いやだいやだといいながら、ここはこんなになってるじゃないか」状態。
 貰ってしまった。
 豚に真珠、私に九谷。
 当然、なんの役にも立たない。酒を注ぐには大振りだし、肴を容れるには深すぎる。そのうえ、彩りが酷い。なんだよこの悪趣味な金色はよう。しょうがないので、買ってきたばかりの梅干しを入れて、こともあろうにラップをかけて冷蔵庫にしまっておいた。つまりは道具なので使わないのは損だ。この梅干しは肉厚の南高梅で、たいへん高価なものなのだ。九谷焼も本望であろう。とはいえ、叔父が聞いたら卒倒するに違いないが。
 というようなことはすっかり忘れて、いつものように浮かれた日々を送っていたら、いきなり嵐がやって来た。突然の叔父の来訪だ。近くまできたので、とかなんとか何気ない振りを装っている。私は恐慌状態に陥った。敵は私のおむつを代えたことがある。こちらのやりそうなことはなにもかもわかっているのだ。室内を見回して、ほう、けっこう綺麗にしてるじゃないか、などと言う。例の物件を探しているのだ。抜き打ちの家庭訪問なのだ。敵は台所にずかずか踏み込んで、主に食器棚を眺め回した。こんなところに置いておいたら承知しないぞ、とでも言いたげな態度だ。
 うわあ。参ったなあ。もっと酷いところに置いてあるのだ。
 もはや家庭訪問どころじゃない。家宅捜索だ。明るく正直に話して呆れさせるという奇襲を思いついたが、叔父の性格を考えると、やはりこれは危険すぎる。
 ごまかすしかない。
 だが、敵はこちらの思惑を見透かしたように、喉が渇いたな、何か冷たい物はないか、と言った。言いながら、もう冷蔵庫を開けている。素早すぎる。
 ごまかせなかった。
 やはり、こちらの性向を熟知しているひとにはかなわない。叔父はくるりと振り向き、静かな声で言った。
「なんだ、これは」
 もちろん、突き出されたその手には、くだんの茶碗がある。
 笑おうとした。笑えなかった。反射的に茶碗を受け取ろうとした。手元が狂った。茶碗が床に落ちた。砕けた。梅干しがころころと転がった。
 ああ、ニュートン先生、これが万有引力の法則なのですね。
 私は思わず、致命的な一言を吐いていた。
「あっ、梅干しがっ」
 その後の悲惨な顛末について語る気力は、まだない。

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033 96.06.09 「梅雨に入った模様」

 昨日あたりから、上空から透き通った輝きが消え失せてしまい、今日の空はもう、深い白がすぐそばにあります。窓から見える隣家の紫陽花の色が、にわかに瑞々しい彩りを放っています。柔らかな空から、やがて霧のような雨が音もたてずに降りだして、私の心を濡らし始めることでしょう。
 あ、すみません。梅雨になったというので、ちょっと梅雨らしく憂鬱なそぶりをしてみました。しょせん馬鹿のやることなので気にしないでください。それにつけても、梅雨入りですね梅雨入り。にゅうばいっ、どんっ。除湿剤の季節です。洗濯物は乾きません。湿った約四十日間の始まりです。不快指数が高まる季節ですが、そんなことはほっといて、私は毎年、自分勝手に痛快指数というものを設定してます。梅雨の間は、毎日カレンダーに書き込んでます。ちなみに、去年のカレンダーを調べてみましょう。
 いやまあ、そのう、ほとんど毎日100でした。
 ううむ。ほんとに馬鹿だったんだ俺。
 でも、80の日もあったんだよ。ほんとだよ。
 ところで、「梅雨入り」は「つゆいり」と読みますね。けれども、「梅雨前線」は「ばいうぜんせん」と読みます。意識しないのに、自然にそう読んじゃいますね。そういう訓練ができてるんです。知らないうちに。
 すごいもんです、人間の頭脳というのは。任意の四つの文字を入力された頭脳は、いかなる根拠に基づくのか、はじめに後半の二文字を解析しちゃう。その結果によって、前半の二文字をどう読むか判断しちゃう。どうなってるんだろう。だいたい、その四文字をすくいあげる方法論がそもそもわからない。経験と学習の効果なのかな。意外に使えるもんですね、私の頭も。えらいえらい。
 「つゆ」と「ばいう」は、どう使い分けるのか。気象庁あたりなにか厳密な定義をしていそうだけど、情緒的なときには「つゆ」、情緒が介入しない現象的なものを表すときには「ばいう」ってことになるのかな。
 ま、とにかく、気象庁だか日本気象協会だかは、梅雨に入った模様と言ってます。もう、「気象庁は今日、関東地方の梅雨入りを宣言しました」とは伝えてくれません。昨日までは「そろそろ梅雨入り」と言っていたのが、今日になって「梅雨に入った模様」と言うだけ。哀しいことです。あの「宣言」ってやつは好きだったんだけどなあ。
 いろいろ複雑な御事情はございましょうが、復活してくださいよう。あとで訂正しても怒らないから。これ、このとおり。って、土下座してもしょうがねえか。
 実際、怒ったひとがいたんだよね。天候に左右される御商売の方々が、気象庁に文句を言った。宣言が外れたって。はあ。どうにも不思議な発想で、理解できません。結局、気象庁は嫌気がさしてやめちゃった。あれは嫌な顛末だったなあ。
 気象予報士は勝手に宣言しちゃいかんのでしょうか。宣言が駄目なら、声明とか表明とか言葉をかえちゃって。べつに構わないと思うんだけど、どうなんだろう。
 思ったよりも気象予報士はタレント化しなかったからなあ。よく外れるので定評があるんだけど面白い予報をする、みたいなひとが出てくるまでおあずけかな。「梅雨入りは、今度の日曜日ですね。宣言しましょう。日曜です。対抗は、月曜。日-月が固いところです。おさえに、日-土。今度の梅雨入りはこれでキマリ」とかね。他にも、占い師ふうとか評論家ふうとか、やりようはいくらでもあると思うんだけど。
 誰を信じるかは、視聴者が自分で選べばいいことなんだからさ。お願いだから、誰か宣言してください。

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034 96.06.10 「噂の鼻パック」

 ずっと、寂しい思いを味わっていました。口惜しくもありました。血の滲むほど唇を噛みしめ、眠れなかった夜もあります。
 でも、今日からは違うんです。あの会話に入っていくことができるんです。僕も今日から鼻パック仲間。嬉しいなったら嬉しいな。
 「あんなに毛穴が汚れてたなんてね」「剥がした瞬間のすがすがしさといったら、もう」「自分が生まれ変わった気がする」「十年来の腰痛が治った」「寝たきりだったおじいちゃんが立って歩いた」
 明日からは、その会話に混ぜてください私も。今日、これから私はその資格を得るのです。
 ついに、入手いたしました。「ビオレ 毛穴すっきりパック」、ターミナルアダプタに匹敵すると、事情通の間ではもっぱらの噂だった品薄状態のこの品をついに手に入れました。「小鼻に貼って はがすだけ 毛穴の黒ずみ 一度ですっきり」と、言ってます。言っているのは、東京都中央区日本橋茅場町1-14-10、花王株式会社です。べつに、住所はどうでもいいですかね。
 小鼻の毛穴の汚れ、角栓というらしいんですが、この品はこいつを一気にとっちゃおうというものです。さあ、さっそく使ってみたいと思います。
 まず、洗顔しなければなりません。花王は、そうしろと能書をたれとります。すごい自信です。ふつうの洗顔では落ちない汚れを取るのだぞ、うふふふふほほ~い。と、暗に言っているのです。挑発してます。わかりました。洗顔してやろうじゃないですか。
 はあはあ。洗顔して参りました。マニュアルにのっとって、鼻は水でまんべんなく濡らしてあります。ここに、絆創膏状の「ビオレ 毛穴すっきりパック」を貼るわけです。
 貼りました。これから、10分から20分待たなければなりません。花王がそう申し述べておるのです。ただいま、ジブチルヒドロキシトルエンとパラベンが私の小鼻で活躍しとります。こんな得体の知れない薬品に、己の大切な鼻の今後を託していいのか。といった不安がもたげてくるのは否定できませんが、今はただ邪念を棄て、すべてを彼等に委ねるしかありません。ああ、どうなるのかなあ。
 ところで、私が使った洗顔料は「メンズビオレ」というもので、「毛穴の汚れスッキリ」と謳われています。成分表には、ジブチルヒドロキシトルエンとパラベンがしっかり記されています。はて、どうなっておるのでしょう。ま、消費者センターじゃないんだから、そんな細かいことをつっこんでもしょうがないですね。要は、この「ビオレ 毛穴すっきりパック」の効果がテキメンであればよいのです。
 さて、20分たちました。剥がしてみましょう。わくわく。
 こ、これはっ。
 ほんとだ。こりゃあすげえや。
 シートの裏側は、ミクロの剣山状態。汚れの針の山。快楽です。こんなものを目にして快楽を得るとは思いませんでした。気持ち良すぎる。
 いやあ、汚れてたもんですね、私の小鼻の毛穴。「メンズビオレ」でも落とせなかった汚れが、きれいさっぱり落ちました。まいったまいった。なんでまいるのかよくわかりませんが、いやはやもう、まいりました。
 10枚入りで、600円。1回60円の悦楽。毎日やりたいところですが、花王は週に1~2回にせい、と言っとります。頻繁にやると弊害があるらしいですね。
 しかし、きっと明日も貼ってしまうでしょう。あさっても、しあさっても。
 こらえ性がないもんで。

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035 96.06.15 「噂の鼻パックその後」

 その後の経過報告です。前回の作文について、何通か感想のお手紙が殺到いたしました。空前の反響です。この地方では古くから、一通のメイルが届いたら三十人の読者がいると思え、と言い伝えられております。どういう地方なんだ。たくさんの方にお読み頂きまして、ありがたいことです。好評につき、続編です。
 連日の使用は、弊害以前に面白くないことがわかりました。ちっとも汚れが取れないんです。一度使用すればしばらくは使用する必要がない、と、そういうことのようですね。つまんないので、頬にも使ってみました。ある程度の汚れは取れましたが、あの、魂を揺さぶられる感動は甦ってはきませんでした。ああ、僕はもう、けがれあるあの頃には戻れない。大人になったんだね。ああ、よしよし。
 汚れを溜め込むのがよろしい、という御報告がありました。我慢に我慢を重ねて、一気に使用に及ぶ。使いたくても使わない。ひたすら耐える。耐えに耐えて、大量の汚れを一息に剥ぎ取る。それが嬉しい。なんとも鬼気迫る執念で、手紙を読んだときには呆れましたが、今ならその気持がわかります。わかりますとも。私も、ただいま汚れ貯蓄週間です。
 花王ばかりではない、という報御告もありました。ウテナから「ポアズ」という商品が出ているとのことです。プロ野球ニュースの時間にCMをやっているとのありがたい御注進です。確認しました。あ、観たことあるよこれ。というか、鼻パックのCMはこれしか観たことがありません。「気持いいほどよくとれる、気持わるいほどよくとれる」ってやつ。ウテナ関係者のみなさま、ごめんなさい。私、コンビニで花王の「毛穴すっきりパック」を発見したとき、無意識にこのCMを思い浮かべていました。「あ、これがあのCMのやつだな」と思って、「毛穴すっきりパック」を手にしました。
 つまり、何度かCMを観たというのに、「ポアズ」という商品名は私の記憶に留まることはなかったわけです。ウテナのネイミング戦略の失策ですね。まったく新しいコンセプトの商品に、こんなにもあっさりしたネイミングはなかろうと思います。「気持いいほどよくとれる、気持わるいほどよくとれる」というコピーがハマっちゃっただけに、ますます商品名の影が薄い。「毛穴すっきりパック」の堂々たる響きに敵うわけがありません。ウテナは、鼻パックがここまで売れるとは読みきれなかったんでしょうね。残念でした。
 ピザーラのCMを観てピザが食べたくなって、近所のピザーラじゃない宅配ピザ屋さんに注文しちゃうという話を思いだすなあ。「気まぐれコンセプト」に載ってた。「ポアズ」のCMを観てさっそく買いに出かけたら、「毛穴すっきりパック」が真っ先に目に入ったのでそれを買い求める、という構図。これからも各社から、新製品が出てくることでしょう。ネイミングやデザインにも注目ですね。
 お手紙に戻りますが、「鼻パック友の会」を結成しましょう、という冗談なのか本気なのかわからない御提案がありました。なんのつもりでしょうか。呆れましたが、どういう展開が考えられるか無意識に検討してしまう自分にも呆れます。
 まず、お約束のホームページをつくりますね。鼻パックホームページ。会員の報告によって構成されます。「文集・私の鼻パック体験記」や「フォトギャラリー・剥がされた私の汚れ」は、外せません。「カタログ・これが日本で買える鼻パック全リスト」なども充実させたいところです。「掲示板・この鼻パックが一押し」では、各社の製品を試用した会員の忌憚のないレポートが続々と報告されます。
 メイリングリストなども運用され、鼻にしか貼らない保守派とどこにでも貼っちゃう革新派との間で議論が高まったりしますね。オフラインミーティングなども催されることでしょう。飲酒などはせずに、その場で鼻パックを貼り、その成果を競い合ったりするわけです。得体の知れない新興宗教のような不気味な状況を呈します。そういう場で出会った男女が、いつしかお互いに鼻パックを貼り合う仲になることもあるでしょう。
 そうこうしているうちに「鼻パック友の会」は大きな集団となってしまい、分裂したりしますね。執行部の専横に批判的な在野勢力が大量脱退し、「庶民のための鼻パック文化の確立」を旗印に「新党はなさき」を設立する、といった騒ぎになるのが、やはり集団の美しいあり方でしょう。そんなふうにして、当初の存在意義を喪失した「鼻パック友の会」は、鼻と散っていくわけです。
 しかしまあ、私というものは、もっと他に考えることはないのでしょうか。

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036 96.06.16 「混信国道6号線」

「おはよ~。まるちゃんだよ~ん」
 ジョン・カビラの声に覆い被さるように、いきなり、まるちゃんの元気な声は混信してきたのであった。
 出勤時の車内では、カーラジオを聴いている。まずはFM放送で、たいていはJ-WAVEだ。ジョン・カビラが、なんだか妙なもんで、つい。他局を聴かざるをえないこともある。時々トラックの無線が混信してくるからだ。周波数の関係なのか、特にJ-WAVEは影響を受けやすい。
 アマチュア無線だかパーソナル無線だか知らないけど、あれ、なんとかならないかなあ。FM放送の周波数帯まで浸出してくるってのは、どうせ改造無線機だろう。免許を受けた最大出力を大幅に超える強力な電波を撒き散らしているのだ。あまりに強力なので、まるっきり関係のないカーラジオからも聞こえてしまう。
 朝のひとときのささやかな娯楽を奪うんじゃねえよぷんぷん。と、憤慨しておったのだけれど、案外そうでもないことがわかった。傾聴に値する話もあったのだ。
「そこで、オレは○○○を××しちゃったんだよ~ん」
 まるちゃんは開けっぴろげな明るさを振りまきながら、無線仲間に対して、激しかった前夜の行状を赤裸々に伝えるのであった。相手の電波は入ってこない。まるちゃんの独り舞台。内容については、まあ誰もがすることなので特に語るべきことはないが、表現がやけに緻密で、異様に豊富な語彙を駆使するのがまるちゃん節の真骨頂なのであった。そういやそんな言葉もあったよなあ的なえげつない隠語の類が、とめどなく溢れてくる。「ナニワ金融道」看板総集編という感じ。使い方がまた巧みで、魅力的なフレーズがたくさんあった。
「で、3発目はさあ~」
 気になる。どのような人物であろうか。私はまるちゃんを探すことにした。混信の時間が長いので同方向に向かっているに違いない。そんなに遠くにはいないだろう。バックミラーにはそれらしき車影はない。前だ。私はアクセルを踏んだ。二車線道路を車線を頻繁に変えながら走り、やがてそれらしきトラックをつかまえた。赤信号で横並びに停車した。様子を伺う。ラジオから流れる声とそれらしき運転手の口の動きが見事に同調。まるちゃん、見~っけ。
「5発目になるとも~」
 まるちゃんはひどく若かった。童顔。ハンドルを握っていなければ、中学生に見える。ううむ、そんな子供の顔で夕べは5回も。まいったなあ。
 まいっていたら、急にまるちゃんがこちらを向き、目が合ってしまった。あせる。こちらはどんな人物か確認したかっただけだ。交流を持とうとしたわけではない。しかし小心者なもんで、つい薄笑いで応えてしまった。異人種に異人語で道を尋ねられて困ったときに思わず出ちゃうあの薄笑い。まるちゃんはきょとんとしている。仕方がないので、私は窓を開け、大きめの声を出した。
「ぜんぶ聞こえてるよ。カーラジオから」
「ほんと?」
 まるちゃんのお答えは、ラジオから返ってきた。
「ほんとだよ」
 まるちゃんはどぎまぎしていた。混信を撒き散らしているほうには、たいがいそんな自覚はない。これに懲りて無線機の違法改造をやめてくれるだろうか。
 しかしまるちゃんに反省はないのだ。やがて、にっこり笑った。元気な声がカーラジオから聞こえた。
「もうちょっとの間、我慢しててよ。あと2発分だからさ」
 そこで、信号が変わり、まるちゃんは勢いよく発進した。
 7回も。
 聴きましたよ、私は。

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037 96.06.17 「歩いて行こう」

 直立歩行をするようになって以来、我々人類はいったい太陽の周囲を何周したのであろうか。哀しすぎるではないか。人類はこんなに単純なことを未だに解決していない。叡知とは人類に許された唯一の贅沢ではなかったのか。
 ん~、こうも大上段に振りかぶって書き始めちゃうと、なんだか気持いいな。ふんぞりかえって、尊大になっちゃう。尊大とは、今のところ大学の略称ではないので注意。偉大、巨大なども同様。
 歩いている。前方から人が来る。その道あるいは通路あるいは廊下その他それに類する場所は、狭い。やがて両者は接近する。すれちがう為に、両者は相手を避けようとする。
 この瞬間に、いささかの問題が発生することがある。
 両者がそれぞれ独自の判断に基づいて、進行方向の微妙な転換をなす。同時に。同じ方へ。
 自分はよけたつもりだったが、相手も同じ方向によけてしまう。ぶつかりそうになる。あわてて、反対の方向へ移動する。相手も同じことをする。鏡を見ているように。その同時の判断と行為が何度か繰り返されたのちに、失礼とかどうもとか、もごもごと呟きながらようやく両者は無事にすれちがう。
 なぜ、我々は、このようなときの対処を決めていないのだろう。むかしむかしエライひとが「すれちがうときは左へ」と決めておいてくれて、それが常識になってさえいれば、無駄な時間を費やさずに済むのだ。ま、べつにそれが右でもいっこうにかまわなのだが。
 おかあさんは「近所のひとに会ったらちゃんと挨拶するのよ。それから、すれちがうときは左に行くのよ」と子供に諭す。小学校の先生は「寄り道をしてはいけませんよ。それから、人とすれちがうときは左によけるんですよ」と児童に教える。それだけでいい。簡単なことだ。
 航空機や船舶にはそういうときの国際的なルールがちゃんとできている。ルールがないと大惨事が起こるからだ。車両にもある。国によって異なるが、確かにある。交通事故を未然に防ぐためだ。
 歩行者にはない。いかんのではないか。歩行者が正面衝突しても大惨事ではないとでもいうのだろうか。見ず知らずのおじさんとキスをするはめになったら大惨事とはいわないのか。心の傷は一生癒えないぞ。そこんとこ、どうなっておるのだ。
 って、こういうことはどこに訴えたらよいのだろう。なにも立法化してくれといっているわけではない。「対人退避法」とかいう法律ができて「第一条 この法律は、国民の円滑なすれちがいを実現するため、歩行に関する一般的な規範を定めることを目的とする」などと決めつけられたら、それはちょっと困る。
 やはり個人レベルで地道な啓蒙の道を歩むしかないのか。険しい道だが、歩いて行こう。本日より、私は人とすれちがうときにはあくまで断固として左へよけようと思う。相手も同じ方向によけてきたら、突き飛ばしてでも自らの進路を切り拓いていきたい。先駆者の苦難は覚悟の上である。確固たる信念に基づくこうした行動の積み重ねが、幾世代を経て、やがて常識として定着していくことであろう。
 そういうことになったので、唐突ではあるが、皆様も私とすれちがうときは心して左によけて頂きたい。
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038 96.06.18 「だって地球は」

 サッカーのオリンピック代表がようやく発表された。もう、あと一ヶ月ちょっとで、ブラジル戦だ。7月21日4:00PM~08:30PM。IBMがやっている公式サイトではそのようにアナウンスされている。4時間半もサッカーの試合をやるわけがないので、これは多分スタジアムが開場している時間だろう。実際のところはどうなっているのだろう。日本時間では21日、月曜日の朝だ。出勤前に観られるのか。微妙な時間帯だ。放送の予定は決まっていないのだろうか。NHKのサイトではなにも情報は得られなかった。有給休暇を取るべきかどうか、思い悩むところだ。そのあと、水曜日の午前中にナイジェリア戦、金曜日の午前中にハンガリー戦だ。どちらかは確実に休暇を取るしかない。休暇は1度に抑えたい。決勝に進むとは思えないので、この3戦しかない。2戦は観たい、と思う。とにもかくにも問題はブラジル戦だ。
 これだからアメリカあたりで長期のスポーツ大会をやってはいかんのだ。南北どちらの大陸でもいかん。2年前のワールドカップは辛かった。毎日ふらふらだった。思い起こせばメキシコ大会も悲惨な日々だった。ロサンゼルスオリンピックもたいへんだった。しかし、近所の国でやられるのも困る。ソウル・オリンピックでは睡眠不足に陥ることはなかったけど、ほとんど生中継を観られなかった。
 ワールドワイドなスポーツ大会はヨーロッパあたりでやるのがいちばんいい。名前はアメリカ大会でいいから、ヨーロッパかアフリカでやってほしい。中近東あたりでも我慢する。今からでも遅くはない。アトランタオリンピックは、ローマあたりでやってくれ。カイロでもヘルシンキでもいいぞ。
 テニスの全米オープンはローランギャロスでやろう。マスターズはセントアンドリュースでやろう。インディ500はモンツァでやろう。なあに、アメリカ国民の方々にはアメリカンフットボールがあるので、大丈夫。
 ついでにメジャーリーグ・ベースボールも、北米大陸でやるのはやめてもらいたい。このスポーツはナイトゲイムが主体なので、この列島に誘致しよう。野茂が投げる晩は数字とれるよ。プロ野球と称しているみなさんには、この機会に海外に巡業に出てもらおう。
 いいかげん、呆れられているだろうなあ。すみません、つい出来心で。
 こないだ2002年のワールドカップ誘致で大騒ぎしてたけど、ヨーロッパのひとたちは、どっちだっていいやと思ってたんだろうなあ。テレビの放映時間は、彼等には辛すぎる時間帯だ。アジアでやるならヨルダンあたりでやりゃあいいのに、と思っていたに違いない。彼等は毎年のトヨタカップを眠い目をこすりながら観ているわけで、あれが毎日続くのかとうんざりしているに決まっているのだ。
 とにかく、あと1ヶ月たつと、また寝不足の日々が始まる。
 地球は丸くて、時差がある。どうにかならんのかな、これ。

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039 96.06.19 「思いだしただけ」

 昨日の晩はなんだかやたらと風が強くて、ひょよよおんひょよよおんと、やかましいったらありゃしなかった。うるせえなあと思いながら眠りに就いたのがよくなかったのかもしれない。変な夢をみてしまった。高い木の枝にしがみついたまま、吹きすさぶ強風に揺さぶられているのだ。よくしなる枝で、しがみついているのが精一杯。手を離したら真っ逆さまに地面に叩きつけられてしまう。こわかった。やがて力尽きて宙に投げ出されたところで、そこはしょせん夢なので目が覚めた。午前3時、もう風の音はしなかった。
 馬鹿なのですぐ寝直してしまったのだが、朝になってもありありと憶えていた。結局、一日中その夢が頭の片隅でうろちょろして、どうにも仕事に身が入らなかった。いつも入ってないが。なんだか妙に気にかかる。気になってしかたがない。
 晩飯の野菜炒めを食っているときにやっとわかった。ピーマンを噛った瞬間に、ぱあっと記憶が甦った。イドの奥底から、ぷかりと記憶のあぶくが浮き上がってきた。実体験だったのだ。ひょんなことから思いだすもんだ。ところで、ひょん、ってなんだろう。
 それは、10歳かそこらであったろうと思う。つまり四半世紀の間、その記憶を思い起こすことはなかったのだ。思いだしたからってその内容は、だからなんだ、としかいいようがないのだが。
 幸次と私は、どちらが高いところまで登れるかという、誠にもって微笑ましい意地の張合いをすることになった。ケヤキの木だったように思う。発端は、他愛ない。ケイコちゃんが、勝ったほうのお誕生日会に行く、と言ったのだ。
 幸次と私は同日に誕生したという共通の過去を有していた。双方の親が経費節減のために隔年でいっしょくたにパーティを催しており、それは小学校を卒業するまで絶えることのない習慣だった。つまりケイコちゃんの発言はその前提から誤っているのだが、なにしろ双方ともに闘犬状態になっているので、矛盾には気づかない。あるいは、勝利したアカツキには分離開催を強行しようというハラがあったのかもしれない。とにかく登った。
 ケイコちゃんに躍らされる幸次と私。
 どんどん登っていった。木登りも登山と同じで、降りるときのほうが難しい。私も幸次もそれは心得ていて、あと少し登れるというところで、普段だったらもうそれ以上は登らない。
 普段じゃなかった。下からケイコちゃんの声援が聞こえてくるのだ。
 血が登って、木に登っている。忍び寄る遭難の魔の手。
 遭難しました二人とも。降りられなくなった。すくんでしまって、下に脚が伸びない。登るときと降りるときとでは脚の自由度が全く違うのだ。自由に動かせない。そして、降りようとしたときに初めて高さを実感するのが木登りの特徴だ。こんなに高いところまで来てしまった。
 そのうちに風が吹いてきた。寒くて、高くて、怖かった。幸次も私もほとんど同じ高さにいたが、勝ち負けはもうどうでもよかった。ただひたすら、いつもより細い枝にしがみつくばかりだ。揺れは次第に酷くなっていき、木の下に人が集まり始めた。尋常ならない状況にケイコちゃんが泣き出し、その声が近所の人々を招き寄せたのだ。
 大人が登ってきたら重みで折れそうな細い枝まで、幸次と私は到達していた。緊急会議が木の下で催され、やがて近くの土建屋からパワーショベルが出動してきた。そのバケットに乗って無事帰還を果たした、というのがその日の顛末だ。いやもう、こっぴどく叱られた。
 幸次は現在、長野の高校で生物の教師をしている。彼は長じて山に取り憑かれ、山岳部の顧問をしているのだ。その理由がなんとなくわかった気がする。
 ケイコちゃんのその後は知らない。きっと、どこかで男を手玉に取って、ひそかにほくそ笑んでいるのであろう。
 今、またひとつ思いだしたのだが、ケイコちゃんはピーマンが大嫌いだった。

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040 96.06.21 「深爪の男」

 無器用である。
 いきなり主語を略してしまったが、もちろん私が無器用なのである。もう、ほんとに無器用。情けないくらいに。しかも、不器用でもある。同じだけどさ。
 無器用という表現が出現するときは、通常ふたつの対象が考えられる。と、無器用なくせに思っちゃうのだ。手先と生き方、このふたつに大別される。もちろん私は両方とも該当するのだ。生き方のほうは、まあどうでもよい。時には誉め言葉になったりする。実際には、無器用どころではない。下手としかいいようがない。ま、あなたもそうでしょうが。生き方が下手なのは、たいていのひとの密やかな願望で、そのほとんどすべての方々がそれを実現している。この点では、私も変わりはない。
 ここでは、手先が無器用であるという厳然たる事実を直視してみたい。いつもは横目でちらりと盗み見ながらも気づかないふりをしてきたが、やはりこのへんで、私という道具の性能について考えてみたい。このへんって、どのへんだかよくわからないけど。
 大根を千六本にすると各々の断面積がすべて異なる。シャツのボタンを1ケ縫いつける間に、最低3枚のバンドエイドを要する。RAMを入れ換えようとするものの力の加減を間違えて、数万円をどぶに捨てる。オートマチックのギアを入れ間違えて、人を轢く。などなど。
 目下のところ懸案となっているのが、深爪である。ふかづめ。いやあ、よくやるんだよね、深爪。私の見解では、10本の、いや9本でも8本でもかまわないが、そのうち1本くらい深爪したってべつにたいしたことじゃなかろう、と思う。単にひりひりして痛いだけだ。我慢してればそのうち治る。血が滲んでカサブタとなることもあるが、よくあることなのでちっとも気にしない。すべての指を深爪したわけじゃない。
 だが、そうではなかったのだ。ただの1本でも深爪すると、そやつは大変に無器用な人物であり、人格破綻者であり、禁治産者であったのだ。いやそんなこたないが、非常に珍しい馬鹿野郎ではあるらしい。
 えらく笑われてしまった。ほとんど毎回深爪するって言ったらば。
 そ、そうだったのか。みなさんは深爪しないっすか。あららら。まいった。
 みんな、爪切りがうまくて、いいなあ。どうしたら、そんなにうまくできるの。そう訊いたら、また笑われた。上手も下手もないんだって。ほんと?
 うそだよなあ。爪切りしたら、誰だって深爪するだろう。ちがうの? へ~、ちがうのかあ。まあ、どうでもいいけど。は? べつに恥しくないけど。はい。深爪したことを告白することは、私、べつに恥しくありませんが。
 ゑ? 深爪は恥しいことなの?
 あ。
 世間の常識とは、そのようになっておりましたか。
 ついていけねえよな、そんな常識には。

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