11月18日 泣きに来た女の夜
いきなり泣きださなくたっていいだろう。
私としては、途方に暮れる。
とりあえず、キール・ロワイヤルをつくって、黙ってさしだす。
この手合いには、きれいな色をカクテルを出しておけばいい。しかも、ライトで。簡単にできるやつがいい。私もそんなに暇ではない。
席に座るなり、両手で顔を覆って泣きだした。おとなしすぎるデザインのくすんだ赤ワイン色のスーツに身を包んだ、やけに細身の女性だ。まだ若い。その年頃に相応しいスーツを来ては行けない場面を通り過ぎてここまでやって来たらしい。
どんな悲劇的な場面だったかは知らないが、オーダーくらいはしてほしいものだ。
カウンター席で涙を流せば、バーテンダーが慰めの言葉をかけてくれると思っているらしい。
現実はそうはいかない。私の方が慰めてもらいたいくらいだ。
こちらは商売だ。酒と時間と場所を売っている。
酒の回転が早くて、しかも乱れない客が上客だ。
この女性は、どのような観点からも上客とはいえない。だが、こちらの力量で中客くらいには仕立てあげられる。オーダーされもしないのに、次から次へとカクテルを出すのだ。支払う段になって、こんなの頼んでいないと騒がれたら一巻の終わりで、こちらは請求できない。
実際のところは、誰もが唯々諾々と支払うことになる。誰だって、クレジットカードくらいは持っているものだ。
頼まれもしないのに、ピンクレディをつくり、アラウンド・ザ・ワールドをつくった。「泣きながらバーで酒を飲む」という状況を求めているのだから、素直に提供するだけだ。彼女は、一息にあおってむせている。飲んだことがないのは明白だが、この状況下で彼女が飲んだことのあるカクテルを出すバーテーンダーがいたらそいつは馬鹿なので、これはこれで仕方がない。
泣きに来ているのだから、泣かせておくしかない。
久しくつくっていなかったアラウンド・ザ・ワールドを出したのは、練習のためだったのだが、味わって飲んで頂ける客ではなかったので、張合いがない。
結局、彼女は閉店の時刻まで居座った。タクシーを呼んであげたのだが、はたして無事に帰宅したろうか。
それがちょっと気にかかる。