93/02/29 「くまでについてジャニスと語る」

 ジャニスはコロラド州から来た留学生だ。とても流暢な日本語を話す。しかし、日本
の文化に精通しているわけではない。ジャニスは勉強家だ。謎があれば、しつこく解明
を求める。
「くまで、ってなんですか」
「むむ。くまでね」
 突然そんなことを訊かれても困るのである。
「それは熊の手だよ」
「Bear's Hand? おお。料理ですね」
「い、いやいや、料理じゃないよ。それは中国の話だ」
「日本人、熊は食べませんか?」
「う~ん。地方によっては食べるだろうけど」
「おいしいですか?」
「ゑ。知らないよそんなこと」
「くまではおいしくありませんか」
 なんでそうなるんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれジャニス。くまでは料理じゃないよ」
「なんですか?」
「道具だよ」
「なにに使うものですか?」
「ええと、そうだなあ。潮干狩かな」
 他に何に使うのだろう?
「しおひがり? それは便利ですか?」
「は。潮干狩が。ええとねジャニス、潮干狩っていうのは行為なんだ」
「そうですか。嬉しいときにするのですか?」
「ん。ん~、そうだなあ、やれば嬉しくなるかもしれないけど」
「どういうときにしますか?」
「春が来て、海の水があったかくなってくるとねえ」
「おう。春のオマツリですね」
「ううむ。まあ、そんなもんだ」
 俺もイイカゲンだ。
「どんなオマツリですか?」
「貝を採るんだよ。遠浅の海でね」
「トーアサ? それは、どういう意味ですか?」
 コロラドに海はない。
「沖の方まで浅いってことだな」
「おう。ヤマモトシューゴローですね」
 そこまで話を飛ばすか。
「ん。まあいいか。そういう海で貝を採るのが潮干狩なんだ」
「あ。わかりました。春の風物詩、ということですね」
 どうして、そういう偏った日本語を話すのだろう。
「そうそう。そうなんだよ」
「わかりました。くまでは貝を採る道具なのですね」
「そうそう、そうなんだよ」
 わかってくれたか。ありがとうジャニス。
「くまでとはパワーショベルのことですね」
 日米相互理解は、かくも険しい。

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